長和町で高級なものが生まれようとしているらしい⁉
2017年02月27日
長和町では今…高級なものが生まれようとしているそうです!
ゆくゆくは長和町の特産品になるかもしれない!という事で地元では期待が高まっているそうなのですよ。
高級な特産品とは…さて、何でしょう?
長和町と言えば、きれいで美味しい水 黒曜水が有名。
その高級なものというのは、きれいな水を使って作られているのだそうです。
長和町では何か所かに湧き水が出ていまして、その高級品が作られている場所にも1分間に1000リットルもの水が湧いて出ています(驚)
その場所、実はいけすになっているのですよ♪
いけすの中にその答えがいるようです。
覗いてみると…

サ、サメがーっヽ(゚Д゚;)ノ!!
でも、恐がることはありません!
このお魚、サメではなく…
チョウザメなのです!
「チョウザメだってサメじゃろがヾ(。`Д´。)ノ!」
とお思いの方。
安心してください…サメじゃありませんよヽ(o’∀`o)ノ♪
チョウザメって、名前にサメとついていますが、サメじゃないんですって。
話を戻して…答えは チョウザメでした。長和町では、古代黒曜チョウザメというブランド名でチョウザメの養殖が始まっているのです。ゆくゆくはキャビアもお目見えするかも♪♪♪
それにしても、長和町でチョウザメとは…ビックリですね。海もない山国で!?…と思いますが、チョウザメって川など淡水に生息していて下流の海の方に行って遡上してくるお魚なのだそうです。

このチョウザメの養殖を始められたのは 長和町の地域おこし協力隊 東久保さんと 長和町の特産品のPRを行うキャンペーン隊の杉本さんのお二人です。昨年の秋から 杉本さんの自己資金で購入したチョウザメで試験的に養殖を行っていまして、冬の間凍ることも無く来ているので、今のところ順調に冬を乗り切れそうだという状況なのだそうです。ちゃんと育てられることが分かったので、これで春にはまた稚魚を購入して本格的な養殖に乗り出す予定でいるそうです。
ただチョウザメというお魚は成長が遅く、稚魚から大きく食べられるようになるまでに4年くらいはかかるそうです。そしてキャビアがとれるようになるには7年もかかる!そうでして、長和町産のキャビアがお目見えするのはまだもうちょっと先の事になるそうです。待ち遠しいなぁ。
でも、魚の身を食べるという事であればもう年内にはという事なので、今年中に試食会も開かれる事になるでしょう。チョウザメはお魚自体も美味しいそうで、お刺身や燻製、お寿司にしても美味しいそうです。市場にあまり出回っていないお魚なので、食べた事があるという方はまだ少ないそうなのですが、脂ののった本当に美味しいお魚なのだそうです。コラーゲンも豊富で、滋養の面でも優れている食材なのだそうです。
長和町でチョウザメの養殖に乗り出した理由というのは、まずきれいな水が豊富である事。そして、空いているいけすがいくつかあるという事があげられるのだそうです。空いているいけすを利用して、地元で組合を作ってチョウザメの養殖が産業としての形になれば…
今はキロあたり5千円とマグロより高い値がつけられているチョウザメが、もっと格安に提供できるようになるそうです。長和町に来ればチョウザメがお安く食べられる♪というようになる日も近いうちに来るかもしれません。長和町の特産品として出荷できるためのしくみづくりを 今お二人は頑張っている段階なのだそうです。信州産ワインも盛り上がってきている今。チョウザメもワインと合わせる美味しい食材として注目されていくかもしれませんね♪
斉藤 美穂
ゆくゆくは長和町の特産品になるかもしれない!という事で地元では期待が高まっているそうなのですよ。
高級な特産品とは…さて、何でしょう?
長和町と言えば、きれいで美味しい水 黒曜水が有名。
その高級なものというのは、きれいな水を使って作られているのだそうです。
長和町では何か所かに湧き水が出ていまして、その高級品が作られている場所にも1分間に1000リットルもの水が湧いて出ています(驚)
その場所、実はいけすになっているのですよ♪
いけすの中にその答えがいるようです。
覗いてみると…

サ、サメがーっヽ(゚Д゚;)ノ!!
でも、恐がることはありません!
このお魚、サメではなく…
チョウザメなのです!
「チョウザメだってサメじゃろがヾ(。`Д´。)ノ!」
とお思いの方。
安心してください…サメじゃありませんよヽ(o’∀`o)ノ♪
チョウザメって、名前にサメとついていますが、サメじゃないんですって。
話を戻して…答えは チョウザメでした。長和町では、古代黒曜チョウザメというブランド名でチョウザメの養殖が始まっているのです。ゆくゆくはキャビアもお目見えするかも♪♪♪
それにしても、長和町でチョウザメとは…ビックリですね。海もない山国で!?…と思いますが、チョウザメって川など淡水に生息していて下流の海の方に行って遡上してくるお魚なのだそうです。

このチョウザメの養殖を始められたのは 長和町の地域おこし協力隊 東久保さんと 長和町の特産品のPRを行うキャンペーン隊の杉本さんのお二人です。昨年の秋から 杉本さんの自己資金で購入したチョウザメで試験的に養殖を行っていまして、冬の間凍ることも無く来ているので、今のところ順調に冬を乗り切れそうだという状況なのだそうです。ちゃんと育てられることが分かったので、これで春にはまた稚魚を購入して本格的な養殖に乗り出す予定でいるそうです。
ただチョウザメというお魚は成長が遅く、稚魚から大きく食べられるようになるまでに4年くらいはかかるそうです。そしてキャビアがとれるようになるには7年もかかる!そうでして、長和町産のキャビアがお目見えするのはまだもうちょっと先の事になるそうです。待ち遠しいなぁ。
でも、魚の身を食べるという事であればもう年内にはという事なので、今年中に試食会も開かれる事になるでしょう。チョウザメはお魚自体も美味しいそうで、お刺身や燻製、お寿司にしても美味しいそうです。市場にあまり出回っていないお魚なので、食べた事があるという方はまだ少ないそうなのですが、脂ののった本当に美味しいお魚なのだそうです。コラーゲンも豊富で、滋養の面でも優れている食材なのだそうです。
長和町でチョウザメの養殖に乗り出した理由というのは、まずきれいな水が豊富である事。そして、空いているいけすがいくつかあるという事があげられるのだそうです。空いているいけすを利用して、地元で組合を作ってチョウザメの養殖が産業としての形になれば…
今はキロあたり5千円とマグロより高い値がつけられているチョウザメが、もっと格安に提供できるようになるそうです。長和町に来ればチョウザメがお安く食べられる♪というようになる日も近いうちに来るかもしれません。長和町の特産品として出荷できるためのしくみづくりを 今お二人は頑張っている段階なのだそうです。信州産ワインも盛り上がってきている今。チョウザメもワインと合わせる美味しい食材として注目されていくかもしれませんね♪
斉藤 美穂
伊那で里親探し?その子は香り高い高貴な雰囲気が漂ているらしい
2017年02月23日
伊那で里親探しが始まったと聞いて
調査に出かけたんですが
その子がどうも
香り高くて高貴な雰囲気が漂うとっても美しい姿を見せてくれる
ということなんです
一体どんな子なのか?????
その子に会えるという場所に調査に伺ってみました
そこは伊那の県民文化会館から車で2〜3分のところにある
白く透き通る三角屋根の大きな5棟もの建物の中でした
中にいらした方にお話を伺うと
その子は放っておくと2mもの慎重になってしまうらしい
さらにトゲがあるとか・・・
ちょっと気が強い子なんでしょうか?
でもその方が、ちょっと魅力的だったりして…
でもその数が3000とか・・・
3000人とは考えにくい
その美しい子がこちら!!!

わかります?
もうドライフラワー状態になっていますが
葉っぱを見ると
バラ♡♡♡
確かに高貴な香り漂う貴婦人の趣ですよね
このバラたち
長年切りバラ栽培をしていた方が
去年お亡くなりになり
息子さんは農家を継いでいなかったので
5つのハウスにに

なんと3000本ものバラの立派な株が残されてしまった
ハウスに入るとご覧の通り!

