信濃の国に出てくる、南信のあの人、あなたは知っている?
2019年02月28日
信濃の国には5番で4人の人物が歌われています
その5番を聞いてみると
まずは木曽義仲、続いて、仁科盛信、太宰春台、佐久間象山と続きます
一人一人、どんな方か説明できますでしょうか?
木曽義仲、佐久間象山は多くの人がご存知ですよね
仁科盛信はどうですか?
仁科盛信は、武田信玄の息子で、跡目を継いだ勝頼の弟
多くの謀反者が出る中、最後の最後まで、兄に忠誠を尽くし、高遠城で見事な戦いを
し自害した、戦国時代の武将です
高遠城ということで、南信にゆかりはあるんですが
この人ではありません
残るは太宰春台
さあこの方はどんな方だったのか?
日本史の教科書には太字で書かれている人物なので、名前は聞いたことがある
という方も多いとおもいますが
調査をしていく過程でも
「あ〜あまり知られていないかもしれませんね〜」という声を多く聞きました
では、実際何をした人なのか?
南信州の歴史にお詳しい、松川町資料館の伊坪達郎先生にお話を伺いました
太宰春台は、江戸時代中期の儒学者で
飯田藩士の家に生まれましたが、幼少期に飯田を離れ江戸に
32歳で、荻生徂徠の門下生となり、荻生徂徠死後、それを受け継ぐ2人の内の一人と言われました
当時としてみれば、国を代表する儒学者だったそうです
「経済録」という書物は有名で、日本で初めて「経済」という言葉を広めた人でもあります

実は南信州では、信濃の国以外でも、この春台の名前が歌われている歌が幾つかあります
一つは飯田下伊那では、信濃の国かこの歌かと言われるほど有名な「下伊那の歌」
ここには
♫春台の松の緑よ~♪
と歌われ
もう一つ、飯田高校の校歌にも
♫骨ある儒者の名を得たる 太宰春台先生は♪
と歌われています
でも、その校歌を歌っているはずの飯田高校生に聞いてみても
校歌に歌われていることもよく知らず
信濃の国に歌われていることも知らない生徒さんがほとんどでした
こんなによく知られていない人がどうして県歌に歌われているのか?
なぜ、信州を代表するこの歌に、浅井冽は春台を選んだのか?
素朴な疑問が心に浮かんでしまいました
しかし、この太宰春台について研究している人は極めて少なく
伊坪先生もインタビューを依頼してから改めて調べてくださってわかったことをお話いただいた
という感じで、どうして、浅井冽が春台を選んだのかは定かではないというのは結論でもあります

