「南信州に昔からあるアレとコレがコラボしたら、新しいものが生まれたらしい!」

今日は、それとそれが一緒になったの?

とその発想力に驚く、新商品を調査してきました。

 

その、「あれとこれ」とはなんなのか?

 

それは、泰阜村が、かつては日本有数の産地であった、ある作物と

ほとんど長野県でしか作られていない食べ物とのコラボ

 

私がお邪魔したのは、泰阜村にあります、ポタジェやすおか

ご主人の長尾透さん、奥さんの有希子さんにお話伺いました。

 

かつて日本有数の生産量を誇った、その食べ物とは?

 

それは、こんにゃく芋。

泰阜村はかつて、全国的にも有名なこんにゃく芋の産地でした。

 

全国こんにゃく協会の会長を泰阜村の人が務めていたこともあるほど、有名だったそうです。

 

これともう一つ、何をコラボさせたのでしょうか?

 

それは、長野県が誇る、凍り豆腐、高野豆腐とも言いますが

これが、こんにゃくとドッキングしてしまったということなんです。

 

でも、イメージしてください、四角いこんにゃくと四角い高野豆腐

どうやってドッキングするのか?

 

コラボしたのは、ただの高野豆腐じゃないんですよね〜

南信州でしか作られていない、あの食材!

調査隊フリークの方ならわかるでしょう!

 

わかりました?

 

それは「粉豆腐」

 

飯田市の信濃雪さんとのコラボで、

雪豆腐と名付けられた粉豆腐を使っているそうなんですが

 

この開発にはやはり、試行錯誤を繰り返したそうです。

 

まず、その配合比率が一番難しかったそうなんです。

本当に何度も何度も繰り返し作り続けて製品になりました。

 

でも、一番最初に試作した時点で、ものすごく美味しかったそうなんです。

それでもういけると思って作られたそうです。



一見したらこんにゃくに見えなくないですか?

高級感もあって、高級料亭の一品みたいにみえませんか?

 

こんにゃくの中でフワフワ浮いているように見える粉豆腐の感じが

あわ雪のようだったので、奥さんが「あわ雪こんにゃく」と名付けたそうです。

 

実は、昨日、そのこんにゃくを地元のスーパーに買いに行ったら

レジの方が、「これ美味しいですよね〜」

って話しかけてくれたんです。

普段行くスーパーじゃないのに・・・

 

本当に美味しいと思ってると、人に喋りたくなるじゃないですか、そんな感じで!

 

ぜひ召し上がってみてほしいこの食感と味わい。

私もスーパーのレジの方と同じ気持ちです。

 

このおいしさにリピーターになりそうな 西村容子 でした。

 

 

「復活!天竜舟下りで復元されようとしているその舟とは?Part2」

南信州に春の訪れを知らせる音。

 

年に一度、寒いこの時期に作られる天龍舟下りの舟。

板と板をくっつけるために打ち込まれる、特殊な金具を打ち込む時の音。

 

音楽を奏でるような美しい響きです。

 

先週は、50年ぶりに復活する「つなぎ舟」を調査しましたが、今回はその続きをおとどけします。

 

まずは、今の舟はどのように作られているのか?

 

この文化と技術を、中心になって引き継ごうとしている

信南交通の天龍舟下り 船頭で、船大工の南島純さんにお話伺いました。



設計図も何もない舟作り

実は自然の木相手の為、一艘一艘形が微妙に違い、流れやすい舟や流れにくい舟もあるとか・・・

 

技術の進歩はあって、今は、水が入ってこないように仕上がった後

舟の側面に樹脂を塗っているんだそうです。(良くみるとピカピカしている)

そこは大きな違いで、そんなものはない当時の舟は、出港前に、

まさに舟の世話をしてから出ないと、お客さんを乗せられなかったそうです。

 

乾いて木と木の間に隙間ができると、それを専用の薄い木材で埋め込み補修

 

乗る船の補修に加えて

列車で運ばれる「つなぎ舟」

半分とはいえども、分厚い木で作られた大きな舟

一艘に大人が28人乗れるっていえばその大きさ想像できますか?

 

その舟を列車に乗せなくてはなりません。

今はクレーンであげてトラックに載せますが

当時はどうやって列車に乗せたのか?

