「天龍村でしか採れない超大っきいあれが、スイーツになっちゃったらしい!?」
2016年10月27日
今日はちょっと面白い調査結果が・・・
想像を超えた味覚の大変身!!!
天龍村でしか採れない超大っきいあれ
それは、長野県の伝統野菜の一つ
となれば、もうわかったという方いるかもしれませんね
img_3810 ←これがその畑
でも、これが有名になってきたのはほんの10年ほど前からのこと
全県にではそのもの自体を知らない方もまだ多いかもしれませんね
どれほどまでに大きいかというと
長さ的には、山崎さんの顔はゆうに超えるかな〜
ともちゃんだったら2倍はある?
大っきい大っきいと言いますが、実際どれくらい大きいのか?
天龍村農産物生産者加工組合 副会長の板倉貴樹(たかき)さんに伺いました
img_3803
すると
一番大きく成長したものは
1.2kgで長さが40cm
でもこれは種をとるために栽培された
一番大きなサイズ
市販されているものは
その半分くらいの若くて柔らかいものが一般的です
元々は紫色ですが
その一番BIGになるそれは
黄金色に変化するとか・・・
その姿がこちら!
29-1-syukusyou
これでは大きさがわかりませんよね
こちらがその大きいあれ
img_3799
手で比べてもその大きさわかりますよね
これが今日の主役
「ていざなす」
img_3800
これがスイーツになっちゃったというんです
でもナスがスイーツ????
って感じですよね
でも、ていざなすを食べると
その甘さに驚くそうで
さらに、皮をむくときにほのかに
青リンゴの香りがするそうなんです
そこで、この味わいをジャムにしたら!
という事で作られたらしいんですが
その開発には半年もかかったそうです
一番難しかったのは
この、ていざなすのヒスイ色を出すこと
img_3809
本当にきれいなヒスイ色に仕上がっていますね
そして味わいも驚き!!!
口に入れた時はちゃんナスの味がするのですが
それが、間もなくフルーティーな味わいに変わるんです
本当に青リンゴみたいな味わい
口の中で、目まぐるしく味が変わっていく!!!
img_3807
img_3806
に感動でした
パッケージもかわいくて
img_3808
これ板倉さんのフリーライティングなんですって!
温もりが伝わってきていいですよね~
パンやクラッカーでもおいしいんですが
アイスクリームやヨーグルトにも合うんですって
特にバニラアイスとの相性はバツグンだと言っていたので
昨日試してみました
img_3811
ただのバニラアイスが
も〜〜〜ジャムを加えるだけで
高級レストランのデザートの味わいに!!!
まさにスイーツです
まさか、ナスがフルーツのようなジャムに変身するなんて思ってもみませんでした
天龍村でしか採れない超おっきなあれは、本当にスイーツに大変身していました
もうその味わいにビックリな 西村容子 でした♡
想像を超えた味覚の大変身!!!
天龍村でしか採れない超大っきいあれ
それは、長野県の伝統野菜の一つ
となれば、もうわかったという方いるかもしれませんね
img_3810 ←これがその畑
でも、これが有名になってきたのはほんの10年ほど前からのこと
全県にではそのもの自体を知らない方もまだ多いかもしれませんね
どれほどまでに大きいかというと
長さ的には、山崎さんの顔はゆうに超えるかな〜
ともちゃんだったら2倍はある?
大っきい大っきいと言いますが、実際どれくらい大きいのか?
天龍村農産物生産者加工組合 副会長の板倉貴樹(たかき)さんに伺いました
img_3803
すると
一番大きく成長したものは
1.2kgで長さが40cm
でもこれは種をとるために栽培された
一番大きなサイズ
市販されているものは
その半分くらいの若くて柔らかいものが一般的です
元々は紫色ですが
その一番BIGになるそれは
黄金色に変化するとか・・・
その姿がこちら!
29-1-syukusyou
これでは大きさがわかりませんよね
こちらがその大きいあれ
img_3799
手で比べてもその大きさわかりますよね
これが今日の主役
「ていざなす」
img_3800
これがスイーツになっちゃったというんです
でもナスがスイーツ????
って感じですよね
でも、ていざなすを食べると
その甘さに驚くそうで
さらに、皮をむくときにほのかに
青リンゴの香りがするそうなんです
そこで、この味わいをジャムにしたら!
という事で作られたらしいんですが
その開発には半年もかかったそうです
一番難しかったのは
この、ていざなすのヒスイ色を出すこと
img_3809
本当にきれいなヒスイ色に仕上がっていますね
そして味わいも驚き!!!
口に入れた時はちゃんナスの味がするのですが
それが、間もなくフルーティーな味わいに変わるんです
本当に青リンゴみたいな味わい
口の中で、目まぐるしく味が変わっていく!!!
img_3807
img_3806
に感動でした
パッケージもかわいくて
img_3808
これ板倉さんのフリーライティングなんですって!
温もりが伝わってきていいですよね~
パンやクラッカーでもおいしいんですが
アイスクリームやヨーグルトにも合うんですって
特にバニラアイスとの相性はバツグンだと言っていたので
昨日試してみました
img_3811
ただのバニラアイスが
も〜〜〜ジャムを加えるだけで
高級レストランのデザートの味わいに!!!
まさにスイーツです
まさか、ナスがフルーツのようなジャムに変身するなんて思ってもみませんでした
天龍村でしか採れない超おっきなあれは、本当にスイーツに大変身していました
もうその味わいにビックリな 西村容子 でした♡
松本市奈川地区では、なぜ、とうじそばが食べられるの?
2016年10月26日
とうじそば。

(ながわ観光協会ホームページより)
小分けにした、打ちたての冷たいおそばを、とうじかごに入れて、
具だくさんのアツアツのお出しの鍋に入れてさっと温めて、
お椀に盛って、汁と具も一緒にいただく。
温めるから、香りが立って、
しかも小分けにして食べる分だけ温めるから、
最後までのびない。
特にこれからの季節は、美味しいんですよね~~~。
でもね。
食べるにあたって、ちょっと手間がかかる。
奈川のおそばって、普通に冷たいまま食べても十分に美味しいんです。
なんでわざわざ、手間のかかる食べ方をするんだろう?
松本市ながわ観光協会 会長の 亘 亘さんにうかがいました。

