「復活!天竜舟下りで復元されようとしているその舟とは?」
2020年01月30日
天龍舟下りで復活させようというこの舟。
造船所で私が目にしたのは、
これ、普通の舟とちょっと形が違う・・
という感じの舟でした。
復活させようとしているこの舟が、どんな舟なのか?
早速、信南交通の南島純さんに伺ってみると・・・
その舟は50年ほど前まで、舟下りで使われていた舟だとか。
そして、当時の運搬方法と関係があるらしい・・・
今は川を下った舟は、トラックで運ばれますが、
当時は、列車で運ばれていたそうです。
でも今の舟を見ると、大人28人が乗れる舟
とっても大きいんです。
こなままだと、列車には乗せられない。
ということで、当時の舟は・・・
よ~~~く見てください!

なんか、変じゃない?
分かります?
よく見て!
舟が半分しかない
そうなんです。
舟の半分を切ったように、半分だけの舟が二つ作られていて
当時は、その舟を、川に浮かべて、ボルトで繋いで、一艘の舟にして舟下りをしていたそうです。
毎回毎回、繋いで離してを繰り返すから「つなぎ舟」
実はこの「つなぎ舟」の復活は、「天竜川和船文化保存会」行っているもので
和船というのは多くがそうなんだそうですが、設計図がありません。
その時その時の木の性質に合わせて作られるので、一つとして同じサイズの舟はなそうなんです。
みんな、お師匠さんから、体でその技術を覚え、感や感覚を頼りに作ってきたそうです。
実は、このつなぎ舟も、あるのは写真だけ。
それを頼りに、復活させようとしているのです。
でも、幸い今回は強い味方がいらっしゃるのです。
この方がいてくれる今、作らなければ復活は、もっと困難になっていたかもしれません。
その方のお名前は、田切文夫さん。
その田切さんは、15歳で舟下りの船頭として入社、初めて乗った舟が「つなぎ舟」で、3年ほど乗っていたんだそうです。
つまり、田切さんは、今、唯一の、つなぎ舟の体験者。
田切さんに実際の船の様子を聞きながら復活させているそうです。
感を頼りに、人の手だけを使って作られる、天龍舟下りの舟ですが
そうは言っても、いろんな技術が昔より発達しているぶん
今の舟造りと、当時を比べると、だいぶ違うところもあるそうで、南島さんは収穫がいっぱいだと言います。
27日まで、「つなぎ舟」の制作の様子を見られる見学会をやっていて
遠くからも、この音と様子を見に多くの人が訪れていたそうですが
その方々が口々に語る、この音や、舟造りとの思い出。
船を作ることは、南信州の文化の継承なんですが
それだけでなく、多くの皆さんの思い出をつなぎ、
先日も、保育園生が見にきてくれたみたいなんですが、
この子たちも、あ〜なんかこの音懐かしいって未来の誰かの思い出も繋いでいくことになる。
そんなことを感じながら、毎日、作業を続けているんだそうです。
なんかいいな~~と思ってしまいました。
来週は、舟造りにかける思いや、「つなぎ舟」がどのように乗られていたのか
もう少し詳しくお届けします。
え~~話や~って思って調査を楽しんだ 西村容子でした。
造船所で私が目にしたのは、
これ、普通の舟とちょっと形が違う・・
という感じの舟でした。
復活させようとしているこの舟が、どんな舟なのか?
早速、信南交通の南島純さんに伺ってみると・・・
その舟は50年ほど前まで、舟下りで使われていた舟だとか。
そして、当時の運搬方法と関係があるらしい・・・
今は川を下った舟は、トラックで運ばれますが、
当時は、列車で運ばれていたそうです。
でも今の舟を見ると、大人28人が乗れる舟
とっても大きいんです。
こなままだと、列車には乗せられない。
ということで、当時の舟は・・・
よ~~~く見てください!

なんか、変じゃない?
分かります?
よく見て!
舟が半分しかない
そうなんです。
舟の半分を切ったように、半分だけの舟が二つ作られていて
当時は、その舟を、川に浮かべて、ボルトで繋いで、一艘の舟にして舟下りをしていたそうです。
毎回毎回、繋いで離してを繰り返すから「つなぎ舟」
実はこの「つなぎ舟」の復活は、「天竜川和船文化保存会」行っているもので
和船というのは多くがそうなんだそうですが、設計図がありません。
その時その時の木の性質に合わせて作られるので、一つとして同じサイズの舟はなそうなんです。
みんな、お師匠さんから、体でその技術を覚え、感や感覚を頼りに作ってきたそうです。
実は、このつなぎ舟も、あるのは写真だけ。
それを頼りに、復活させようとしているのです。
でも、幸い今回は強い味方がいらっしゃるのです。
この方がいてくれる今、作らなければ復活は、もっと困難になっていたかもしれません。
その方のお名前は、田切文夫さん。
その田切さんは、15歳で舟下りの船頭として入社、初めて乗った舟が「つなぎ舟」で、3年ほど乗っていたんだそうです。
つまり、田切さんは、今、唯一の、つなぎ舟の体験者。
田切さんに実際の船の様子を聞きながら復活させているそうです。
感を頼りに、人の手だけを使って作られる、天龍舟下りの舟ですが
そうは言っても、いろんな技術が昔より発達しているぶん
今の舟造りと、当時を比べると、だいぶ違うところもあるそうで、南島さんは収穫がいっぱいだと言います。
27日まで、「つなぎ舟」の制作の様子を見られる見学会をやっていて
遠くからも、この音と様子を見に多くの人が訪れていたそうですが
その方々が口々に語る、この音や、舟造りとの思い出。
船を作ることは、南信州の文化の継承なんですが
それだけでなく、多くの皆さんの思い出をつなぎ、
先日も、保育園生が見にきてくれたみたいなんですが、
この子たちも、あ〜なんかこの音懐かしいって未来の誰かの思い出も繋いでいくことになる。
そんなことを感じながら、毎日、作業を続けているんだそうです。
なんかいいな~~と思ってしまいました。
来週は、舟造りにかける思いや、「つなぎ舟」がどのように乗られていたのか
もう少し詳しくお届けします。
え~~話や~って思って調査を楽しんだ 西村容子でした。