下諏訪町にある〇〇の専門店が思ったより忙しいらしい!!

〇〇の専門店とは「椅子の張り替え」の専門店のことです。

昨年の夏、下諏訪町にオープンして以来ずっと気にかかっていたので調査に行ってきました。

なぜ気にかかっていたかというと、商売として成り立つのかどうかはなはだ疑問だったからです。

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お店…工房の名前は「Zatowa…ザトワ」

迎えてくれたのはオーナーの北澤 佳奈子さん、34歳です。

北澤さんは塩尻市の出身で、大阪の大学の芸術学部に進学します。

在学中に演劇の舞台監督を頼まれたことがきっかけで、卒業後も京都にある劇団の舞台監督を仕事にしていたそうです。

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ところがある日、雑誌で見た椅子張りに興味を持ちます。

『こんな仕事があるんだ…。』と思い調べると、近くに椅子張りの技術を教える専門学校があったので見学へ。その学校で二年間学び、そのまま学校を運営するグループ会社へ就職。

椅子張り・張替えの職人…として3年間勤務し昨年の夏、下諏訪町にご自分のイス張り工房…Zatowaをオープンした。

Zatowaの名前の由来を聞きました。

学生時代のニックネーム“ざわ”が好きだった。そこで座…「座る」と輪…「輪が広がる」の意味を込めてZatowaにしたそうです。

 

京都が大好きとのことなのに、独立するときになぜ信州へUターンしたのか…

「両親が体調を崩した時などに京都は遠い。特に親孝行というわけではないけれど、何かあったときにすぐに帰ることのできる場所にいたくて信州に戻ることを決めた。」

では…なぜ下諏訪を選んだのか?

「帰省したときたまたま父が諏訪大社へ連れてきてくれた。その時にとても自然に恵まれている場所という印象があったので、下諏訪で探した。御田町などに同世代の職人が多く、結果的にとても良かった」とのことです。

そもそもの疑問、「椅子張りの仕事でやっていけるのか?」を聞きました。

『これで家族を養っていくとなると違うかもしれないが、今やっていけてます。』

そうなんです、お忙しいんです。

本当はもっと早く調査をしたかったのですが、

年度末でたいへんお忙しく放送日前日の調査になりました。

↓ 工房の様子

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北澤さんは、2年専門学校で学び、3年会社に勤めて独立。

実はこの業界、一人前になるには5年~10年はかかると一般的に言われるそうです。

北澤さんが会社に勤めた3年間は、寝る間もないほど忙しく、

最後はリーダー的存在になっていました。

独立するときにも、技術的には大丈夫…の太鼓判を社長から押してもらったそうです。

 

そんなに熱中するほど、北沢さんを惹きつけたものは何でしょう…。

「音楽のように、国境を越えてつながっていける物造りをしたいとずっと思っていた。椅子張りの技術を学びにイギリスに二か月行ったことがある。世界でも同じ仕事をしている人がいると思ったことが今でも支えになっている。皆さんそれぞれに思い入れのある椅子をお持ちで、それをだましだまし使っている。だからこそ張替えが終わると本当に喜んでくれる。感動してくれる。それが嬉しい。」と話してくれました。

最後にこれからの夢を伺うとこう答えてくれました。

「あまり大きな夢はない。この仕事を、歳をとっても続けていけたらいい。そして一人一人、一脚一脚の椅子と真摯に向き合える日々を送っていけたらいい。買い替えのほかに、張替えという選択肢があることを知ってもらえると嬉しいです。」

北澤さんに話を聞くと…お答えの最後に、「特に根拠はないんですけど…。」というフレーズが
良くでてきます。でももう一歩踏み込んで聞くと、実はとてもいろいろなことを、きちんと準備しながら進めていることが分かります。

自分で起業・独立のためにいろいろ なことをメモしていた…という手帳を見せて頂きました。

素晴らしい!!!ただただ感服。開業の場所を下諏訪町に決める時も、ちゃんと諏訪湖周全域の人口を調べているんです。



変わらない信念と周到な準備。起業をめざす方たちのお手本のような方だと感じました。

『やってけるの~』なんて、軽い調子で行った自分が恥ずかしくなるような…。

素敵な女性の存在にとても元気をいただく調査になりました。

 

椅子張り店 Zatowa

下諏訪町南四王6129-1

電話番号:0266-75-5475

 

調査隊員:土橋桂子

松本出身の偉~いお医者さん。アレでとても有名らしい。

浅田宗伯という、とても偉いお医者さん。

今でもアレの世界では、とても有名な先生らしいんです。

アレとは・・・


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そう。漢方です。

今でも多くの患者さんに処方されているこの漢方薬。

「女神散(にょしんさん)」と名付けたのが、

松本出身の浅田宗伯というとても偉い先生なんですって。


松本市島立にある 浅田記念クリニック

院長の 高橋 文子先生が、いろいろご存知らしいということで、

お話を聞きに行ってきました!