想像して見てください。

 

当時の終点である天竜峡は、渓谷美を楽しむ場所

ということは、川までは断崖絶壁。

今でもからりの坂を下って船着き場まで行きます。

 

さあ!それをどうやって運んだか?

 

そして市田に列車で着いた舟も、駅から市田港までは歩いたら6〜7分かかる距離

 

田切さんによると

川からは、手巻きウィンチ(つりのリールを大きくしたみたなもの)でスロープが作られている所を引き上げる。

市田駅からは荷車に乗せて・・・

いったい何人で引っ張ってきたんでしょう?

想像するだけでもすごい作業です。

これを、1日何回も繰り返す。

当時は、市田駅から観光客の列ができたと言いますから

運行も、今より多かったかもしれませんよね

 

そんな田切さんの話を、ノート片手に嬉しそうに聞く南島さん。

 

そのノートには、今回の復活の作業の事が、事細かに書かれていました。

 

何ページにも渡って書かれたこのノート

初めて残される、和船の設計図(設計説明書?)になるのかもしれませんね。

 

50年ぶりに復活する「つなぎ舟」

2/22には完成する予定で

3月の22日に行われる川開き祭で、浸水式が行われるそうです

 

当時、出航ごとに行われていた、二つの船をジョイントする様子なども見られるといいですね。

田切さんが、その舟が川に浮かぶ様子をどんなお気持ちでご覧になるのか・・・

 

今回は文化が受け継がれていく姿を見られたとっても素敵な調査でした。

 

やっぱり伊那谷の文化はいいね~と思う 西村容子 でした。

「復活!天竜舟下りで復元されようとしているその舟とは?」

天龍舟下りで復活させようというこの舟。

造船所で私が目にしたのは、

これ、普通の舟とちょっと形が違う・・

という感じの舟でした。

 

復活させようとしているこの舟が、どんな舟なのか?

早速、信南交通の南島純さんに伺ってみると・・・

 

その舟は50年ほど前まで、舟下りで使われていた舟だとか。

そして、当時の運搬方法と関係があるらしい・・・

 

今は川を下った舟は、トラックで運ばれますが、

当時は、列車で運ばれていたそうです。

でも今の舟を見ると、大人28人が乗れる舟

とっても大きいんです。

 

こなままだと、列車には乗せられない。

ということで、当時の舟は・・・

よ~~~く見てください!



なんか、変じゃない?

 

分かります?

 

よく見て!

舟が半分しかない

 

そうなんです。

舟の半分を切ったように、半分だけの舟が二つ作られていて

当時は、その舟を、川に浮かべて、ボルトで繋いで、一艘の舟にして舟下りをしていたそうです。

毎回毎回、繋いで離してを繰り返すから「つなぎ舟」

 

実はこの「つなぎ舟」の復活は、「天竜川和船文化保存会」行っているもので

和船というのは多くがそうなんだそうですが、設計図がありません。

その時その時の木の性質に合わせて作られるので、一つとして同じサイズの舟はなそうなんです。

みんな、お師匠さんから、体でその技術を覚え、感や感覚を頼りに作ってきたそうです。

 

実は、このつなぎ舟も、あるのは写真だけ。

それを頼りに、復活させようとしているのです。

 

でも、幸い今回は強い味方がいらっしゃるのです。

この方がいてくれる今、作らなければ復活は、もっと困難になっていたかもしれません。

その方のお名前は、田切文夫さん。

 

その田切さんは、15歳で舟下りの船頭として入社、初めて乗った舟が「つなぎ舟」で、3年ほど乗っていたんだそうです。

 

つまり、田切さんは、今、唯一の、つなぎ舟の体験者。

田切さんに実際の船の様子を聞きながら復活させているそうです。

 

感を頼りに、人の手だけを使って作られる、天龍舟下りの舟ですが

そうは言っても、いろんな技術が昔より発達しているぶん

今の舟造りと、当時を比べると、だいぶ違うところもあるそうで、南島さんは収穫がいっぱいだと言います。

 

27日まで、「つなぎ舟」の制作の様子を見られる見学会をやっていて

遠くからも、この音と様子を見に多くの人が訪れていたそうですが

その方々が口々に語る、この音や、舟造りとの思い出。

船を作ることは、南信州の文化の継承なんですが

それだけでなく、多くの皆さんの思い出をつなぎ、

先日も、保育園生が見にきてくれたみたいなんですが、

この子たちも、あ〜なんかこの音懐かしいって未来の誰かの思い出も繋いでいくことになる。

 