でも、一方は武将、もう一方は江戸明治期に、全国的に活躍していた人物を東西南北のバランスも考え
選び出した
誰を歌詞に入れるかは、きっと難しい選択だったでしょうね
飯田市には「太宰の松」という春台が手植えをしたとされる松が今でも町中に残されていて
その松をめぐって興味深い資料が残されていました
春台の生家などを残そうという動きが、信濃の国が作られた10年後くらいに起こります
「太宰春台先生 遺跡保存会」と言う会なんですが
そこの残されたメンバーの名簿を見ると
伊原五郎兵衛、綿谷半三郎など、錚々たるメンバーが名を連ねていました
そのメンバーを見ただけでも
今でこそ、知らない人が多くなってきてしまった春台ですが
やはり、当時は長野県が誇る人物だったことがわかります
そして、春台が信濃の国に歌われたことと
信濃の国が作られた6年後に作られた飯田高校の校歌にも春台が歌われていることについて
飯田高校で、校歌について調べている国語科の荻原佳祐先生は面白い見解を示してくださいました
飯田高校の校歌に、春台が歌われたのは、信濃の国が影響しているのではないかという事です
それは、浅井冽と、飯田高校の校歌の作詞者 福沢悦三郎は、
同じ時期に長野県師範学校にいた
浅井冽は、当時、教官
福沢悦三郎が在校生だった時に浅井冽が教官だった可能性が高い
福沢悦三郎は、浅井冽に関心を抱いていたと想像するのはさほど不自然ではない
と言うのが荻原先生の推測です
春台は、この信濃の国に歌われたことで改めて注目され
今の時代まで忘れられない人物として名を残したという人も少なくありません
飯田高校の校歌のように、何らか信濃の国の影響を受けた歌詞などは他にもあるかもしれませんね
そんなものをまた探せたらいいですね
こうして信濃の国を通して、地元に残された春台の姿を追っていたら
今まで知らなかった、地元の歴史や、飯田高校の校歌に残された不思議に出会うことができました
飯田高校生からは、信濃の国に歌われた人物への素朴な疑問も出てきました
それについてはまた来週お届けします
調査で知らないことが次々分かってくる面白さが病み付きになりそうな 西村容子 でした♡
その5番を聞いてみると
まずは木曽義仲、続いて、仁科盛信、太宰春台、佐久間象山と続きます
一人一人、どんな方か説明できますでしょうか?
木曽義仲、佐久間象山は多くの人がご存知ですよね
仁科盛信はどうですか?
仁科盛信は、武田信玄の息子で、跡目を継いだ勝頼の弟
多くの謀反者が出る中、最後の最後まで、兄に忠誠を尽くし、高遠城で見事な戦いを
し自害した、戦国時代の武将です
高遠城ということで、南信にゆかりはあるんですが
この人ではありません
残るは太宰春台
さあこの方はどんな方だったのか?
日本史の教科書には太字で書かれている人物なので、名前は聞いたことがある
という方も多いとおもいますが
調査をしていく過程でも
「あ〜あまり知られていないかもしれませんね〜」という声を多く聞きました
では、実際何をした人なのか?
南信州の歴史にお詳しい、松川町資料館の伊坪達郎先生にお話を伺いました
太宰春台は、江戸時代中期の儒学者で
飯田藩士の家に生まれましたが、幼少期に飯田を離れ江戸に
32歳で、荻生徂徠の門下生となり、荻生徂徠死後、それを受け継ぐ2人の内の一人と言われました
当時としてみれば、国を代表する儒学者だったそうです
「経済録」という書物は有名で、日本で初めて「経済」という言葉を広めた人でもあります

実は南信州では、信濃の国以外でも、この春台の名前が歌われている歌が幾つかあります
一つは飯田下伊那では、信濃の国かこの歌かと言われるほど有名な「下伊那の歌」
ここには
♫春台の松の緑よ~♪
と歌われ
もう一つ、飯田高校の校歌にも
♫骨ある儒者の名を得たる 太宰春台先生は♪
と歌われています
でも、その校歌を歌っているはずの飯田高校生に聞いてみても
校歌に歌われていることもよく知らず
信濃の国に歌われていることも知らない生徒さんがほとんどでした
こんなによく知られていない人がどうして県歌に歌われているのか?
なぜ、信州を代表するこの歌に、浅井冽は春台を選んだのか?
素朴な疑問が心に浮かんでしまいました
しかし、この太宰春台について研究している人は極めて少なく
伊坪先生もインタビューを依頼してから改めて調べてくださってわかったことをお話いただいた
という感じで、どうして、浅井冽が春台を選んだのかは定かではないというのは結論でもあります

