6/30噂・東信地方の道端に、木彫りの地蔵さんが!?その正体と驚きの御利益は!?

さてみなさん突然ですが、お地蔵様とは一体なんでしょうか。
その存在はどんな意味があるのでしょうか。
「そもそも地蔵様とは、お釈迦如来がお亡くなりになって、
次の弥勒如来が現れるまで56億7千万年という時間がかかるといわれております。
その間この世界の人々を救う如来様が存在しなくなるというのですね。
で、次の如来がこの世界に誕生するまでの間、お地蔵様がこの世界の人々の苦しみを救って下さる」                         
by Wikipedia情報ですが、

ということで、善光寺の6地蔵は有名です。
又土地の守り神、何かの身代わり、亡くなった人を慰める他、様々な意味合いで建立されているそうです。
いずれにしてもただならぬ宗教的存在であることは確かなようです。
といったことをふまえて今回の調査です。

ある日、長野県上小地方事務所環境課の金井和良さんと東御市の千曲川沿いで待ち合わせをしました。
すると、木彫りのお地蔵様が千曲川沿いの道路から川に降りる小道のあたりに立っているのですね。
(写真は金井さんとお地蔵様)


このあたりは一寸陰になっていて粗大ゴミなどを隠れて捨てやすい、
いわゆるポイ捨てや粗大ゴミ不法投棄ポイントなわけです。
そこでこの「ゴミ無し地蔵」を建立したということです。

ではその効果のほどは?とお聞きしたところ
地蔵様の目線効果+付近の方々が地蔵様を大事にしてくれていることから住民の目があってポイ捨てしづらいようで、
「ゴミ無し地蔵」効果は抜群のようです。
これを制作したのは長和町姫木平でペンション「おはようパウロ」を経営している尾上靖忠さんです。
約10年以上前に、地元の長和町で清掃活動している団体の方が、庭で御神輿を木彫りしている尾上さんと出会い、
ゴミ事情をお話しして木彫りの地蔵様を制作してくれるようお願いしたのが始まりだそうです。
(写真は尾上さんと制作中のお地蔵様)


お話が来たとき、最初に浮かんだイメージが尾上さんのペンションでアルバイトをしていた方の子供さんの顔。
5歳ぐらいのその子が、もし不法投棄されているような場所でじっと黙って立っているのを見たら人はどう思うだろうか、というので彫ったのが最初のお地蔵様のお顔だったそうです。
その後の地蔵様の表情は意図はしていないが、目をつぶっていたり笑顔だったり一体一体なぜか違うそうで、何かが自分のノミを動かして彫らせてくれている?と聞いたら苦笑いしてました。そんな神がかったことではないよと軽くあしらわれてしまいましたが、尾上さんは表情が仏様のように柔和な方で、きっとのみをふるう腕には何かが宿っていると密かに確信しています。


地蔵様の材料は、捨てられてしまう近くの林のカラ松間伐材だそうです。
「ゴミ無し地蔵」は、基本的にはゴミが捨てられやすい陰になったところや目立たない場所に設置されていますが、
もし実際にご覧になりたい方のために、表通りで確認しやすい場所を伺いました。
国道254号線沿いの上田市西内地区「鹿教湯温泉」入口ポケットパークと、長和町和田の国道142号新和田トンネル近くにある「名水広場」駐車場です。

「ゴミ無し地蔵」は現在、上田市・東御市に2体づつ、青木村に1体、長和町に9体の計14体設置されています。
 各地のお地蔵様は、頭巾を被せてもらったり、お供え物が置いてあったりと、どの場所も地域の方々に大事にされている様子が確認されています。そんな“お地蔵さんパワー”のおかげか、「実際ゴミが減っています!」という嬉しい報告も届いているということです!
      
尾上さん、『これからも依頼があれば無償で掘りますよ』とおっしゃってましたが、
もうこれ以上、掘らなくていいような世の中に、是非とも、なってほしいなぁ。

 ムカシ朴の木を切り出して模型飛行機を作ったなぁ・と思い出した根本豊でした。 

松本市民は 思いのほか 上高地へ行かない?



今朝の上高地。




そして昨日は、息をのむような青い空。




今や、世界的に有名な観光地、上高地。


松本市内にあるにもかかわらず、

松本市民は、思いのほか、行かない?



何を隠そう、私がその一人。

去年、猛吹雪の開山祭を体験したんですけど、

それって高校生の時のキャンプ以来ですもんね。

実際はどうなんでしょうか?