そんなことを感じながら、毎日、作業を続けているんだそうです。

 

なんかいいな~~と思ってしまいました。

 

来週は、舟造りにかける思いや、「つなぎ舟」がどのように乗られていたのか

もう少し詳しくお届けします。

 

え~~話や~って思って調査を楽しんだ 西村容子でした。

「辰野町に街をデザインしちゃう人がいるらしい!どんなデザイン?」

辰野町に、街をデザインする人がいらっしゃるという噂を聞いて
早速、調査に出かけてきました。

お邪魔したのは、辰野の商店街

辰野の商店街って、レトロな雰囲気を持つ建物が比較的残っていて
独特な雰囲気があるんです。
でもちょっと寂しい感じも・・・

でもでも、最近この商店街がなんとなく変わってきている感じなんです。
何かがこの商店街で起こっている。
それは何か?調査してきました。

お邪魔したのは、辰野の商店街。
早速その拠点を訪ねてみることにしました。

(ごめんなさい。どうしても縦にできなくて・・・でも雰囲気だけでも・・・)



この建物3階建ての大正ロマンあふれるレトロな建物なんですが

中は、赤羽さんが1年半かけてリノベーションしたもの。

 

そこにいらっしゃったのはこのお2人



辰野町の一般社団法人「○と編集者」の代表理事 赤羽孝太さんと

理事でコミュニティープランナーの山下実紗(みさ)さん

 

バックに映り込んでいる素敵な空間いい感じですよね。

 

ここを拠点に、どんな風にデザインしているのか?

 

山下さんの、ちょっと不思議な人ですという言葉に誘われてお話を聞くことになった赤羽さん

「デザインするって?」の質問に

正確に言うと「街で遊ぶ人」ですという赤羽さん。

 

いろんな人が、楽しいと思える場所を作る

というのが一つの目的。

 

その場所として選んだのが、辰野町の商店街。

赤羽さんは辰野出身

この商店街は、子供の頃とっても楽しい場所だった。

でも帰ってきてみると、昔とちょっと違う。

 

そこで、あの時の楽しさをもう一度!

 

そして、この隙間だらけになっていしまったこの場所にはチャンスがあると思ったそうなんです。

赤羽さんは、この商店街を「宝の山」ともおっしゃっていたんですよね。

 

実際、私のお邪魔したオフィス、3階建てのそれほど狭くもないスペースでした

そこの家賃が・・・

いくらだと思います?

 

月1万円なんだそうです。

1年半かけて自分でリノベーションしたそうなんですが

とってもあったか味のあるいい場所でした。

 

このように、リスクが少なく自分のやりたいことができる

チャンスのある場所。

 

そんな風に、この商店街の可能性を感じた人たちが、少しづつ集まり始めていて

3年くらい前から赤羽さんがやっている

「商店街の町歩き」

といって、街をぶらぶらと歩いて、出会った人と話し、空き家を覗いたり

みんなで喋りながら楽しい時間を過ごしているうちに

ここで商売してみたくなって始めている人がすでに3組

 

新たの商売を始めたお店の横はシャッターが降りていたり、

全部の店が賑わう商店街ではなくても

点々と、面白い店がある、そこに行きたい!と思わせる店がある

飛び地のような商店街「トビチ商店街」と名付けて、楽しんでいるそうです。

 

そして、去年の12月、「トビチマーケット」という素敵なイベントを開催しました。

https://tobichi.jp/ (←詳しくはこちら)



 

そのテーマがまたすごい!!!

 

10年後から1日ちょっとお借りします。

 

「10年後の日常を1日だけ過ごせる日」ということで、辰野の商店街に4000人もの人が集まりました。

 

赤羽さんはこのイベントを通して

「みんなの共通言語ができた」っておっしゃっっていました。。

 

「10年後の辰野の街ってこんな風になっていたらいいね」

 

って、みんなで共通の未来を想像できたら、未来は確実に現実のものになっていく

そんな感じがする調査でした。

 

お話を伺っているうちになぜかワクワクしてしまった 西村容子 でした♡


珍しい○○落としを調査に行ったら、一大イベントが行われていた!in 原村

写真をアップします

◇ 現代の巾着袋がロープにつるされています



 

◇照明に照らされる巾着袋



 

◇厄投げのステージはウイング型のトラック



 

◇ステージオープン



 

◇雨あられと降ってきます!