 

 

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「浅田宗伯は、1815年に今の松本市島立北栗に生まれました。

父、祖父ともにこの地で医業を営んでいました。

宗伯は18歳で故郷を離れ、京都で学び、江戸で開業。

その後、1855年に江戸幕府徳川将軍家の典医となりました。

1865年にフランス公使レオン・ロッシュの難病を漢方で治したこときっかけに

大いに名声を上げ、その後も漢方医としてその伝統を守り続け、

最後には天皇家最後の侍医として活躍しました。

大正天皇の危篤状態を救ったのも浅田宗伯だといわれています。

浅田宗伯が生きた19世紀は、西洋医学を受け入れ、学ぶ人が増え、

ついには西洋医学が医療の主流になった時代です。

その中で、漢方医学の最後の砦を死守したひとりに、

浅田宗伯がいたといわれています。」



え~~~~っ!!

そんなに偉い先生が松本出身!

知らなかったぁぁぁ。

 

「この浅田記念クリニックが建つ、ここで生まれたんです。」


すご~~~い!

で。

高橋先生は何者!?

「私は子孫にあたります。私の5代前が浅田宗伯なんです。」

 

だから先生もお医者さんに・・・?



「それがですねぇ。私が学んできたのは西洋医学。

私が学生だった頃は、授業で漢方を学ぶことはなかったんです。

なので、その偉大さはいまひとつピンと来ていなかったというか・・・。

祖父からはよく聞かされていたんですけれど。」


医師として現場で様々な経験をしていく中で、漢方の考え方に触れ、

そこでやっと、その偉大さに気付いたそうです。


「西洋医学と東洋医学、一緒になって初めて病を治す力のなるのだなぁと、

最近感じることが多いです。

宗伯の子孫として、もっともっと勉強していきたいという想いから、

宗伯が生まれたこの地で、浅田記念という名をつけたクリニックを開業しました。」


クリニックの入り口には、宗伯の写真とともにその功績を記したボードが。


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待合室もとてもきれいで心地いい空間です。

 

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「宗伯は、医療に関する多くの書籍を残していて、

その中で医師としての志も示しています。

患者さんの診察、診療は、ただひたすらに真心を尽くしなさい。

それが医師の務めであり、医術上達への唯一の道なのだ、

と教えてくれています。

それを読むたびに、おじいちゃんに言い聞かせられているような気持ちになり、

医師として気が引き締まる想いです。

宗伯の志をしっかりと継ぎ、頑張っていきたいと思っています。」


浅田宗伯が唱えた医療の本質、

時代を超えて、この地に受け継がれている。

素晴らしいことだと思います。

これからの地域医療に、大きな期待をしたいところですよね。

 

松本の調査隊員 塚原でした。

 

☆小布施町には!誰でも気軽に立ち寄れる素敵な場所があるらしい?

誰でも!気軽に立ち寄れる素敵な場所って。小布施町には沢山ありそうなんですけど・・・。
最近話題の場所らしいんです。

古民家の看板にトポスと書かれたこの場所が!どうも最近話題の場所らしい?です。
取材時は、イベントが行われていまして!大勢の方が気軽に楽しそうにいらっしゃっていました。
小布施町に現れたこのトポスという場所は一体どんなところなのか?
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☆小布施町には!誰でも気軽に立ち寄れる素敵な場所があるらしい?


小布施町の中町にあります。古民家にトポスの看板。取材時、大勢の皆さんが集う。
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にぎやかな場所。皆さん楽しそうにさらに!気軽に立ち寄れるスペース。
今年に入ってから注目の小布施のスポットになっているとのこと。
トポスのボス。エバ―グリーン代表の竹内淳子さんお聞きしました。

小布施町に、誰でも、気軽に立ち寄れる場所とは、今年1月にOPしました。

トポスというフリースペース。誰でも気軽に立ち寄ってさらに借りることもできるという場所なんです。
きっかけは、昨年で3回目を迎えたエバーグリーンマーケット。
小布施町にあります、玄照寺・お寺で開かれているものなんですが・・・。
そちらに出店していたクラフト作家さんたちが日常的に、
作品を披露する場を提供できたらと!代表を務める竹内さんが主となってOPした場所なんです。