調査しました。

松本市民20代~70代まで50人に聞きました。

「上高地、今まで何回行きましたか?」

0回・・・4人

1回・・・8人

2回・・・14人

3回・・・5人

4回・・・5人

5回以上~10回未満・・・4人

10回以上~20回未満・・・5人

20回以上・・・5人



まとめましょう。

0回~4回しか行ったことがない人が、50人中36人。

一方、大好き!数えきれないぐらい行っている人が、50人中10人。



ね?

やっぱり松本市民はあんまり行かないんですよ。

その理由は、

交通の便が悪い、いつでも行けると思っていてなかなか行かない、

お金がかかる、時間がない、今さらって感じ、一度行ったからもういい、

河童橋がもの凄く混んでいてイヤになってしまった、

行っても何をしたらいいか分からない、などなど。



でもね。こんなお話をして下さる方がいたんですよ。

「確かに河童橋はいつでも人でいっぱいだけれど、

そこからたとえば明神池まで歩けば、

自然の素晴らしさを満喫できるんですよ。

それほど大変なトレッキングではないし、

ゆっくり歩きながら、川の水の色、鳥の声、風の音を楽しめる。

それが楽しみで、私は何度も足を運んでいます。

この美しい自然を大切にしていかなければ、

っていう気持ちにもなりますしね。」



なるほど、ちょっと歩くことがポイント、なんですね。

こういうお話を聞くと、この私でさえも、

行ってみたいと思います。



徳沢ロッジ 支配人の 古畑 満さんも、

「梅雨の時期はお客さんが少ないので、

美しい自然を独り占めできますよ。

ちょうど、ショウキランという珍しい花も咲き始めました。

ゆっくり歩いて、上高地を満喫してください。

それから・・・

本当は泊まっていただきたいんですよね。

朝もやの幻想的な大正池、明神池。

そして夜は満天の星。

月がきれいな日は、穂高連峰が月灯りに照らされて神秘的。

想像を超える素晴らしい体験ができるんです。」

とのこと。



古畑さんが撮った写真を何枚かわけていただきました。






明神の夕焼け。





朝もやの大正池。

そしてこちらが、珍しい花ショウキラン。

今日、花開いたそうです。






調査の結果、松本市民はあまり上高地に行かない、

ということがわかりました。

けれどやっぱり、素敵ですよねぇ。上高地。

松本市内にあるんですもんね。行かなきゃね、今年こそ!



街へ繰り出して飲んでばかりじゃダメよね、たまには自然の中に身を置かないと・・・と、心から反省している、松本の調査隊員 塚原 正子でした。

噂の調査隊「年に1度1分間だけみんなに見つめられる山がある」

それぞれに、ふるさとの山ってありますよね。
年に1回1分間だけ多くの人に見つめられる山・・・
それは飯田市にあります。

「年に1度、1分間だけ」って言うのが、何の事だろう?って言う感じですよね。
その時間は毎年決まって同じ日同じ時間なんです。
それは、6月1日11時11分。
この日はある記念日なんですが・・・何の日かわかりますか?

気象記念日、電波の日、などこの日は様々な記念日に制定されているんですよね。
今回関係するのは・・・「写真の日」
「写真の日制定委員会」が1951年に制定しました。
1841(天保12)年のこの日、日本初の写真が撮影されたんだそうです。

その6月1日の11時11分に何が多くの人に見つめられ、場所がどこなのか、しかもどうして11時11分なのか?
このイベントの仕掛人の内のお二人、伊藤幸治さんと三浦泰章さんにお話伺ってみると・・・

それは、飯田市のシンボル「風越山」でした。

そのイベントの名前はズバリ「6月1日に風越山を撮ろう」

写真の日に、ふさわしいイベントを開きたいと考えた時、同じ時間にいろんな角度から同じものを撮ったら面白い!!
そんな遊び心から生まれたのがこのイベント。
じゃあ何を撮ろうかという時に、北は松川町から南は下条村までいろんな所から見られるのが、飯田市のシンボル「風越山」でした。

こだわりの時間は、覚えやすいように11時11分。
朝早くだと、天竜川のもやがかかることがあるし、午後は風越山が陽を背負って影になってしまう。
絶好の時間が11時11分だったんだそうです。
しかもその1分間を指定することで、角度の違う同じ被写体の写真が撮れる。
30分後じゃ意味がなかったわけです。

では、その1分間の間にどれくらいの人が風越山を見つめているかと言いますと・・・
多い時で400人以上。
400個のカメラのレンズが一点に集中して向けられているのを想像すると、ちょっとすごいですよね。

そして、本当に多くも人達が、その日を楽しみになんと12年間もこのイベントは続いているんです。

出品される作品も様々で、12年間ずっと同じ場所からとり続けている人や、時計込みの写真、家族の成長を記したものなど・・・
とにかくそれぞれの風越山への思いが詰まった作品ばかりです。
 
今年届いた作品がこちら!!