でも、一方は武将、もう一方は江戸明治期に、全国的に活躍していた人物を東西南北のバランスも考え
選び出した
誰を歌詞に入れるかは、きっと難しい選択だったでしょうね
飯田市には「太宰の松」という春台が手植えをしたとされる松が今でも町中に残されていて
その松をめぐって興味深い資料が残されていました
春台の生家などを残そうという動きが、信濃の国が作られた10年後くらいに起こります
「太宰春台先生 遺跡保存会」と言う会なんですが
そこの残されたメンバーの名簿を見ると
伊原五郎兵衛、綿谷半三郎など、錚々たるメンバーが名を連ねていました
そのメンバーを見ただけでも
今でこそ、知らない人が多くなってきてしまった春台ですが
やはり、当時は長野県が誇る人物だったことがわかります
そして、春台が信濃の国に歌われたことと
信濃の国が作られた6年後に作られた飯田高校の校歌にも春台が歌われていることについて
飯田高校で、校歌について調べている国語科の荻原佳祐先生は面白い見解を示してくださいました
飯田高校の校歌に、春台が歌われたのは、信濃の国が影響しているのではないかという事です
それは、浅井冽と、飯田高校の校歌の作詞者 福沢悦三郎は、
同じ時期に長野県師範学校にいた
浅井冽は、当時、教官
福沢悦三郎が在校生だった時に浅井冽が教官だった可能性が高い
福沢悦三郎は、浅井冽に関心を抱いていたと想像するのはさほど不自然ではない
と言うのが荻原先生の推測です
春台は、この信濃の国に歌われたことで改めて注目され
今の時代まで忘れられない人物として名を残したという人も少なくありません
飯田高校の校歌のように、何らか信濃の国の影響を受けた歌詞などは他にもあるかもしれませんね
そんなものをまた探せたらいいですね
こうして信濃の国を通して、地元に残された春台の姿を追っていたら
今まで知らなかった、地元の歴史や、飯田高校の校歌に残された不思議に出会うことができました
飯田高校生からは、信濃の国に歌われた人物への素朴な疑問も出てきました
それについてはまた来週お届けします
調査で知らないことが次々分かってくる面白さが病み付きになりそうな 西村容子 でした♡
みんなが好きな美味しいあれが、カイロになっちゃったらしい!?
2019年02月21日
カイロって、昔は硬質な金属の中で火種がという感じのものでしたが
今、カイロといえば、シャカシャカって振って空気との化学反応で温かくなる
ものが、一般的なカイロですよね
今回調査したカイロも、降ればシャカシャカいう感じの袋に入ったカイロでした
でも、その中に入っているものが「えっ?これ?」ていうもの
しかも、布で作られているので肌触りもよく、しっくりと体の凹凸にもなじむ
中に入っているものの大きさが調度いいんでしょうね~

さて、その中身はなんなのか?
おいしいあれ
ということですから、食べられるものです
このカイロを手作りしている、下島幸恵さんにお話伺いました
下島さんによると、お友達には
「砂風呂に入っているみたい」と言われ
その温もりは、蒸しタオルの様で手放せないと・・・
そして私も使わせていただいたんですが
とっても優しい温かさなんです
その中に入っているものとは・・・
こちら!!!

お米・・・玄米です
確かに肩にのせた時、
ご飯が炊けたときの様な
本当に、いい香りがするんです
お腹が空いてしまいそうないい香りが・・・
でも、お米は発熱しませんよね〜
どうやってカイロになるんでしょうか?
実はこれ電子レンジでたったの2分温めるだけ

その時、玄米から出る水蒸気であたためてくれるんだそうです
だから蒸しタオルのような心地よい温かさ
ですから、蒸しタオルで温めると気持ちい場所ってあるでしょ
現代人の仕事に欠かせないPC
PCの仕事をしていると目が疲れる
その目を休めるのにも最適
蒸しタオルだとメイクがとれたりしちゃいますが、これなら大丈夫
でもお米だから、一度温めたらダメになりそうな気がしません
でもでも…
玄米から出て行ってしまった水分を取り戻すために5~6時間かかるため
その時間を待って使えば
なんと!1年間も使えるのだとか
さらに、蒸気を出さなくなったら
土に戻し、鳥の餌などにすれば、全く無駄がないエコなカイロになるんです
実はこのカイロ、発売した途端口コミだけで400個も売れてしまったという代物
今では、玄まい子ちゃんという、キャラクターも作って