こちらのスペースは、公会堂のようにも使っていただけるし!商業用としても利用できる。
今は、働き方も人それぞれ。お子さんがいてもお店持ってみたいけどすぐには無理かな?
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とか試しに自分の作ったものを並べるとお客さんの反応ってどんな感じなのか?見てみたい。
そんな若い方から!自分の作った作品をより多くの方に見てもらいたいというご年配の方まで!
まさに!フリースペースで自由に使っていただきたいと考えているそうです。
やってみたいけどどうしたらいいのか?竹内さんの相談に乗ってくださるので!
一歩が踏み出しやすいのかもしれません。

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一歩踏み出す時の、何か?お手伝いができたらうれしいとおっしゃる竹内さん。
自分でエバーグリーンマーケットをひらいたら3年で倍近い店舗数が集まるようになった。
これだけの方が自由にやりたいことを発表する場所を求めているのと同時に!
この場所があるからやってみたいことが見つかったり、アイディアが広がったりするのかな?
って感じていらっしゃるそうです。
で!さらに!トポスを開くきっかけとなったエバーグリーンマーケットをコンパクトにして、
毎月1日第一日曜日に市を開くそうです。

トポスもそうなんですけど、竹内さんは多くの方に小布施に足を運んでいただけるようにと
様々なこと考えていらっしゃる方なんです。

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4月から10月ぐらいまで月1でこのエバグリ市開催していくそうです。
場所は、トポスではなく皇大神社(こうたいじんじゃ)公園もあり。
お子さんづれでも十分楽しめるのでは?ないのかな?と思います。
昔から続く小布施町の市文化。また!新しい形で広げていきたいそうです。

調査員 竹井純子


中にあるのは階段だけ!?小海町には変わった建物があるらしい!

その建物は小海町にあります。

高さ約10m、幅およそ8m

コンクリート打ちっぱなしのかなりしっかりとした建物ですが、その無機質な物体はまるで緑の中に無造作に置かれたコンクリートのブロックのようにも見えます。近づいて見ると…

 

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ドアを1つ見つける事ができました♪

 

このドアの向こうにあるのは、なんと階段だけ!?なのだそうです。

階段だけって…。

壁がつるん!としていて、窓もありません。

一体、こののっぺら建物は何の建物なのでしょうかっ

 

実は、このドアがあるのは建物の裏側になるそうです。

表にまわって見ると…

 

 

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このような感じ!

表側の一辺の壁は全くなく、建物の中が丸見えになっています。

斜めに三本階段が通っているのが分かりますね。

三階建てだというのが分かります。

何かをする為に高い所まで上るという…

 

そうです。これは展望台なのです!

 

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でも、ただの展望台ではないのですよ~♪

この展望台から観えるのは、美しい八ヶ岳連峰と…美術館!?

 

答えは、美術館を観る為の展望台なのでした~♪

 

建物を観る為の展望台。

なんだか変な感じ。

 

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この展望台があるのは、小海町高原美術館。

小海町高原美術館と言えば、日本を代表する建築家 安藤 忠雄氏が設計した美術館としても有名ですね。コンクリート壁の人工的な建物と自然が見事に調和していてとても居心地の良い空間となっています。

そんな美術館をすこし高い所から見下ろす事ができるというのがこの展望台。

1階から見る景色。2階から。そして3階へ…と行くと、八ヶ岳連峰のすそから続く木々の中に包み込まれるようにして小海町高原美術館が建っているのが分かります。

上から見ると分かるのですが、形もとても魅力的なのですね。直線だけではなく、丸くアールになっている部分もあって、それが作る影がまた素敵です!

 

小海町高原美術館の中嶋さんの話によると、観る時間帯によってもその印象は変わるのだそうです。

どの時間の景色も素晴らしいものだと言います。

「えっ…それじゃあ、一日中美術館にいなければ…。」

って思いますよね。でも大丈夫ですよ♪小海町高原美術館は入場券を提示すると、再入場もできるのです。つまり…お隣に温泉施設があるのでそちらに行って、また違う時間帯に戻ってくるという方法もあるのです♪

 

小海町高原美術館は今年で開館20周年になるそうです。

つまり、この展望台も20歳!おめでとう!!

20周年を記念した展示が今年は4回にわたって行われるそうです。まずは4月10日(月)~6月11日(日)まで開かれるオルゴール展覧会。古いオルゴールから現代のオルゴール作家が手掛けた進化系のオルゴールまで。見て、聞いて、感じてと楽しめるそうです。

これからの季節、緑が芽吹いてくると美術館のある景色も一層美しいものへと変わっていくでしょう。是非、遊びに行ったら展望台に上ってみてくださいね♪

 

 

 

斉藤 美穂

 

 

 

 

富士見町に誕生した〇〇カフェがとても喜ばれているらしい!!

