安曇野に、国際チャンピオンの歌い手がいるらしい。
2018年02月28日
国際大会コンテストで最高賞の主席に輝いたチャンピオンが、
安曇野に!?
こんなに近くにそんな素晴らしい歌い手がいるのに、
会ったこともないし、その歌声を聴いたこともないなんて!!
という あなたのために。
その美しい声とお姿を今回初公開!!!
お待たせしました。
ご登場いただきましょう。国際チャンピオンです。
じゃ~~~ん。

・・・
・・・
・・・
カナリアです。
ローラーカナリアといって、
鳴き声を楽しむように改良されてきた種類だそうです。
籠の中でこの鳥は、コロコロ、コロコロと美しく鳴いていました。
確かに歌うように長く、いろん種類の鳴き方で。
でも、国際チャンピオンってどういうことなんでしょう?
この子の飼い主さんに聞いてみました。

中山靖彦さん。
1月に京都府で開催された「第67回ローラーカナリア国際大会コンテスト」の
若鳥と親鳥の部で最高賞の主席を獲得。
昨年に続き2連覇なんですって!
「コンテストは毎年400羽前後が出品されます。
『歌節(かせつ)』という歌うような鳴き声が9種類あって、
これをちゃんと歌えるかどうかがポイントになるんです。」

歌節が鳴けるようになるには、訓練が必要。
訓練はカナリアにとっても世話をする人間にとっても過酷なもので、
鳥たちの頑張りを応援するために中山さんも朝5時起きで世話を続ける日々。
「寒い朝はたいへんです。
でも、鳥たちはもっと大変ですからね。
たっぷりと愛情をかけてあげています。
その結果として主席をとれたことが、やはりとても嬉しいです。
生き物ですから、こちらが思うようにはいかないことが多いんです。
今年主席をとった若鳥は、自分では4番手くらいだと思っていた。
それが本番で本当に良く鳴いてくれましてね。
何が起こるかわからない。それがまた面白い。
奥の深さを感じています。
それにやっぱり、かわいいですよ、鳥たちは。」

中山さんとカナリアたちが頑張った勲章。主席のメダルを見せてくれました。
400羽の中から選ばれたチャンピオンの歌い手に贈られるもの。
まさに金メダルですね。
中山さんは国際ローラーカナリークラブ理事、
長野県鳴きローラーカナリー倶楽部事務局長などをつとめ、
美しい声で鳴くローラーカナリアの魅力を、
多くの人に知ってほしいと願っています。
「競技に出すために育てることは大変ですが、
ペットとして飼う分には、ローラーカナリアは手がかからない鳥なんです。
鳴き声も低くて静か。甲高い大きな声は出しません。
初めて飼う人にもおすすめなんです。
ぜひ、飼ってみていただきたい。
飼うと、その魅力を感じていただけると思います。」

現在中山さんは、50羽ほどのローラーカナリアを飼っています。
歌声を収録するために、カナリアたちの部屋に入れてもらったんですが、
私が入ってもなかなか歌わなかった鳥たちが、
中山さんがお話を始めると、一生懸命いっぱい歌うんです。
やっぱりお父さんが来た、ってわかるんですね。かわいいですよ~。
コンテストは審査員資格取得者しか出品できないマスタークラスがあるそうです。
中山さんの今年の目標はそのマスタークラス。
3連覇に向けて、中山さんとカナリアたちの挑戦は続きます!!
松本の調査隊員 塚原でした。
安曇野に!?
こんなに近くにそんな素晴らしい歌い手がいるのに、
会ったこともないし、その歌声を聴いたこともないなんて!!
という あなたのために。
その美しい声とお姿を今回初公開!!!
お待たせしました。
ご登場いただきましょう。国際チャンピオンです。
じゃ~~~ん。

・・・
・・・
・・・
カナリアです。
ローラーカナリアといって、
鳴き声を楽しむように改良されてきた種類だそうです。
籠の中でこの鳥は、コロコロ、コロコロと美しく鳴いていました。
確かに歌うように長く、いろん種類の鳴き方で。
でも、国際チャンピオンってどういうことなんでしょう?
この子の飼い主さんに聞いてみました。

中山靖彦さん。
1月に京都府で開催された「第67回ローラーカナリア国際大会コンテスト」の
若鳥と親鳥の部で最高賞の主席を獲得。
昨年に続き2連覇なんですって!
「コンテストは毎年400羽前後が出品されます。
『歌節(かせつ)』という歌うような鳴き声が9種類あって、
これをちゃんと歌えるかどうかがポイントになるんです。」

歌節が鳴けるようになるには、訓練が必要。
訓練はカナリアにとっても世話をする人間にとっても過酷なもので、
鳥たちの頑張りを応援するために中山さんも朝5時起きで世話を続ける日々。
「寒い朝はたいへんです。
でも、鳥たちはもっと大変ですからね。
たっぷりと愛情をかけてあげています。
その結果として主席をとれたことが、やはりとても嬉しいです。
生き物ですから、こちらが思うようにはいかないことが多いんです。
今年主席をとった若鳥は、自分では4番手くらいだと思っていた。
それが本番で本当に良く鳴いてくれましてね。
何が起こるかわからない。それがまた面白い。
奥の深さを感じています。
それにやっぱり、かわいいですよ、鳥たちは。」

中山さんとカナリアたちが頑張った勲章。主席のメダルを見せてくれました。
400羽の中から選ばれたチャンピオンの歌い手に贈られるもの。
まさに金メダルですね。
中山さんは国際ローラーカナリークラブ理事、
長野県鳴きローラーカナリー倶楽部事務局長などをつとめ、
美しい声で鳴くローラーカナリアの魅力を、
多くの人に知ってほしいと願っています。
「競技に出すために育てることは大変ですが、
ペットとして飼う分には、ローラーカナリアは手がかからない鳥なんです。
鳴き声も低くて静か。甲高い大きな声は出しません。
初めて飼う人にもおすすめなんです。
ぜひ、飼ってみていただきたい。
飼うと、その魅力を感じていただけると思います。」

現在中山さんは、50羽ほどのローラーカナリアを飼っています。
歌声を収録するために、カナリアたちの部屋に入れてもらったんですが、
私が入ってもなかなか歌わなかった鳥たちが、
中山さんがお話を始めると、一生懸命いっぱい歌うんです。
やっぱりお父さんが来た、ってわかるんですね。かわいいですよ~。
コンテストは審査員資格取得者しか出品できないマスタークラスがあるそうです。
中山さんの今年の目標はそのマスタークラス。
3連覇に向けて、中山さんとカナリアたちの挑戦は続きます!!
松本の調査隊員 塚原でした。
☆須坂市に巨大な壁が出現したらしい?
2018年02月27日
巨大な壁・・・。人生の壁に何度も突き当たっている。根本さん!
どんな壁が今までありましたか?須坂市に出現した壁とはどんなものなのか?見に行ってみました。
その巨大な壁は。今年1月に須坂市峰の原高原に出現した。高さ8メートル。
幅が30メートルという巨大な壁。何のためにつくられたのか?はたまた。
何でできている壁なのか?人生の壁と同じ。一歩ずつ登ったら制覇できない壁はありません。ね。根本さん?
この巨大な壁が出現したのは、須坂市の峰の原高原。もう少し行くと。
菅平高原に入るという。場所。そこを左折して。さらに!上に上に登っていきますと!
元々は須坂青年の家があった場所。現在は、つらら公園と呼ばれる場所になります。
この場所に、1月に出現した。その大きさは、高さ8メートル。幅がおよそ30メートルという巨大な壁です。
その壁とは?お話は、つらら公園 管理人の三苫好樹(みとまよしき)さんです。
須坂市に出現した巨大な壁は。なんと!氷の壁。人工氷瀑。氷壁。

