塩尻市に、無数のお椀がぶら下がっている祠(ほこら)があるらしい。
2018年02月14日
無数のお椀がぶら下がっている祠・・・。
どういうことなんでしょうか。
行ってみました。
塩尻市大門。大門商店街の大通りの一本南側の通り。
今はとても静かな通りなんですが、実はこっちの方が昔からある街道。中山道だったんです。
その街道沿い、大門神社のすぐ近くに、その祠がありました。

鳥居があって、その先に、高さ1.5メートルほどの祠。
中をのぞいてみると・・・


お椀!!
素焼きのものもあるし、赤や青に塗ってあるものもあります。
どれもほぼ同じ形、大きさで、底に穴をあけて糸を通して、重ねて吊るしてあるます。
ざっと1000個ぐらいあるかな。
無数のお椀です。
・・・。
・・・。
なにこれ。
近所の方に聞いてみました。
「これはね、耳塚様っていうんですよ。
素焼きのお椀が耳の形に似ていることから、
穴をあけて奉納すると聞こえがよくなる、っていう言い伝えがあって、
これだけ多くの参拝者がお参りした、ということですね。」
とは、耳塚のすぐ近くにお住まいの高砂昭さん。
でもなぜここに、耳の神様? それに塚ってどういうことでしょう?
「今から470年前。時は戦国時代。
まだ松本城はなくて、今の里山辺のあたりに林城という山城がありました。
ここを本拠地にしてこの辺りをおさめていたのが小笠原長時です。
1548年、甲斐の武田信玄の軍が攻めてきます。
そして小笠原と武田が、塩尻峠で戦うんです。
塩尻峠の合戦。この戦いで、小笠原軍は1000人が戦死して敗退したと言われています。
この時亡くなった兵士の耳。
切り落とされた耳が野ざらしにされていたんです。
この土地の人がそれを見つけて哀れに思って、ここに葬ったんです。
長い間野ざらしの塚だったんですが、それもあんまりじゃないかということで、
明治29年に、この土地の人が祠を建てた。
それで近所の人たちで管理してきたんです。」
かつては10軒近い家で管理していたそうです。
秋にはお祭りも行い、みんなで句を詠んで奉納していたそう。
高砂さんのお家にあるその貴重な資料を見せていただきました。


高砂さんのお家は よろずや というお店をやっていたそうで、
ここで耳塚に奉納する素焼きのお椀も売っていたそうです。
「昔はそのくらい大勢参拝客が来た、ということですよね。
今は私共ともう1軒、2軒でひっそりと守っています。
お蔭さまでね、私は耳は健康で、よく聞こえますよ。ありがたいです。」
野ざらしになっていた兵士の耳。
このまま放っておくのはあまりにもかわいそう、
と埋葬して塚にした、土地の人たちの優しい気持ち。
そして、
「自分の耳を大事にしてくれてありがとう。あなたたちの耳は私が守りましょう」
という兵士の気持ち。
そのことを470年間しっかり受け継いてきた高砂さんたちのご努力。
みんなの気持ちが集まっている、小さいけどパワフルな祠だったんですね。
是非一度、お参りに行ってみてください。
大門神社の西側。
街道沿いには、古くて立派なお家が並んでいます。
あたたかくなったら、この辺り、ゆっくり歩いてみると、
いろんな発見がありそうですよ。
松本の調査隊員 塚原でした。
どういうことなんでしょうか。
行ってみました。
塩尻市大門。大門商店街の大通りの一本南側の通り。
今はとても静かな通りなんですが、実はこっちの方が昔からある街道。中山道だったんです。
その街道沿い、大門神社のすぐ近くに、その祠がありました。

鳥居があって、その先に、高さ1.5メートルほどの祠。
中をのぞいてみると・・・


お椀!!
素焼きのものもあるし、赤や青に塗ってあるものもあります。
どれもほぼ同じ形、大きさで、底に穴をあけて糸を通して、重ねて吊るしてあるます。
ざっと1000個ぐらいあるかな。
無数のお椀です。
・・・。
・・・。
なにこれ。
近所の方に聞いてみました。
「これはね、耳塚様っていうんですよ。
素焼きのお椀が耳の形に似ていることから、
穴をあけて奉納すると聞こえがよくなる、っていう言い伝えがあって、
これだけ多くの参拝者がお参りした、ということですね。」
とは、耳塚のすぐ近くにお住まいの高砂昭さん。
でもなぜここに、耳の神様? それに塚ってどういうことでしょう?
「今から470年前。時は戦国時代。
まだ松本城はなくて、今の里山辺のあたりに林城という山城がありました。
ここを本拠地にしてこの辺りをおさめていたのが小笠原長時です。
1548年、甲斐の武田信玄の軍が攻めてきます。
そして小笠原と武田が、塩尻峠で戦うんです。
塩尻峠の合戦。この戦いで、小笠原軍は1000人が戦死して敗退したと言われています。
この時亡くなった兵士の耳。
切り落とされた耳が野ざらしにされていたんです。
この土地の人がそれを見つけて哀れに思って、ここに葬ったんです。
長い間野ざらしの塚だったんですが、それもあんまりじゃないかということで、
明治29年に、この土地の人が祠を建てた。
それで近所の人たちで管理してきたんです。」
かつては10軒近い家で管理していたそうです。
秋にはお祭りも行い、みんなで句を詠んで奉納していたそう。
高砂さんのお家にあるその貴重な資料を見せていただきました。


高砂さんのお家は よろずや というお店をやっていたそうで、
ここで耳塚に奉納する素焼きのお椀も売っていたそうです。
「昔はそのくらい大勢参拝客が来た、ということですよね。
今は私共ともう1軒、2軒でひっそりと守っています。
お蔭さまでね、私は耳は健康で、よく聞こえますよ。ありがたいです。」
野ざらしになっていた兵士の耳。
このまま放っておくのはあまりにもかわいそう、
と埋葬して塚にした、土地の人たちの優しい気持ち。
そして、
「自分の耳を大事にしてくれてありがとう。あなたたちの耳は私が守りましょう」
という兵士の気持ち。
そのことを470年間しっかり受け継いてきた高砂さんたちのご努力。
みんなの気持ちが集まっている、小さいけどパワフルな祠だったんですね。
是非一度、お参りに行ってみてください。
大門神社の西側。
街道沿いには、古くて立派なお家が並んでいます。
あたたかくなったら、この辺り、ゆっくり歩いてみると、
いろんな発見がありそうですよ。
松本の調査隊員 塚原でした。