向こうの端からこっちの端まで
びっしりとバラの苗が植わっていました
息子さんはこのバラを4月には処分したいと考えていましたが
お父さんが丹精込めて育てた株はどれも立派で
誰かがこれを受け継いで育ててくれないかと思うようになりました
そこで声がかかったのが
伊那まちバラ咲くまちかど連絡協議会 事務局長の若林敏明さん
この里親探しの話が若林さんのところに来るにはとっても素敵な理由があるんです
実は、伊那の街中ってバラで彩られているってご存知ですか?
いなっせのある周辺の通り沿いは今この季節も
立派なバラの木でいっぱいでした

その時期になるとこの街かどに
1000本のバラが咲き誇り
その芳しい香りに、その季節になると
わざわざ通勤の道を代えて歩く人もいるそうです
そんな街で始まったバラの里親探し
調査を決めて間もなく
思いもよらない展開になってしまったんです
里親募集を始めたのは2月の9日
その日、朝から電話は鳴りっぱなし
なんと午前中だけで3000本のバラ全部の里親が決まってしまったそうなんです
そんに人気があるんですね~
市民のみなさんはもちろん
いろんな施設の方々
また遠くは奈良からの申し出もあったそうです
3000本って半端な数ではないですよね〜
実は私も里親になりたいな〜と思っていたのですが
全然間に合いませんでした
約1年間放りっぱなしだったので
株は2mほどに伸び放題
バラの藪になっていたのを選定をして
里親さん達を迎えました
多くの皆さんが実際この子たちの顔を見にいらしていて
ハウスの中のバラの株には、一つ一つ名前や番号が付いていました

本当に里親だ〜
これから大事に育ててもらうんだろうな〜という雰囲気が漂っていました
小さなハウス一つ分のバラの里親になったある施設の方は
今、受け入れる畑の準備をしている
何色の花が咲くか今は分からないが
どんな花が咲くか楽しみと話してくださいました
商店街で咲かせたいという商店のご主人は
株を見ればどれだけ大事に育てられていたかがわかる
席に異を感じるがきれいに花を咲かせたいと・・・
そして、奈良の吉田病院のグリーンボランティアチームの皆さんは
今年は病院開設90周年の記念の年
香りと花のグリーンセラピーで
みんなを癒したい
と話してくださいました
みなさん様々な思いを持って里親になってくださったんだな~
と感じるとともに
その香り高い高貴な雰囲気が漂う美しいこの子の人気の高さに
大いに驚いた今回の調査でした
実は私も里親になりたかった 西村容子 でした♡
調査に出かけたんですが
その子がどうも
香り高くて高貴な雰囲気が漂うとっても美しい姿を見せてくれる
ということなんです
一体どんな子なのか?????
その子に会えるという場所に調査に伺ってみました
そこは伊那の県民文化会館から車で2〜3分のところにある
白く透き通る三角屋根の大きな5棟もの建物の中でした
中にいらした方にお話を伺うと
その子は放っておくと2mもの慎重になってしまうらしい
さらにトゲがあるとか・・・
ちょっと気が強い子なんでしょうか?
でもその方が、ちょっと魅力的だったりして…
でもその数が3000とか・・・
3000人とは考えにくい
その美しい子がこちら!!!

わかります?
もうドライフラワー状態になっていますが
葉っぱを見ると
バラ♡♡♡
確かに高貴な香り漂う貴婦人の趣ですよね
このバラたち
長年切りバラ栽培をしていた方が
去年お亡くなりになり
息子さんは農家を継いでいなかったので
5つのハウスにに

なんと3000本ものバラの立派な株が残されてしまった
ハウスに入るとご覧の通り!

向こうの端からこっちの端まで
びっしりとバラの苗が植わっていました
息子さんはこのバラを4月には処分したいと考えていましたが
お父さんが丹精込めて育てた株はどれも立派で
誰かがこれを受け継いで育ててくれないかと思うようになりました
そこで声がかかったのが
伊那まちバラ咲くまちかど連絡協議会 事務局長の若林敏明さん
この里親探しの話が若林さんのところに来るにはとっても素敵な理由があるんです
実は、伊那の街中ってバラで彩られているってご存知ですか?
いなっせのある周辺の通り沿いは今この季節も
立派なバラの木でいっぱいでした

その時期になるとこの街かどに
1000本のバラが咲き誇り
その芳しい香りに、その季節になると
わざわざ通勤の道を代えて歩く人もいるそうです
そんな街で始まったバラの里親探し
調査を決めて間もなく
思いもよらない展開になってしまったんです
里親募集を始めたのは2月の9日
その日、朝から電話は鳴りっぱなし
なんと午前中だけで3000本のバラ全部の里親が決まってしまったそうなんです
そんに人気があるんですね~
市民のみなさんはもちろん
いろんな施設の方々
また遠くは奈良からの申し出もあったそうです
3000本って半端な数ではないですよね〜
実は私も里親になりたいな〜と思っていたのですが
全然間に合いませんでした
約1年間放りっぱなしだったので
株は2mほどに伸び放題
バラの藪になっていたのを選定をして
里親さん達を迎えました
多くの皆さんが実際この子たちの顔を見にいらしていて
ハウスの中のバラの株には、一つ一つ名前や番号が付いていました


本当に里親だ〜
これから大事に育ててもらうんだろうな〜という雰囲気が漂っていました
小さなハウス一つ分のバラの里親になったある施設の方は
今、受け入れる畑の準備をしている
何色の花が咲くか今は分からないが
どんな花が咲くか楽しみと話してくださいました
商店街で咲かせたいという商店のご主人は
株を見ればどれだけ大事に育てられていたかがわかる
席に異を感じるがきれいに花を咲かせたいと・・・
そして、奈良の吉田病院のグリーンボランティアチームの皆さんは
今年は病院開設90周年の記念の年
香りと花のグリーンセラピーで
みんなを癒したい
と話してくださいました
みなさん様々な思いを持って里親になってくださったんだな~
と感じるとともに
その香り高い高貴な雰囲気が漂う美しいこの子の人気の高さに
大いに驚いた今回の調査でした
実は私も里親になりたかった 西村容子 でした♡
☆山ノ内町には、ミスチルそっくりさんがいるらしい?
2017年02月21日
ミスチルとは!!ミスターチルドレンの略称。ミスターチルドレンは、
日本のバンドで、1992年にメジャーデビュー。1993年に発売した
「CROSSROAD」がロングヒット。一気に人気が出たという。
根本さんにも分かるように簡単に説明させてもらいました。
そんなミスチルのそっくりさんが、いるらしい?話の発端は。先日
。山ノ内町の幻のお豆腐店。北澤豆腐店のご紹介を噂の調査隊で放送したところ。
北澤豆腐店のCMソングを歌う皆さん。
そして!SBCラジオでよく流れる。山ノ内町の「渋ホテル」のCMソングも歌っていて、
この歌声が・・・。ミスチルにそっくり。ならば!どんな方なのか?
歌声が似ているならば。お顔もミスチル?気になりますよね。
探してみよう。山ノ内町に早速行ってみました。話のもとの北澤豆腐店。
北澤善延(よしのぶ)さんによると!山ノ内町のよませ温泉スキー場に行ったらあえるかも?
との事でしたので・・。よませ温泉スキー場に行ってみました。
山ノ内町のミスチルにお会いできたのか?
☆山ノ内町には、ミスチルそっくりさんがいるらしい?
はい。やっとこさ有力情報入手。シンガーでなんと!スキーのインストラクターをしている
、宮津さんという方ではないか?教えていただいた通りに進んでいくと。
MIYATUと書かれた建物を発見。建物前にいた男性をさらに発見。
もしかして?あの方が噂の山ノ内町のミスチル・宮津さん?声かけてみました。
なんと!お父様。山ノ内のミスチルと息子さんが言われているというよりもミスチル自体がわからない。
宮津さんだけどちがいました。そんなところに・・。タイミングよく、息子さんが登場。
バンド名は「スキーダイスキーヤーズ」ボーカル&ギター担当の宮津裕明(ひろあき)さんです。