「奈川地区では、昔はおそばは主食でした。
でも、今のように細長く切ったおそばは、日常では食べなかった。
だんごや、そばがき、お餅のようにして食べていたんです。
そばを切るのは、お客さんが来たときだけ。
おもてなし用だったんです。
で、客さんが帰った翌日、残った切りそばを味噌汁に入れてみたら・・・
旨いぞ! これはいける!!
となって、それがとうじそばの始まりだった、とされています。」
『汁に投じる』で『とうじそば』。
だから昔は、おつゆは味噌味だったんだそうです。
今のような形になったのも、ずいぶん前のことのようです。
「囲炉裏に鍋をかけてね。
家人がとうじかごでそばを温めて、お客さんのお椀によそっていくんです。
食べ終わると次、また次、って。わんこそば状態!笑
おそばをたくさん食べてほしいから、かごは目が粗くて、
汁をよく切れるようにできている。
汁をたくさん食べちゃうと、それだけでお腹いっぱいになっちゃいますからね。
でも、汁にもこだわるんです。
その季節に一番美味しいものをたくさん入れて、
出汁もキジや鴨、かしわなど・・・。
家によって違う味です。」
まさに、おもてなしの心なんですね。
でね。
おそばの打ち方、打ち手も、奈川は独特なんですって。
「お客さんが来たら、まず旦那さんが囲炉裏に座ってもてなします。
奥さんやおばあちゃんがその間に、さっと台所に入って、そばを打つんです。
女性の力で、しかもできるだけ早く打つために、熱いお湯でこねる。
そして、床に広げて丸く伸のばすんです。
だから奈川のおそばは、
湯ごね、丸うち、女打ち、って言われているんです。」
今でも、女性が打つことが多く、名人も女性だそうです。
お客様に、奈川のおそばを、より美味しく、たくさん食べてほしい。
そばを主食にしていた奈川の人々だから知っている、最高の食べ方でもてなしたい、
という想いから生まれた食べ方が、とうじそば。
だから、あったかくて、優しくて、ありがたい味、なんですね。
奈川地区も今は新そばの季節。
新そばをとうじそばでいただくと、より一層香りが高いんです。
私が今回いただいたのは、
「福伝」というお店。
美味しかったですよ~~~!!

松本の調査隊員 塚原でした。

(ながわ観光協会ホームページより)
小分けにした、打ちたての冷たいおそばを、とうじかごに入れて、
具だくさんのアツアツのお出しの鍋に入れてさっと温めて、
お椀に盛って、汁と具も一緒にいただく。
温めるから、香りが立って、
しかも小分けにして食べる分だけ温めるから、
最後までのびない。
特にこれからの季節は、美味しいんですよね~~~。
でもね。
食べるにあたって、ちょっと手間がかかる。
奈川のおそばって、普通に冷たいまま食べても十分に美味しいんです。
なんでわざわざ、手間のかかる食べ方をするんだろう?
松本市ながわ観光協会 会長の 亘 亘さんにうかがいました。

「奈川地区では、昔はおそばは主食でした。
でも、今のように細長く切ったおそばは、日常では食べなかった。
だんごや、そばがき、お餅のようにして食べていたんです。
そばを切るのは、お客さんが来たときだけ。
おもてなし用だったんです。
で、客さんが帰った翌日、残った切りそばを味噌汁に入れてみたら・・・
旨いぞ! これはいける!!
となって、それがとうじそばの始まりだった、とされています。」
『汁に投じる』で『とうじそば』。
だから昔は、おつゆは味噌味だったんだそうです。
今のような形になったのも、ずいぶん前のことのようです。
「囲炉裏に鍋をかけてね。
家人がとうじかごでそばを温めて、お客さんのお椀によそっていくんです。
食べ終わると次、また次、って。わんこそば状態!笑
おそばをたくさん食べてほしいから、かごは目が粗くて、
汁をよく切れるようにできている。
汁をたくさん食べちゃうと、それだけでお腹いっぱいになっちゃいますからね。
でも、汁にもこだわるんです。
その季節に一番美味しいものをたくさん入れて、
出汁もキジや鴨、かしわなど・・・。
家によって違う味です。」
まさに、おもてなしの心なんですね。
でね。
おそばの打ち方、打ち手も、奈川は独特なんですって。
「お客さんが来たら、まず旦那さんが囲炉裏に座ってもてなします。
奥さんやおばあちゃんがその間に、さっと台所に入って、そばを打つんです。
女性の力で、しかもできるだけ早く打つために、熱いお湯でこねる。
そして、床に広げて丸く伸のばすんです。
だから奈川のおそばは、
湯ごね、丸うち、女打ち、って言われているんです。」
今でも、女性が打つことが多く、名人も女性だそうです。
お客様に、奈川のおそばを、より美味しく、たくさん食べてほしい。
そばを主食にしていた奈川の人々だから知っている、最高の食べ方でもてなしたい、
という想いから生まれた食べ方が、とうじそば。
だから、あったかくて、優しくて、ありがたい味、なんですね。
奈川地区も今は新そばの季節。
新そばをとうじそばでいただくと、より一層香りが高いんです。
私が今回いただいたのは、
「福伝」というお店。
美味しかったですよ~~~!!

松本の調査隊員 塚原でした。
飯山市に44年ぶりにあいつが
2016年10月25日
44年ぶりに帰ってくる!あいつとは??一体。
飯山市で最もあいつに詳しいという津久井良治(つくいりょうじ)さんに
お会いすることができましたので
あいつについて聞いてみました。
あいつをよく知る!津久井さん。まさに!一目ぼれ。花形。力持ち。
ただ今の時代には合わないかもしれないけど。子供たちにその姿見せてあげたい。
だからたまには帰ってこい。ヒントは、生きている機械かな?ターミネイター?シュワちゃんだよ。
I,llbeback.(また戻ってくるからな)ですよ。戻ってきましたよ!
あいつが。
あいつとは?また、
あいつをよく知る津久井さんがどんな方なのか?

44年ぶりに飯山市に帰ってきたのは!蒸気機関車。昭和47年10月1日
飯山線SLが運転終了。当時最後の蒸気機関車C56に乗車・運転していた機関士さんが津久井さんなんです。
津久井さんは飯山市に生まれ。当時ですから国鉄に入ったのが昭和33年。翌年機関助士として蒸気機関車に乗務し。
県内様々な場所に勤務されましたが!故郷飯山市の飯山線最後のSLを運転する機関士さんだった。これまた運命。

飯山線からSLがいなくなる。当時のお気持ち聞いてみました。
津久井さんにとってみるとやはり。ともに働く仲間。生き物としての息使いを感じていられたゆえに・・。
さみしさはかなり感じておられたようですね。
そんな!SLが帰ってくる!楽しみも人一倍かなとも思うんですが!そこは!
津久井さんのカッコよさというか・・・。仲間であるが故の!久しぶりに会うテレというか
、気恥ずかしい感じがお話ししていて感じました。
でも!帰ってくるSLを多くの方に楽しんでいただこう!と津久井さん当時の貴重な写真。
また、乗務手帳・制服などを飯山市にあるふるさと館に展示するそうです。
お話しは、飯山市ふるさと館 山本いつこさんです。
飯山線のSL最後の姿の写真。津久井さんの制服や当時の津久井さんのお姿の写真。