kazakosi guru-pu kazakosi guru-pu2 kazakosi otedama

本当にいろんな作品が出品されています。

ある年は、撮影時間1分間にこだわった面白さを感じるいくつもの写真が撮れたそうです。
空に飛行機でもないちょっと動きがおかしい物体が・・・それは多くの写真に写り込み、同じ時間にシャッターを切るおもしろさも映し出しました。

こうして、多くの人が撮りたいと思う風越山とは飯田市民にとってどんな山なのか?
街行く人に聞いてみると・・・

子供のころからの遊び場だった。
飯田のシンボル!!!
わしゃーにとっては一番の山だな~というおばあちゃん
いきなり風越山の標高を明確にいうお父さん
いつも私たちを見守ってくれている山!と温もりいっぱいに応えてくれたおじ様
「ふうえつざん」と口走ってしまった私に「かざこしやま」だよと諭してくれたお父さん

本当にそれぞれに、思いを語ってくれました。

風越山はやっぱり飯田市民にとっては特別な山で、古くは信仰の山であり、今では、まさに飯田市は風越山の懐に中にある感じの山なんです。

飯田市民に風越山を語らせると、切りがないくらいで・・・

例えば、風を越す山と書いて「風越山」
その呼び方にも論争が起こる事があるくらいで、「ふうえつざん」という人もいれば、「かざこしやま」という人もいる。
でも、何年か前に正式名称は「かざこしやま」と決まりました。
「かざこしやま」ですよ~!!!と、公に決めないと収まりがつかないくらい、飯田市民にとっては思い入れのある山なんですよね。

あと、風越山の正面論争もある。(角度によって山の形が違うから)
北から見える伊賀良方面の人達は、手前にある虚空蔵山の姿もよく見えるこっちが正面だといい、
飯田の丘の上のあたりの人も、堂々とこっちを向いている感じのするこっちが正面だといい。
上郷の人も、上郷の方から見ると富士山のように一番美しく見える事から、こっちが正面だという。

そんな論争が起こるというのは、多くの人達に愛されている証拠ですよね。

ここに長く住んでいなくても(転勤で来ても)、何年かいるだけで、飯田に欠かせないものと感じるようになるらしく、なんとも不思議な山なんです。

実は、この企画今年で12年目という息の長いイベント。

第1回から欠かさず出品している方もいらっしゃる方もいらっしゃるということで、その方勝野芳美さんにその思いを伺いました。
勝野さんは、主婦なので毎年自宅ののベランダから撮っているそうなんですが、かなりこだわってアイデアいっぱいに撮るのが楽しみになっているんだそうです。
一番最初に撮ったのがこの写真。
kazakosiyama gaku
「かざこしやまさん今日はとっておきの顔してね!」と額に入れて撮ったそうです。

孫が生まれた時は、産着と命名の文字と一緒にパチリ!

とっても暑い日になった年には、ご覧ください!
kazakosiyama bousi

風越山に帽子をかぶしてあげようと、こんな写真を撮りました。

自分の定点観測というか、自分史を作るような感覚もあると勝野さん話してくださいましたが、いつも風越山とともにあるという感じが伝わってきそうですよね。

ある人は、撮り続けている間に、目の前にビルが建ち景色が全く変わってしまったり、田んぼの耕作をしなくなって緑が茶色に代わってしまったり、いろんな変化も見えるそうです。

長年やってくると、思いもよらない写真も届くようになり・・・
こちら!
kazakosi nagano
風越山写ってないですよね。
これは長野市で撮られた写真なんです。

このイベントは、「とにかく6月1日の11時11分に風越山の方にカメラを向けて写真を撮ってください」というものなので、長野からでも風越山の方を向いて心に描く風越山を撮ればいいそうなんです。
これを撮った人には、風越山がきっと見えていたんです。

毎年、誰でも見られる形で展示された後、この写真達は、飯田市の歴史研究所に寄贈されるそうです。
12年の積み重ねで、既に大切な歴史的資料にもなりつつあるようですね。

今年は、今工事中の飯田市役所込みの風越山をとった方がいて、来年には同じ風景は見られない。
kazakosi kouji
これも大切な歴史資料になる時が来るかもしれません。

年に1度多くに人に見つめられる山「風越山」は、飯田市民にとって、欠く事の出来ない大切な山なのでした。



後日談:実は「伊那谷めぐりあい」をやってる飯田の井口明美さんも、12年間風越山の写真この日に撮り続けているそうですよ(^o^)




        風越山の魅力を再確認した 西村容子 でした。



噂の調査隊:富岡製糸場と長野市松代町の深い関係とは?