同級生ばかりのメンバーで4人。ドラム・西澤寛樹さん。ベース・荒井拓磨さん。
キーボード・原拓也さん。2006年に結成。メンバーの皆さんそれぞれお仕事をしながらのバンド活動。

バンド名が「スキーダイスキーヤーズ」になったのも幼いころからスキーは親しむ
ベースの荒井さんはデモンストレーターで全日本の選手だったほどの腕前。
さらに音楽まで。さあ。ここまでひっぱてきました。
今回は、「スキーダイスキーヤーズ」の歌声がミスチルにそっくり。
ということで!お邪魔しました。決してお顔が似てらっしゃるではなく。
宮津さんに、山ノ内のミスチルと言われることについて
お聞きすると・・・。世代的に。ミスチルはもっとも聞いた音楽の一つ。
真似をしている訳ではなく。自然と似てしまう?
曲調・声・・・。似ていると言われることは本当にうれしいそうです。
現在は、スキーのお仕事が忙しいので・・・。
雪が解ける頃。春になったらバンド活動再開。
今から楽しみです。
調査員 竹井純子
日本のバンドで、1992年にメジャーデビュー。1993年に発売した
「CROSSROAD」がロングヒット。一気に人気が出たという。
根本さんにも分かるように簡単に説明させてもらいました。
そんなミスチルのそっくりさんが、いるらしい?話の発端は。先日
。山ノ内町の幻のお豆腐店。北澤豆腐店のご紹介を噂の調査隊で放送したところ。
北澤豆腐店のCMソングを歌う皆さん。
そして!SBCラジオでよく流れる。山ノ内町の「渋ホテル」のCMソングも歌っていて、
この歌声が・・・。ミスチルにそっくり。ならば!どんな方なのか?
歌声が似ているならば。お顔もミスチル?気になりますよね。
探してみよう。山ノ内町に早速行ってみました。話のもとの北澤豆腐店。
北澤善延(よしのぶ)さんによると!山ノ内町のよませ温泉スキー場に行ったらあえるかも?
との事でしたので・・。よませ温泉スキー場に行ってみました。
山ノ内町のミスチルにお会いできたのか?
☆山ノ内町には、ミスチルそっくりさんがいるらしい?
はい。やっとこさ有力情報入手。シンガーでなんと!スキーのインストラクターをしている
、宮津さんという方ではないか?教えていただいた通りに進んでいくと。
MIYATUと書かれた建物を発見。建物前にいた男性をさらに発見。
もしかして?あの方が噂の山ノ内町のミスチル・宮津さん?声かけてみました。
なんと!お父様。山ノ内のミスチルと息子さんが言われているというよりもミスチル自体がわからない。
宮津さんだけどちがいました。そんなところに・・。タイミングよく、息子さんが登場。
バンド名は「スキーダイスキーヤーズ」ボーカル&ギター担当の宮津裕明(ひろあき)さんです。

同級生ばかりのメンバーで4人。ドラム・西澤寛樹さん。ベース・荒井拓磨さん。
キーボード・原拓也さん。2006年に結成。メンバーの皆さんそれぞれお仕事をしながらのバンド活動。

バンド名が「スキーダイスキーヤーズ」になったのも幼いころからスキーは親しむ
ベースの荒井さんはデモンストレーターで全日本の選手だったほどの腕前。
さらに音楽まで。さあ。ここまでひっぱてきました。
今回は、「スキーダイスキーヤーズ」の歌声がミスチルにそっくり。
ということで!お邪魔しました。決してお顔が似てらっしゃるではなく。
宮津さんに、山ノ内のミスチルと言われることについて
お聞きすると・・・。世代的に。ミスチルはもっとも聞いた音楽の一つ。
真似をしている訳ではなく。自然と似てしまう?
曲調・声・・・。似ていると言われることは本当にうれしいそうです。
現在は、スキーのお仕事が忙しいので・・・。
雪が解ける頃。春になったらバンド活動再開。
今から楽しみです。
調査員 竹井純子
みんながよく食べているあのフルーツは小諸が発祥らしい!?
2017年02月20日
それは…皆さんもよく食べているお馴染みのフルーツなのですよ♪
ところが、そのフルーツは小諸が発祥の地だという事はあまり知られていません。
そのフルーツを作っている方の話によると、この果物の品種は約300もあり、産地として一般的に知られているのは…栃木や静岡。
そうです!あの赤くて可愛らしいフルーツ!!

苺です♪

お話を伺ったのは、小諸市にある布引いちご園の社長 倉本さんです。
倉本さんは苺に熱い熱い想いを持っている方です。苺の研究を重ね、今では苺の生産をほぼ思い通りにできるといった苺博士のような方です。そんな倉本さんは言います。苺のDNAを遡って見ていくと、小諸で育っていた頃の記憶がその中に残っていると。それは、生物学的にだけではなく、歴史的にも証拠があるのだそうです。
その昔、苺は名もない野生の苺という時代がずっと続いていました。「苺」として認識されるようになったのは明治時代。明治天皇に苺のジャムが献上された事がきっかけでした。その時点での記述では「野生の苺を使用してジャムを作った」とされているそうなのですが、後にその苺はどの苺だったのだろうと調査したところ、小諸の野生種「みまきはら一号」もしくは「みまきはら二号」だったであろうという説が有力になったそうです。その後、みまきはら一号が布引いちご園近くの田んぼで発見され、今ではそれを「苺の原種」として栽培しているそうです。

ところで、小諸の苺がどうして明治天皇に献上されるジャムに使われたのかが不思議ですよね。おそらく、他の地域でも野生の苺はあったと思うので。でも、それにもちゃんと理由がありました♪
島崎藤村が作った小諸義塾の先生に木村熊治という方がいました。なんとこの方は缶詰を作る制缶技術を開発した方でもあるのです!果物を缶詰にする技術が生まれ、小諸で採れた苺を煮たもの=ジャムが缶詰となって献上される事になったという訳です。
缶詰工場もできて大量に苺が消費されるようになると、今度は苺の品種改良がされるようになっていきました。今では生食の為に甘くて、大きい苺を…と改良が重ねられ、全国各地で様々な品種の苺がありますが、もとは小諸の苺とかけ合せて増えていったものなのですね。
苺やジャムの生産は小諸での一大産業だったので、ある程度の年齢の方は当時の記憶があるそうです。「学校の帰りに苺のヘタ取りのアルバイトをした」とか、「青い苺はピクルスにしたり、煮ておやきにして食べた」とか。
小諸には「いちご平」というバス停も残っています。でも、苺の産地だという事はいつしか忘れられ、今では、どうして「いちご平」なのかもほとんどの方が分からないというくらいになってしまったそうです。
一大産業にもなっていた苺がどうして消えてしまったのか。
それは戦時中に砂糖は貴重な物になってしまい、ジャムを作る事ができなくなってしまったからなのだそうです。
ジャムのような嗜好品よりも、少しでも食べごたえのある物を…と苺ではなくお芋が作られるようになりました。それが、小諸市御牧原の白いもなのだそうです!今では御牧原の白いもは美味しくて人気の高い食材となっていますが、その誕生にはそのような逸話があったのですね。
苺で小諸を盛り上げたい!という想いを持った倉本さんは、18年前、小諸市大久保に布引いちご園を作りました。その想いがようやく広まりつつあるそうです。昨年、日本ジャム工業組合によって4月20日が「ジャムの日」に制定されました。この日付は、明治43年4月20日に長野県北佐久郡三岡村(現在の小諸市)の塩川伊一郎氏が
明治天皇に苺ジャムを献上したという記録があり、明治初期に始まった日本のジャム産業の発展に
大きく貢献したからという事です。これは苺の発祥の地が小諸であるという事にもつながるという事で、小諸市ではジャムの日のイベントを作るなどして「4月20日は小諸 ジャムを食べる日」と盛り上がりを見せています。
温かい所で育つ果物だと思っていた苺が、実は寒い長野県から発信されていった果物だったとはビックリですね。忘れられた産地だった小諸は、今、産地だった事を思い出されようとしています♪
斉藤 美穂
ところが、そのフルーツは小諸が発祥の地だという事はあまり知られていません。
そのフルーツを作っている方の話によると、この果物の品種は約300もあり、産地として一般的に知られているのは…栃木や静岡。
そうです!あの赤くて可愛らしいフルーツ!!