皆さんはオレンジカフェという言葉を耳にしたことがありますか?
別名を認知症カフェといいます。○○カフェとは認知症カフェのことです。
認知症カフェは、認知症の人やその家族が、地域の人たちと気軽に交流できる場所として開設されており、全国的に増えています。

その認知症カフェが、富士見町にできたというので調査に行ってきました。
場所は富士見町の立沢にある「喫茶フロイド」と聞きましたが、行ってみるとすぐそばにある介護事業所の「一本松の家」で開催されていました。
入口に立てられたオレンジ色ののぼり旗が目印です。

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富士見町の認知症カフェを立ちあげたのは、富士見町社会福祉協議会の進藤竜一さんです。
進藤さんは、富士見町認知症地域支援推進員という肩書もお持ちです。

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『認知症の方が気軽に出かける場所がなかなか無いと聞いたので、そんな場所を富士見町に作りたかった。認知症カフェでは言葉が強い…という意見もいただいたので、認知症の方を支える支援の色からオレンジカフェの名前にした。』とのお話でした。

認知症カフェを作ろうと思った進藤さんが声を掛けたのが、二年ほど前に富士見町に移住してきた響谷千恵子さんです。響谷さんも地域に貢献ができて、新たな繋がりができると思い進藤さんの要請に応えます。

進藤さんと響谷さんの協力で、2016年の12月から、基本的に月二回のペースで認知症カフェオープンすることになりました。認知症の方に限らず、ご家族やボランティアの方などどなたでも参加できるこの場所はとても喜ばれます。
月1回から2回、木曜日の午後1時~4時までオープンする認知症カフェには予想を上回るお客様が訪れます。「喫茶フロイド」では狭くなり、すぐ近くの介護事業所「一本松の家」に場所を移すこともしばしばとのことです。

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カフェがオープンする日は、午後1時ころから集まったみんなでお菓子を手作りします。
その手作りのお菓子を食べながら、お茶を飲む。もちろん認知症についての話題も登場しますが、他愛のない日々の会話を楽しむことも大きな目的になっています。
ところで、毎回のお茶菓子を何にするかを考えるのが響谷さんです。参加者の要望を聞きながら
無理なく作れるレシピを考えます。負担にならないか聞くとこんなお答えが…
『いくらでもメニューはあります。実は製菓学校を出ているんです。しかもお菓子教室をあちこちで開催したこともあります。』
ちなみに今までに作ったものはどら焼き、桜もち、いぐいす餅、8回目のこの日は 鹿の子…
4月はシュークリームを予定しているそうです。

調査隊員もこの日のお茶菓子…鹿の子を頂きました。
あんこ の周りに 小豆がたくさんついていて、程よい甘さでとても美味しかったので、 ぺろりと食べてしまいました。

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にこやかに話をしている参加者の方々に感想を聞きました。
皆さん口を揃えて言う言葉は『楽しいです!!ここにくるといろいろなお話ができて本当にうれしい!!!』とても温かな気持ちになるインタビューでした。

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予約も必要ないので、参加者は当日になってみないと分からない。その日の天候にも左右されるそうです。
調査をして感じたことがあります。
この認知症カフェにはプロが二人いる。
認知症支援のプロの進藤さんがもっている、認知症についての様々な知識や情報。
そしてお菓子のプロの響谷さんがもっている、お菓子作りの知識や技術。
二人のプロの存在が富士見町の認知症カフェに大きな魅力を生んでいるという印象でした。

次回は4月27日(木)、午後1時~4時、場所はおそらく「一本松の家」
お店の外に、「オレンジカフェ」と書いたオレンジ色のノボリバタが出る、

問合せ先:電話番号/0266-78-9155 富士見町の認知症支援の窓口まで

「国の重要無形民俗文化財に指定された大鹿歌舞伎が今、指定されたワケとは…」

県内には10の国の重要無形民俗文化財がありますが

そのうちの6個、半数以上がここ南信州の残されています

これは全国的に見ても珍しいことで

この地域が民俗芸能の宝庫と言われる所以でもあります

 

県内10個目となった大鹿歌舞伎の重文指定がこの3月正式に決まり

公布が行われました

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これは、国の選択無形民俗文化財に指定されてから

20年

一時は、無理だとも言われました

なぜこれほどまでに時間を要したのか?