豪雪地・飯山線のラッセル車の写真もあり。貴重な!乗務手帳。

昭和47年の最後のSLの運行記録もありました。
すでに!はじまっていますので!ふるさと館。行ってみてください。
さあ。こうなると!SLが帰ってくるのは?いつ?ですよね。
すでに!試運転の形では姿目にされた方もいるようですが、
お話し。飯山市 企画財政課山崎さんです。
改めて!帰ってくるのは、11月19日20日です。
最後に!津久井さんにお話し聞きました。


最初にかけてあげる言葉は・・・。
やっぱり「おかえりかな!」
うれしそうにお話ししてくださいました。
調査員 竹井純子
飯山市で最もあいつに詳しいという津久井良治(つくいりょうじ)さんに
お会いすることができましたので
あいつについて聞いてみました。
あいつをよく知る!津久井さん。まさに!一目ぼれ。花形。力持ち。
ただ今の時代には合わないかもしれないけど。子供たちにその姿見せてあげたい。
だからたまには帰ってこい。ヒントは、生きている機械かな?ターミネイター?シュワちゃんだよ。
I,llbeback.(また戻ってくるからな)ですよ。戻ってきましたよ!
あいつが。
あいつとは?また、
あいつをよく知る津久井さんがどんな方なのか?

44年ぶりに飯山市に帰ってきたのは!蒸気機関車。昭和47年10月1日
飯山線SLが運転終了。当時最後の蒸気機関車C56に乗車・運転していた機関士さんが津久井さんなんです。
津久井さんは飯山市に生まれ。当時ですから国鉄に入ったのが昭和33年。翌年機関助士として蒸気機関車に乗務し。
県内様々な場所に勤務されましたが!故郷飯山市の飯山線最後のSLを運転する機関士さんだった。これまた運命。

飯山線からSLがいなくなる。当時のお気持ち聞いてみました。
津久井さんにとってみるとやはり。ともに働く仲間。生き物としての息使いを感じていられたゆえに・・。
さみしさはかなり感じておられたようですね。
そんな!SLが帰ってくる!楽しみも人一倍かなとも思うんですが!そこは!
津久井さんのカッコよさというか・・・。仲間であるが故の!久しぶりに会うテレというか
、気恥ずかしい感じがお話ししていて感じました。
でも!帰ってくるSLを多くの方に楽しんでいただこう!と津久井さん当時の貴重な写真。
また、乗務手帳・制服などを飯山市にあるふるさと館に展示するそうです。
お話しは、飯山市ふるさと館 山本いつこさんです。
飯山線のSL最後の姿の写真。津久井さんの制服や当時の津久井さんのお姿の写真。

豪雪地・飯山線のラッセル車の写真もあり。貴重な!乗務手帳。

昭和47年の最後のSLの運行記録もありました。
すでに!はじまっていますので!ふるさと館。行ってみてください。
さあ。こうなると!SLが帰ってくるのは?いつ?ですよね。
すでに!試運転の形では姿目にされた方もいるようですが、
お話し。飯山市 企画財政課山崎さんです。
改めて!帰ってくるのは、11月19日20日です。
最後に!津久井さんにお話し聞きました。


最初にかけてあげる言葉は・・・。
やっぱり「おかえりかな!」
うれしそうにお話ししてくださいました。
調査員 竹井純子
測量の世界でも、アレが大活躍しているらしい。
2016年10月19日
アレとは・・・。
これです。

そうです。
ドローンです。
測量にドローン。いったいどんな場面で使われているんでしょうか。
今回は、大成測量設計株式会社 常務取締役 測量士の
高橋 宏岳さんにお話をうかがいました。

イケメン。うふふ。
本題に戻ります。
高橋さんの会社 大成測量設計は、公共事業のお仕事が多いんですって。
公共事業で道路やトンネル、ダムや砂防などを作る時にはまず、
その土地の地主さんとの交渉が必要なんです。
その地主さんとの交渉に使う地図に、ドローンで撮影したものがとても役に立つ、
ということなんです。
つまり。

今まで使っていたのはこういう地図。
これだとね。地主さんに見せても、どこなのかさっぱりわからなかったりして・・・。
説明するのにとても時間がかかるそうなんですね。
ここでドローンを使うと・・・。
じゃ~ん。

こうなるんですね。
これだと、ご自分の土地がどのあたりか、一目でわかります。
説明する時間も短縮できるし、地主さんたちも安心して話し合いが進められる、
というわけなんです。
これがとても大きなメリットなんですって。
というわけで、ここ数年でドローンを使うことが多くなり、
この3月に国土交通省からマニュアル案も出て、さらに利用増えてきたそうです。
高橋さんの予測では、今後ドローンを使うのは当たり前。
で、さらにその先には、すべてが三次元になり、それによってかなり効率もあがっていくだろう、
ということなんです。
ところで。
測量って、あまり馴染みのない業界ですよね。
今回初めて、どんな人たちが、どんなことをやっているのか、
知ることができました。

こちら、ドローンを動かしてくれた測量士のお二人。
仕事に情熱を燃やしています。
「一番やりがいを感じるのは、自分が携わったものが形になった時。
楽しいことばかりではないけれど、
この仕事を選んでよかったし、これからも頑張っていきたいと思っています。」
縁の下の力持ち、ってかんじですよね。
ドローンって今、ほんとにいろんな業界で活躍し始めているんですね。
ドローンを活用することでそれぞれの業界がスキルをあげていって、
そして需要が増えることでドローンを作る業界も技術開発がどんどん進められる。
スゴイ時代になりましたね。
松本の調査隊員 塚原でした。
これです。

そうです。
ドローンです。
測量にドローン。いったいどんな場面で使われているんでしょうか。
今回は、大成測量設計株式会社 常務取締役 測量士の
高橋 宏岳さんにお話をうかがいました。

イケメン。うふふ。
本題に戻ります。
高橋さんの会社 大成測量設計は、公共事業のお仕事が多いんですって。
公共事業で道路やトンネル、ダムや砂防などを作る時にはまず、
その土地の地主さんとの交渉が必要なんです。
その地主さんとの交渉に使う地図に、ドローンで撮影したものがとても役に立つ、
ということなんです。
つまり。

今まで使っていたのはこういう地図。
これだとね。地主さんに見せても、どこなのかさっぱりわからなかったりして・・・。
説明するのにとても時間がかかるそうなんですね。
ここでドローンを使うと・・・。
じゃ~ん。

こうなるんですね。
これだと、ご自分の土地がどのあたりか、一目でわかります。
説明する時間も短縮できるし、地主さんたちも安心して話し合いが進められる、
というわけなんです。
これがとても大きなメリットなんですって。
というわけで、ここ数年でドローンを使うことが多くなり、
この3月に国土交通省からマニュアル案も出て、さらに利用増えてきたそうです。
高橋さんの予測では、今後ドローンを使うのは当たり前。
で、さらにその先には、すべてが三次元になり、それによってかなり効率もあがっていくだろう、
ということなんです。
ところで。
測量って、あまり馴染みのない業界ですよね。
今回初めて、どんな人たちが、どんなことをやっているのか、
知ることができました。