諏訪担当:土橋 桂子

「オリンピックイヤー開幕!天龍村で行われている壮大なプロジェクトとは!?」

今年最初の木曜日の噂の調査隊は

いよいよ開幕した、オリンピックイヤーにふさわしい噂を調査してきました。

 

もう、今回は、この天龍村の温かさに私自身が感動してしまう素敵な噂でした。

 

実は、2年ほど前から天龍村で取り組まれている活動なんですが

それが、村を動かし、いまでは本当に素敵な大きなプロジェクトへと発展して

数々の賞まで受賞しているという活動

 

その活動が生まれたのは、なんと天龍中学校

子供達の思いが、村を動かしているのです。

 

そのプロジェクトの名前は「天龍村ハンガープロジェクト 」

 

今、高校1年生になる、天龍中学校の生徒さんが、技術の授業でハンガーを作っている時、

その頃、オリンピックの施設に天龍村の木材が使われることが決まり

そのプレゼンにも、村長さんと一緒にいった経験もあったため、オリンピックというものが近く感じられるようになっていた生徒さんたちが

村を元気にしたい!天龍村をもっと多くの人に知ってもらいたい

という思いで、2020本のハンガーを作り、アスリートにとだけたいと地道に作り始めました。

 

その時、そんなの無理だと大人が突っぱねてしまえばそれで終わり。

 

でも天龍村の大人たちはそうではなかった

 

校長先生は、これを達成した先にある素晴らしい生徒たちの心の未来を想像し

やらせてあげたいという思いで、村に相談。

村のそれを快諾し、このプロジェクトが立ち上がりました。

 

すると、村の議員さんから大工さん、老若男女問わず多くの人たちが

下は6歳から上は80歳代まで、月に1〜2回、学校の技術室で行われる製作会に来て、手伝ってくれるようになったんです。



学校まで来られないデイサービスのおじいちゃんおばあちゃんたちも

「オリンピックに参加しているようで嬉しい」といって

デイサービスの方で、ハンガーのヤスリかけを手伝ってくれたりしています。



 

こうしてコツコツ作り続けた結果、12月末の段階で後150本を切るまでになっているんです。



でも、これをさらに、アスリートの元に届けるという目的も果たさなくてはいけません。

 

一番最初に全校で出かけて渡したの、レスリングの吉田沙保里選手。

直接手渡した時は、ずっと夢を描いて作り続けてきた思いが叶った喜びで

多くの生徒さんの忘れられない思い出になっているようでした。

 

こうしたアスリートへの道筋を作ってくれているのも

やはり、子供達の夢を果たさせてあげたいという思いで動いてくれる大人たち。

特に永嶺村長さんは、そのルートを積極的に作り、いろんなアスリートにハンガーを届けてくれました。

 

先輩の意志を継いで、いま活動している天竜中学校の生徒さんたちも

新たな取り組みとして、自分たちで送りたいアスリートを話し合って決めて

自分たちから手紙を書き、その思いを伝えてハンガーを届ける

という取り組みもしています。

例えば、御嶽海さんだったり、大坂なおみ選手だったり…

でもこれは、直接本人のところへ届けるのはそう簡単ではなく、でも、諦めず思いを届け続けているようでした。

 

こうした地道な取り組みは、多くの大人の心を打ち

「長野県ふるさとの森林づくり賞」や

「ボランティア・スピリッツ・アワード 北関東・信越ブロック賞」を受賞し、

全国表彰式に招待されるなど数々の賞を受賞することができています。

 

自分の村の木がオリンピックに使われることが決まり

オリンピックが手の届かない遠くにあるものでもないことを感じ

自分たちにも何かできないかと思いつき

天龍村で取れた木材でハンガーを作り、アスリートに送りたいと思い夢を描き

その夢を、村の大人たちが真剣に一緒になって叶えようとしてくれる村

 

こんな村って他にあるのかな〜

と思うほど、調査をしていて感動の連続でした。

 

そしてこの活動が

様々な人の心の中に、様々な素晴らしい贈り物を届けてくれているようでした。

 

それは「つながり」というもの。

 

アスリートとのつながりばかりでなく、お手伝いに来てくれる村人同士のつながり

いろんなつながりをこのプロジェクトは作ってくれました。

 