ネットと、豊丘マルシェとシルクミュージアム(駒ヶ根)で売られているそうです
でもどうしてこのカイロを作ろいうと思ったんでしょうか?
下島さんは、今の農業離れに歯止めをかけようと
若者たちにも農業やお米に興味を持ってもらいたいという事でこのカイロを作ったんだそうです
確かに、このネズミのカイロ

とってもかわいくて、若者たちにもウケそうですよね
下島さんは、夏はズッキーニ農家としてたった一人で農業をしていらっしゃるんです
もともと豊丘村の農家がご実家で
ご両親はどこの農家にお嫁にいっても恥ずかしくない娘さんに育て上げたらしいんです
でも、お嫁に行った先は農家ではありませんでした
でもやっぱり農業やりたい!
とたった一人で農業を始めたそうなんです
ですから農業への思いは本当に強いんですね
一人でも多くの人に農業に関心を持ってもらいたい
という思いでこのカイロを作っているんだそうです

ちょっとクセになる温かさ、味わってみてはいかがですか?
気になる方は、インターネットで「玄まい子ちゃん」で検索してみてください
もうすっかりこの温もりの虜になっている 西村容子 でした♡
今、カイロといえば、シャカシャカって振って空気との化学反応で温かくなる
ものが、一般的なカイロですよね
今回調査したカイロも、降ればシャカシャカいう感じの袋に入ったカイロでした
でも、その中に入っているものが「えっ?これ?」ていうもの
しかも、布で作られているので肌触りもよく、しっくりと体の凹凸にもなじむ
中に入っているものの大きさが調度いいんでしょうね~

さて、その中身はなんなのか?
おいしいあれ
ということですから、食べられるものです
このカイロを手作りしている、下島幸恵さんにお話伺いました
下島さんによると、お友達には
「砂風呂に入っているみたい」と言われ
その温もりは、蒸しタオルの様で手放せないと・・・
そして私も使わせていただいたんですが
とっても優しい温かさなんです
その中に入っているものとは・・・
こちら!!!

お米・・・玄米です
確かに肩にのせた時、
ご飯が炊けたときの様な
本当に、いい香りがするんです
お腹が空いてしまいそうないい香りが・・・
でも、お米は発熱しませんよね〜
どうやってカイロになるんでしょうか?
実はこれ電子レンジでたったの2分温めるだけ

その時、玄米から出る水蒸気であたためてくれるんだそうです
だから蒸しタオルのような心地よい温かさ
ですから、蒸しタオルで温めると気持ちい場所ってあるでしょ
現代人の仕事に欠かせないPC
PCの仕事をしていると目が疲れる
その目を休めるのにも最適
蒸しタオルだとメイクがとれたりしちゃいますが、これなら大丈夫
でもお米だから、一度温めたらダメになりそうな気がしません
でもでも…
玄米から出て行ってしまった水分を取り戻すために5~6時間かかるため
その時間を待って使えば
なんと!1年間も使えるのだとか
さらに、蒸気を出さなくなったら
土に戻し、鳥の餌などにすれば、全く無駄がないエコなカイロになるんです
実はこのカイロ、発売した途端口コミだけで400個も売れてしまったという代物
今では、玄まい子ちゃんという、キャラクターも作って

ネットと、豊丘マルシェとシルクミュージアム(駒ヶ根)で売られているそうです
でもどうしてこのカイロを作ろいうと思ったんでしょうか?
下島さんは、今の農業離れに歯止めをかけようと
若者たちにも農業やお米に興味を持ってもらいたいという事でこのカイロを作ったんだそうです
確かに、このネズミのカイロ

とってもかわいくて、若者たちにもウケそうですよね
下島さんは、夏はズッキーニ農家としてたった一人で農業をしていらっしゃるんです
もともと豊丘村の農家がご実家で
ご両親はどこの農家にお嫁にいっても恥ずかしくない娘さんに育て上げたらしいんです
でも、お嫁に行った先は農家ではありませんでした
でもやっぱり農業やりたい!
とたった一人で農業を始めたそうなんです
ですから農業への思いは本当に強いんですね
一人でも多くの人に農業に関心を持ってもらいたい
という思いでこのカイロを作っているんだそうです