苺です♪


お話を伺ったのは、小諸市にある布引いちご園の社長 倉本さんです。
倉本さんは苺に熱い熱い想いを持っている方です。苺の研究を重ね、今では苺の生産をほぼ思い通りにできるといった苺博士のような方です。そんな倉本さんは言います。苺のDNAを遡って見ていくと、小諸で育っていた頃の記憶がその中に残っていると。それは、生物学的にだけではなく、歴史的にも証拠があるのだそうです。
その昔、苺は名もない野生の苺という時代がずっと続いていました。「苺」として認識されるようになったのは明治時代。明治天皇に苺のジャムが献上された事がきっかけでした。その時点での記述では「野生の苺を使用してジャムを作った」とされているそうなのですが、後にその苺はどの苺だったのだろうと調査したところ、小諸の野生種「みまきはら一号」もしくは「みまきはら二号」だったであろうという説が有力になったそうです。その後、みまきはら一号が布引いちご園近くの田んぼで発見され、今ではそれを「苺の原種」として栽培しているそうです。

ところで、小諸の苺がどうして明治天皇に献上されるジャムに使われたのかが不思議ですよね。おそらく、他の地域でも野生の苺はあったと思うので。でも、それにもちゃんと理由がありました♪
島崎藤村が作った小諸義塾の先生に木村熊治という方がいました。なんとこの方は缶詰を作る制缶技術を開発した方でもあるのです!果物を缶詰にする技術が生まれ、小諸で採れた苺を煮たもの=ジャムが缶詰となって献上される事になったという訳です。
缶詰工場もできて大量に苺が消費されるようになると、今度は苺の品種改良がされるようになっていきました。今では生食の為に甘くて、大きい苺を…と改良が重ねられ、全国各地で様々な品種の苺がありますが、もとは小諸の苺とかけ合せて増えていったものなのですね。
苺やジャムの生産は小諸での一大産業だったので、ある程度の年齢の方は当時の記憶があるそうです。「学校の帰りに苺のヘタ取りのアルバイトをした」とか、「青い苺はピクルスにしたり、煮ておやきにして食べた」とか。
小諸には「いちご平」というバス停も残っています。でも、苺の産地だという事はいつしか忘れられ、今では、どうして「いちご平」なのかもほとんどの方が分からないというくらいになってしまったそうです。
一大産業にもなっていた苺がどうして消えてしまったのか。
それは戦時中に砂糖は貴重な物になってしまい、ジャムを作る事ができなくなってしまったからなのだそうです。
ジャムのような嗜好品よりも、少しでも食べごたえのある物を…と苺ではなくお芋が作られるようになりました。それが、小諸市御牧原の白いもなのだそうです!今では御牧原の白いもは美味しくて人気の高い食材となっていますが、その誕生にはそのような逸話があったのですね。
苺で小諸を盛り上げたい!という想いを持った倉本さんは、18年前、小諸市大久保に布引いちご園を作りました。その想いがようやく広まりつつあるそうです。昨年、日本ジャム工業組合によって4月20日が「ジャムの日」に制定されました。この日付は、明治43年4月20日に長野県北佐久郡三岡村(現在の小諸市)の塩川伊一郎氏が
明治天皇に苺ジャムを献上したという記録があり、明治初期に始まった日本のジャム産業の発展に
大きく貢献したからという事です。これは苺の発祥の地が小諸であるという事にもつながるという事で、小諸市ではジャムの日のイベントを作るなどして「4月20日は小諸 ジャムを食べる日」と盛り上がりを見せています。
温かい所で育つ果物だと思っていた苺が、実は寒い長野県から発信されていった果物だったとはビックリですね。忘れられた産地だった小諸は、今、産地だった事を思い出されようとしています♪
斉藤 美穂
「またまた登場!「飯田の」ラーメン!一体どんなラーメン?」
2017年02月16日
実はテレビの方のうわさの調査隊でも放送が決まっている
「飯田のかつ丼」に続く第二弾
「飯田のラーメン」が誕生したということで
今日も調査に行ってきましたよ
その飯田のラーメン、かつ丼とは違って
歴史は全くありません
でも、今まで絶対にどこででも作られてはいない
画期的なラーメンみたいなんです
早速、そのラーメンを求めて
飯田市役所の食堂を訪ねてみました
飯田のラーメンって何?
という疑問に答えて下さったのは
飯田市役所の食堂のご主人 中塚敏行さん
その答えは
飯田の特産品ばかり入ったラーメンなんだよ!
とのこと
あなたが今、想像している具材は
きっと、一つも入っていないと思うんです
では何が入っているか?????
その具材がこちら!!!

まずは野沢菜!
続いて・・・・

高野豆腐
そして・・・

ホルモン・・・モツ
に豚肉、キノコ
入ってる具も変わっていますが
何より変わってるのがメインとなる麺なんです
これ、想像しようにも想像できないくらい変わってるんです
実はこの麺、去年開発されたばかり
何が変わっているのか?
その開発に携わりました 飯田女子短期大学の友竹浩之教授にお話伺いました
一体どんな麺なんですか?
と伺うと・・・
その口からは・・・
粉豆腐という言葉
そうです!
粉豆腐が練りこまれたラーメンなんです

このラーメン
地元にある食材で何か新しいものを!
という事で
飯田産業センターが中心となって
丸五製麺さん、旭松さん、飯田女子短期大学さん
長野県の中小企業振興センターさんが共同で開発されたもので
去年、結構大規模に開発されたものなんです
その時作られたのがこちら!

部活終わりの学生さんや栄養が取りにくいお年寄りの皆さんに食べてほしい
という願いで2つの商品が作られました
主食の麺なのにその麺を食べるだけで、たんぱく質やカルシウムなど栄養バランスよくとれる
という画期的な麺なんです
しかも、2割もの粉豆腐が入っていて
1食分のラーメンを食べると、高野豆腐一枚分を食べられるという量が入っているんです
これだけ、変わっているとその味が気になりますが…
私もいただいてきました
スープは透明な塩ラーメンっぽいんですが、隠し味に信州味噌が入っていて
粉豆腐、高野豆腐、味噌と大豆の大競演という感じのラーメンです
あっさり系のラーメンで
それぞれの個性あふれる具材と麺が違和感なく溶け合って
いろんな味が一度に食べられる
食べていても飽きないラーメンに仕上がっていました
特に粉豆腐や高野豆腐にはレジスタントたんぱくと言って
たんぱく質なんですが
消化が悪い、つまり食物繊維のような働きを持っているたんぱく質で
栄養価が高い上にお腹の掃除もしてくれるというような
製造過程で作られる特殊なたんぱく質も入っている
という事で、最近、とても注目されているんです
そんな麺が、ご当地にこだわる中塚さんの目に止まって
開発された、飯田のラーメン
さらに
そこには、こんな開発秘話がありました
南信州で注目を集めている
「吉鍋」
モツや野沢菜の入ったとてもおいしい鍋なんですが
それを召しあがった人たちが
これにラーメン入れたらおいしそうだな~
と言ったことがきっかけ
その思いもかなえてあげたいと
このラーメンが誕生しました
だから、モツに野沢菜にって
普通のラーメンでは考えつかない具材がのることになったんですね〜
吉鍋も粉豆腐も調査隊で取り上げさせていただきましたが
この番組でも調査してきた様々なものが
コラボして、新しい商品が生まれる
なんとなくうれしいものがありますね
飯田のラーメンは、飯田でしか食べることができない
粉どうふの麺を使ったラーメンのことでした

湯気がとってもおいしそう♡ 西村容子 でした
「飯田のかつ丼」に続く第二弾
「飯田のラーメン」が誕生したということで
今日も調査に行ってきましたよ
その飯田のラーメン、かつ丼とは違って
歴史は全くありません
でも、今まで絶対にどこででも作られてはいない
画期的なラーメンみたいなんです
早速、そのラーメンを求めて
飯田市役所の食堂を訪ねてみました
飯田のラーメンって何?
という疑問に答えて下さったのは
飯田市役所の食堂のご主人 中塚敏行さん
その答えは
飯田の特産品ばかり入ったラーメンなんだよ!
とのこと
あなたが今、想像している具材は
きっと、一つも入っていないと思うんです
では何が入っているか?????
その具材がこちら!!!