今日はその謎に迫ります

 

実は、今日この謎に答えてくださるのは

私たちと同じ調査員

この重文指定に実際に携わった文化庁の文化財部伝統文化課主任文化財調査官 宮田繁幸さん

この重文指定を決めた方、ご本人に直接伺っちゃいました

 

興味深いお話がいっぱい聞けちゃいましたよ

 

☆指定に時間がかかったワケ その1

全国に5〜7万もの民俗芸能の中で

重文に指定されるのは、年に2〜3件ほど

しかもその数をたった3人の調査官で調査して指定を決める

祭を見に行く回数も一つの祭りに対して1回で終わらないのは当たり前

時間がかかって当たり前ですよね~

 

でもそれは、事実ではあるけれど、それほど大きな理由ではなく

他に、民俗芸能の歴史を考えると当然ともいえる理由があったんです

 

☆指定に時間がかかったワケ その2

南信州で重文指定されている他の無形民俗文化財は

神様に捧げる神事的な要素の強いものばかり

大鹿歌舞伎は娯楽としての要素がとても強い民俗芸能

 

しかも、江戸、明治の頃はいわゆる東京の歌舞伎座などで演じられている大歌舞伎以外は

一般の人たちが歌舞伎を演じることは法律で禁止されていました

そのため、神様に奉納するという形としてしか演じること許されなかった時代

地芝居である地方の歌舞伎は

大歌舞伎のまね事に過ぎないと判断する研究者も以前は多く

民俗芸能として認められない空気があったようなんです

 

地芝居を中心とする民俗芸能への評価は選択無形民俗文化財の指定を受けた

20年前でもなお低かったそうで

記録を残す価値がある文化財という意味の選択無形民俗文化財には指定されたものの

研究者などの認識が変わらない以上

重文の指定を受けるのはとても大変なことだった

ということになります

 

しかし、時が経つというか、研究が進むうちに

大鹿歌舞伎が持っている文化的価値が評価されるようになっていきます

そして、大鹿歌舞伎だから指定に結びついたという理由も大いにあるようでした

 

☆指定に踏み切ったワケ その3

大鹿歌舞伎は戦時中も明治の経済が衰退した中でも

途切れることなく公演が行われ続けてきた事

そして

舞台を演じるだけではなく

義太夫も三味線も

衣装も化粧も

そのすべてを村民が行っている事

これは本当に珍しいことで

こういう形で守られ続けられてきたことへの評価かなり高かったそうです

 

さらにそれを楽しむ観客の楽しみ方も、価値が高いようなんです

 

☆指定に踏み切ったワケ その4

観客からのおひねりの飛び方

ろくべんを持って観劇に行く様子

 

東京などの大歌舞伎が

今、少しかしこまって見るものになっている中で

本来の歌舞伎の楽しみ方がここにはある

昔からの観客の楽しむ姿が残されているのも意味があることだそうです

 

そしてもう一つ

今回の重文指定を受けるのに

大切な要素がありました

 

☆指定に踏み切ったワケ その5

それを、生涯をかけて成し遂げてきた方がいらっしゃいます

大鹿歌舞伎の素晴らしさを身も心も捧げて伝え続けてきた

現在、大鹿歌舞伎顧問の片桐登さんです

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この方がいなかったら、重文指定はなかったかもしれないとまで言われる方です

 

その片桐さんがしてきたこと・・・

今、大鹿村では中学校ばかりでなく、小学校でも4年生から大鹿歌舞伎を学校あげて

取り組んでいて、子供達が地元の伝統文化の素晴らしさを肌で感じ、学ぶ事ができるようになっているんです

そして、その学は、今、大きな成果を上げ

現在の保存会のメンバーの中には9人も中学校で大鹿歌舞伎を体験した人がいます

 

実はこうしたサイクルが出来上がっている

と言うのが指定のもう一つの大事な要素だったんです

 

中学校で大鹿歌舞伎を授業で取り扱うようになったのが昭和50年

当時それを働きかけたのが片桐さんでした

 

しかし、それは容易には受け入れられなかったそうです

今でこそ、学校と地域が連携して…という活動は推奨されますが

当時そんな考えはなく

まず学校を説得するのも大変でしたが

 

それより大変だったのが

村の議会

「村の教育委員会の職員だった片桐さんが歌舞伎なんかに夢中になってどういうことだ」



「そんな職員は辞めさせろ!」

という動きにまでなっていったそうです

 

それほどまでに、当時は歌舞伎の評価は村の中でも低かったんです

それでも、これには価値があるんだと言い続け

 

時を同じくして、県の重要無形民俗文化財に指定されたこともあったり

その思いを理解してくれる方も出て

村長さんの家族まで、冬至の村長さんを説得してくれたそうです

 

片桐さんの熱意は、村の職員として残る動きを作り

3期も村の教育長を務め、子供達への指導を続けました

 

今、民俗芸能はどの地域でも後継者不足など

この文化をどのようにして「継承」していくかというのが

大きな課題になっています

 

現に、同じ地芝居である、長谷の中尾歌舞伎は先日継続が難しいということで

活動が休止されてしまいました

 

この継承のサイクルを作り上げることが重文指定の重要な要件の一つになっているのは

文化を守るという点からも頷けるところです

 

これを象徴するかのように

今年の5/3の公演では、小学生の子供だけの公演も重文指定記念と言うことで

行われることになっているんだそうです

楽しみですね

 

 

大鹿歌舞伎の重文指定に大きな拍手を送りたい 西村容子 でした♡

 

 

 

トラクターもコンバインも乗っちゃうわよ~。安曇野の田んぼは、女性が大活躍!?