ちょっとクセになる温かさ、味わってみてはいかがですか?
気になる方は、インターネットで「玄まい子ちゃん」で検索してみてください
もうすっかりこの温もりの虜になっている 西村容子 でした♡
飯田市に間もなくオープンする噂の場所で、黒い大きな壁が登場したらしい!?
2019年02月14日
今回は
大きな黒い壁とは何か?
そしてその壁がある噂の場所とはどこか?
と言う二つの謎を調査してきましたが
まずはその場所
来月3月にオープンする噂の場所なんですが
ただいま駐車場などまだまだ施工中
正面玄関もまだ機能しておらず
裏口のようなところから中へ
総合受付と書かれた矢印に従って進んだところに
事務所らしきところがありました
南信州 飯田産業センターの村松 篤さんにお話を伺うと
まず案内してくれたところに、見慣れない物体が・・・
いきなり目に入った物体
ロケットのような、リニアのミニチュア?とも思えるような
決して私たちが普段目にするものではないものが目の前に
実はこれが、この建物を象徴するようなものでした
それを村松さんに伺うと
無人の飛行機で、実際研究に使われたものだとか
ここは航空産業と、地場産業の拠点とした施設
S Bird(エスバード)
Sは南信州=south(南)のS、信州のS
Birdも一文字一文字意味が隠されているようで
南信州の明るい未来が託されているようでした
この建物の中には、信州大学や県の工業技術センターも入っていて
この校舎の教室を使って、もう実際様々な研究が行われているそうです
さらに、一般の人たちが、見たり学んだり体験したりすることができ
人材育成の拠点にもなるんだそうです
今後、フライトシュミレーターなどの体験ができるよう準備が進められているそうです
そんな場所に作られた大きな黒い壁
それはなんなのか?
正面玄関とは別棟にある、地場産品のお店の奥に進んでいくと?
それはありました
その黒い壁とは・・・
こちら!
これ、ただの黒い壁ではありません
よ~く見ると、黒板なんです
縦3m、横10mのこの黒板
長野県最大級の黒板らしく
今後この黒板は、チョークアートの作家さんや似顔絵師の方の作品が描かれることが決まっていますが
まだまだ、いろんな形で利用していただきたいということです
利用は、一定期間使用できる「独り占めコース」と
随時、何組かで共創しながら使用する「共創コース」と
2コースあるそうで、随時、使用者を募集しているそうです
黒板なので、次の利用者が使用する時には、必ずどんな素晴らしい作品でも消されてしまうという
儚さがなんとも言えなくいいですよね
この黒板にこれから、どんな未来や夢が描かれていくのか
とっても楽しみです
「飯田市で、音を奏でる懐かしいあれが復活したらしい?」
2019年02月07日
復活したという「音を奏でる懐かしいあれ」とは何なのか?
今回の噂の現場は
おたふく豆で有名な「春月」さん
お店に訪ねると、春月会長の本田寛志さんが
お店の横の事務室に案内してくださいました
そこにあったのは側面が白い箱のようなもの
40年ほど前に、会長さんが経営していた飲食店で使われていたものだとか
懐かしいと言っても
ともちゃんはもちろん、山ちゃんも私も、懐かしいっていう年代ではない
さあ!それは何なのか?
答えはこちら!!!

これなんだかわかりますか?