タイムリーな話題。もってきました!6月21日に世界文化遺産に登録されました。群馬県の富岡製糸場
そんな!富岡製糸場と長野市松代町は深い関係にある。改めて、富岡製糸場とは?
1872年明治5年に日本初の本格的な器械製糸工場です。そんな富岡製糸場に

伝習工女として長野市松代町から行ったのが!今回紹介する。和田英さんです。



松代藩士横田数馬の次女として生まれ、明治7年に官営の富岡製糸場に工女として学び
技術を習得。松代に戻って日本初の民間蒸気器械製糸工場「六工社」で器械製糸技術の指導をしました。



結婚後、富岡製糸場の回想録として「富岡日記」を書き、「富岡日記」は明治の先進的女性の記録として評価されました。
現在、富岡市のイメージキャラクター「お富ちゃん」は工女の姿をしていて2年前までは、和田にちなんで「おエイちゃん」と呼ばれていました。
つまり!和田英は、工女の代表的存在であったと思われます。


世界文化遺産。富岡製糸場と和田英。つまりは!長野市松代町との深い関係はここにありました。
松代まちあるきセンター伝承館で開催中のパネル展。改めて、松代町にあった製糸工場「六工社」を
知っていただくきっかけにおとずれてみては??いかがでしょうか?


調査員 竹井純子

6/23噂・聖高原!デゴイチのお色直しだよ!?全員集合!

みなさん、もうすぐ初夏がやってきます。
行楽シーズン到来ですね。
さて今回のうわさの調査隊、ターゲットは東筑摩郡麻績村・聖高原です。(正式名称「聖山高原県立自然公園」)
私は、「ラジオ寅さん信州ドタバタ人情めぐり」旅でも訪れました。
聖湖などがあり、景色は抜群。
公園の高台にある聖博物館には善光寺街道や麻績宿の貴重な資料、木彫り羅漢像などの展示があります。

その博物館の前に広大な芝生が広がり、そこにはなんとF104ジェット戦闘機や戦艦陸奥の大砲が飾ってあります。すべて本物です。
そして蒸気機関車D51も展示してあるのです。

こんな高台にレールも駅もない鉄道も通ってないところになぜ?
麻績村観光課長 宮下和樹さんに伺いました。


お話によりますと、47年前頃、「村の子供たちは実物の航空機などを見る機会は滅多にない、是非本物を見せてあげたい」、という話が持ち上がった。
で、そのころ麻績村の村議会議員さんの中に自衛隊OBがおり、その議員さんたちが自衛隊関係機関を奔走された。そのお陰でジェット戦闘機や戦艦陸奥の大砲などを自衛隊から貸与という形で本物の展示が許可されたそうです。

D51の展示も、旧国鉄OBの村議員がいて、その関係で譲渡され今日に至ったということです。
しかし、展示開始から約半世紀が過ぎ、定期的に清掃はしてきたものの、だいぶさびが出てきた。
「今ここで化粧直ししなければ鉄くずになる。先輩が苦労してここに運び込んだデゴイチを、なんとか次代へ引き継ぎたい」と有志の村議会副議長の小山福績さんら村議会議員の方たちが立ち上がりました。
そして村民総力でD51のお色直しをするため一般からもボランティアを募集したのです。
取材したこの日も一般参加者が10名以上で、汗だくでD51にしがみついてゴシゴシしていました。







こすったカスで顔真っ黒にしながら、みなさん面白がってやっていました。
その中には、このD51が走っている最後の日を見届け、こちらに移すまでを見守った元議員さん(塚原かねもとさん)もいらっしゃいました。

D51は3分割して、駅から聖高原の間の道路を閉鎖して運びあげたそうです。

このお色直しは、8月14日の第50回聖高原納涼花火大会までには終わらせたいということで、
まずは7月末に向け毎週土日は、悪天候にならない限りボランティアの方々がゴシゴシ、平日は議員さんたちが総出でゴシゴシやっているそうです。

私もやってみたいという方は、ぜひ麻績村の方へお問い合わせください。
D51を間近に見られるどころか、ぺたぺたゴリゴリ実際にさわってこすってなで回し、
身近に感じられるチャンスです。親子で参加している方もいましたよ。
みなさんこの週末は、滅多にない体験をしてみてはいかがでしょうか。
高台で景色も抜群、高原の風に吹かれながら、イイ汗かいてみませんか?


D51といえば、トンネル内で窓を開け煤で顔真っ黒の思い出ありの・根本豊でした。

松本神社にカップルで行くと・・・その真相は?