以前このコーナーで、北穂高農業生産組合の話題をお伝えしました。
高橋節郎の漆芸(漆の絵)をプリントした、どこにもない美しい米袋を作っている、っていう話。
覚えてますか?
この取材で、組合長の丸山秀子さんにお話をうかがったんですが、
お話を聞けば聞くほど、この方、ただものじゃなさそうだぞ、と。
もしかして、タラクターもコンバインも乗りこなしちゃうかもしれない・・・
と思ったわけです。
そこで、もう一度、お話を聞きに行きました。
     
      

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「私はこの組合に入って30年にもなるんですけど、
入ってすぐに、機械にとても興味をもちましてね。動かしてみたいと。
それで、田植え機もトラクターもコンバインも、やってみました。
おもしろくてしょうがなかった。
だから、30年前から乗っちゃってますよ。
今から思えば、女性が農業で活躍する先駆けだったと思います。」
   
今でも、稲作の現場、つまり田んぼは男性がやるのが一般的。男性社会なんだそうです。
でも、女性だって負けていられない!
丸山さんは、トラクターに乗って田んぼをやり、
自分で作ったお米を自分の力で販売し、自分たちの手で消費者に届ける、
ということをやり続けてきたんです。
    
  
北穂高農業生産組合は、現在は丸山さんが組合長をつとめ、女性が様々な場面で活躍しています。
事務所の前に、組合で作ったお米を販売するお米屋さんがあります。
お店に入ると、女性が笑顔で接客してくれます。
   
「お米は重いから、女性にはたいへんな作業かもしれないんですけど、
でも笑顔の女性がお店にいたら、嬉しいでしょ?
スタッフは男性もいますけど、
お店に女性がいる方が、売り上げは伸びるんです。
だから、女性たちがますます輝いて仕事をするようになる。
女性パワー全開です!」

  

こうした活動が認められ、
昨年度から公益社団法人日本農業法人協会が農林水産省補助事業として行っている、
『農業の未来をつくる女性活躍経営体100選』に選ばれました!!
      
「昨年度は32経営体、今年度は28経営体が選ばれましたが、
長野県内では、私どもが初めて、ということでございます。
とても光栄に思っております。
稲作の分野は28団体のうち4団体しか選ばれておりません。
まだまだ男性社会なんですよね。」
   
   
表彰式で全国の輝いている女性たちに会って、
さらに刺激とパワーをもらってきた、と語る丸山さん。
   
「さっそうとトラクターを操る女性。
笑顔で営業する女性。
そういう女性をもっともっと養成して、
いつか女性パワーだけで消費者に届けられるお米ができたらいいな~、
という夢を持って頑張っています。」
    
  
68歳の丸山さん。
めちゃめちゃ若いし、エネルギッシュ!
期待したいですね!!

 

☆山ノ内町に、スキーが好きすぎてスキーがすべての人がいるらしい?

春めいてきたこの3月に!ウインタースポーツのスキーの話題になってしまいましたが、
今年は、長野県内も雪の量は大変多く。スキーをはじめとする
ウインタースポーツを楽しんだ方!多かったのでは?ないでしょうか?
スキー場などにはまだまだ!たっぷりの雪がありますから、
今回ご紹介の山ノ内町でもうまくいけば!GWあたりまで雪を楽しむことはできるかな?
そんな山ノ内町になんと!スキーが好きすぎて!スキーがすべてとおっしゃる方がいるらしい?という噂を聞き。
早速訪ねてみました。
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あのですね・・・。まずはどんな方なのか?聞こうと思ったのですが!
あまりにスキーが好きすぎて。スキーがすべてですから・・・。
スキー板を手づくりしている青木さん。お話が止まらなくなってしまって。
挨拶も早々に、熱き思いを語り始めてしまいました。
スキーがすべてと方ですから・・。ハイ。仕方ない?青木さんが作るハンドメイド・手作りのスキー板とはどんなものなのか?

☆山ノ内町に、スキーが好きすぎてスキーがすべての人がいるらしい?