2020本全部をアスリートに届け切るためには、まだまだ時間がかかることでしょう。

オリンピック開催まであと7ヶ月

それまでに届け切れるといいですね。応援し続けたいと思います。



このラジオをお聴きになって、アスリートの皆さんに繋がる道をご存知の方がいらしたら

ぜひ、天龍中学校まで、ご連絡をしていただきたいと思います。

 

本当に、オリンピックイヤーの幕開けにふさわしい、素敵な噂を調査しお伝えできたことが、

私自身、幸せ気分にさせてくれました。

 

天龍村の温かさに感動をもらった 西村容子でした。

高ボッチの頂上に、塚原の名が刻まれているらしい。

高ボッチ高原。

この展望台がある駐車場に車をとめて、



さらに山を登って行くと・・・

ここが山頂。



石碑がありました。



側面に名前。



もっと近づくと



これ・・・!!この並びは・・・。。。。

東京丸の内で、南信州の特産品のアレが、クリスマスツリーになっちゃったらしい!

12月に入って、クリスマス気分も盛り上がっていることと思いますが

今日は、とっても美しいクリスマスツリーを調査してきました。

場所は、東京丸の内

東京でも、毎年クリスマスツリーが話題となるある場所で

南信州の特産品が、クリスマスツリーになっちゃったということなんです。

その場所、というのが東京駅から徒歩1分

赤レンガで有名な東京ステーションホテルの目の前、「KITTE」というビルの1階

多くの人が行き交う中、入口を入るとすぐに見えてきました、光り輝く大きなツリーがエントランスホールの真ん中に!!!

さあ!このツリーは何でできているのでしょう?

調査に出かけた日も、そのツリーの周りには大勢の人が訪れていて

毎年見に来るんだけど・・・という方が多いこと多いこと

さらに、今年のツリーが今までと全然違うのに、ちょっとした戸惑いと期待を持って見ているのが感じ取れました。

これまでは、大きなもみの木に飾り付けられた定番のクリスマスツリー

でも今年のツリーは、もみの木がありません。

目の前に展開されているツリーは、木も何もない、あるのは天井から吊るされた無数の丸い物体

一体これは何で作られているのか?

このKITTEでのイベントの担当者 竹内奈穂さんにお話伺いました。

その正体はこちら!

水引のクリスマスツリー

会場には、大小様々な水引で作られた球体のオブジェが天井から1000個以上つるさげられ、高さ16mの大きなツリーが作られていました。

その一つ一つに入れられたLEDの灯りと、そこに差し込む様々な光の演出で、繰り広げられるクリスマスツリー

この今まで見たこともないようなクリスマスツリーを手がけたのは飯田市の木下水引さん

大手広告代理店さんと組んでのプレゼンだったそうですが

日本独自の素材であるという事、その素材で洋のものを演出、その日本らしさが注目を集めているようです。

11/20から始まったこのイベントでは

毎日、夕方5:10から30分おきに6パターンの音楽に合わせた、

イルミネーションプログラムの演出が行われています。

時間になるとツリーの周りに多くに人が集まり、みなさんスマホ片手に、その演出を楽しんでいらっしゃいました。

この球体で何かを演出するということは、これまでやったことがなかったわけではないようなんですが

その中に、LEDのライトを入れるというのには苦労したそうで、そのライトがなるべく見えないように、でも、その光はきちんと出せるように、会場には使われている1000個の水引のボールのような球体が、展示されていたんですが

いい具合に隙間が空いていて、デザイン的にもおしゃれ、そのままリビングに飾っておいても素敵というようなデザインでした。

でも、大小様々ではあるんですが均一のものを作り上げるのは本当に大変だったそうで、熟練の技術をさらに磨いて作り上げていったそうです。

水引は機械で結ぶことができないので、全て手作業。

その全てが手作業で、このツリーが作られていると思うとさらに感動が深まります。

さらにこのクリスマスツリー

ツリーの真下に入って見上げることもでき、その姿は、今までのツリーでは見ることのできないとっても素敵な世界。


日本独自の素材であるという水引の良さは、これから、現代の文化と融合して、さらなる発展を遂げていくだろうと思います。

オリンピックを控えているからこそ、日本らしいもので、おもてなしをする素晴らしさ、もっともっと水引で今までにない新しい文化を作って私たちをワクワクさせて欲しいです。


「またまたロックフェス?今度は鍋だよ!」

今日はちょっと変わったロックフェスを調査してきましたよ!