イメージは巨大なつららが。いくつも重なってできている。つるつる。ぴかぴか。
当たり前ですが!冷たい。長野県内には、天然の氷瀑・氷柱数々ありますが!
こちらは、人工的に作られたものです。人工。作った人がいるんですね。
酷寒の氷点下20℃。どんどんと体が凍るイメージ。髪の毛やまつげ鼻もかな?
実際凍る中。パイプに小さく開けた穴から、水を流しおおよそ1か月かけて作りあげる。
想像しただけでブルブルしちゃいます。夜中から朝方にかけて一番冷え込む中はもちろんですが!
昼も解けないように様子を見てますから。
完成までのこの1か月は、ほぼ24時間体制。大変な作業です。
重なりあったつらら。白い表面に奥はブルーになっていてとてもきれい。
見ているだけで圧巻なんですが!こちらの壁は、観賞用に作られたわけではありません。
実は、こちらの氷瀑は、アイスクライミングの体験施設なんです。
アイスクライミング。冬限定の氷をガシガシと登るスポーツ。氷の壁ですから。
もちろん!特別な道具をつかって登るアクティビティです。必ず。
二人一組になってお互いにロープで結んで。一人が登る。もう一人が下でロープで支える?
引っ張って安全を確保しながら行います。そんなアイスクライミングをもっと気軽に体験してもらおう。
知っていただこうとできた人工的な氷瀑なんです。
こちらでは、専用の道具レンタルもできます。
スキーをするときの恰好の上にウェアーにボウシ・手袋・ゴーグル。専用の道具です。

ここまで!準備したら?登りますか?私。この日は、平日なのでインストラクターの方がいない。
初心者の私は体験できなかったのですが、実は、私。登ったんです。インストラクターの方がいる日に行って。
マイクを持ちながらは難しかったので。真剣に。1回で上まで行けました。凄く楽しかった。
初心者の方用に壁に手を入れてくださったところだからだと思いますが。
下さえ見なければ、何とか初めての方でも安全に楽しく行けます。
経験者の方も満足できる多彩なコースがありますので!一度体験していただきたい。
いつまで、体験できるのか?聞いてみました。
今年は、寒さは厳しいので、雨だけが心配。3月11日まで。
さらに夜のライトアップは、あと、2回チャンスがあります。
詳しい料金等のお問い合わせなどは。HP。マンテンワークスつらら公園検索してください。
調査員 竹井純子
どんな壁が今までありましたか?須坂市に出現した壁とはどんなものなのか?見に行ってみました。
その巨大な壁は。今年1月に須坂市峰の原高原に出現した。高さ8メートル。
幅が30メートルという巨大な壁。何のためにつくられたのか?はたまた。
何でできている壁なのか?人生の壁と同じ。一歩ずつ登ったら制覇できない壁はありません。ね。根本さん?
この巨大な壁が出現したのは、須坂市の峰の原高原。もう少し行くと。
菅平高原に入るという。場所。そこを左折して。さらに!上に上に登っていきますと!
元々は須坂青年の家があった場所。現在は、つらら公園と呼ばれる場所になります。
この場所に、1月に出現した。その大きさは、高さ8メートル。幅がおよそ30メートルという巨大な壁です。
その壁とは?お話は、つらら公園 管理人の三苫好樹(みとまよしき)さんです。
須坂市に出現した巨大な壁は。なんと!氷の壁。人工氷瀑。氷壁。

イメージは巨大なつららが。いくつも重なってできている。つるつる。ぴかぴか。
当たり前ですが!冷たい。長野県内には、天然の氷瀑・氷柱数々ありますが!
こちらは、人工的に作られたものです。人工。作った人がいるんですね。
酷寒の氷点下20℃。どんどんと体が凍るイメージ。髪の毛やまつげ鼻もかな?
実際凍る中。パイプに小さく開けた穴から、水を流しおおよそ1か月かけて作りあげる。
想像しただけでブルブルしちゃいます。夜中から朝方にかけて一番冷え込む中はもちろんですが!
昼も解けないように様子を見てますから。
完成までのこの1か月は、ほぼ24時間体制。大変な作業です。
重なりあったつらら。白い表面に奥はブルーになっていてとてもきれい。
見ているだけで圧巻なんですが!こちらの壁は、観賞用に作られたわけではありません。
実は、こちらの氷瀑は、アイスクライミングの体験施設なんです。
アイスクライミング。冬限定の氷をガシガシと登るスポーツ。氷の壁ですから。
もちろん!特別な道具をつかって登るアクティビティです。必ず。
二人一組になってお互いにロープで結んで。一人が登る。もう一人が下でロープで支える?
引っ張って安全を確保しながら行います。そんなアイスクライミングをもっと気軽に体験してもらおう。
知っていただこうとできた人工的な氷瀑なんです。
こちらでは、専用の道具レンタルもできます。
スキーをするときの恰好の上にウェアーにボウシ・手袋・ゴーグル。専用の道具です。

ここまで!準備したら?登りますか?私。この日は、平日なのでインストラクターの方がいない。
初心者の私は体験できなかったのですが、実は、私。登ったんです。インストラクターの方がいる日に行って。
マイクを持ちながらは難しかったので。真剣に。1回で上まで行けました。凄く楽しかった。
初心者の方用に壁に手を入れてくださったところだからだと思いますが。
下さえ見なければ、何とか初めての方でも安全に楽しく行けます。
経験者の方も満足できる多彩なコースがありますので!一度体験していただきたい。
いつまで、体験できるのか?聞いてみました。
今年は、寒さは厳しいので、雨だけが心配。3月11日まで。
さらに夜のライトアップは、あと、2回チャンスがあります。
詳しい料金等のお問い合わせなどは。HP。マンテンワークスつらら公園検索してください。
調査員 竹井純子
「本物のストローで癒しの空間ができちゃうらしい」
2018年02月22日
今日は、私がついつい目を奪われてしまった
心癒される話題を調査してきましたよ
今日は癒しがテーマなんですが
もう一つの謎が、本物のストローっていうところ
ストローに本物も偽物もあるのか?
て話ですが
これも知っている人はすぐにピンとくるかもしれませんが
その本物のストローが果たす役割もとっても大きいんです
ということで早速
その癒しの空間を求めて
阿智村まで出かけてきました
阿智村のははき木館という所にお邪魔したのですが
管内の所々に
ちょっと変わったあるものがぶる下がっているんです
そこには、3人の女性がいらっしゃいました
YULAN(ユラン)というグループでこの癒しの空間を作るあるものを作っているらしいんですが
まはなさんとエミリーさんとBeans(ビーンズ)さんの3人が作り出す
幾何学模様が重なった
ちょっと不思議なオブジェ
それは一体なんなのか?
YURANのまはなさんに伺いました

そのオブジェというのがこちら!!!

なんともおしゃれでしょ♡

これは、フィンランドの伝統工芸で
「ヒンメリ」
というものなんだそうです
フィンランドでは冬至に作られるもので
神を迎えるオブジェ?
1800年代から作られる伝統あるもので
キリスト教が伝来してくるまでは
年末には欠かせないものだったそうです
でもキリスト教の伝来とともにそれはクリスマスツリーに
とってかわり、衰退
1940年代に地物と女性たちの手によって復活したんですって
神とのつながりも深くって
何とも神聖な感じ

そして、もうひとつの謎「本物のストロー」ってなんのことなのか?
どう見ても、そこに私たちがよく知っているストローは存在しないですよね
実は、このヒンメリ、本場フィンランドではその年作られた麦の藁を使って作られているんですが
日本でヒンメリを楽しむ多くの方々は、あのストローで作っているそうなんです
←こんな感じ!雰囲気が随分違いますよね
もともと、まはなさんのお友達が普通のストローで作っていて
愛知から阿智村は浪合に引っ越してきたまはなさんに
そっちに藁はないか?
と聞かれ、その藁を探しているうちに
その麦藁の美しさに惹かれてしまい
自分もヒンメリの虜になってしまったそうなんです
最初は藁をと言われて
稲の藁をもらったんですが剥いても剥いてもストローのようなものは出てこなくて
じゃあ麦かな?と思って阿智の農家さんから
もらって剥いてみたらこれだということで
国内でも数少ない、フィンランドと同じ本物の麦藁でヒンメリを作るグループが出来上がったそうなんです
ちょっと体験してみませんか?ということで
私も体験させていただきました
まずは、麦を向くところから体験させてもらったんですが
一番真の硬いところまで剥いてみると
その光沢としっとりとした手触りの良さに
触っただけで癒されてしまった私
同じ長さに切ったパーツ12本を
針と糸で一つ二つと三角を幾つも繋げて作っていって
あっという間に基本の八面体が出来上がりました