さきほどは、山ノ内町にお住いの青木さんをお尋ねしたところ!なんと!ハンドメイドでスキー板を制作されていると。
挨拶もそこそこに。熱くご自身の作るスキー板のお話しが始まってしまい・・・。やや戸惑い気味な私の様子をお伝えした。
それだけになってしまいました。おさらいいたします。
山ノ内町にスキーが好きすぎて。スキーがすべての方いるとお尋ねしたのは、山ノ内町にお住いの青木さん。
なんと!青木さんは、ご自宅の畑に建つビニールハウスの中に工房を作り、そこで!こだわりのハンドメイドスキー板を制作している。
販売などは行ってはいませんが!知り合いの方に頼まれると年間に数本スキー板を制作しているそうです。
まずは、青木さんにハンドメイドスキーとの出会い聞いてみました。

アメリカのコロラドに行った際にこのハンドメイドスキーに出会いすっかりその魅力にはまってしまい、
年に2回程度工房に足を運ぶうちに!工房の方と意気投合。青木さんの為にスキーの板を作ってくれた。
また、その工程を見ているうちに!今度は、自分でも見よう見まねで作り出してしまった。
うまくいかないところがあると、また友人の指導を受けて作りなおす。そんなことも多々あったそうです。

いざ!作るとなると専門的な道具がいくつも必要だったり、それに代わる道具を自分で探したりはたまた作ったり。
材料となるものも、奥様に少し話ずらい価格の物があったりと!コツコツとかなりの年月。
時間と手間をかけて作った最初の1本が完成したのが!5年前になるそうです。出来上がったものの・・。
自分の中では納得のいくものではなかったが!自分の為に自分で作った思いれのあるスキー板。
大切に大切にとっておいてこれよりももっとよきものを作ろうと眺めているそうです。時々乗りながら。
知り合いの方から頼まれたりすると自分以外の人にも作ってあげるそうです。
様々な要望にできるだけこたえて納得してもらえるもの作りたいと思っているそうです。
でも!あくまで仕事ではなく。趣味の範囲これは!男のロマンなのかな?
男のロマンですよ。ご友人の皆さんに様々なアドバイスいただきながら!
スキーの魅力語りながらのお酒を酌み交わす時間が楽しいそんな気がしますよね。
なんかいいなーってそういうの。でもね。こういう男のロマンは、温かく見守ってくれるご家族あっての物ですよね。

あは。理解してくれているのは・・・。猫ちゃんだけ?そんなことないですよ。
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本業のリンゴ園のお仕事をしながらの青木さんの夢。ハンドメイドスキー。
これからも!楽しく。こだわりを持って作りつづけて欲しいです。

調査員 竹井純子



☆小布施町には、小学生が参加するちょっと変わった合宿があるらしい?

お二人は!合宿って学生の頃参加したことありますか?子供の頃。特に、小学生の頃は・・・。
☆小布施町には、小学生が参加するちょっと変わった合宿があるらしい?

高原学校。臨海学校。長野市にはあって私も参加しましたが!小布施町には、ちょっと変わった合宿があるようです。
早速。小布施町にある小学校は、1校です。小布施町立栗ケ丘小学校に行ってみました。

自分たちでご飯を作る。5泊6日の通学合宿。学校から宿泊先であるコミュニティーセンターに帰る。
私が考えていた合宿とは、ちょっと違う。この通学合宿とは?どんなものなのか?

学校から直接。合宿先のコミュニティーセンターへ帰りまた翌日には学校に通学する。
5泊6日の通学合宿。自分たちのことは、すべて自分たちで行う。
先ほどは、買い物に行ってご飯も自分たちで作るよと言っていましたが!  小布施町の子供教室という。
町が主体となっている教室に参加する高学年。
4・5・6年生。今年は26人が参加したそうです。みんなどんな?生活をおくっているのか?
合宿先のコミュニティーセンターに行ってみました。

帰ってきた子供たちから、お買い物行く子。宿題を済ませる子。自分たちでしっかりとやるべきことを自分たちで考えて自主的に動く。
大人の人たちの指示で動くわけではない。お買いも担当の子たちも、今日のメニューから必要なものを買い出しに行きます。
量が多くなりそうならやや多い人数で行く。それも何キロか離れたスーパ―まで歩いていきます。残った子は、宿題。

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普段は、家に帰って来ても宿題後回しにしている子も、食事の用意があるから早く取り掛かる。
さらに!4年生から6年生までいるので、わからないところは仲間同士で教えあったり。みんなと一緒だから集中していつもより早く終わるという子もいました。
さあ。宿題の後は、食事の用意です。
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この日は、品数も多く早めに取り掛かりたいのに!なんと!お買い物部隊がなかなか帰ってこないというハプニングが起こり、
みんなちょっと不安な気持ちになってしまいました。でも、誰一人として怒る子はいない。
そこは、夜の反省会で問題点を話あえばいいとわかっているから、買い物を広げすぐに準備に取り掛かりました。
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時より、大人の方の声も入っていましたが、手助けすることは一切ありません。何か、起こっても自分たちで解決していきます。
この、通学合宿。実行委員会の皆さんが、いらっしゃいます。社会教育委員長の松嶋さんと子供教室運営委員の元田さんにお話し伺ってみました。