こちら、ドローンを動かしてくれた測量士のお二人。
仕事に情熱を燃やしています。
「一番やりがいを感じるのは、自分が携わったものが形になった時。
楽しいことばかりではないけれど、
この仕事を選んでよかったし、これからも頑張っていきたいと思っています。」
縁の下の力持ち、ってかんじですよね。
ドローンって今、ほんとにいろんな業界で活躍し始めているんですね。
ドローンを活用することでそれぞれの業界がスキルをあげていって、
そして需要が増えることでドローンを作る業界も技術開発がどんどん進められる。
スゴイ時代になりましたね。
松本の調査隊員 塚原でした。
木島平村は、サシバの村らしい?
2016年10月18日
差し歯の村。なんか?想像がつかない。人にとって歯は大切。
そんな差し歯の村?とは?木島平村で!聞き込み開始です。
小学生に聞き込みしましたが、わからなかったみたい。
小学6年生。虫歯もない子供たち。
そんな中助け舟を出してくれたのが!お母さん。前歯が差し歯って・・。
おっしゃっていましたが?どうも??はっきりとわかる方がいない。
困った私。そんな私に、木島平村農村交流館にその謎?に詳しい。
荒井克人さんという方がいると教えてくださった方がいまして・・・。
早速。農村交流館に荒井さんを捜しに行ってみました。

なんと!差し歯は!歯ではなく。貴重な生き物。木島平村に多く生息している。
だから!差し歯ではなく。サシバ(平坦な感じ)。地域によってイントネーション様々らしいのですが多くはサシバというそうなんです。
さあその貴重な生き物とは?なんなんでしょうか?
サシバとは!!なんと鷹の一種で大きさは、カラスぐらいでトビより小さい
。なかなか私たちが見分けるのは難しいのかもしれないのですが・・・。北信州に主に生息。
さらに!木島平には多くいるとなれば!みたい。荒井さんにお願いしてみました。
残念。夏鳥なので!9月ぐらいまではいたのですが!!今は!いない。
見た目は、本当に鷹に似ている。頭部は灰褐色。体の上面と胸のあたりは茶褐色。
のどのあたりが白い。サシバは、田んぼの多くある場所に生息して、セミ・バッタ・カエル・トカゲを食べる。
水田が減ってしまうと食べ物となる生き物が減る。水田があっても様々な要因で餌の生き物が減るとサシバの数も減ってしまう。
雑滅危惧種2種に指定されているそうです。ですが!全国的に見ても
木島平村の環境が!サシバにとってみると!数少ない生息区域の一つになっているようです。
サシバにとってみると木島平村はパラダイスです。おいしいお米の産地ですから。改めて。
木島平村とさしばの関係について聞いてみました。
おいしいお米を作ろうおいしいものを作ろうとなれば、自然にサシバの保全につながる。
まさに木島平村はそういう村なんです。ですから!木島平村は!
サシバの村なんです。そんな木島平村で楽しいイベントがあるようです。

サシバのイベントです。プラスアルファ。サシバのパラダイス。木島平村の魅力も楽しんでしまおう!
と参加無料の昼食付きなので!参加したい方は。
事前にご連絡ください。荒井さんまで。080-8828-1893。
秋は、サシバの環境を観察。巣の近くまで行かれますので。
あと冬・そして!春には!サシバが木島平村にやってきますから!その姿を見られるかも?です。
まずは、10月23日日曜日。興味のあるかたご参加ください。
トレッキングできる服装と双眼鏡があるといいです。当日の天候もありますが。
飲み物は各自用意してくださいとのことでした。
調査員 竹井純子
そんな差し歯の村?とは?木島平村で!聞き込み開始です。
小学生に聞き込みしましたが、わからなかったみたい。
小学6年生。虫歯もない子供たち。
そんな中助け舟を出してくれたのが!お母さん。前歯が差し歯って・・。
おっしゃっていましたが?どうも??はっきりとわかる方がいない。
困った私。そんな私に、木島平村農村交流館にその謎?に詳しい。
荒井克人さんという方がいると教えてくださった方がいまして・・・。
早速。農村交流館に荒井さんを捜しに行ってみました。

なんと!差し歯は!歯ではなく。貴重な生き物。木島平村に多く生息している。
だから!差し歯ではなく。サシバ(平坦な感じ)。地域によってイントネーション様々らしいのですが多くはサシバというそうなんです。
さあその貴重な生き物とは?なんなんでしょうか?
サシバとは!!なんと鷹の一種で大きさは、カラスぐらいでトビより小さい
。なかなか私たちが見分けるのは難しいのかもしれないのですが・・・。北信州に主に生息。
さらに!木島平には多くいるとなれば!みたい。荒井さんにお願いしてみました。
残念。夏鳥なので!9月ぐらいまではいたのですが!!今は!いない。
見た目は、本当に鷹に似ている。頭部は灰褐色。体の上面と胸のあたりは茶褐色。
のどのあたりが白い。サシバは、田んぼの多くある場所に生息して、セミ・バッタ・カエル・トカゲを食べる。
水田が減ってしまうと食べ物となる生き物が減る。水田があっても様々な要因で餌の生き物が減るとサシバの数も減ってしまう。
雑滅危惧種2種に指定されているそうです。ですが!全国的に見ても
木島平村の環境が!サシバにとってみると!数少ない生息区域の一つになっているようです。
サシバにとってみると木島平村はパラダイスです。おいしいお米の産地ですから。改めて。
木島平村とさしばの関係について聞いてみました。
おいしいお米を作ろうおいしいものを作ろうとなれば、自然にサシバの保全につながる。
まさに木島平村はそういう村なんです。ですから!木島平村は!
サシバの村なんです。そんな木島平村で楽しいイベントがあるようです。

サシバのイベントです。プラスアルファ。サシバのパラダイス。木島平村の魅力も楽しんでしまおう!
と参加無料の昼食付きなので!参加したい方は。
事前にご連絡ください。荒井さんまで。080-8828-1893。
秋は、サシバの環境を観察。巣の近くまで行かれますので。
あと冬・そして!春には!サシバが木島平村にやってきますから!その姿を見られるかも?です。
まずは、10月23日日曜日。興味のあるかたご参加ください。
トレッキングできる服装と双眼鏡があるといいです。当日の天候もありますが。
飲み物は各自用意してくださいとのことでした。
調査員 竹井純子
「あの上田名物に見たこともない字が使われているらしい!?」
2016年10月17日
今日は上田名物のお話。
この名物は、上田に住んでいる人なら誰もが知っているものだと思います。
上田に観光に来たお客さんも「上田に来たからには!」と並んで買っていくものです。
私も上田育ちですので、子どもの頃から慣れ親しんでいるもの。
ところが!!
このような字が使われているとは知りませんでしたo(´^`)o
その字とは、
こーんな字です↓