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松本神社は、松本城に北側にある、松本城ゆかりの神社。
この松本神社にまつわる噂、松本の人は知っている人、多いと思うんですよね。
だいたい高校生ぐらいで聞くんです。お母さんからだったり、友達からだったり・・・。
で、デートコースから外れることになるんですよね、たいがい。

町で調査したところ、20代から70代まで、
「有名な噂ですよね」と。
70代の女性が、
「50年前にお嫁に来た時、姑から聞かされた」
とおっしゃっていたので、
もしかしたら100年近くにわたって、ささやかれ続けているのかも。


その噂とは・・・。もうおわかりですよね?


「松本神社にカップルで行くと別れる!」


まずはこの噂の全容をご紹介しましょう。

松本神社に祀られている松姫というお姫様。
徳川家康の異父妹にあたる人で、あまり器量が良くなかった。
松姫が器量が悪いことをふびんに思った家康が、
家臣の、松本城主 戸田康長に松姫を嫁がせた。
しかし。
夫の康長に相手にされず、
世をはかなんで、松本城のお堀に身を投げた。
とか、
康長が松姫を外に出すことを嫌い、薄暗い乾小天守に幽閉した。
とか・・・。
だから、松姫を祀った松本神社へカップルで行くと、
松姫が嫉妬して別れさせる。

なんか、まことしやか、でしょ?
ホントなの? ウソなの?



松本城管理事務所 研究専門員 南山 孝 先生が、教えてくれました。


これが、真相です!

①松姫は美人だった
管理事務所にある松姫の肖像画は、ふくよかで姿が美しい、
とても美人に描かれています。

②松姫は松本に来たことがなかった
松姫は24歳の若さで亡くなってしまい、
夫の康長が松本城主になったのは、松姫が亡くなって29年後のこと。


な~んだ・・・。 噂は完全に、作り話だったんですね。
でも、なぜこんな噂ができたんでしょうか?


「そればっかりは、私もよくわからないことです。
松本神社には、松姫と、松姫の子・永兼が祀られています。
永兼は本来ならば松本城主となるところでしたが、
若くして亡くなってしまったんですね。
永兼が亡くなった頃から戸田家は不幸が続いたため、
松本城主になれなかった永兼と、
その母・松姫の悔しい思いが悪霊になって、
戸田家に不幸を引き起こしたのではないか、と恐れられて、
ここに祀られるようになった。
そんな経緯があったらしいですけれどね。」
と南山先生。


松本神社には、松姫、その子永兼、夫である戸田康長、
そして戸田家の先祖と家臣、この5つの神様が祀られていて、
「五社」と呼ばれていました。
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昭和28年に、松本城の中にあった若宮八幡宮が境内に遷宮され、
松本神社と改められたそうです。
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写真を撮っていたら、仲睦まじいカップルが・・・。
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大丈夫。松姫はきっと、優しく見守ってくれていますよね!

松本神社の例大祭は7月10日・11日。もうすぐです。
大人と子供の神輿が街中を練り歩き、
夜は花火。
けして大規模なものではないんですが、
なにしろ松本城の隣の駐車場で上げるんです。
なので、見に行くと、頭の上で上がるかんじ。近いんですよ、ものすごく。
炭もたっぷりかかります。
ある意味、迫力あるんですよ。

もしかしたら100年近く、語り継がれてきた噂は、真っ赤なウソだったなんて!
でも、それだけ松本神社は、市民にとって身近で大切な神様、なんでしょうね。


おまけ。

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松本神社のおみくじ。
大吉でした。ひゃっほ~!!!

らじカンを代表して引いてきたので、
スタッフはもちろん、ラジオをお聴きのあなたも、
「大吉」で~す!

長年の謎が解けてとってもすっきり。でも今となっては「カップル」という言葉そのものが縁遠くなっているかもしれない、松本の調査隊員 塚原正子でした。


噂の調査隊「方言で交通安全を呼びかける??って何?」

方言で交通安全って何???って感じですよね。

伊那谷で方言と言って浮かんでくるのが、飯田弁。

飯田弁は、県内では何とも独特な雰囲気を持っているみたいで、あののんびりした空気感が好きと言ってくださる方も多いようですね。

その飯田弁を使って、どんな風に交通安全を呼びかけているかと申しますと・・・

こちら!

iidabenn akatyann

チャイルド・イン・カーのステッカー。

きわめて一般的なデザインですが、そこに書かれている文字が目を引くそうです。

よく読むと、「乗っとる」とか「もんで」とか全てが飯田弁。

極めつけは「かんな」

意味わかります?