南信州では、ただのロックフェスじゃない、とてもロックフェスとは結びつかなそうなものがコラボしたロックフェスがあります。

「焼肉ロックフェス」

名前だけで、注目集めちゃいそうなロックフェスなんですが

名前だけ聞いたら、それに負けず劣らずのロックフェスが

来週の日曜日12/15に飯田市で行われます。

一体どんなロックフェスなのか?調査してきました。

その舞台は、飯田女子短期大学。

鍋のロックフェスであることには違いないんですが

その鍋が、そんじょそこらで食べられる鍋ではないんです。

以前この番組の中で、調査したことがある、ある鍋のロックフェスなんです。

私がお邪魔した場所には、キラキラ輝く女の子たちがいっぱいでした。

その子たちがこの鍋を盛り上げるみなさん、どんな皆さんなのか?

そして、そのロックフェスとは?伺ってみました。

このロックフェスの鍋を盛り上げているのは、飯田女子短大、下伊那農業高校、飯田女子高校の三校の皆さん。

その三校の生徒さんが、作る鍋は・・・

「吉鍋」

題して「吉鍋ロックフェス」

「吉鍋」というのは

あの演歌歌手の吉幾三さんがやっていた鍋で、その鍋の中身に野沢菜漬けと高野豆腐が入っていることで、野沢菜漬けの生産量県内一の南信地域と、高野豆腐の産地でもある南信州、その特産品が使われているということで、地元の漬物業者の方が、吉幾三さんの許可を得て「吉鍋」と銘打ってご当地鍋にしようと動き出したのが始まり。

私が、調査した頃は、内臓好きの南信州人が大好きなモツを入れて、信州味噌で仕上げる

というものだったんですが、多くの皆さんに浸透していくうちに

野沢菜と、高野豆腐を味噌味でというのが吉鍋の定義としてこのロックフェスでは取り入れられたようです。

ではそもそも、この吉鍋ロックフェスとはどんなロックフェスなのか?

このロックフェスを主催する、飯田女子短期大学の奥井現理先生にお話伺いました。

実は、このロックフェス、各校の鍋のバトルが展開されます。

さらに、各校の軽音楽部のバトルもあって、それぞれに投票することができます。

つまり、飯田女子短大、下伊那農業高校、飯田女子高校の三校のオリジナル鍋を、音楽を聴きながら食べ比べ、美味しいバトルをするということなんです。

しかも、バンドの方は、下伊那地域にある高校のほとんどの軽音部に声がけをし、各高校の軽音部の音楽バトルも展開するという企画

なぜか、軽音と鍋の相性がいいらしく、今回で4回目になるんですが、毎回大好評なんだそうです。


これまで考案された鍋をご紹介しましょう。

まず、みそミルク吉鍋、もち入りキムチーズ吉鍋、下農版 洋風トマトジュース豆乳吉鍋

短大さんは、短大と旭松さんで考案した、「カミンこうや」という、かみごたえのある硬めの高野豆腐を使うのが特徴。

下農さんは、自分たちで作ったトマトジュースを使っているという

このバトルでしか食べられない味わいが希少価値を高めています。

他にも、南信州キムチ吉鍋、みそ豆乳吉鍋、豆乳吉鍋トマトピューレ添えと、ちょっと興味をそそられる鍋ばかり

そして気になるのは、今年の鍋。

まず、女子短の皆さんは、カレー味の吉鍋に挑戦するそうです。

初めての組み合わせなので、野沢菜とカレーが合うかどうかがが心配だったそうですが

これが、とっても美味しかったです。

塩抜きした野沢菜を使って、程よく漬物の味が残った野沢菜と、味噌としょう油をベースにした和風カレーの味がお上品にベストマッチング!

ここでしか食べられない、美味しい鍋をいただくことができます。

下伊那農業高校さんの鍋は、学校で栽培したお茶を使ってうどんを作り、それを和風だしの吉鍋に入れた鍋。

お茶の味は抑えて、香りを楽しめるように作られたうどんが、吉鍋とどんなコラボレーションを見せてくれるのか、とっても興味深い。

飯田女子高校さんの鍋は、シークレット!来てからのお楽しみ!ということで、本当に、いろんな楽しみ方ができそうです。

12/15(日) 飯田女子短期大学の食堂で行われます 

ロックフェスは10:30から始まって、鍋の提供は13:00〜

入場も、試食も無料ということですので、お気軽にお出かけください。

全種類食べたら、お気に入りの鍋のところに、割り箸を入れるのをお忘れなく!