志に濁点。
こんな字。
見た事ありますか???
もう少し後ろに下がって見ると、この名物が分かります。

志”まんやき
そうです。あの有名な富士アイスの「じまんやき」ですヾ(´∀`*)
じまんやきって、「自慢焼き」だと勝手に思っていましたが、実は「志”まんやき」なのですね!
どうしてこの漢字になったのか…調査しに行ってきました。

富士アイスの3代目 北川 大さんです!
まずは、
①じまん焼きという名前の由来
北川さんによると、じまん焼きという名前は「自慢の味。自慢したくなる味」という思いをこめてつけられたのだそうです。
では、
②志に濁点をつけた「志”」という漢字を使っている理由
これに関しては…
「はっきりとは分かっていません。」
との事ヽ(゚Д゚;)ノ!!
調査、終了~
と思ったその時、たまたま2代目が登場!
2代目の北川 量三さんにも伺いました(人д〃)
2代目によると、
「はっきりとは分からないのだけど…」
あぁ、やはり。。。と諦めかけたその時に!
「実は、先代の奥さん…つまり、私の母は“志ん”という名前だったんです。なので、奥さんの名前から一文字をとってつけたのではないかなぁと思います。」
との事でした♪♪♪じまん焼きって美味しさだけではなく、妻への愛も込められた食べ物だったのかもしれないのすね!!焼き立てのじまん焼きを食べながら、心もホッカホカになりました˘⌣˘♡
意外とあっさり解決してしまったので「じまん焼きなぜなぜ?」を調査しました。
◇どうして 富士アイス なの?◇
じまん焼き屋さんなのに、なぜか店名にはアイスとなっています。なぜでしょう?
創業当初は「ふじや」という名前で営業をしていたのだそうです。ところが、「ふじや」という名前のお店は様々な業種にあったので、当時アイスキャンデーを売っていた事もあり「富士アイス」という名前にしたそうです。昔はアイスキャンデーもあったのですね!ちなみに、今はソフトクリームならあります(笑)
もう一つ。
◇あんことクリーム どちらが人気?◇

私はクリーム派です(*゚∀゚)っ
佳子さんも根本さんもクリーム派との事。
しかーし!
あんこの方がよく売れるそうです。
やっぱり王道は…という事なのでしょうかね。
じっくり時間をかけてつくるあんこ。
甘くてしっとりしていて美味しいですよね♪
でも、「白あんのじまん焼きを出しているお店もある」との事。
…えっ?
富士アイスって上田以外にもあるのですか???
実は富士アイスさんって県内外あちこちにあるのだそうで、山梨県の甲府にあるお店が本店なのだそう。
という事は…
じまん焼きは上田だけの食べ物じゃないっていう事 が━゚(∀)゚━ん
県内にも岡谷や諏訪にもお店があるそうです。
どこのじまん焼きも、志”まんやきの表記との事。
もはや「今日のテーマ自体もちょっと違うんじゃないか?」という雲行きになってきました。
ショックを受けたところで、最後のじまん焼きナニナニ。
◇現代では、じまん焼きは食べるだけではなく見ても楽しめるものになっているらしい!?」

じまん焼きを焼いているところは大きなガラス窓になっているので、店員さんが焼いてくれている姿を見た事があるという方も多いはずです。
ところが現代ではお店だけではなく、家でも!焼いているところを見る事ができるのだそう。

たしかに、焼き台の上の方にカメラが取り付けられています!
これは…
地元のケーブルテレビのカメラで、実はインターネットでライブ中継が見られるのですよ~!!
「富士アイス じまん焼き」でインターネットで検索するとその映像が見られます。
北川さんによると、外国からも「見たよ~」というメッセージが来たそうです!すごい!!
じまん焼きを家に持ち帰り、インターネットで焼いている光景を見ながら食べる。
新しいじまん焼きの楽しみ方です(笑)
皆さま、上田にお越しの際にはじまん焼きの「志”」の字を探してみてください♪♪♪
斉藤 美穂
この名物は、上田に住んでいる人なら誰もが知っているものだと思います。
上田に観光に来たお客さんも「上田に来たからには!」と並んで買っていくものです。
私も上田育ちですので、子どもの頃から慣れ親しんでいるもの。
ところが!!
このような字が使われているとは知りませんでしたo(´^`)o
その字とは、
こーんな字です↓

志に濁点。
こんな字。
見た事ありますか???
もう少し後ろに下がって見ると、この名物が分かります。

志”まんやき
そうです。あの有名な富士アイスの「じまんやき」ですヾ(´∀`*)
じまんやきって、「自慢焼き」だと勝手に思っていましたが、実は「志”まんやき」なのですね!
どうしてこの漢字になったのか…調査しに行ってきました。

富士アイスの3代目 北川 大さんです!
まずは、
①じまん焼きという名前の由来
北川さんによると、じまん焼きという名前は「自慢の味。自慢したくなる味」という思いをこめてつけられたのだそうです。
では、
②志に濁点をつけた「志”」という漢字を使っている理由
これに関しては…
「はっきりとは分かっていません。」
との事ヽ(゚Д゚;)ノ!!
調査、終了~
と思ったその時、たまたま2代目が登場!
2代目の北川 量三さんにも伺いました(人д〃)
2代目によると、
「はっきりとは分からないのだけど…」
あぁ、やはり。。。と諦めかけたその時に!
「実は、先代の奥さん…つまり、私の母は“志ん”という名前だったんです。なので、奥さんの名前から一文字をとってつけたのではないかなぁと思います。」
との事でした♪♪♪じまん焼きって美味しさだけではなく、妻への愛も込められた食べ物だったのかもしれないのすね!!焼き立てのじまん焼きを食べながら、心もホッカホカになりました˘⌣˘♡
意外とあっさり解決してしまったので「じまん焼きなぜなぜ?」を調査しました。
◇どうして 富士アイス なの?◇
じまん焼き屋さんなのに、なぜか店名にはアイスとなっています。なぜでしょう?
創業当初は「ふじや」という名前で営業をしていたのだそうです。ところが、「ふじや」という名前のお店は様々な業種にあったので、当時アイスキャンデーを売っていた事もあり「富士アイス」という名前にしたそうです。昔はアイスキャンデーもあったのですね!ちなみに、今はソフトクリームならあります(笑)
もう一つ。
◇あんことクリーム どちらが人気?◇


私はクリーム派です(*゚∀゚)っ
佳子さんも根本さんもクリーム派との事。
しかーし!
あんこの方がよく売れるそうです。
やっぱり王道は…という事なのでしょうかね。
じっくり時間をかけてつくるあんこ。
甘くてしっとりしていて美味しいですよね♪
でも、「白あんのじまん焼きを出しているお店もある」との事。
…えっ?
富士アイスって上田以外にもあるのですか???
実は富士アイスさんって県内外あちこちにあるのだそうで、山梨県の甲府にあるお店が本店なのだそう。
という事は…
じまん焼きは上田だけの食べ物じゃないっていう事 が━゚(∀)゚━ん
県内にも岡谷や諏訪にもお店があるそうです。
どこのじまん焼きも、志”まんやきの表記との事。
もはや「今日のテーマ自体もちょっと違うんじゃないか?」という雲行きになってきました。
ショックを受けたところで、最後のじまん焼きナニナニ。
◇現代では、じまん焼きは食べるだけではなく見ても楽しめるものになっているらしい!?」