木を削るカンナ(鉋)じゃありませんよ(^O^)

「ごめんね」っていう意味。

「赤ちゃんがのってるから、ゆっくり走るけどごめんね」ということ。

でも、ちょっと声出して読んでみてください。(飯田の人じゃないとイントネーションがわからないからダメかな~)

「赤ちゃんが乗っとるもんで、ゆっくり走るけ~ど、かんな」

優しい感じしますよね。

これが作られ始めたのは、6年前。

作っているのは、飯田の老舗人形販売店 京美堂人形センターの麦島 実さん。

きっかけは、友達が遊び半分で個人的に作っていた方言まじりのステッカーを友達に配っていたところ好評で、子供のためのおもちゃの扱いもはじめた所だったので、それをきっかけに商品化する事にしたんだそうです。

6年前の発売以来、好評で、次々と新バージョンが登場!

次に発売されたのがこちら。

iidabenn kodomo

赤ちゃんバージョンは1年使ったら使えなくなるという要望から、「子供」バージョンが生まれました。

さらに方言にこだわって作られたのがこちら!

iidabenn ranngoku iidabenn ranngoku appu

「らんごく」ってわかります?

ここで、飯田の人もビックリな情報が!!!!

「らんごく」は散らかった様・・・「うちはらんごくしとるで恥ずかしいよ~」というように使われ、そういった意味だ!!!と思っている方が多いと思いますが、「らんごく」の本来の意味は「乱暴な」という意味なんだそうです。

これは私もビックリ!

そういった本来の飯田弁の意味もみんなに知ってもらいたいという思いも込めて、こちらのステッカーは作られたそうです。

さらに、これでは収まりません。

赤ちゃん、子供ときたら、次は何?

何だと思います????

保育園の送り迎えとかを、おじいちゃんおばあちゃんがしている家庭もありますよね、そんなおじいちゃんおばあちゃんから、「わしらも付けるものが欲しい」という事で、こちらが誕生しました。

iidabenn mago

「孫」バージョン!!!

これでもう終わるかと思いきや・・・

孫がおらん(あっ!ついつい飯田弁になっちゃった)いないおじいちゃんおばあちゃんが「わしらも・・・」とこんな事まで起こっちゃったんです。

ある車に、「子供が乗っとるもんで・・・」も「子供」の所を修正ペンで消して、「じいじばあばが乗っとるもんで・・・」と書いたステッカーが貼ってあったんだそうです。

そこで、そこまでしてくれるならとこちらも誕生しました。

iidabenn jijibaba

色も黄色から、もみじマークを思わせるオレンジ色にし、「かんな」を「かにや」に変えました。

「かにや」は「かんな」よりさらに優しい雰囲気を持つ「ごめんなさい」を表す言葉。

私は、「かにや」の方がばあちゃんっぽくて、優しくて好きかな(^-^)

 

こうしてバージョンも多くなり、今では、毎日のように誰かしら来て、買い求めていくという感じになっているんだそうです。

どんな方が買いにくるかと申しますと、赤ちゃんからじいちゃんばあちゃんまでありますから年齢層は実に幅広い。

中には、方言を調べている方が、「こういうのが欲しかったんだよ」と全種類買って、FBに載せるでなとうれしそうに話していく人や、「かんな」という名前の人が欲しいと買っていったり。

飯田に帰省してきて、広告を持って帰って、やっぱり欲しいと県外から注文が入ったり…

飯田出身の人で県外で子供を産んだ人に、出産祝いで送られるパターンも多いようです。

飯田の町中でも、このステッカーを付けている方よく目にするんですが、きわめて一般的なよく見るタイプのデザインに、たくさんごちゃごちゃ文字が入っているので逆に目がいくらしく、結構みんな注目して見てしまうんだそうです。

その証拠に県外にこのステッカーを付けていくと・・・まず口が動いて首を横に傾ける。

「子供が乗っとるもんで、ゆっくり走るけ~ど」まで読んで「かんな????」と首を傾げるという感じ。

そうやって、このステッカーに反応してくれるのがうれしくて、麦島さんは県外に出て信号で止まると、ついついバックミラーで後続車両の人の顔に注目してしまうんだそうです。

すでに、関東方面に100枚ほど、中京圏にも数十枚発注があって出回っているそうで、たまたま偶然にそのステッカーと県外で出会うと、「この人飯田の人だ!」と何とも言えない親近感が湧いてしまうんですって!

ちなみに、ディズニーランドにいくと、この飯田弁ステッカー同士が出会う事があるらしく、遠くで松本ナンバーや長野ナンバーに出会うと、そのなんとも言えない感覚になることあるでしょ。それよりもさらに近い感覚で、ちょっと笑顔になっちゃうんだそうです。

方言で呼びかけられた交通安全は、ステッカーを通して多くの人に飯田の温もりを伝えるものでした。

こんな温かいステッカー作ってくれて麦島さんありがとうございました。

iidabenn mugisima ←京美堂人形センターの麦島さん

 

飯田弁大好きな 西村容子 でした。

ラジオ寅さんのピンチ!北海道からライバルがやって来た?