寒くなって来たし、鍋食べたくなっちゃいますね。

今回は、いただいた鍋があまりにおいしすぎて、写真を取るのを忘れてしまいました(汗)

是非是非行って、いただいてみて下さい。

 女の子たちの吉鍋に、興味津々になってしまった 西村容子 でした。


「え?それで作られた自転車ってあるの?Part2」

「それで作られた」の「それ」っていうのは「木」だったんですが

その木の自転車を作っている

Atelier kinopio(アトリエ キノピオ)の安田マサテルさんは、調査してみたら、ただの自転車職人ではなかった事が判明!

さらに調査することにしました。

その安田さんが作る「木の自転車」がこちら!

写真が下手くそでごめんなさい(汗)

なんともスタイリッシュでしょ!

木の部分をよく見るととってもきれい!

安田さんは「バームクーヘンみたいでしょ」と言ってましたけど・・・

さあ!その安田さんがただの自転車職人ではない所以とは・・・

実は安田さん


自転車職人である前に、美大出のアーティストさんだったんです。

ですから、安田さんの作る自転車は、単なる自転車ではなく芸術作品なんです

現に、私が見せていただいた木の自転車は、芸術作品として、賞まで取っていました。

先週ご紹介したように、安田さんはイタリアで10年自転車の修行をしていました。

その経験によって、今、安田さんならではの自転車を作ることができているんだそうです。

イタリアンテイストを自転車に吹き込めるには、自分がトップだ!

と自信を持って言うほど・・・


「美」の表し方が、日本とイタリアでは全然違うそうで

イタリアンの美にこだわる感性が、木の自転車に吹き込まれている感じ。

なんんと「魔法」までかけられちゃうそうですよwwwww


全てがオーダーメイドの安田さんの自転車


まず一番最初の打ち合わせに必ず持っていくものがあるんです。

それはメジャー

安田さん曰く「オーダーメイドのシャツを作る感覚」

人それぞれに違う、手の長さや足の長さに合わせて、自転車を作るんです。


安田さんの自転車は、まず木を切るところから始まって、乾かずのに2〜3年

材料が揃ってからも、全て手作りでコツコツと3ヶ月よりもうちょっとかかってやっと完成します。

以前は、「おばあちゃんの家の大黒柱で作ってくれ」という発注があり

古くて弱った木を支えるために強い木で挟み仕上げていく集成材を作り

一台一台、要望に合わせて使う木の種類も手作りする集成材の構成も全部違うんだそうです。


今年から販売を始めて、一番最初に売れたのは

なんと、アメリカ カルフォルニア州サクラメントの女性のお客さん

3月にショーに持っていた自転車がどうしても欲しいということでそのまま販売

その他、長野、埼玉、鳥取と全国に少しづつ広まっているそうです。


この自転車作りのために箕輪町に移住してきた安田さん

木の自転車が似合う場所でいいですね〜とお話しすると

「実はこの自転車、都会の方が会うんだよ!」と。

無機質な高層ビルの中をこの木の自転車が走るとすっごく目立つんだそうです


どんなシーンでもピッタリくる、世界にたった一台の自転車たちを、これからも作り続けてくれるんでしょうね


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日替わり調査員

月曜日 根本 豊 東信担当

寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」に所属していた演劇人。
福島出身で標準アクセントがいまだに身につかない。無類の酒好き。

火曜日 竹井 純子 北信担当

SBCのラジオカーレポーターを経て、調査隊員に。
中野市出身、豪快な笑い方が特徴。愛用の手提げバッグのデザインが下品と評判。

水曜日 塚原 正子 中信担当

ロック好き。電話するとだいたいエレベーターに乗っている。謎多き女性。
松本市出身。中学・高校のあだ名は「かっぺ」。

木曜日 西村 容子 南信担当

元民放テレビ局のアナウンサー。3人の子どもを育てながら、おもしろいネタがないかとアンテナを張りめぐらしている。への字まゆげがチャームポイント。飯田市出身。

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