美しい麦藁を使って、オリジナルデザインのヒンメリを作るのがとにかく楽しいそうなんですが
脱穀された麦から本物のストローにするまでが実はものすごく大変な作業で
有機栽培されているものがほとんどなので
置いておけば蛾が出てきたり、中から芋虫が出てきたり
本当に大変だそうです
でも今年からは
近所の方のご好意で、畑を借り、たまたまいただいたライ麦の種をまいて
自分たちで麦から育ててのヒンメリ作りに挑戦しているそうです
実は3人が3人とも移住者で
この浪合だからこそできるこの活動が
それぞれを支えてるようで、見ていてとても心が温まりました
ということで、
本物のストロー使った癒しとは、麦藁で作ったフィンランドの伝統細工ヒンメリのオブジェのことでした
ヒンメリに超~~~癒されてしまった 西村容子 でした♡
心癒される話題を調査してきましたよ
今日は癒しがテーマなんですが
もう一つの謎が、本物のストローっていうところ
ストローに本物も偽物もあるのか?
て話ですが
これも知っている人はすぐにピンとくるかもしれませんが
その本物のストローが果たす役割もとっても大きいんです
ということで早速
その癒しの空間を求めて
阿智村まで出かけてきました
阿智村のははき木館という所にお邪魔したのですが
管内の所々に
ちょっと変わったあるものがぶる下がっているんです
そこには、3人の女性がいらっしゃいました
YULAN(ユラン)というグループでこの癒しの空間を作るあるものを作っているらしいんですが
まはなさんとエミリーさんとBeans(ビーンズ)さんの3人が作り出す
幾何学模様が重なった
ちょっと不思議なオブジェ
それは一体なんなのか?
YURANのまはなさんに伺いました

そのオブジェというのがこちら!!!

なんともおしゃれでしょ♡

これは、フィンランドの伝統工芸で
「ヒンメリ」
というものなんだそうです
フィンランドでは冬至に作られるもので
神を迎えるオブジェ?
1800年代から作られる伝統あるもので
キリスト教が伝来してくるまでは
年末には欠かせないものだったそうです
でもキリスト教の伝来とともにそれはクリスマスツリーに
とってかわり、衰退
1940年代に地物と女性たちの手によって復活したんですって
神とのつながりも深くって
何とも神聖な感じ

そして、もうひとつの謎「本物のストロー」ってなんのことなのか?
どう見ても、そこに私たちがよく知っているストローは存在しないですよね
実は、このヒンメリ、本場フィンランドではその年作られた麦の藁を使って作られているんですが
日本でヒンメリを楽しむ多くの方々は、あのストローで作っているそうなんです

もともと、まはなさんのお友達が普通のストローで作っていて
愛知から阿智村は浪合に引っ越してきたまはなさんに
そっちに藁はないか?
と聞かれ、その藁を探しているうちに
その麦藁の美しさに惹かれてしまい
自分もヒンメリの虜になってしまったそうなんです
最初は藁をと言われて
稲の藁をもらったんですが剥いても剥いてもストローのようなものは出てこなくて
じゃあ麦かな?と思って阿智の農家さんから
もらって剥いてみたらこれだということで
国内でも数少ない、フィンランドと同じ本物の麦藁でヒンメリを作るグループが出来上がったそうなんです
ちょっと体験してみませんか?ということで
私も体験させていただきました
まずは、麦を向くところから体験させてもらったんですが
一番真の硬いところまで剥いてみると
その光沢としっとりとした手触りの良さに
触っただけで癒されてしまった私
同じ長さに切ったパーツ12本を
針と糸で一つ二つと三角を幾つも繋げて作っていって
あっという間に基本の八面体が出来上がりました

美しい麦藁を使って、オリジナルデザインのヒンメリを作るのがとにかく楽しいそうなんですが
脱穀された麦から本物のストローにするまでが実はものすごく大変な作業で
有機栽培されているものがほとんどなので
置いておけば蛾が出てきたり、中から芋虫が出てきたり
本当に大変だそうです
でも今年からは
近所の方のご好意で、畑を借り、たまたまいただいたライ麦の種をまいて
自分たちで麦から育ててのヒンメリ作りに挑戦しているそうです
実は3人が3人とも移住者で
この浪合だからこそできるこの活動が
それぞれを支えてるようで、見ていてとても心が温まりました
ということで、
本物のストロー使った癒しとは、麦藁で作ったフィンランドの伝統細工ヒンメリのオブジェのことでした
ヒンメリに超~~~癒されてしまった 西村容子 でした♡
☆牟礼東小学校の校歌には、48年前の子供たちの思いがつまっているらしい?
2018年02月20日
飯綱町にあります。牟礼東小学校。実は。この3月で学校が閉校となります。
まずは、牟礼東小学校にお邪魔しまして。まずは、牟礼東小学校の教頭先生。
山崎先生にお話し伺いました。
この3月で閉校になる。飯綱町の牟礼東小学校。
今の6年生が、閉校になるにあたって自分たちの学校について一生懸命調べました。

牟礼東小学校の歴史を調べよう。様々なことを調べた中に。校歌について。
調べた6年生がいます。

当時では、大変珍しく。子供たちが学校の校歌の歌詞。作詞をしました。
校歌ができるまで。どんな思いでつくられたのか?
今の6年生が調べたものを発表してくれました。
まずは、自分たちの校歌について聞いてみました。
一番・二番・三番の最後は、「牟礼東小学校」と必ず入っています。
この校歌が作られたのが、昭和44年。歌詞を考えたのが当時の6年生の皆さん。
実は、それまで牟礼東小学校には、校歌が無かったそうです。
校歌を作るきっかけ聞いてみました。あかねさんです。
校歌が無かった牟礼東小学校。修学旅行先で校歌を歌ってと言われると当時の村歌
「中郷村の歌」を歌っていた。その様子を見た。校長先生が!これは!
校歌を作ろうと思い立って村の皆さんと話し合ったそうです。
そして!校歌をつくったのは・・・。
お話ししてくれたのは、ゆらさんです。
昭和43年に村内で牟礼東小学校の校歌作ろうと、
募集したそうです。当時の6年生。自分たちも作りたいと!
頑張りました。見事選ばれました。しかし。
48年前ですよ。約50年前。当時としては大変珍しかったこともあったと思います。
学校の校歌を子供たちの歌詞でいいのか?という意見も正直あったそうです。
当時の担任の先生を中心に全員の力で何度も書き直し。
信州大学の竹内邦光先生の協力のもとついに!完成。
そして!校歌発表会を迎えました。
ねおさん。発表会は、いつあったんですか??
昭和44年の3月11日です。
作曲をしてくださった竹内先生のお話は、
平成22年にお話ししてくださった記録を調べてお話ししてくださいました。
信州大学の女性コーラスの皆さん。
さらに!生演奏で披露されて。聞いた方々皆さん感動されたそうです。地域の歴史の記録にもしっかり残っているそうです。
そして。なんと!今回。校歌を調べるにあたって!
当時の6年生にもインタビューしたそうですよ。
しっかりと当時の6年生。羽田さんにインタビューもしてくれました。
Q校歌ができたときどんな?気持だったのか?
A子供たちが喜ぶような軽やかな曲で、嬉しかった。
実際に自分たちの言葉が採用されて嬉しかった。
Q校歌がなかった時困ったことはありますか?
A校歌がないことがふつうであまり困ったことはありませんでした。
Q校歌ができてどんな?変化がありましたか?
A色々な時に歌えるようになり、今でも歌い
継がれることは、私たちの自慢です。
発表をしてくれた3人に校歌について調べた感想聞いてみました。
皆さん。校歌について沢山知ることができてよかった。
校歌がなくなってしまうのはさみしいけどこれからも歌い続けていきたい
そんな感想を教えてくれました。
調査員 竹井純子
まずは、牟礼東小学校にお邪魔しまして。まずは、牟礼東小学校の教頭先生。
山崎先生にお話し伺いました。
この3月で閉校になる。飯綱町の牟礼東小学校。
今の6年生が、閉校になるにあたって自分たちの学校について一生懸命調べました。