ラジオ寅さんこと根本さんにライバルが・・・。それも北の大地、北海道はでっかいど!

からやって来た。そのライバルとは??早速、ご自宅のある、長野市篠ノ井に。

直接はお話しが伺えない方なので・・・。っと担当者の岸田さんが迎えて下さいました。

そんなに気難しい方なのか?今、お食事中なので機嫌は良いと思います。とのこと。

お会いする前に、普段お世話を担当しているこの岸田さんにどんな方か?聞いてみました。

男性or女性?雄です。年齢は?11歳のおじさんです。身長は?

体長170センチです。体重は?150キロ。性格は温厚で紳士的。愛想が良い。

そして何よりもイケメン。頭と肩が大きく足も太い。

おじさんだけどお腹のあたりはシュッとしていてスマートです。とにかくお会いしたい。

こちらです。



まさに!寅・トラ・とらさんです。北海道釧路市動物園から繁殖目的で期間限定でお借りしているそうです。
ご自宅は茶臼山動物園。アムールトラのリングです。リングは繁殖目的のために全国各地を転々とする
とらさんです。茶臼山動物園にいるみらい(メス)は、4歳の箱入り娘。



トラは、もともと単独行動の動物です。自分のテリトリーに入ってきたリングが怖く警戒しています。
トラの繁殖期は、冬。みらいの発情期を待ってマッチング。歳の差・繁殖のプロのとらさんリング
まさに!根本豊さん。ラジオ寅さんのライバルだ~~~~。

調査隊員 竹井 純子

6/16噂・小諸市・寅さん開館存続問題!?その後どうなった!?

ワタクシ、らじ☆カンでは、
「ラジオ寅さん信州ドタバタ人情めぐり」というコーナーも担当しております。
顔が四角い、目が細いということもあり、
「あら、寅さんに似てるねぇ」とはよく言われます。

さてその本物の?「渥美清こもろ寅さん会館」は小諸市に1995年開館しました。
しかし、近年入場客が減少し、一昨年館長が亡くられたこともあって、
昨年4月22日株式会社こもろ寅さん会館が解散して、
建物や展示品などが小諸市に寄付され閉館してしまいました。


寅さん会館はその後どうなっているのか、それを今回、昨年に続き調査しました。

まずなぜ小諸に寅さん会館ができたのか、そのおさらいをしましょう。
そもそも小諸市はなぜ寅さんの街なのか?
寅さんといえば、もちろん山田洋次監督の映画「男はつらいよ」で
渥美清さん演じる,車寅次郎ことフーテンの寅。
1988年、小諸市を舞台に映画が撮影されています。
第40作「寅次郎 サラダ記念日」ですね。マドンナは三田佳子でした。
なぜ長野県内の中で小諸市が選ばれたのか?
鍵を握るのは一人の男性です。
小諸市で電気工事会社の社長をしていた井出勢可さんです。
渥美清さんが仕事の関係者以外で心を許した数少ない親友でした。
井出さんは、渥美さん、山田監督や松竹関係者との
30年以上にわたる深い親交が続き、
渥美さんの強い希望もあって小諸を舞台の
「寅次郎サラダ記念日」は撮影されたそうです。
井出さんはその後、私財を使って1995年に小諸市に
「渥美清こもろ寅さん会館」を建設し初代館長につきました。
つまり、なぜ小諸に寅さん会館があるのか、
それは、渥美さんと亡くなった井出勢可さんとの
長年にわたる友情が生んだ結晶なのですね。
同い年でありながら渥美さんは井出さんを
「小諸のお父さん」と慕っていたそうです。

では、寅さん会館の現在の動きを小諸市役所に行って聞いてきました。
お話しいただいたのは、経済部 商工観光課 観光交流係 高橋 学係長です。



市は、昨年2月、プロポーザル方式(複数の者に目的物に対する企画を提案してもらい、
その中から優れた提案を行った者を選定すること)により、
一般社団法人ヤルダ兄弟舎を選定し業務委託。ヤルダ兄弟舎は
会館を含めた市の3施設の活用方法を探るワークショップを9月まで6回開催し、
広く市内外を問わず意見を聞くことになりました。

一方、寅さん会館の入場客減少期から立ち上がり、
今後の再開にむけて活発な活動をしている、
東信地方有志グループ「コモロ寅さんプロジェクト
『いつもココロに寅さんを』」(通称ココトラ)代表の
一井正樹(いちい まさき)さんにもお話を聞きました。



ココトラでは、積極的にヒアリングにも協力し、また、一井さんの念願だった
寅さん映画全48作品の上映会も開始しました。
第3回目として、7月5日(土)15:00から、閉館中の寅さん会館地下「やすらぎ会館」で、
第3作「フーテンの寅」を上映します。
また、9月までのヒアリングでは広く参加者のアイデアを募っているので、
是非小諸市役所またはヤルダ兄弟舎に連絡し、意見をお寄せくださいとのことです。