まずは野沢菜!
続いて・・・・

高野豆腐
そして・・・

ホルモン・・・モツ
に豚肉、キノコ
入ってる具も変わっていますが
何より変わってるのがメインとなる麺なんです
これ、想像しようにも想像できないくらい変わってるんです
実はこの麺、去年開発されたばかり
何が変わっているのか?
その開発に携わりました 飯田女子短期大学の友竹浩之教授にお話伺いました
一体どんな麺なんですか?
と伺うと・・・
その口からは・・・
粉豆腐という言葉
そうです!
粉豆腐が練りこまれたラーメンなんです

このラーメン
地元にある食材で何か新しいものを!
という事で
飯田産業センターが中心となって
丸五製麺さん、旭松さん、飯田女子短期大学さん
長野県の中小企業振興センターさんが共同で開発されたもので
去年、結構大規模に開発されたものなんです
その時作られたのがこちら!

部活終わりの学生さんや栄養が取りにくいお年寄りの皆さんに食べてほしい
という願いで2つの商品が作られました
主食の麺なのにその麺を食べるだけで、たんぱく質やカルシウムなど栄養バランスよくとれる
という画期的な麺なんです
しかも、2割もの粉豆腐が入っていて
1食分のラーメンを食べると、高野豆腐一枚分を食べられるという量が入っているんです
これだけ、変わっているとその味が気になりますが…
私もいただいてきました
スープは透明な塩ラーメンっぽいんですが、隠し味に信州味噌が入っていて
粉豆腐、高野豆腐、味噌と大豆の大競演という感じのラーメンです
あっさり系のラーメンで
それぞれの個性あふれる具材と麺が違和感なく溶け合って
いろんな味が一度に食べられる
食べていても飽きないラーメンに仕上がっていました
特に粉豆腐や高野豆腐にはレジスタントたんぱくと言って
たんぱく質なんですが
消化が悪い、つまり食物繊維のような働きを持っているたんぱく質で
栄養価が高い上にお腹の掃除もしてくれるというような
製造過程で作られる特殊なたんぱく質も入っている
という事で、最近、とても注目されているんです
そんな麺が、ご当地にこだわる中塚さんの目に止まって
開発された、飯田のラーメン
さらに
そこには、こんな開発秘話がありました
南信州で注目を集めている
「吉鍋」
モツや野沢菜の入ったとてもおいしい鍋なんですが
それを召しあがった人たちが
これにラーメン入れたらおいしそうだな~
と言ったことがきっかけ
その思いもかなえてあげたいと
このラーメンが誕生しました
だから、モツに野沢菜にって
普通のラーメンでは考えつかない具材がのることになったんですね〜
吉鍋も粉豆腐も調査隊で取り上げさせていただきましたが
この番組でも調査してきた様々なものが
コラボして、新しい商品が生まれる
なんとなくうれしいものがありますね
飯田のラーメンは、飯田でしか食べることができない
粉どうふの麺を使ったラーメンのことでした

湯気がとってもおいしそう♡ 西村容子 でした
☆長野市に時々現れる珍しい3人組がいるらしい?
2017年02月16日
時々現れる。定期的でもなく・・・。突然と言えば突然。私がお見かけしたときは・・・。
場所は、長野駅前のビル。有名なコーヒーショップ前。
ビニールシートの上に3人並んで座っていて!
まるで!怒られて正座させらているように見える。もう少し近づいてみると。
何やら、目の前を歩く方々に声をかけている。恐る恐る・・・。
声の聞こえるところまで、近づいてみました。
笑って通りすぎるか?完全に無視。確かにそうなるのわかる気がしますが・・。
今回は、男性3人組でしたが。メンバーはほかにもいるときもあるそうです。

☆長野市に時々現れる珍しい3人組がいるらしい?
若い方からご年配の方々。
はたまた、英語で海外の方まで。正直。
誰も足を止めてくれる方がいなかったこの時は。
この若者たちは、大学時代。長野県人寮で知り合った!友人どうしで!
なんと!何か?始めようよって始めたのが。無料で道行く方の愚痴を聞きますよという。
その名も「愚痴聞き屋」を行っている皆さん。

なんで!こんなことやっているの?そりゃあ聞いてみたくなりますよ。
仕事として行っているわけではなく。趣味。あくまでも趣味。
「サードプレイス IN NAGANO」の活動なのですが、
愚痴をお話ししてくれる方々は、様々な方がいて老いも若きもはたまた、
色々な立場の方や学生さんも主婦の方もいるわけです。悩みも様々ですが、
愚痴聞き屋はどなたでも同じように接する。彼らは、同じ目線で話を聞くようにしているそうです。
昨年から始めた活動。今回で9回目を迎えました。
ひと月に1回のペースで行ったりと・・。忙しいときは行わない。
こんな感じが趣味。なのかな?と思いますが、9回目にして話してくれそうな方がおおよそわかってきた。
最初に来た中学生は恐々きて!愚痴はプライベートなことだから話づらい。
そりゃそうだ。次のお母さんは。お父さんへの愚痴ですが、はなすことで!
ちょっとすっきりするみたい。突然。愚痴聞きます言われてもすぐには話ずらいものですが、
愚痴聞く彼らも本当は、ドキドキなんです。
ドキドキ恥ずかしいけど。ここから彼らなりに何か?
見えてくる今後につながるもの!はたまた、知らない人に話す愚痴って何?
どんな方がいて、何を抱えているのか?目標とする1年をもうすぐ迎えますが
愚痴聞き屋やって何を感じ取ったのか?聞いてみました。
人が生きていれば!当たり前に何か愚痴を言いたくなることがある。
だけど!あいつ愚痴ばっかりって言われたらいやじゃないですか?
でも、知らない誰かに話せたらちょっと楽になれるかも?しれない。
そんなところに!彼らの「愚痴聞き屋」があるのかなと感じました。
知らない誰かが!どんな人でも同じように愚痴を聞いてくれる彼ら
愚痴を聞いてくれる彼らが、誰かのサードスペースで。
「サードスペース イン ながの」なのかな?
それによって彼らも少しサードスペースを見つけることができるのかもしれません。
調査員 竹井純子
場所は、長野駅前のビル。有名なコーヒーショップ前。
ビニールシートの上に3人並んで座っていて!
まるで!怒られて正座させらているように見える。もう少し近づいてみると。
何やら、目の前を歩く方々に声をかけている。恐る恐る・・・。
声の聞こえるところまで、近づいてみました。
笑って通りすぎるか?完全に無視。確かにそうなるのわかる気がしますが・・。
今回は、男性3人組でしたが。メンバーはほかにもいるときもあるそうです。

☆長野市に時々現れる珍しい3人組がいるらしい?
若い方からご年配の方々。
はたまた、英語で海外の方まで。正直。
誰も足を止めてくれる方がいなかったこの時は。
この若者たちは、大学時代。長野県人寮で知り合った!友人どうしで!
なんと!何か?始めようよって始めたのが。無料で道行く方の愚痴を聞きますよという。
その名も「愚痴聞き屋」を行っている皆さん。