じまん焼きを焼いているところは大きなガラス窓になっているので、店員さんが焼いてくれている姿を見た事があるという方も多いはずです。
ところが現代ではお店だけではなく、家でも!焼いているところを見る事ができるのだそう。

たしかに、焼き台の上の方にカメラが取り付けられています!
これは…
地元のケーブルテレビのカメラで、実はインターネットでライブ中継が見られるのですよ~!!
「富士アイス じまん焼き」でインターネットで検索するとその映像が見られます。
北川さんによると、外国からも「見たよ~」というメッセージが来たそうです!すごい!!
じまん焼きを家に持ち帰り、インターネットで焼いている光景を見ながら食べる。
新しいじまん焼きの楽しみ方です(笑)
皆さま、上田にお越しの際にはじまん焼きの「志”」の字を探してみてください♪♪♪
斉藤 美穂
「全国で唯一本格手作り花火を受け継ぐ人々は、地域全体が家族らしい!?」
2016年10月13日
先々週お届けした、夜な夜なゴロゴロと音を立てて楽しんでいる人たちの続編です
という事で・・・
全国で唯一、本格手作り花火を作っているのは阿智村清内路の皆さん
古くは、享保16年上清内路・下清内路両諏訪神社社堂の再建にも奉納されていて
飢饉の年も、戦中戦後の混乱の中でも決して途絶えることなく300年余続く伝統の花火。
平成4年に県の無形民俗文化財に指定。1998年長野オリンピック閉会式のフィナーレを飾りました。
多くの方が一度は見てみたい
と憧れる村人手作りの花火
特に上清内路の花火は、村の方から整理券をいただかないと見ることができない、希少価値の高い花火なんです
この花火を守り続けている人たちが「家族???」
実は今年、一人の若者がこの花火作りに初挑戦することになりました
清内路で育ち
毎年、この花火を見続けていた青年 小池謙さん(24)
謙さんのお父さんは、上清内路煙火同志会でも火薬の出来を確認するほどの中心的な立場
そのお父さん 小池忠臣さんと一緒に、この花火作りに挑戦します
今回は、その親子を通して、日本一の手作り花火を調査しました
ずっと見るだけだった花火
「その花火を作れる側になれる喜びは大きい」
という謙さん
お父さんも
「ちょっと照れくさいよね」
と嬉しそうに笑います
清内路の手作り花火は
かやくに使う炭から手作りをします
ひたすらすり合わせる作業が2週間
その後2週間かけて仕掛け花火の準備をするそうです
謙さんが最初に手伝ったのは火薬の計量の作業
img_3608
img_3606
最初は見ているだけの謙さんでしたが
img_3609
img_3612
お父さんに見守られながら
もうすっかり溶け込んでいました
小さいころから年関係なく名前で呼び合う清内路の人達
謙さんに「あのおじさんは何ていうの?」
と聞くと
「よしくん」「かずとさん」「まんちゃ」「じゅんちゃ」
出るは出るは、50のおじさんも、70のおじさんも
みんな愛称で呼ぶんです
24歳の謙さんも・・・
こんな楽しい雰囲気の中
作業は1ヶ月半続き
いよいよ
祭り当日
炭作りから始まって3ヶ月かけて作った手作り花火のお披露目の日です
この1か月半は、2人にとってはどんな時間だったんでしょうか?
謙さんにとっては
普段のお父さんとは違う、みんなを引っ張る男のお父さんに
憧れの様な思いを抱いた時間であり
お父さんにとっては
自分のやってきたことと同じことをやってくれている事へのよろこび
今になって初めて自分の親父さんの気持ちがわかったと
本当にうれしそうに語ってくださいました
そして、謙さん
夕方神社に向かう前に、お仏壇に手を合わせていたんです
img_3672
朝も手を合わせたって
img_3675
なぜか…それはおじいちゃんへの報告だったそうです
親から子へ子から孫へ…そうやって受け継がれてきたのが清内路の花火なんですね
この祭りの最初の葡萄棚と締めを飾るメリーゴーランドを作ったのがお二人が所属する3班
いよいよ始まりますよ!!!
img_3698
これが葡萄棚
プロの花火業者さんに作りかたを教えて欲しいと言われるほどの
珍しい花火青
紫色の幻想的な光が長く続き、私たちを魅了してくれました
img_3728
大滝(ナイアガラの滝)
img_3740
木馬が様々な光を放ちながら回るメリーゴーランド
image2
img_3714
その他にも
手作りとは思えないほど多彩な花火が
諏訪神社を縦横無尽に飛び交い、手作り花火は大成功でした
img_3770
最後には
第三国の火の粉の中に
親子で入ったそうです
その時謙さんは
「絆ができた」
と話してくれました
謙さんにとって清内路という場所は
「みんなが家族の様な居心地のいい場所」
家族のような温もりの中で作られる花火と、受け継がれて行く親子の絆
どちらもとっても素敵でした♡
image1
この調査の私のベストショット☆☆☆
image3 かっこいい親父の背中!!!
とってもこころがあったたまってしまった 西村容子 でした♡
という事で・・・
全国で唯一、本格手作り花火を作っているのは阿智村清内路の皆さん
古くは、享保16年上清内路・下清内路両諏訪神社社堂の再建にも奉納されていて
飢饉の年も、戦中戦後の混乱の中でも決して途絶えることなく300年余続く伝統の花火。
平成4年に県の無形民俗文化財に指定。1998年長野オリンピック閉会式のフィナーレを飾りました。
多くの方が一度は見てみたい
と憧れる村人手作りの花火
特に上清内路の花火は、村の方から整理券をいただかないと見ることができない、希少価値の高い花火なんです
この花火を守り続けている人たちが「家族???」
実は今年、一人の若者がこの花火作りに初挑戦することになりました
清内路で育ち
毎年、この花火を見続けていた青年 小池謙さん(24)
謙さんのお父さんは、上清内路煙火同志会でも火薬の出来を確認するほどの中心的な立場
そのお父さん 小池忠臣さんと一緒に、この花火作りに挑戦します
今回は、その親子を通して、日本一の手作り花火を調査しました
ずっと見るだけだった花火
「その花火を作れる側になれる喜びは大きい」
という謙さん
お父さんも
「ちょっと照れくさいよね」
と嬉しそうに笑います
清内路の手作り花火は
かやくに使う炭から手作りをします
ひたすらすり合わせる作業が2週間
その後2週間かけて仕掛け花火の準備をするそうです
謙さんが最初に手伝ったのは火薬の計量の作業
img_3608
img_3606
最初は見ているだけの謙さんでしたが
img_3609
img_3612
お父さんに見守られながら
もうすっかり溶け込んでいました
小さいころから年関係なく名前で呼び合う清内路の人達
謙さんに「あのおじさんは何ていうの?」
と聞くと
「よしくん」「かずとさん」「まんちゃ」「じゅんちゃ」
出るは出るは、50のおじさんも、70のおじさんも
みんな愛称で呼ぶんです
24歳の謙さんも・・・
こんな楽しい雰囲気の中
作業は1ヶ月半続き
いよいよ
祭り当日
炭作りから始まって3ヶ月かけて作った手作り花火のお披露目の日です
この1か月半は、2人にとってはどんな時間だったんでしょうか?
謙さんにとっては
普段のお父さんとは違う、みんなを引っ張る男のお父さんに
憧れの様な思いを抱いた時間であり
お父さんにとっては
自分のやってきたことと同じことをやってくれている事へのよろこび
今になって初めて自分の親父さんの気持ちがわかったと
本当にうれしそうに語ってくださいました
そして、謙さん
夕方神社に向かう前に、お仏壇に手を合わせていたんです
img_3672
朝も手を合わせたって
img_3675
なぜか…それはおじいちゃんへの報告だったそうです
親から子へ子から孫へ…そうやって受け継がれてきたのが清内路の花火なんですね
この祭りの最初の葡萄棚と締めを飾るメリーゴーランドを作ったのがお二人が所属する3班
いよいよ始まりますよ!!!
img_3698
これが葡萄棚
プロの花火業者さんに作りかたを教えて欲しいと言われるほどの
珍しい花火青
紫色の幻想的な光が長く続き、私たちを魅了してくれました
img_3728
大滝(ナイアガラの滝)
img_3740
木馬が様々な光を放ちながら回るメリーゴーランド
image2
img_3714
その他にも
手作りとは思えないほど多彩な花火が
諏訪神社を縦横無尽に飛び交い、手作り花火は大成功でした
img_3770
最後には
第三国の火の粉の中に
親子で入ったそうです
その時謙さんは
「絆ができた」
と話してくれました
謙さんにとって清内路という場所は
「みんなが家族の様な居心地のいい場所」
家族のような温もりの中で作られる花火と、受け継がれて行く親子の絆
どちらもとっても素敵でした♡
image1
この調査の私のベストショット☆☆☆
image3 かっこいい親父の背中!!!
とってもこころがあったたまってしまった 西村容子 でした♡
松本市四賀地区では、ちょっと変わったマラソン大会が開催されるらしい。
2016年10月12日
ちょっと変わったマラソン???
のどかな田園風景が広がる、松本市四賀。
山ではマツタケがとれるし、畑では美味しいお米がとれるんですけど・・・。
そこらへんにヒントがあるんでしょうか?
四賀元気プロジェクト 丸山鉄工所 代表取締役
丸山 則行さんにうかがいました。