牟礼東小学校の歴史を調べよう。様々なことを調べた中に。校歌について。
調べた6年生がいます。

当時では、大変珍しく。子供たちが学校の校歌の歌詞。作詞をしました。
校歌ができるまで。どんな思いでつくられたのか?
今の6年生が調べたものを発表してくれました。
まずは、自分たちの校歌について聞いてみました。
一番・二番・三番の最後は、「牟礼東小学校」と必ず入っています。
この校歌が作られたのが、昭和44年。歌詞を考えたのが当時の6年生の皆さん。
実は、それまで牟礼東小学校には、校歌が無かったそうです。
校歌を作るきっかけ聞いてみました。あかねさんです。
校歌が無かった牟礼東小学校。修学旅行先で校歌を歌ってと言われると当時の村歌
「中郷村の歌」を歌っていた。その様子を見た。校長先生が!これは!
校歌を作ろうと思い立って村の皆さんと話し合ったそうです。
そして!校歌をつくったのは・・・。
お話ししてくれたのは、ゆらさんです。
昭和43年に村内で牟礼東小学校の校歌作ろうと、
募集したそうです。当時の6年生。自分たちも作りたいと!
頑張りました。見事選ばれました。しかし。
48年前ですよ。約50年前。当時としては大変珍しかったこともあったと思います。
学校の校歌を子供たちの歌詞でいいのか?という意見も正直あったそうです。
当時の担任の先生を中心に全員の力で何度も書き直し。
信州大学の竹内邦光先生の協力のもとついに!完成。
そして!校歌発表会を迎えました。
ねおさん。発表会は、いつあったんですか??
昭和44年の3月11日です。
作曲をしてくださった竹内先生のお話は、
平成22年にお話ししてくださった記録を調べてお話ししてくださいました。
信州大学の女性コーラスの皆さん。
さらに!生演奏で披露されて。聞いた方々皆さん感動されたそうです。地域の歴史の記録にもしっかり残っているそうです。
そして。なんと!今回。校歌を調べるにあたって!
当時の6年生にもインタビューしたそうですよ。
しっかりと当時の6年生。羽田さんにインタビューもしてくれました。
Q校歌ができたときどんな?気持だったのか?
A子供たちが喜ぶような軽やかな曲で、嬉しかった。
実際に自分たちの言葉が採用されて嬉しかった。
Q校歌がなかった時困ったことはありますか?
A校歌がないことがふつうであまり困ったことはありませんでした。
Q校歌ができてどんな?変化がありましたか?
A色々な時に歌えるようになり、今でも歌い
継がれることは、私たちの自慢です。
発表をしてくれた3人に校歌について調べた感想聞いてみました。
皆さん。校歌について沢山知ることができてよかった。
校歌がなくなってしまうのはさみしいけどこれからも歌い続けていきたい
そんな感想を教えてくれました。
調査員 竹井純子
☆山ノ内町に寒―いBARがあるらしい?
2018年02月16日
先週は、山ノ内町にある。金の卵と銀の卵。東館山のゴンドラ。
きんさん・ぎんさんをご紹介いたしましたが。ご案内してくださり。
銀の卵に一緒にのり。すっかり仲良しになった。
志賀高原リゾート開発株式会社 営業企画 チーフプランナー 本山 浩二(もとやまこうじ)さん。最後にこんな!お話しが飛び出しました。
素敵な世界にご案内してくださるとのこと。スキーウエア―を着ながらの素敵な場所とは?
一体山ノ内町のどこに?あるのか?
☆山ノ内町に寒―いBARがあるらしい?
スタッフの方のギャグが寒い。そんなBARではありません。
本当に気温が。低い。寒い中になんと!楽しい。
BARが誕生したということで!早速行ってみました。
その寒いBARは山ノ内町志賀高原にありました。
旧ロープウェー発着所を改装して。今年1月1日にOPした。
その名も「ハイランドクラブ」カフェ&バー。

旧ロープウェー乗り場は。2011年まで営業していた東館山まで行かれるゴンドラ。
そこの発着所広さは、170平方メートル。チケット売り場がバーカウンターになっています。


ロープウエーがあるので乗り場の雰囲気はありますが。とってもおしゃれで楽しい。

でも!外。さらに標高1500メートルの地点。寒いよ。その寒さも半端ありませんが。景色は。晴れていたら最高です。。
外にあるBARですから。焚火をしながら夕日を眺めたり。スキー場の夜景。
昼は。真っ白なゲレンデを見下ろすような。ゴンドラ乗り場だからこその景色が広がります。そこで!焚火とくれば。こちらも外せないのかも?BARなのにこんなものがありました。
テント。キャンプ場にあるようなテントというか・・・。今ちょっと話題の
グラマラスキャンピング。グランピングで使用されるような。ちょっと豪華なテント。

テントの中には大きなソファーがあったり。素敵な照明でまるで!
ホテルの一室のようなでも寒い。焚き火。あたる。これだけの寒さと。標高の高さで言ったらなかなかない。グランピングが楽しめる。
他にないといえば!なんと!ゴンドラの中でお食事もできます。ここは。ストーブがあって暖かい。
ゴンドラの中での食事も大変珍しい。ここは!ストーブがあるので、比較的暖かい。

嬉しい。景色もしっかり見ていただけるように双眼鏡がありました。
寒―いBARもさることながら、ロープウェーを利用。大変面白い試みかな?と思います。
ロープウェーでグランピング。是非楽しんでいただきたい。
調査員 竹井純子
きんさん・ぎんさんをご紹介いたしましたが。ご案内してくださり。
銀の卵に一緒にのり。すっかり仲良しになった。
志賀高原リゾート開発株式会社 営業企画 チーフプランナー 本山 浩二(もとやまこうじ)さん。最後にこんな!お話しが飛び出しました。
素敵な世界にご案内してくださるとのこと。スキーウエア―を着ながらの素敵な場所とは?
一体山ノ内町のどこに?あるのか?
☆山ノ内町に寒―いBARがあるらしい?
スタッフの方のギャグが寒い。そんなBARではありません。
本当に気温が。低い。寒い中になんと!楽しい。
BARが誕生したということで!早速行ってみました。
その寒いBARは山ノ内町志賀高原にありました。
旧ロープウェー発着所を改装して。今年1月1日にOPした。
その名も「ハイランドクラブ」カフェ&バー。

旧ロープウェー乗り場は。2011年まで営業していた東館山まで行かれるゴンドラ。
そこの発着所広さは、170平方メートル。チケット売り場がバーカウンターになっています。


ロープウエーがあるので乗り場の雰囲気はありますが。とってもおしゃれで楽しい。

でも!外。さらに標高1500メートルの地点。寒いよ。その寒さも半端ありませんが。景色は。晴れていたら最高です。。
外にあるBARですから。焚火をしながら夕日を眺めたり。スキー場の夜景。
昼は。真っ白なゲレンデを見下ろすような。ゴンドラ乗り場だからこその景色が広がります。そこで!焚火とくれば。こちらも外せないのかも?BARなのにこんなものがありました。
テント。キャンプ場にあるようなテントというか・・・。今ちょっと話題の
グラマラスキャンピング。グランピングで使用されるような。ちょっと豪華なテント。

テントの中には大きなソファーがあったり。素敵な照明でまるで!
ホテルの一室のようなでも寒い。焚き火。あたる。これだけの寒さと。標高の高さで言ったらなかなかない。グランピングが楽しめる。
他にないといえば!なんと!ゴンドラの中でお食事もできます。ここは。ストーブがあって暖かい。
ゴンドラの中での食事も大変珍しい。ここは!ストーブがあるので、比較的暖かい。

嬉しい。景色もしっかり見ていただけるように双眼鏡がありました。
寒―いBARもさることながら、ロープウェーを利用。大変面白い試みかな?と思います。
ロープウェーでグランピング。是非楽しんでいただきたい。
調査員 竹井純子
「これがお味噌になっちゃうの?珍しくて、栄養価も高い、食べるお味噌が天竜村で生まれたらしい!?」
2018年02月15日
日本人の食卓には欠かせない調味料の一つ、お味噌
そのお味噌が、今までにはないあるものでできている
それが味噌の材料としては珍しく
栄養価も高いものを使ってできている
そして
お味噌といえば、お味噌汁のイメージが強いんですが
あまりの味わい深さに
味噌汁などにするのではなく、そのまま「食べる味噌」として
実は明日から発売されるという
最新情報を今日はお届けしたいと思います
とにかく全国的に見ても珍しいお味噌
そこに使われている材料にどうやら特徴があるみたい
普通のお味噌には使わない材料で作られた味噌
しかもそれは天竜村で育ったもの
一体どんなものなのか?どんなものを使っているのか?
このお味噌を開発しました
天龍村の河本雅美さんにお話伺いました
その材料というのは
最近、ブームと言っていいほど注目されているもので
その食材としてのパワーに川本さんが惚れ込んだもの
さあ!
それは何かといいますと・・・
雑穀です
雑穀に麹をつけて味噌を仕込む
というのが、とても珍しく、全国的に見てもあまりないようなんですね
その雑穀で味噌を!
という発想は、その栄養価の高さと河本さんの体感から
ふつふつと湧き出てきたものみたいなんです
雑穀ってどうですか?
召し上がったことありますか?
私、ご飯の混ぜていただいていたことがあって
食べると、体の中の方からあったかくなってくるんです
すごいパワーなんです
河本さんに言わせると
雑穀入りのご飯を食べるとあまりの腹持ちの良さに驚くというのです
その雑穀に秘められたパワーを体感できるようなものを自分が常に食べていたい
その自分が食べたいものを作ったら
その味の良さに商品化となったそうで
実は明日、発売になるんです
そして、この雑穀味噌作りには、力強い助っ人の方々がいらっしゃったそうなんです
それは、天龍村ならではの力強いパワーでした
それがこちらの方々!!!