なんで!こんなことやっているの?そりゃあ聞いてみたくなりますよ。
仕事として行っているわけではなく。趣味。あくまでも趣味。
「サードプレイス IN NAGANO」の活動なのですが、
愚痴をお話ししてくれる方々は、様々な方がいて老いも若きもはたまた、
色々な立場の方や学生さんも主婦の方もいるわけです。悩みも様々ですが、
愚痴聞き屋はどなたでも同じように接する。彼らは、同じ目線で話を聞くようにしているそうです。
昨年から始めた活動。今回で9回目を迎えました。
ひと月に1回のペースで行ったりと・・。忙しいときは行わない。
こんな感じが趣味。なのかな?と思いますが、9回目にして話してくれそうな方がおおよそわかってきた。
最初に来た中学生は恐々きて!愚痴はプライベートなことだから話づらい。
そりゃそうだ。次のお母さんは。お父さんへの愚痴ですが、はなすことで!
ちょっとすっきりするみたい。突然。愚痴聞きます言われてもすぐには話ずらいものですが、
愚痴聞く彼らも本当は、ドキドキなんです。
ドキドキ恥ずかしいけど。ここから彼らなりに何か?
見えてくる今後につながるもの!はたまた、知らない人に話す愚痴って何?
どんな方がいて、何を抱えているのか?目標とする1年をもうすぐ迎えますが
愚痴聞き屋やって何を感じ取ったのか?聞いてみました。
人が生きていれば!当たり前に何か愚痴を言いたくなることがある。
だけど!あいつ愚痴ばっかりって言われたらいやじゃないですか?
でも、知らない誰かに話せたらちょっと楽になれるかも?しれない。
そんなところに!彼らの「愚痴聞き屋」があるのかなと感じました。
知らない誰かが!どんな人でも同じように愚痴を聞いてくれる彼ら
愚痴を聞いてくれる彼らが、誰かのサードスペースで。
「サードスペース イン ながの」なのかな?
それによって彼らも少しサードスペースを見つけることができるのかもしれません。
調査員 竹井純子
木曽郡大桑村のからすみは、甘くて優しい味?
2017年02月16日
からすみと言えば。
桐の箱にはいっていたりなんかする、あの高級品。
ボラの卵巣の加工品のことを思い浮かべますよね。
でもあれ、甘くて優しい味、じゃあないよね。
しかも、木曽郡大桑村で、からすみ作りが始まったらしいと・・・。
なぜ大桑村で? 海ないよ・・・。
調査に行ってまいりました。

大桑村 木工品・特産品販売店 木挽きの里。
ここで、からすみを造っているらしいんです。
中をのぞいてみると・・・


これが、からすみ?
木挽きの里 代表の岨手 孝子さんに聞きました。
「大桑村では昔から、米粉を練った甘い和菓子のことを、
からすみ、と言っています。
桃の節句、おひなさまに供えるお菓子で、
かつてはどこの家でも、桃の節句が近づくとこれを作っていました。
私の子どもの頃は、お友達の家を回って、食べ比べをするほど、
身近なお菓子だったんですよ。」
現在は家で作ることがなくなり、お目にかかる機会も減ってしまったそう。
岨手さんは、大桑村の大切な文化だからと、
7年ほど前から木挽きの里でからすみを作り、販売しています。
通常のからすみは、長細い形(写真下)ですが、
木挽きの里では、花びらの形のもの(写真上)も作っています。
「長細い形だと、車の中などで簡単に食べられないんです。
何人かのお客さんに、車の中で食べて帰りたいから、切ってもらえないか、
と言われて、それならば食べやすい形も作ろうと。
いろいろ考えて、春らしく花びらの形にしたら、
今ではこちらの方が人気なんですよ。」
味は桜、黒砂糖、くるみ、ヨモギなど6種類。
昔から家で作られてきた方法で、ひとつひとつ丁寧に作っています。
「とても手間がかかります。
でも、私たちが子供の頃食べた味を、多くの皆さんに味わってほしいし、
子どもたちにもきちんと伝えていきたい。
この時期は忙しいけれど、美味しいねって言ってもらえると、本当に嬉しいから、
頑張れるんですよね。」
食感は、やしょうまより柔らかくて、ういろうより少し歯ごたえがある感じ。
ほんのり甘くて素朴な味で
大桑村のからすみは、桃の節句に子どもたちの幸せを願う、
お母さんの味でした。

木挽きの里では、月遅れの雛祭り、4月3日まで販売しているそうです。
ぜひ一度、味わってみてください。
桐の箱にはいっていたりなんかする、あの高級品。
ボラの卵巣の加工品のことを思い浮かべますよね。
でもあれ、甘くて優しい味、じゃあないよね。
しかも、木曽郡大桑村で、からすみ作りが始まったらしいと・・・。
なぜ大桑村で? 海ないよ・・・。
調査に行ってまいりました。

大桑村 木工品・特産品販売店 木挽きの里。
ここで、からすみを造っているらしいんです。
中をのぞいてみると・・・


これが、からすみ?
木挽きの里 代表の岨手 孝子さんに聞きました。
「大桑村では昔から、米粉を練った甘い和菓子のことを、
からすみ、と言っています。
桃の節句、おひなさまに供えるお菓子で、
かつてはどこの家でも、桃の節句が近づくとこれを作っていました。
私の子どもの頃は、お友達の家を回って、食べ比べをするほど、
身近なお菓子だったんですよ。」
現在は家で作ることがなくなり、お目にかかる機会も減ってしまったそう。
岨手さんは、大桑村の大切な文化だからと、
7年ほど前から木挽きの里でからすみを作り、販売しています。
通常のからすみは、長細い形(写真下)ですが、
木挽きの里では、花びらの形のもの(写真上)も作っています。
「長細い形だと、車の中などで簡単に食べられないんです。
何人かのお客さんに、車の中で食べて帰りたいから、切ってもらえないか、
と言われて、それならば食べやすい形も作ろうと。
いろいろ考えて、春らしく花びらの形にしたら、
今ではこちらの方が人気なんですよ。」
味は桜、黒砂糖、くるみ、ヨモギなど6種類。
昔から家で作られてきた方法で、ひとつひとつ丁寧に作っています。
「とても手間がかかります。
でも、私たちが子供の頃食べた味を、多くの皆さんに味わってほしいし、
子どもたちにもきちんと伝えていきたい。
この時期は忙しいけれど、美味しいねって言ってもらえると、本当に嬉しいから、
頑張れるんですよね。」
食感は、やしょうまより柔らかくて、ういろうより少し歯ごたえがある感じ。
ほんのり甘くて素朴な味で
大桑村のからすみは、桃の節句に子どもたちの幸せを願う、
お母さんの味でした。

木挽きの里では、月遅れの雛祭り、4月3日まで販売しているそうです。
ぜひ一度、味わってみてください。
諏訪市には、知る人ぞ知る 温泉ファン憧れのお風呂があるらしい!
2017年02月10日
お風呂の話にいく前に諏訪市の温泉事情を諏訪市役所の温泉水道課に聞きました。
諏訪市内には30くらいの組合があり、組合員専用のお風呂(温泉ファンは通称ジモ専、ジモなどと呼ぶらしい)も30以上あるとのこと。
その数あるお風呂の中でも別格なのが、今日の調査対象「平湯」で、諏訪市小和田地区の湯小路にあります。とにかく組合員でないと入れないため、温泉ファンにとっては知る人ぞ知る 憧れのお風呂になっています。この平湯のどこがすごいのかを平温泉組合の今井 利雄組合長に聞きました。
『近くにある上湯(昔は武士専用だった)に対し、平民のためのお風呂だったから平湯と呼ぶ。
今の建物は大正10年に作られたもので、当時はとてもモダンなお風呂として評判だった』とのこと。