「せっかくこの地域でマラソン大会を開くんだから、
みなさんに楽しんでもらいたい、と思いましてね。
それでこんなこと考えたんです。」
それがこちら。
じゃ~~~ん。

米かつぎマラソン~~~っ!!
米を、男性10キロ、女性5キロ、かつがないと走らせてもらえない。
しかもコースは、虚空蔵山の山頂を経由する13キロ、
標高差650メートルの山岳コース。
なぜ米を? しかも山岳コース・・・。
普通のマラソンよりハードルあがっちゃていませんか?
「ユニークでしょ?笑笑笑
四賀地区でとれるお米は、一味もふた味も違うんです。
美味しいんです。
そしてこのコースは、自然を満喫できて、宿場町も通るので、
四賀地区の魅力を満喫できるんです。
ハードルあがっちゃっているようですけど、
実はそうでもなくて、みなさんとっても楽しんでくれています。」
そうなんですか?
なぜそんなに楽しいの??
「楽しんでもらえるように、私たちが精いっぱいのおもてなしをします。
ゴールでは、四賀でとれたマツタケをふんだんに使った豪華マツタケご飯、
そのほか、漬物やらおやきやら、自分たちが作った自慢の味をずらりと並べて、
みなさんの帰りを待っています。」
マツタケご飯っ~~~!! それは贅沢です。
そのために頑張れそうですよね。
それに、このあったか~い雰囲気が、
参加者にはたまらないんですね。
それと、みんながリュックにお米を詰めて、
えっさえっさと走って山を登る姿も、
なんとなく微笑ましいです。
四賀地区ならではのマラソン大会。
毎年秋、マツタケのシーズンに合わせて開催されます。
今年は10月22日(土)。
ぜひぜひ、挑戦してみて下さい!!
のどかな田園風景が広がる、松本市四賀。
山ではマツタケがとれるし、畑では美味しいお米がとれるんですけど・・・。
そこらへんにヒントがあるんでしょうか?
四賀元気プロジェクト 丸山鉄工所 代表取締役
丸山 則行さんにうかがいました。

「せっかくこの地域でマラソン大会を開くんだから、
みなさんに楽しんでもらいたい、と思いましてね。
それでこんなこと考えたんです。」
それがこちら。
じゃ~~~ん。