高齢化率、長野県1位の天竜村が誇るおじいちゃん、おばあちゃん方
この方々と一緒に、雑穀作りはもちろ、ん農業すら初めての河本さん
休耕地を耕し、雑穀作りをしてきました
肥料も何もやらなくてもグングン伸びる雑穀の生命力の強さに力をもらい
栽培を続けてきたそうです

タカキビとアワ
これに麹を付けて味噌作りを始めました
仕込んでから約1年
出来上がった時には、ホッとしたという河本さん
そのお味は・・・
お野菜にお味噌をつけていただいただけなのに
口の中に入れた瞬間、広がる香りと、複雑な味わい
出汁も、鰹に昆布にそこに入れた野菜から出る出汁と、複雑に絡み合うと深い味わいになるでしょ
そんな感じ
口の中でハーモニーが奏でられる、そんな感じ
ちょっとした感動でした
明日発売用に出来上がってきたパッケージがこちら!!!

とってもかわいいパッケージでつい手に取ってしまいそう
天竜村の雑穀味噌、実は旧暦の1月1日元旦に当たるおめでたい日。
明日16日に発売になります
下伊那の道の駅や直売所に置かれるそうです
河本さんの情熱に感動しちゃった 西村容子 でした♡
そのお味噌が、今までにはないあるものでできている
それが味噌の材料としては珍しく
栄養価も高いものを使ってできている
そして
お味噌といえば、お味噌汁のイメージが強いんですが
あまりの味わい深さに
味噌汁などにするのではなく、そのまま「食べる味噌」として
実は明日から発売されるという
最新情報を今日はお届けしたいと思います
とにかく全国的に見ても珍しいお味噌
そこに使われている材料にどうやら特徴があるみたい
普通のお味噌には使わない材料で作られた味噌
しかもそれは天竜村で育ったもの
一体どんなものなのか?どんなものを使っているのか?
このお味噌を開発しました
天龍村の河本雅美さんにお話伺いました
その材料というのは
最近、ブームと言っていいほど注目されているもので
その食材としてのパワーに川本さんが惚れ込んだもの
さあ!
それは何かといいますと・・・
雑穀です
雑穀に麹をつけて味噌を仕込む
というのが、とても珍しく、全国的に見てもあまりないようなんですね
その雑穀で味噌を!
という発想は、その栄養価の高さと河本さんの体感から
ふつふつと湧き出てきたものみたいなんです
雑穀ってどうですか?
召し上がったことありますか?
私、ご飯の混ぜていただいていたことがあって
食べると、体の中の方からあったかくなってくるんです
すごいパワーなんです
河本さんに言わせると
雑穀入りのご飯を食べるとあまりの腹持ちの良さに驚くというのです
その雑穀に秘められたパワーを体感できるようなものを自分が常に食べていたい
その自分が食べたいものを作ったら
その味の良さに商品化となったそうで
実は明日、発売になるんです
そして、この雑穀味噌作りには、力強い助っ人の方々がいらっしゃったそうなんです
それは、天龍村ならではの力強いパワーでした
それがこちらの方々!!!

高齢化率、長野県1位の天竜村が誇るおじいちゃん、おばあちゃん方
この方々と一緒に、雑穀作りはもちろ、ん農業すら初めての河本さん
休耕地を耕し、雑穀作りをしてきました
肥料も何もやらなくてもグングン伸びる雑穀の生命力の強さに力をもらい
栽培を続けてきたそうです

タカキビとアワ
これに麹を付けて味噌作りを始めました
仕込んでから約1年
出来上がった時には、ホッとしたという河本さん
そのお味は・・・
お野菜にお味噌をつけていただいただけなのに
口の中に入れた瞬間、広がる香りと、複雑な味わい
出汁も、鰹に昆布にそこに入れた野菜から出る出汁と、複雑に絡み合うと深い味わいになるでしょ
そんな感じ
口の中でハーモニーが奏でられる、そんな感じ
ちょっとした感動でした
明日発売用に出来上がってきたパッケージがこちら!!!

とってもかわいいパッケージでつい手に取ってしまいそう
天竜村の雑穀味噌、実は旧暦の1月1日元旦に当たるおめでたい日。
明日16日に発売になります
下伊那の道の駅や直売所に置かれるそうです
河本さんの情熱に感動しちゃった 西村容子 でした♡
塩尻市に、無数のお椀がぶら下がっている祠(ほこら)があるらしい。
2018年02月14日
無数のお椀がぶら下がっている祠・・・。
どういうことなんでしょうか。
行ってみました。
塩尻市大門。大門商店街の大通りの一本南側の通り。
今はとても静かな通りなんですが、実はこっちの方が昔からある街道。中山道だったんです。
その街道沿い、大門神社のすぐ近くに、その祠がありました。

鳥居があって、その先に、高さ1.5メートルほどの祠。
中をのぞいてみると・・・


お椀!!
素焼きのものもあるし、赤や青に塗ってあるものもあります。
どれもほぼ同じ形、大きさで、底に穴をあけて糸を通して、重ねて吊るしてあるます。
ざっと1000個ぐらいあるかな。
無数のお椀です。
・・・。
・・・。
なにこれ。
近所の方に聞いてみました。
「これはね、耳塚様っていうんですよ。
素焼きのお椀が耳の形に似ていることから、
穴をあけて奉納すると聞こえがよくなる、っていう言い伝えがあって、
これだけ多くの参拝者がお参りした、ということですね。」
とは、耳塚のすぐ近くにお住まいの高砂昭さん。
でもなぜここに、耳の神様? それに塚ってどういうことでしょう?
「今から470年前。時は戦国時代。
まだ松本城はなくて、今の里山辺のあたりに林城という山城がありました。
ここを本拠地にしてこの辺りをおさめていたのが小笠原長時です。
1548年、甲斐の武田信玄の軍が攻めてきます。
そして小笠原と武田が、塩尻峠で戦うんです。
塩尻峠の合戦。この戦いで、小笠原軍は1000人が戦死して敗退したと言われています。
この時亡くなった兵士の耳。
切り落とされた耳が野ざらしにされていたんです。
この土地の人がそれを見つけて哀れに思って、ここに葬ったんです。
長い間野ざらしの塚だったんですが、それもあんまりじゃないかということで、
明治29年に、この土地の人が祠を建てた。
それで近所の人たちで管理してきたんです。」
かつては10軒近い家で管理していたそうです。
秋にはお祭りも行い、みんなで句を詠んで奉納していたそう。
高砂さんのお家にあるその貴重な資料を見せていただきました。


高砂さんのお家は よろずや というお店をやっていたそうで、
ここで耳塚に奉納する素焼きのお椀も売っていたそうです。
「昔はそのくらい大勢参拝客が来た、ということですよね。
今は私共ともう1軒、2軒でひっそりと守っています。
お蔭さまでね、私は耳は健康で、よく聞こえますよ。ありがたいです。」
野ざらしになっていた兵士の耳。
このまま放っておくのはあまりにもかわいそう、
と埋葬して塚にした、土地の人たちの優しい気持ち。
そして、
「自分の耳を大事にしてくれてありがとう。あなたたちの耳は私が守りましょう」
という兵士の気持ち。
そのことを470年間しっかり受け継いてきた高砂さんたちのご努力。
みんなの気持ちが集まっている、小さいけどパワフルな祠だったんですね。
是非一度、お参りに行ってみてください。
大門神社の西側。
街道沿いには、古くて立派なお家が並んでいます。
あたたかくなったら、この辺り、ゆっくり歩いてみると、
いろんな発見がありそうですよ。
松本の調査隊員 塚原でした。
どういうことなんでしょうか。
行ってみました。
塩尻市大門。大門商店街の大通りの一本南側の通り。
今はとても静かな通りなんですが、実はこっちの方が昔からある街道。中山道だったんです。
その街道沿い、大門神社のすぐ近くに、その祠がありました。