長年、諏訪に暮らす調査員もこの目で中を見るのは初めてのこと。
一番驚いたのは脱衣場と浴室の間になんの仕切りもないことです。今井組合長のお話では、『元々は仕切りがあった。戦後の物資が無いころに、履物や子どもの物などの盗難があったため、盗難防止の対策として仕切りを取り外したままになっている。』とのことでした。
このお風呂はかなり熱いそうです。源泉の近くでは昔に比べて低くなったといいながら70度近くあるとのことでした。



この平湯ですが、ここ数年ロケ場所としても注目を集めています。
有名な映画では「テルマエロマエⅡ」「バンクーバーの朝日」などのロケが行われました。
諏訪圏フィルムコミッションの宮坂洋介さんがこんな裏話を教えてくれました。
『テルマエロマエⅡとバンクーバーの朝日の美術監督が同じ人で、本当は同じ場所でロケをしたくなかった。でも日本中を探しても、この平湯ほど古くて雰囲気のあるお風呂が見つけられなかったので、ロケが続くことになった。』そうです。
日常的に組合員の方々が使っているお風呂なので最初は心配したそうですが、とても協力的で助かっているとのこと。この古いお風呂の価値を組合員の皆さんが理解しているからこそでしょう。

お風呂のなかの鏡にこんな張り紙が…
テレビ東京のスペシャルドラマのロケが行われるとの告知。
なんでも設定は戦後まもなくの網走刑務所のお風呂だそうです。さすが平湯!!!
かつては500~600戸ほどの組合員がいたそうですが、現在は270~280戸程度。今後の維持や管理は大きな課題になっています。
実は市民でなくても組合に加入できます。
入会金:10,000円を払い、3月と9月に販売される3,000円の入浴券(40枚つづり)を購入すると誰でも入浴可能です。
お話をしてくれたお二人。左:諏訪圏フィルムコミッションの宮坂洋介さん、右:今井 利雄組合長

調査隊員:土橋桂子
「信州そば発祥の地には、いろんなドラマがあった!」
2017年02月09日
信州そば発祥の地といえばどこ?
と聞かれて思い浮かぶのはどこでしょう?
北信を思い浮かべる方が多のではないでしょうか
あなたはどうですか?
私もやっぱり「戸隠そば」のイメージが強いのか、北信じゃないかって思ってたんです
でも、どうやら違うみたいなんですよね
でもでも
その発祥の地と言われる所で、街頭インタビューをすると・・・
「高遠?」
「伊那・・・」
「最近聞きました、伊那ですよね」
「はい!伊那!!!・・・ってことになっています!」
ということで
かなり定着しているんですよね~
そう!信州そば発祥の地と言われている所は
伊那市なんです
ではなぜ、伊那市が発祥の地なのか?
信州そば発祥の地伊那 そば振興会 会長の飯島進さんにお話伺いました
伊那に「行者そば」というそばがあります
そのそばにはこんな伝説が残されています
奈良時代の初め、修験道の開祖役小角は修業のため信州に入り、小黒川をさかのぼって駒ヶ岳を目指しました。
途中、内の萱で村人たちに温かくもてなされた役小角は、お礼として一握りの蕎麦の実を置いていったそうなんです
村人たちはこのそばを大切に育て、信州全体に広めた・・・と・・・
その行者そばというのは、辛味大根おろしのしぼり汁に焼き味噌を入れて食べるという、とっても珍しい食べ方をするそばで
高遠そばもその辛つゆで食べる同じ文化を受け継いでいます
高遠には「大根畑」なんていう地名もあって
いかに、そのそばの文化を大事に守ってきたかがわかる
と、飯島さんは話してくださいました
さらに、この信州そば発祥の地を語るのに
欠かせない人物がいるんです
その人の名は、保科正行公
保科正之公は高遠城主として有名ですが
その後、その才覚を買われ最上山形20万石の城主として出世し
その後、会津若松、最後は江戸に移り
4代将軍 家綱公の補佐役として非常に活躍する名君として名をはせるわけですが
その保科正之公がとてもそばが好きだった
ですから、高遠から最上山形に行く時も、会津若松に行く時も、そして江戸にも、そば職人を連れて歩いた
そのため、その足跡には全てそばが残っているというんです
山形には、「寒ざらしそば」
会津若松には、名前もそのまま「高遠そば」
のそば文化が残っていて、そのルーツはいずれも高遠だということです
さらに
江戸のそば文化を定着させたのも
保科家だと考えられる事実があるようなんです
よく「更科そば」と言いますよね
この更科の「科」の字
その字に面白い話があるんです
今でも麻布十番にある、そばの老舗「更科堀井」
江戸時代、保科家の「科」の字をもらって「更科そば」という呼び名を許されました
そのおそばがあまりにおいしいので、広く広まり、「更科そば」というのが商標が取れないくらい定着した呼び方になった
無類のそば好きで、各地にそば文化を残してきた保科家
江戸でも、そのお店にそば作りを伝授し、その伝授の証として「科」の字の使用を許した
江戸のそば文化に、何らかの形で保科家が関連していたと推測してもいいのかもしれませんね
さらに、現在のそば粉の生産量から見ても
全国第2位の長野県の中で、常に伊那は1、2を争うトップクラス
そんな意味でも誇りを持って発祥の地をうたえると飯島さん
様々な角度から見て、信州そばのルーツをたどると
結構面白い話が出てくるものですね
それにしても
信州そば発祥の地は、伊那市です
と断言して、県内のそば処からクレームなどは来ないんでしょうか?
気になりますよね
でも
どこからも何のクレームもなく
大きな心で見守ってくれていると飯島さん
これからさらに、発祥の地に拍車がかかりそうですね

取材中おそばが食べたくなってきてしまった 西村容子 でした
と聞かれて思い浮かぶのはどこでしょう?
北信を思い浮かべる方が多のではないでしょうか
あなたはどうですか?
私もやっぱり「戸隠そば」のイメージが強いのか、北信じゃないかって思ってたんです
でも、どうやら違うみたいなんですよね
でもでも
その発祥の地と言われる所で、街頭インタビューをすると・・・
「高遠?」
「伊那・・・」
「最近聞きました、伊那ですよね」
「はい!伊那!!!・・・ってことになっています!」
ということで
かなり定着しているんですよね~
そう!信州そば発祥の地と言われている所は
伊那市なんです

ではなぜ、伊那市が発祥の地なのか?
信州そば発祥の地伊那 そば振興会 会長の飯島進さんにお話伺いました
伊那に「行者そば」というそばがあります
そのそばにはこんな伝説が残されています
奈良時代の初め、修験道の開祖役小角は修業のため信州に入り、小黒川をさかのぼって駒ヶ岳を目指しました。
途中、内の萱で村人たちに温かくもてなされた役小角は、お礼として一握りの蕎麦の実を置いていったそうなんです
村人たちはこのそばを大切に育て、信州全体に広めた・・・と・・・
その行者そばというのは、辛味大根おろしのしぼり汁に焼き味噌を入れて食べるという、とっても珍しい食べ方をするそばで
高遠そばもその辛つゆで食べる同じ文化を受け継いでいます
高遠には「大根畑」なんていう地名もあって
いかに、そのそばの文化を大事に守ってきたかがわかる
と、飯島さんは話してくださいました
さらに、この信州そば発祥の地を語るのに
欠かせない人物がいるんです
その人の名は、保科正行公
保科正之公は高遠城主として有名ですが
その後、その才覚を買われ最上山形20万石の城主として出世し
その後、会津若松、最後は江戸に移り
4代将軍 家綱公の補佐役として非常に活躍する名君として名をはせるわけですが
その保科正之公がとてもそばが好きだった
ですから、高遠から最上山形に行く時も、会津若松に行く時も、そして江戸にも、そば職人を連れて歩いた
そのため、その足跡には全てそばが残っているというんです
山形には、「寒ざらしそば」
会津若松には、名前もそのまま「高遠そば」
のそば文化が残っていて、そのルーツはいずれも高遠だということです
さらに
江戸のそば文化を定着させたのも
保科家だと考えられる事実があるようなんです
よく「更科そば」と言いますよね
この更科の「科」の字
その字に面白い話があるんです
今でも麻布十番にある、そばの老舗「更科堀井」
江戸時代、保科家の「科」の字をもらって「更科そば」という呼び名を許されました
そのおそばがあまりにおいしいので、広く広まり、「更科そば」というのが商標が取れないくらい定着した呼び方になった
無類のそば好きで、各地にそば文化を残してきた保科家
江戸でも、そのお店にそば作りを伝授し、その伝授の証として「科」の字の使用を許した
江戸のそば文化に、何らかの形で保科家が関連していたと推測してもいいのかもしれませんね
さらに、現在のそば粉の生産量から見ても
全国第2位の長野県の中で、常に伊那は1、2を争うトップクラス
そんな意味でも誇りを持って発祥の地をうたえると飯島さん
様々な角度から見て、信州そばのルーツをたどると
結構面白い話が出てくるものですね
それにしても
信州そば発祥の地は、伊那市です
と断言して、県内のそば処からクレームなどは来ないんでしょうか?
気になりますよね
でも
どこからも何のクレームもなく
大きな心で見守ってくれていると飯島さん
これからさらに、発祥の地に拍車がかかりそうですね