手書きで曲名とアーティスト名が書かれた紙が
100曲はられ、横には数字のボタンが並んでいるもの
ジュークボックスです
アメリカ映画に出てくるような派手なものではなく
本当にBox、白い箱という感じのものでした
でも、その音の良さにびっくり
ジュークボックスを懐かしいと思う世代ではない私でも、
その音の響きは懐かしく感じるのが不思議でした
このジュークボックスを復活させたのは、春月会長の本田寛志さん
会社の会長さんとして、一線を退いて、やっと余裕が出来てきた今
それまでは忙しくてそんな余裕もなかったけれど
年をとったらこの音を聞いて暮らしたいと
大事に取っておいたジュークボックス
それを2年かけて、復活させたそうです
直すのもかなり大変だったそうです
インターネットで修理業者を探してもなかなかなく
探しに探して修理
1000枚ものレコードの聞ける状態ではなかったため
会長さん自らレコードを一枚一枚洗剤で洗い
きれいに整理されていました

とっておこうと決めていたものの
随分ほこりをかぶってしまっていて
聴けるようにならないかもしれないと思っていただけに
修理が終わって初めて音が聞こえた時は
本当にうれしかったそうです
「もう、たまんないんんですよ~」
と言う言葉の連発
本当に、ジュークボックスと過ごす時間は、至福の時なんだろうな〜というのが
伝わってきました
事務所の奥には元工場だったスペースが空いていて
ホールのようになっているのでそこで聞くともっともっと音が広がって素敵なんだそうです
いつかそのスペースをお店にようにして
多くの人が集まってジュークボックスの音を聞きながら楽しめる場所にしたい
と話してくれました
そして、自分がいなくなっても、このジュークボックスは大事にしてもらいたいと…
今日は、心が温かくなる調査でした
ジュークボックスの温かい音に涙が出そうになってしまった 西村容子 でした♡
今回の噂の現場は
おたふく豆で有名な「春月」さん
お店に訪ねると、春月会長の本田寛志さんが
お店の横の事務室に案内してくださいました
そこにあったのは側面が白い箱のようなもの
40年ほど前に、会長さんが経営していた飲食店で使われていたものだとか
懐かしいと言っても
ともちゃんはもちろん、山ちゃんも私も、懐かしいっていう年代ではない
さあ!それは何なのか?
答えはこちら!!!

これなんだかわかりますか?

手書きで曲名とアーティスト名が書かれた紙が
100曲はられ、横には数字のボタンが並んでいるもの
ジュークボックスです
アメリカ映画に出てくるような派手なものではなく
本当にBox、白い箱という感じのものでした
でも、その音の良さにびっくり
ジュークボックスを懐かしいと思う世代ではない私でも、
その音の響きは懐かしく感じるのが不思議でした
このジュークボックスを復活させたのは、春月会長の本田寛志さん
会社の会長さんとして、一線を退いて、やっと余裕が出来てきた今
それまでは忙しくてそんな余裕もなかったけれど
年をとったらこの音を聞いて暮らしたいと
大事に取っておいたジュークボックス
それを2年かけて、復活させたそうです
直すのもかなり大変だったそうです
インターネットで修理業者を探してもなかなかなく
探しに探して修理
1000枚ものレコードの聞ける状態ではなかったため
会長さん自らレコードを一枚一枚洗剤で洗い
きれいに整理されていました

とっておこうと決めていたものの
随分ほこりをかぶってしまっていて
聴けるようにならないかもしれないと思っていただけに
修理が終わって初めて音が聞こえた時は
本当にうれしかったそうです
「もう、たまんないんんですよ~」
と言う言葉の連発
本当に、ジュークボックスと過ごす時間は、至福の時なんだろうな〜というのが
伝わってきました
事務所の奥には元工場だったスペースが空いていて
ホールのようになっているのでそこで聞くともっともっと音が広がって素敵なんだそうです
いつかそのスペースをお店にようにして
多くの人が集まってジュークボックスの音を聞きながら楽しめる場所にしたい
と話してくれました
そして、自分がいなくなっても、このジュークボックスは大事にしてもらいたいと…
今日は、心が温かくなる調査でした
ジュークボックスの温かい音に涙が出そうになってしまった 西村容子 でした♡
期間限定! 今 ○○が熱いらしい! パート1
2019年02月01日