鳥居があって、その先に、高さ1.5メートルほどの祠。
中をのぞいてみると・・・


お椀!!
素焼きのものもあるし、赤や青に塗ってあるものもあります。
どれもほぼ同じ形、大きさで、底に穴をあけて糸を通して、重ねて吊るしてあるます。
ざっと1000個ぐらいあるかな。
無数のお椀です。
・・・。
・・・。
なにこれ。
近所の方に聞いてみました。
「これはね、耳塚様っていうんですよ。
素焼きのお椀が耳の形に似ていることから、
穴をあけて奉納すると聞こえがよくなる、っていう言い伝えがあって、
これだけ多くの参拝者がお参りした、ということですね。」
とは、耳塚のすぐ近くにお住まいの高砂昭さん。
でもなぜここに、耳の神様? それに塚ってどういうことでしょう?
「今から470年前。時は戦国時代。
まだ松本城はなくて、今の里山辺のあたりに林城という山城がありました。
ここを本拠地にしてこの辺りをおさめていたのが小笠原長時です。
1548年、甲斐の武田信玄の軍が攻めてきます。
そして小笠原と武田が、塩尻峠で戦うんです。
塩尻峠の合戦。この戦いで、小笠原軍は1000人が戦死して敗退したと言われています。
この時亡くなった兵士の耳。
切り落とされた耳が野ざらしにされていたんです。
この土地の人がそれを見つけて哀れに思って、ここに葬ったんです。
長い間野ざらしの塚だったんですが、それもあんまりじゃないかということで、
明治29年に、この土地の人が祠を建てた。
それで近所の人たちで管理してきたんです。」
かつては10軒近い家で管理していたそうです。
秋にはお祭りも行い、みんなで句を詠んで奉納していたそう。
高砂さんのお家にあるその貴重な資料を見せていただきました。


高砂さんのお家は よろずや というお店をやっていたそうで、
ここで耳塚に奉納する素焼きのお椀も売っていたそうです。
「昔はそのくらい大勢参拝客が来た、ということですよね。
今は私共ともう1軒、2軒でひっそりと守っています。
お蔭さまでね、私は耳は健康で、よく聞こえますよ。ありがたいです。」
野ざらしになっていた兵士の耳。
このまま放っておくのはあまりにもかわいそう、
と埋葬して塚にした、土地の人たちの優しい気持ち。
そして、
「自分の耳を大事にしてくれてありがとう。あなたたちの耳は私が守りましょう」
という兵士の気持ち。
そのことを470年間しっかり受け継いてきた高砂さんたちのご努力。
みんなの気持ちが集まっている、小さいけどパワフルな祠だったんですね。
是非一度、お参りに行ってみてください。
大門神社の西側。
街道沿いには、古くて立派なお家が並んでいます。
あたたかくなったら、この辺り、ゆっくり歩いてみると、
いろんな発見がありそうですよ。
松本の調査隊員 塚原でした。
ロシアが絶賛!上田に一度に二つ以上の音をのどから出せる人がいるらしい⁉
2018年02月12日
今日は、喉から一度に二つ以上の音 倍音を出す事ができるという方が上田にいるらしいという噂です。
皆さんは、一度に二つ以上音を喉から出す事はできますか?

その女性は、上田市にお住いの原田 あや子さんです。
原田さんは静岡県伊東市ご出身。その後、東京に行き、昨年。ご主人の転職を機に上田市に移り住んで来ました。
上田に来てからは稲作を始められ、棚田での活動にも力を注いでいらっしゃいます。
早速、その音を聴かせて頂きました♪
「~♪~♪~♪~♪~」
本当に、原田さんの口から二つ以上の音が聞こえてきます!!
低い声と合わせてピューっという高い音が聞こえてくるという不思議な音。
これは、「ホーメイ」というロシア連邦にあるトゥバ共和国の伝統の歌唱法なのだそうです。喉の筋肉を使って声帯をしめて一度に二つ以上の音を出すのだそうです。
原田さんがホーメイに興味を持ったのは24,5年前。ラジオからモンゴルの歌唱法「ホーミー」が聴こえてきたのが始まりなのだそうです。声といっしょに鳥の鳴き声のような音も聞こえてくるという不思議な音に興味を持つようになったそうです。そのうちに地元でホーミーに似たトゥバ共和国のホーメイ教えているという先生がいる事を知り、そこから習い始められたのだとか。そして、トゥバ共和国にも行ったのだそうです。

ホーメイのやり方を教えてもらいました♪
「メェー メェー。」
羊の真似をしているとホーメイができるそうです。
日本と同じく、トゥバ共和国の人々も山や川、草や木、自然にあるもの全てに精霊が宿ると信じているそうです。
自然を崇拝し、そして、その自然を模倣するという事をする中でホーメイが生まれたようです。
自然への敬意の意味を込めてホーメイを歌うという事なのですが、見える景色にある山の形山なみを楽譜にし、山の稜線にそってその高さを変えて歌うという事をするそうです。すべて即興。その時、その瞬間自然と人が一体になった感覚を音として表現しているものなのかもしれませんね。
ホーメイにも色々な音の出し方があるそうです。基本のホーメイと、それより少し高いスグット。あとは低い、男性のような声で、チベットのお坊さんのお経のような音等。
その違いを楽しむのも面白いです。

ホーメイの為にトゥバ共和国に行った原田さんですが…、なんと!現地の国際音楽祭に出場する事になったのだそうです。
なんと!現地で開催された国際音楽祭のコンテストで最優秀ソリスト賞という名誉ある賞を受賞されたのです!!
その時は、トゥバの空に二重の虹が現れたそうでして、トゥバの大地に人々に、そして宇宙にも!あや子さんは歓迎されていると感じ嬉しかったそうです。

原田さんは昔から自然の中に出向いて行き、自分を解放するという事を常としてきたそうです。
裸足で森の中を飛び回り、踊り、歌を歌う。
それで、自分の中を整えてきました。
東日本大震災があり、その時は自分らしさを見つめなおす機会になったそうです。自分らしく生き、人のためにできることは何かと考えた時に、自然の中で声を出して忘れていたものを取り戻していく感覚を人に伝えていこうと思われたそうです。
その頃は、中学校の美術の先生をされていましたが、それを辞め、それからは声のワークショップ、そして、ホーメイや口琴という楽器を伝えるアーティストとして活動をされています。


活動名は「あやこ村」と言います(笑)
そして、原田さんご自身は「あやこ村長」と呼ばれています(笑)
長野県は自然が豊かな土地ですので、これからホーメイと共に信州の自然を表現していってくださるのを楽しみにしたいと思います♪
斉藤 美穂
皆さんは、一度に二つ以上音を喉から出す事はできますか?