米かつぎマラソン~~~っ!!
米を、男性10キロ、女性5キロ、かつがないと走らせてもらえない。
しかもコースは、虚空蔵山の山頂を経由する13キロ、
標高差650メートルの山岳コース。
なぜ米を? しかも山岳コース・・・。
普通のマラソンよりハードルあがっちゃていませんか?
「ユニークでしょ?笑笑笑
四賀地区でとれるお米は、一味もふた味も違うんです。
美味しいんです。
そしてこのコースは、自然を満喫できて、宿場町も通るので、
四賀地区の魅力を満喫できるんです。
ハードルあがっちゃっているようですけど、
実はそうでもなくて、みなさんとっても楽しんでくれています。」
そうなんですか?
なぜそんなに楽しいの??
「楽しんでもらえるように、私たちが精いっぱいのおもてなしをします。
ゴールでは、四賀でとれたマツタケをふんだんに使った豪華マツタケご飯、
そのほか、漬物やらおやきやら、自分たちが作った自慢の味をずらりと並べて、
みなさんの帰りを待っています。」
マツタケご飯っ~~~!! それは贅沢です。
そのために頑張れそうですよね。
それに、このあったか~い雰囲気が、
参加者にはたまらないんですね。
それと、みんながリュックにお米を詰めて、
えっさえっさと走って山を登る姿も、
なんとなく微笑ましいです。
四賀地区ならではのマラソン大会。
毎年秋、マツタケのシーズンに合わせて開催されます。
今年は10月22日(土)。
ぜひぜひ、挑戦してみて下さい!!
善光寺では、千年がわずか10日になっちゃう夜がある?
2016年10月11日
千日が10日になっちゃう??時空を超えたようなお話し。えー本当に??
一体どういうことなのか?これは!善光寺さんに行ってお話し聞いてみないと!
早速お話し聞いてきました。お忙しい中お話ししてくださったのは。
善光寺 庶務部長 若麻績 秋嘉(わかおみ しゅうか)さんです。
善光寺本堂では、1年を通して多くの法要が営まれます。
そのうちの一つに数えられる「十夜会」夜に行われる珍しい法要でもあります。
善光寺だけでなく様々なお寺で営まれます。呼び方も様々ですが主に。「十夜会」(じゅやえ)。
お十夜といわれ阿弥陀様のお念仏の尊さを知って感謝の気持ちを込め仏様のお名前を唱える。こういった法要なんです。
この法要が10日間十夜続くことから「十夜会」と呼ばれています。善光寺では、10月5日から14日10日間。
浄土宗の「十夜会」。11月5日から14日まで天台宗の「十夜会」が営まれます。
お寺によっては10日間でなく、5日・3日・1日などもあるようですが。
基本は10日間。善光寺さんでは2回ありますので!20日間20夜となりますね。
この世での十日十夜(とうかとや)の善行は、仏様のもとでの千年の善行にも勝るという
「仏説無量寿経」(ぶっせつむりょうじゅきょう)の教えを実践する。
これが!「十夜会」お十夜の法要なんですね。ですから!千年の善行が10日十夜の善行になっちゃう。
千年が10日。になっちゃいました。あはは。
昨今の事情を汲んで!修行とも違いますから・・・。こういった「十夜会」に
参加しようという気持ちここを大切にして善光寺さんに参拝していただきたいということです。
今夜も開かれます。浄土宗の「十夜会」ぜひお時間のあるかた参加していただきたい。
10月14日までが浄土宗。
11月5日から14日までが天台宗のお十夜です。
時間はともに19時から。
調査員 竹井純子
一体どういうことなのか?これは!善光寺さんに行ってお話し聞いてみないと!
早速お話し聞いてきました。お忙しい中お話ししてくださったのは。
善光寺 庶務部長 若麻績 秋嘉(わかおみ しゅうか)さんです。
善光寺本堂では、1年を通して多くの法要が営まれます。
そのうちの一つに数えられる「十夜会」夜に行われる珍しい法要でもあります。
善光寺だけでなく様々なお寺で営まれます。呼び方も様々ですが主に。「十夜会」(じゅやえ)。
お十夜といわれ阿弥陀様のお念仏の尊さを知って感謝の気持ちを込め仏様のお名前を唱える。こういった法要なんです。
この法要が10日間十夜続くことから「十夜会」と呼ばれています。善光寺では、10月5日から14日10日間。
浄土宗の「十夜会」。11月5日から14日まで天台宗の「十夜会」が営まれます。
お寺によっては10日間でなく、5日・3日・1日などもあるようですが。
基本は10日間。善光寺さんでは2回ありますので!20日間20夜となりますね。
この世での十日十夜(とうかとや)の善行は、仏様のもとでの千年の善行にも勝るという
「仏説無量寿経」(ぶっせつむりょうじゅきょう)の教えを実践する。
これが!「十夜会」お十夜の法要なんですね。ですから!千年の善行が10日十夜の善行になっちゃう。
千年が10日。になっちゃいました。あはは。
昨今の事情を汲んで!修行とも違いますから・・・。こういった「十夜会」に
参加しようという気持ちここを大切にして善光寺さんに参拝していただきたいということです。
今夜も開かれます。浄土宗の「十夜会」ぜひお時間のあるかた参加していただきたい。
10月14日までが浄土宗。
11月5日から14日までが天台宗のお十夜です。
時間はともに19時から。
調査員 竹井純子
須坂市では!年に2回愛の形が見えるらしい??
2016年10月11日
愛の形とは?皆さんそれぞれの愛の形があると思いますが・・・。
須坂市でみられる愛の形とは??
お話は須坂市観光協会 岡田智美さんです。
愛の形が見られる場所は、須坂市にあります。アートパーク内。
さらに!年に2回のうち1回は!先日。9月22日秋分の日(しゅうぶんのひ)時間もおよそ1時間。
11:30から12:30まで。気になる愛の形の正体は!!
須坂市アートパーク内にあります。モニュメント!にハートの形がまさに!!
愛の形がみられる。それも!!秋分の日と春分の日の年に2回だけ。時間がずれると!
ハートの形が斜めに!たった1日でも歪んでしまうと。愛の形は繊細です。このモニュメントができたことによって
!アートパークは恋人の聖地に認定されたそうです。
さあ。気になる2回のうちの一回。9月22日秋分の日当日は??
愛の形ハートはみえたのでしょうか?
年に2回しか見られないけど!雨が降ったらみられませんから!!残念。

愛の形には、太陽の存在が大切なんです。
見られなかった!で調査終了。そうはいかないので!
結婚12年は絹婚式。絹のようなきめ細やかな愛情を表すそうです。
須坂市は製糸業が盛んでした。まさに!絹の里ということで。

12年目のご夫婦がお互いに日々の感謝の気持ちを言葉に愛のメッセージを送りあっちゃいました。

12年だからこそ!!の思いがあるのかな??凄く感動的でした。

旦那さんの言葉が短い気がややしましたけど!
これまでも。これからもお幸せに。

調査員 竹井純子
須坂市でみられる愛の形とは??
お話は須坂市観光協会 岡田智美さんです。
愛の形が見られる場所は、須坂市にあります。アートパーク内。
さらに!年に2回のうち1回は!先日。9月22日秋分の日(しゅうぶんのひ)時間もおよそ1時間。
11:30から12:30まで。気になる愛の形の正体は!!
須坂市アートパーク内にあります。モニュメント!にハートの形がまさに!!
愛の形がみられる。それも!!秋分の日と春分の日の年に2回だけ。時間がずれると!
ハートの形が斜めに!たった1日でも歪んでしまうと。愛の形は繊細です。このモニュメントができたことによって
!アートパークは恋人の聖地に認定されたそうです。
さあ。気になる2回のうちの一回。9月22日秋分の日当日は??
愛の形ハートはみえたのでしょうか?
年に2回しか見られないけど!雨が降ったらみられませんから!!残念。

愛の形には、太陽の存在が大切なんです。
見られなかった!で調査終了。そうはいかないので!
結婚12年は絹婚式。絹のようなきめ細やかな愛情を表すそうです。
須坂市は製糸業が盛んでした。まさに!絹の里ということで。

12年目のご夫婦がお互いに日々の感謝の気持ちを言葉に愛のメッセージを送りあっちゃいました。

12年だからこそ!!の思いがあるのかな??凄く感動的でした。

旦那さんの言葉が短い気がややしましたけど!
これまでも。これからもお幸せに。

調査員 竹井純子