渥美清さんは「小諸は俺の心のふるさと」「晩年は小諸に住みたいなぁ」
と漏らすほどこの町を愛していました。
映画サラダ記念日で寅さんが、フッともらした台詞、
「ため息を、どうする訳ではないけれど、わたくしまたまた、恋したりして」
・・・心をよぎります。
ワタクシ、ラジオ寅さんとしまして、
今後も寅さん会館の行方をしぶとく見守っていきます。

流浪=男のロマンだなぁ・などと似合わない台詞を吐いてる・根本豊でした。

Why do foreign tourists like Matsumoto Castle ?

最近、松本城へ行くたびに、外国人が増えているな~って感じるんですよね。
松本城へ行って、外国人を見ない日は無いんじゃないかと思うぐらい。
なぜなんだろう?
ということで今日は、

「外国人観光客はなぜ松本城がお好き?」

これを調査してまいりました。


IMG_2066


松本城を訪れる観光客は、年間およそ70万人。
このうち外国人は、昨年度6万6千人あまり。
一昨年の1.5倍、増えているんですって。

この日も、外国人観光客がたくさんいましたよ~。
何人かに、「どうして松本へ来たの?」って聞きました。

・ノルウェー人
 「松本に兄弟が住んでいて、訪ねてきました。松本城へは塩尻に住んでいる友達が連れてきてくれたんだよ。」
・イタリア人
 「ガイドさんから、松本は美しいお城があるし周りを散策するのもとてもいいから、ぜひ行ってみるといいよ、って進められて来ました。」
・イギリス人
 「会社の同僚が日本に住んだことがあって、その人が、松本城は自分が日本で見た中で一番美しいお城だった、と言うので見に来たかった。」

口コミが多かったんですよね。

確かに・・・、トリップアドバイザーという、
世界38か国に開設されていて世界最大と言われる旅行口コミ情報サイトで、
松本は今年、なんと、堂々の第7位!!
嬉しいじゃないですか!

でね。

その口コミサイトでとても評価されていたのが、
ボランティアで通訳ガイドをしていらしゃる、
アルプス善意通訳協会の皆さんの活動だったんです。
お城の入口にテントを構え、外国人が来ると声をかけて、
天守閣までガイドするんです。
1回のガイドが1時間から1時間半。
松本城のことだけじゃなく、日本の文化とか生活とかまでじっくりと説明しています。
帰ってきたみなさん、もれなく「素晴らしいガイドだった」って感動していましたよ!

アルプス善意通訳協会 理事長の中田 和子さん。

IMG_2067

「松本が好きになってくれたらいいな、という一心で、
みんなとっても一生懸命やってます。
その気持ちが伝わって、評価してもらえたのかな、と思うと、
本当に嬉しいです。
平均年齢50代後半、ですが、これを励みに、また頑張りますね。」
と、おっしゃっていました。

この日も、オーストラリア人の観光客をご案内。

IMG_2069

「あ~楽しかった! 素晴らしかったよ。
すごくいろいろ教えてもらえた。お願いして本当に良かったよ。」
このオーストラリア人の方も、大満足だったようです。

何人もインタビューしたんですが、
「松本の人は優しいね」って言ってくれる人が多かったんです。

もしかしたら、人の魅力が口コミでじわじわ伝わっているのかな。
だったらとっても嬉しいな、って思いました。



・・・今回は、はっきりとした理由がわからなかったんですが、
これに関しては今後も、調査続行していきたいと思います!


頑張って取材していたら日焼けして、鼻の頭だけ赤くなっている、
松本の調査隊員 塚原 正子 でした。

情報わんさかGO!GO!ワイド らじ★カン 番組へメール radiko SBCラジオ

日替わり調査員

月曜日 根本 豊 東信担当

寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」に所属していた演劇人。
福島出身で標準アクセントがいまだに身につかない。無類の酒好き。

火曜日 竹井 純子 北信担当

SBCのラジオカーレポーターを経て、調査隊員に。
中野市出身、豪快な笑い方が特徴。愛用の手提げバッグのデザインが下品と評判。

水曜日 塚原 正子 中信担当

ロック好き。電話するとだいたいエレベーターに乗っている。謎多き女性。
松本市出身。中学・高校のあだ名は「かっぺ」。

木曜日 西村 容子 南信担当

元民放テレビ局のアナウンサー。3人の子どもを育てながら、おもしろいネタがないかとアンテナを張りめぐらしている。への字まゆげがチャームポイント。飯田市出身。

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