その女性は、上田市にお住いの原田 あや子さんです。
原田さんは静岡県伊東市ご出身。その後、東京に行き、昨年。ご主人の転職を機に上田市に移り住んで来ました。
上田に来てからは稲作を始められ、棚田での活動にも力を注いでいらっしゃいます。
早速、その音を聴かせて頂きました♪
「~♪~♪~♪~♪~」
本当に、原田さんの口から二つ以上の音が聞こえてきます!!
低い声と合わせてピューっという高い音が聞こえてくるという不思議な音。
これは、「ホーメイ」というロシア連邦にあるトゥバ共和国の伝統の歌唱法なのだそうです。喉の筋肉を使って声帯をしめて一度に二つ以上の音を出すのだそうです。
原田さんがホーメイに興味を持ったのは24,5年前。ラジオからモンゴルの歌唱法「ホーミー」が聴こえてきたのが始まりなのだそうです。声といっしょに鳥の鳴き声のような音も聞こえてくるという不思議な音に興味を持つようになったそうです。そのうちに地元でホーミーに似たトゥバ共和国のホーメイ教えているという先生がいる事を知り、そこから習い始められたのだとか。そして、トゥバ共和国にも行ったのだそうです。

ホーメイのやり方を教えてもらいました♪
「メェー メェー。」
羊の真似をしているとホーメイができるそうです。
日本と同じく、トゥバ共和国の人々も山や川、草や木、自然にあるもの全てに精霊が宿ると信じているそうです。
自然を崇拝し、そして、その自然を模倣するという事をする中でホーメイが生まれたようです。
自然への敬意の意味を込めてホーメイを歌うという事なのですが、見える景色にある山の形山なみを楽譜にし、山の稜線にそってその高さを変えて歌うという事をするそうです。すべて即興。その時、その瞬間自然と人が一体になった感覚を音として表現しているものなのかもしれませんね。
ホーメイにも色々な音の出し方があるそうです。基本のホーメイと、それより少し高いスグット。あとは低い、男性のような声で、チベットのお坊さんのお経のような音等。
その違いを楽しむのも面白いです。

ホーメイの為にトゥバ共和国に行った原田さんですが…、なんと!現地の国際音楽祭に出場する事になったのだそうです。
なんと!現地で開催された国際音楽祭のコンテストで最優秀ソリスト賞という名誉ある賞を受賞されたのです!!
その時は、トゥバの空に二重の虹が現れたそうでして、トゥバの大地に人々に、そして宇宙にも!あや子さんは歓迎されていると感じ嬉しかったそうです。

原田さんは昔から自然の中に出向いて行き、自分を解放するという事を常としてきたそうです。
裸足で森の中を飛び回り、踊り、歌を歌う。
それで、自分の中を整えてきました。
東日本大震災があり、その時は自分らしさを見つめなおす機会になったそうです。自分らしく生き、人のためにできることは何かと考えた時に、自然の中で声を出して忘れていたものを取り戻していく感覚を人に伝えていこうと思われたそうです。
その頃は、中学校の美術の先生をされていましたが、それを辞め、それからは声のワークショップ、そして、ホーメイや口琴という楽器を伝えるアーティストとして活動をされています。


活動名は「あやこ村」と言います(笑)
そして、原田さんご自身は「あやこ村長」と呼ばれています(笑)
長野県は自然が豊かな土地ですので、これからホーメイと共に信州の自然を表現していってくださるのを楽しみにしたいと思います♪
斉藤 美穂
飯田下伊那で毎年行われるオペレッタは、出演俳優が全員〇〇らしい!?
2018年02月08日
飯田下伊那では毎年、飯田文化会館の大ホールでこの時期オペレッタが上演されます
実は、そのオペレッタの舞台に立つ俳優さんたちから
そこに携わる全ての人には共通点があるというんです
その共通点は何か?
その舞台の練習に集まった方々にお話を伺ってみると・・・
「音楽です」
「音楽です」
「専科は音楽です」
「校長です」
「教頭です。音楽も教えています」
と・・・
もうお分かりですね
このオペレッタは全員
学校の先生たちで作られ、演じられるオペレッタなんです
そんな学校の先生たちだけで作る
この舞台は
今年で40回を数える歴史あるイベント
こうした形で
先生たちの研究、研鑽の成果を発表する場として
作られる舞台は
県内ではこの飯田下伊那だけ
全国でも珍しい取り組みのようなんです
その日は、この創作オペレッタばかりでなく
合唱やリコーダー、吹奏楽など
音楽に関係がある先生方のステージが半日かけて繰り広げられ
授業では見ることのできない
もう一人の先生方の姿を見ることができます
そして、この音楽発表会は
今年で40回を数え歴史あるイベント
その40周年を記念して
今年の創作オペレッタは新たな取り組みとして
地元 飯田市出身の演歌歌手 小沢亜貴子さんの子供時代を描いた
オペレッタを演じることになりました
今までは地元に伝わる民話や昔話を脚本にお越し
演じていたんですが
今年は
脚本を担当してくださっています
高森町にお住まいで
黒姫童話館の館長さん 北沢彰利先生の発案で
小沢さんを応援する意味も込め
「小沢亜貴子物語」
を演じることになりました
毎年この舞台を楽しみにしていらしゃる人も多いと言われる
創作オペレッタの舞台
元々は先生たちが作曲を勉強する事を目的として集まってきた先生たちの発表の場として
作られているものらしいんですが
作曲はもちろんのこと、舞台、衣装作りまで
本当に全てが手作り
歌もセリフのバックに流れる曲も全部
毎年、その舞台のために、集まった先生で分担して
舞台の最初から最後まで全てを作曲します
言うまでもなく
毎年、大作が作り上げられるわけです

脚本の方も、北沢先生は
小沢亜貴子さんご本人やご両親はもちろん
親友、学校の担任の先生などなど
あらゆる方々を取材して脚本を仕上げていかれたそうです
そんな中でも北沢先生を感動させたエピソードが
このオペレッタの幕開け
観劇に来られたみなさんの心をつかむ大切なオープニングシーン
で描かれることになりました
それは、
小学校1年生から3年生までの担任を務められました
松沢ちさえ先生が、教え子の小沢亜貴子さんの歌を
カラオケのど自慢で歌い、なんと優勝するというシーン
これを、こちらもなんと!
そのご本人 松沢さちえ先生が演じるという温かさ
そんな素敵なオファーを受けた松沢先生は
「ビックリしたけどとってもうれしかったのでお受けしました
今でも、昨日の事のようにクリクリっとした目のかわいらしいあっこちゃんの姿が目に浮かんできます」
とおっしゃっていらっしゃいました

先生自身も、下伊那の小学校に赴任いしていた時
このオペレッタに参加していたことがあったそうで
「20年位ぶりの参加になるかな~」
と目を細めていらっしゃいました
さらにさらに!
実は、そののど自慢はSBCのカラオケのど自慢だったという事で
その時の司会が
なんと!(なんと!が多いですね(汗)すみません)
らじカンの山崎アナ!!!
で
す
か
ら~~~~
このオペレッタ、山ちゃんの第一声ではじまる
という事なんです
ちょっぴり面白いでしょ
11日の舞台の主人公 小沢亜貴子さんも出演するということで
とっても楽しみな舞台になりそうなんですが
ぜひ、普段、教壇に立つ先生達とは一味も二味も違った姿をご覧いただきたいな〜と思います
この創作オペレッタをはじめとする
先生達の発表演奏会は
2月11日(日) 13:30〜 飯田文化会館で行われます
リハーサル見てグッと来てしまった私、当日が楽しみな 西村容子 でした
実は、そのオペレッタの舞台に立つ俳優さんたちから
そこに携わる全ての人には共通点があるというんです
その共通点は何か?
その舞台の練習に集まった方々にお話を伺ってみると・・・
「音楽です」
「音楽です」
「専科は音楽です」
「校長です」
「教頭です。音楽も教えています」
と・・・
もうお分かりですね
このオペレッタは全員
学校の先生たちで作られ、演じられるオペレッタなんです
そんな学校の先生たちだけで作る
この舞台は
今年で40回を数える歴史あるイベント
こうした形で
先生たちの研究、研鑽の成果を発表する場として
作られる舞台は
県内ではこの飯田下伊那だけ
全国でも珍しい取り組みのようなんです
その日は、この創作オペレッタばかりでなく
合唱やリコーダー、吹奏楽など
音楽に関係がある先生方のステージが半日かけて繰り広げられ
授業では見ることのできない
もう一人の先生方の姿を見ることができます
そして、この音楽発表会は
今年で40回を数え歴史あるイベント
その40周年を記念して
今年の創作オペレッタは新たな取り組みとして
地元 飯田市出身の演歌歌手 小沢亜貴子さんの子供時代を描いた
オペレッタを演じることになりました
今までは地元に伝わる民話や昔話を脚本にお越し
演じていたんですが
今年は
脚本を担当してくださっています
高森町にお住まいで
黒姫童話館の館長さん 北沢彰利先生の発案で
小沢さんを応援する意味も込め
「小沢亜貴子物語」
を演じることになりました
毎年この舞台を楽しみにしていらしゃる人も多いと言われる
創作オペレッタの舞台
元々は先生たちが作曲を勉強する事を目的として集まってきた先生たちの発表の場として
作られているものらしいんですが
作曲はもちろんのこと、舞台、衣装作りまで
本当に全てが手作り
歌もセリフのバックに流れる曲も全部
毎年、その舞台のために、集まった先生で分担して
舞台の最初から最後まで全てを作曲します
言うまでもなく
毎年、大作が作り上げられるわけです