取材中おそばが食べたくなってきてしまった 西村容子 でした
バレンタインに七夕人形? 恋のキューピッド、カータリくんとは!?
2017年02月08日
松本市博物館。
入口を入ってすぐのミュージアムショップにこの次期、
バレンタインコーナーが設けられています。

で、そのバレンタインコーナーのメーンが、話題を呼んでいるんです。
七夕人形。しかも、あまりお目にかかったことのない人形が・・・。

カータリくんストラップ。
なにこれ?
スタッフの保坂佳子さんにうかがいました。
「こちらは、七夕人形のカータリをモチーフにしたストラップです。
恋のキューピッド、ということで、バレンタインにぴったりの商品なんです。」

これが? 七夕人形? で、なぜ恋のキューピッド??
ストラップの梱包の中に説明が書いてある紙を発見。
こんなふうに書いてありましたよ。
カータリとは。
松本の七夕の特徴のひとつに「七夕人形」があります。
木や紙で作った織り姫とひこ星の人形を、軒先に吊るして七夕をお祝いします。
そんなまつもとの七夕人形の中に、ちょっと変わったキャラクターが出てきます。
それは「カータリ」といい・・・(中略)、織り姫、ひこ星と一緒に軒先にぶら下がっています。
この「カータリ」は、実は大事な役目を背負っています。
織り姫とひこ星は天の川に隔てられ一年に一回しか会えません。
そんな大事な日に、雨が降って天の川が増水してしまったら、二人は会えなくなってしまいます。
そんな悲しい日にならないために、「カータリ」は待機し、
七夕様を背負って増水した天の川を渡り、対岸まで送り届けます。
「カータリ」という名前も、「川渡り」から来ていると考えられ、
他にもカワゴエ(川越え)、アシナガ(足長)と呼ばれる形態もあります。
この「カータリ」は、全国でも松本にしか登場しません。
なぜこの松本で登場したのかは定かではありませんが、
今年も「カータリ」は、織り姫とひこ星の恋心を届けるために、軒先に吊るされます。
まさに、恋のキューピッド「ナイスガイ カータリくん」です。
(松本市立博物館)
なるほど! そういうことだったんですね!
「このカータリくんストラップを購入した東京の方が、
娘さんにプレゼントしたところ、その娘さんが良縁に恵まれたそうで、
再びここを訪れて私たちスタッフにそれを話してくれて、
またもう一つ買ってくださったんです。
こんな嬉しいことはないですよね~。
それはバレンタインにぴったりだ、ということになりまして、
コーナーを作ってみました。」
新聞などで取り上げられたことから、見に来る人が多くなっているそう。
取材をしたこの日も、若い女性が見に来ていました。
「こうしたことをきっかけに、松本の文化に触れてもらいたい、
知ってもらいたい、という願いから、ストラップを作りました。
もし興味を持ってくださったなら、ぜひ、館内もご覧いただきたいと思います。
博物館の中には、本物のカータリ人形も展示していますし、
お声掛けいただければ、学芸員が説明します。」
カータリは松本だけの独特の文化。
なかなか粋な発想ですよね。
でも、知っている人は少ないようです。
七夕が近づくと、松本ではあちこちで、織り姫とひこ星の七夕人形が見られますが、
カータリはなかなかお目にかかることはありません。
季節は違うけれど、こうして文化に触れることは大事なことだな~と思います。
この機会にぜひ、博物館の中もご覧くださいね。
入館料は大人200円、中学生以下100円です!
入口を入ってすぐのミュージアムショップにこの次期、
バレンタインコーナーが設けられています。

で、そのバレンタインコーナーのメーンが、話題を呼んでいるんです。
七夕人形。しかも、あまりお目にかかったことのない人形が・・・。

カータリくんストラップ。
なにこれ?
スタッフの保坂佳子さんにうかがいました。
「こちらは、七夕人形のカータリをモチーフにしたストラップです。
恋のキューピッド、ということで、バレンタインにぴったりの商品なんです。」

これが? 七夕人形? で、なぜ恋のキューピッド??
ストラップの梱包の中に説明が書いてある紙を発見。
こんなふうに書いてありましたよ。
カータリとは。
松本の七夕の特徴のひとつに「七夕人形」があります。
木や紙で作った織り姫とひこ星の人形を、軒先に吊るして七夕をお祝いします。
そんなまつもとの七夕人形の中に、ちょっと変わったキャラクターが出てきます。
それは「カータリ」といい・・・(中略)、織り姫、ひこ星と一緒に軒先にぶら下がっています。
この「カータリ」は、実は大事な役目を背負っています。
織り姫とひこ星は天の川に隔てられ一年に一回しか会えません。
そんな大事な日に、雨が降って天の川が増水してしまったら、二人は会えなくなってしまいます。
そんな悲しい日にならないために、「カータリ」は待機し、
七夕様を背負って増水した天の川を渡り、対岸まで送り届けます。
「カータリ」という名前も、「川渡り」から来ていると考えられ、
他にもカワゴエ(川越え)、アシナガ(足長)と呼ばれる形態もあります。
この「カータリ」は、全国でも松本にしか登場しません。
なぜこの松本で登場したのかは定かではありませんが、
今年も「カータリ」は、織り姫とひこ星の恋心を届けるために、軒先に吊るされます。
まさに、恋のキューピッド「ナイスガイ カータリくん」です。
(松本市立博物館)
なるほど! そういうことだったんですね!
「このカータリくんストラップを購入した東京の方が、
娘さんにプレゼントしたところ、その娘さんが良縁に恵まれたそうで、
再びここを訪れて私たちスタッフにそれを話してくれて、
またもう一つ買ってくださったんです。
こんな嬉しいことはないですよね~。
それはバレンタインにぴったりだ、ということになりまして、
コーナーを作ってみました。」
新聞などで取り上げられたことから、見に来る人が多くなっているそう。
取材をしたこの日も、若い女性が見に来ていました。
「こうしたことをきっかけに、松本の文化に触れてもらいたい、
知ってもらいたい、という願いから、ストラップを作りました。
もし興味を持ってくださったなら、ぜひ、館内もご覧いただきたいと思います。
博物館の中には、本物のカータリ人形も展示していますし、
お声掛けいただければ、学芸員が説明します。」
カータリは松本だけの独特の文化。
なかなか粋な発想ですよね。
でも、知っている人は少ないようです。
七夕が近づくと、松本ではあちこちで、織り姫とひこ星の七夕人形が見られますが、
カータリはなかなかお目にかかることはありません。
季節は違うけれど、こうして文化に触れることは大事なことだな~と思います。
この機会にぜひ、博物館の中もご覧くださいね。
入館料は大人200円、中学生以下100円です!