子供・親・地域の皆さんのつながりの為に始まったこの通学合宿。
親も子供も離れることによってつながりが深くなるし。お互いに感謝の気持ちが芽生える。
地域の方は、見守り委員として参加して、今は子育て済んでいるいる方など子供・親世代の人となかなか交流する機会が少なくなってきている方が参加する。
見守り委員の方はその名の通り。見守るだけ。安全面とか。でも手は出さない。出したくなるし、自分がやったほうが早いけど怒らず優しく見守る。
この体験で子供たちも。地域の方々に普段も見守られているんだ!と感じることができる。凄い合宿です。
見守り委員の方は、地域の方の協力なしでは成り立ちませんから。
通学合宿のもとになっているのが、実は、10年以上前から行っている。
小布施町の子供教室なんです。

地域の皆さんの熱い思いから始まった子供教室。その集大成がこの通学合宿なんだと思います。
通学合宿の最終日。感謝会ということで!指導員の方。
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見守り委員の方々に感謝の気持ちを子供たちから。そして!お父さんお母さんへもお手紙を渡します。
子供たちは、勿論ですが!
親御さんの大きく成長できるスゴイ合宿でした。


調査員 竹井純子

☆長野市桐原の藁駒まつりに、今年は!特別なものがあるらしい?

長野市桐原地区の桐原牧神社で行われる藁駒まつり。毎年3月8日に行われ。
多くの皆さんが地元の保存会の皆さんが作ったわら馬を求め訪れる、
長野市では、この時期。春を感じる春祭りとしても大変有名なお祭りです。
いつぐらいから始まったお祭りなのか?桐原区 区長さん。
中村恒雄(つねお)さんに伺ってみました。
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200年以上続くおまつり。農家さんが多かったということで!五穀豊穣・子孫繁栄。を願って各家庭でわら馬を作って、
わら包にお赤飯を入れて背負わせ奉納したそうです。現在では、奉納する人、奉納の形、奉納馬などは、
それぞれカタチを変えて伝わってきましたが・・・。なんと!今年のわら駒まつりも!
特別なものがあるそうです。長いお祭りの歴史。かわっちゃうかも?

元々は、奉納した藁馬は、来た方々奪い合っていたようです。大昔は!ですが!
これは、危険も伴うし・・。近所の皆さんの仲が悪くなってもいけないなんてこともあったのでしょうか?公平に抽選。
くじ引きで藁馬をお渡しする方法がとられました。当時から、桐原の藁馬は、とても作りが繊細。
時間と手間をかけ作られていたところから本当に人気があった。しかも、すべて牡馬。見ればわかるカタチです。これは。さらっと言って。
そんな!藁馬が!200以上続いて来た藁馬が!今年なんと!ちょっと特別になっているそうです。


すっごーい。なんと!黄金の藁馬が登場しちゃいました。パチパチ。黄金色。

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まさに。黄金。キラーン。お二人何かご不満?詳しく説明しなおします。
今年は、長雨の影響で藁の乾燥がうまくいかない藁ができました。乾燥がうまくいかないと・・・。
青々した藁が若干ですが黄色味かかってしまったそうです。せっかく農家さんに出していただいた藁。無駄にしてはいけない。
先行してその藁を使って藁馬を作ってみたら・・・。なんと!!黄金に輝く藁馬が誕生したというわけです。凄いですね。
なんと!!いわれましても!黄金です。

限定何体?当たるかどうか?わからない。元々。藁馬自体なかなか当たらないのにさらに!
黄金は何体あるか?わからない。抽選のコツは・・・。
日頃の行いのみだそうです。毎年当たる方もいるし。何年来ても当たらない方もいらっしゃるそうです。
凄いよ。やっぱり。納得いかない顔していますね。今年。もっとすごいことになっていますから!

さらに!今年は、巨大藁馬が登場。人が乗れるぐらい大きいけど、安全面考えて乗ることはないそうですが、
それくらい大きい。迫力あります。
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今年の、長野市桐原 桐原牧神社 春季例大祭藁駒まつりは面白くなりそうです。開催は。
明日。3月8日 藁駒抽選は10時から11時まで。黄金の藁駒目指して皆さん今年の運試し。してみては?いかがでしょうか?



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