脚本の方も、北沢先生は
小沢亜貴子さんご本人やご両親はもちろん
親友、学校の担任の先生などなど
あらゆる方々を取材して脚本を仕上げていかれたそうです
そんな中でも北沢先生を感動させたエピソードが
このオペレッタの幕開け
観劇に来られたみなさんの心をつかむ大切なオープニングシーン
で描かれることになりました
それは、
小学校1年生から3年生までの担任を務められました
松沢ちさえ先生が、教え子の小沢亜貴子さんの歌を
カラオケのど自慢で歌い、なんと優勝するというシーン
これを、こちらもなんと!
そのご本人 松沢さちえ先生が演じるという温かさ
そんな素敵なオファーを受けた松沢先生は
「ビックリしたけどとってもうれしかったのでお受けしました
今でも、昨日の事のようにクリクリっとした目のかわいらしいあっこちゃんの姿が目に浮かんできます」
とおっしゃっていらっしゃいました

先生自身も、下伊那の小学校に赴任いしていた時
このオペレッタに参加していたことがあったそうで
「20年位ぶりの参加になるかな~」
と目を細めていらっしゃいました
さらにさらに!
実は、そののど自慢はSBCのカラオケのど自慢だったという事で
その時の司会が
なんと!(なんと!が多いですね(汗)すみません)
らじカンの山崎アナ!!!
で
す
か
ら~~~~
このオペレッタ、山ちゃんの第一声ではじまる
という事なんです
ちょっぴり面白いでしょ
11日の舞台の主人公 小沢亜貴子さんも出演するということで
とっても楽しみな舞台になりそうなんですが
ぜひ、普段、教壇に立つ先生達とは一味も二味も違った姿をご覧いただきたいな〜と思います
この創作オペレッタをはじめとする
先生達の発表演奏会は
2月11日(日) 13:30〜 飯田文化会館で行われます
リハーサル見てグッと来てしまった私、当日が楽しみな 西村容子 でした
2月20日の記事
2018年02月06日
山ノ内町といえば!温泉地。温泉地の卵といえば!温泉卵。温泉卵に金と銀の卵があったら・・・。それは!ぜひ見てみたい。ということで!私。山ノ内町に行ってみました。
金の卵と銀の卵をみせてくださると。ご案内してくださったのは。
志賀高原リゾート開発株式会社 営業企画 チーフプランナー
本山 浩二(もとやまこうじ)さんです。
ご案内していただいた場所は、湯田中渋温泉郷を抜け。志賀高原へ。
志賀高原発哺にある温泉。発哺温泉。さらに!歩いて。
東館山のゴンドラリフトの乗り場まで。
やはり。
金の卵と銀の卵を見せていただくには!険しい道のりが必要。
この日は。雪がふぶく中。車のドアも凍る。氷点下13度。極寒です。
さらに!ここからまだ移動があるらしい?果たして??金の卵と銀の卵はみられるのか?
悪天候になるとこのゴンドラ止まってしまうから金の卵と銀の卵はみられないのでは?
と心配しましたが!この日は。
ゴンドラが動いていますと確認にでき。ホット一安心。
なんと!金の卵と銀の卵は。東館山のゴンドラ。通称タマチャン。

50基ありますが!今年から!50基うち1基が金。

さらに!
1基が銀。

その名も。きんさん・ぎんさんと呼んでいるそうです。

このきんさん・ぎんさんは、スタッフの方々の楽しい発想から誕生したそうです。
金のゴンドラきんさんは。乗ると金運だけではなく幸運が訪れてくれれば。
そして!銀のゴンドラぎんさんは、恋愛運が。恋が芽生えそうな狭さ。
4人の定員のゴンドラにウエアーをきてはいると。ぎゅって感じに。袖触れ合う中?
ひざは確実に当たります。ドキドキしてください。ぎんさんで!
通称タマチャンは、40年の歴史あるゴンドラだからこそなんですね。
乗ってみたい。通常は、選んで乗ることはできません。これは!幸運・恋愛運ですから。必然はいけない。偶然が大切。ただ。この日は、お天気があまり良くなく。お客様も少なくご迷惑にならない範囲ということで!きんさん・ぎんさんを待たせていただきました。
この日は、県外から修学旅行でスキーボード教室に子供たちがきていたので!
窓に息を吹きかけて好きだ―って書いてあったりして。
ぎんさんの効果が出ていましたね。山頂まで6分間。
楽しい時間でしたよ。そんなゴンドラの中で。
なんと!もう一つ志賀高原には。金と銀があるというお話が飛び出しました。


たま神様に君の願いを伝えよう!東館山&寺子屋と題して。
スタンプラリー開催中。東館山ゴンドラリフトを利用していただきこのたま神様にぜひ会いに行っていただきたい。中央エリア限定のスタンプラリーとなっているそうです。
楽しい本山さんに案内していただき。帰りは、お客様いらっしゃらないので!
金の卵。きんさんにのって帰ってきました。
すっかり仲良くなった本山さんから。こんなお話し最後に飛び出しました。
楽しい場所が!もう一つ。あると教えていただきましたので!
来週。一体どんな場所なのか?ご案内していただきます。
調査員 竹井純子
金の卵と銀の卵をみせてくださると。ご案内してくださったのは。
志賀高原リゾート開発株式会社 営業企画 チーフプランナー
本山 浩二(もとやまこうじ)さんです。
ご案内していただいた場所は、湯田中渋温泉郷を抜け。志賀高原へ。
志賀高原発哺にある温泉。発哺温泉。さらに!歩いて。
東館山のゴンドラリフトの乗り場まで。
やはり。
金の卵と銀の卵を見せていただくには!険しい道のりが必要。
この日は。雪がふぶく中。車のドアも凍る。氷点下13度。極寒です。
さらに!ここからまだ移動があるらしい?果たして??金の卵と銀の卵はみられるのか?
悪天候になるとこのゴンドラ止まってしまうから金の卵と銀の卵はみられないのでは?
と心配しましたが!この日は。
ゴンドラが動いていますと確認にでき。ホット一安心。
なんと!金の卵と銀の卵は。東館山のゴンドラ。通称タマチャン。

50基ありますが!今年から!50基うち1基が金。

さらに!
1基が銀。

その名も。きんさん・ぎんさんと呼んでいるそうです。

このきんさん・ぎんさんは、スタッフの方々の楽しい発想から誕生したそうです。
金のゴンドラきんさんは。乗ると金運だけではなく幸運が訪れてくれれば。
そして!銀のゴンドラぎんさんは、恋愛運が。恋が芽生えそうな狭さ。
4人の定員のゴンドラにウエアーをきてはいると。ぎゅって感じに。袖触れ合う中?
ひざは確実に当たります。ドキドキしてください。ぎんさんで!
通称タマチャンは、40年の歴史あるゴンドラだからこそなんですね。
乗ってみたい。通常は、選んで乗ることはできません。これは!幸運・恋愛運ですから。必然はいけない。偶然が大切。ただ。この日は、お天気があまり良くなく。お客様も少なくご迷惑にならない範囲ということで!きんさん・ぎんさんを待たせていただきました。
この日は、県外から修学旅行でスキーボード教室に子供たちがきていたので!
窓に息を吹きかけて好きだ―って書いてあったりして。
ぎんさんの効果が出ていましたね。山頂まで6分間。
楽しい時間でしたよ。そんなゴンドラの中で。
なんと!もう一つ志賀高原には。金と銀があるというお話が飛び出しました。


たま神様に君の願いを伝えよう!東館山&寺子屋と題して。
スタンプラリー開催中。東館山ゴンドラリフトを利用していただきこのたま神様にぜひ会いに行っていただきたい。中央エリア限定のスタンプラリーとなっているそうです。
楽しい本山さんに案内していただき。帰りは、お客様いらっしゃらないので!
金の卵。きんさんにのって帰ってきました。
すっかり仲良くなった本山さんから。こんなお話し最後に飛び出しました。
楽しい場所が!もう一つ。あると教えていただきましたので!
来週。一体どんな場所なのか?ご案内していただきます。
調査員 竹井純子