ひとつ見るとコンプリート目指したくなる!? 安曇野に、話題の缶バッジがあるらしい。
2018年08月29日
その缶バッジは、安曇ガッタロー缶バッジといって、
安曇ガッタローというキャラクターが、不思議なポーズをしている絵と、
安曇野の方言が書いてあるんです。
で、今これが人気なんですって。
見てみます?
・・・
・・・

いろんな種類があったら、集めたくなりますか?
例えばこれとか。

これとか。

こんなのも。

1個150円。
全部で58種類あるんです。
どうです? 集めたくなってきましたか?
うふふ。
まあ、それはさておき。
これ。いったいなあに? というお話ですよね。
アスサポ ~安曇野を様々な側面からサポートする会~ という団体がありまして。
このアズサポの取り組みのひとつ、なんです。
代表の辻谷洋一さんは、こうおっしゃっていました。
「方言って地域の文化だと思うんです。
昔はおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでいましたから、
当たり前のように方言で話していましたけど、
今はあまり使われなくなっているようなんです。
だから、地域の方言を見つめなおしたい、大事にしたい、
という想いでね。
2年前にスマートフォンなどで使えるスタンプを作ったら、
これが好評で。
もっと幅広い世代に使ってもらえたらと、缶バッジを作って、
この6月から販売を始めました。」
販売開始から2ヶ月で、在庫切れも続出! だそうです。
アスサポは、若手の事業主さんたちが集まって、
みんなで楽しみながら、大好きな安曇野をもっと盛り上げて行こうと、
婚活や軽トラ市や、様々な活動を繰り広げています。
「大事にしたいところは、このゆるさ加減です。
これがいい塩梅なんです。
で、このゆるさから生まれたのが安曇ガッタローというキャラクター。
ガッタローは、がった坊主からきた名前です。
昔のようながった坊主が今はあまりいなくなっちゃったみたいで。
ガッタローはいろんなところに出没して、ちょっと悪さをします。」
頭はりんごと猫。
首から下は・・・。
「全部作るとすごくお金かかちゃうんで、首から下は白タイツです。
小さい子どもにはちょっと泣かれたりしますけど。笑
でも、これだと身軽ですからね、スノーボードだってスキーだって、
いろいろできるんです。」
そういう事情です。
缶バッジのパッケージの中の台紙に、こう書いてあります。
安曇ガッタロー
どこかなつかしい・・・
なぜかにくめない・・・
安曇ガッタローは、
安曇野市の非公認キャラクター
安曇野を世界に
勝手に発信します!
え・・・?
世界へ行くの? この格好で? 飛行機乗れる??
「たぶん、断られますね。笑
でも、夢は大きく。安曇ガッタローは世界へ行きます!
その前に、どうしたら飛行機に乗せてもらえるか、
みんなで考えないといけないですねぇ。
こんな感じでゆる~くやっています。
まずは自分たちが楽しまないと、安曇野の良さは伝わらないんじゃないかな。
もっともっと多くの人にここに来てもらいたいし、住んでもらいたいんです。」
安曇野を愛する情熱はだれにも負けない、というアズサポのみなさん。
その想いが詰まった缶バッジだから、
きっとみんなに愛されるんでしょうね!

今日もゆる~く販売しています。
詳しくはアズサポのフェウスブックページをご覧くださいね。
こちらです。https://www.facebook.com/azusapo
安曇ガッタローというキャラクターが、不思議なポーズをしている絵と、
安曇野の方言が書いてあるんです。
で、今これが人気なんですって。
見てみます?
・・・
・・・

いろんな種類があったら、集めたくなりますか?
例えばこれとか。

これとか。

こんなのも。

1個150円。
全部で58種類あるんです。
どうです? 集めたくなってきましたか?
うふふ。
まあ、それはさておき。
これ。いったいなあに? というお話ですよね。
アスサポ ~安曇野を様々な側面からサポートする会~ という団体がありまして。
このアズサポの取り組みのひとつ、なんです。
代表の辻谷洋一さんは、こうおっしゃっていました。
「方言って地域の文化だと思うんです。
昔はおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでいましたから、
当たり前のように方言で話していましたけど、
今はあまり使われなくなっているようなんです。
だから、地域の方言を見つめなおしたい、大事にしたい、
という想いでね。
2年前にスマートフォンなどで使えるスタンプを作ったら、
これが好評で。
もっと幅広い世代に使ってもらえたらと、缶バッジを作って、
この6月から販売を始めました。」
販売開始から2ヶ月で、在庫切れも続出! だそうです。
アスサポは、若手の事業主さんたちが集まって、
みんなで楽しみながら、大好きな安曇野をもっと盛り上げて行こうと、
婚活や軽トラ市や、様々な活動を繰り広げています。
「大事にしたいところは、このゆるさ加減です。
これがいい塩梅なんです。
で、このゆるさから生まれたのが安曇ガッタローというキャラクター。
ガッタローは、がった坊主からきた名前です。
昔のようながった坊主が今はあまりいなくなっちゃったみたいで。
ガッタローはいろんなところに出没して、ちょっと悪さをします。」
頭はりんごと猫。
首から下は・・・。
「全部作るとすごくお金かかちゃうんで、首から下は白タイツです。
小さい子どもにはちょっと泣かれたりしますけど。笑
でも、これだと身軽ですからね、スノーボードだってスキーだって、
いろいろできるんです。」
そういう事情です。
缶バッジのパッケージの中の台紙に、こう書いてあります。
安曇ガッタロー
どこかなつかしい・・・
なぜかにくめない・・・
安曇ガッタローは、
安曇野市の非公認キャラクター
安曇野を世界に
勝手に発信します!
え・・・?
世界へ行くの? この格好で? 飛行機乗れる??
「たぶん、断られますね。笑
でも、夢は大きく。安曇ガッタローは世界へ行きます!
その前に、どうしたら飛行機に乗せてもらえるか、
みんなで考えないといけないですねぇ。
こんな感じでゆる~くやっています。
まずは自分たちが楽しまないと、安曇野の良さは伝わらないんじゃないかな。
もっともっと多くの人にここに来てもらいたいし、住んでもらいたいんです。」
安曇野を愛する情熱はだれにも負けない、というアズサポのみなさん。
その想いが詰まった缶バッジだから、
きっとみんなに愛されるんでしょうね!

今日もゆる~く販売しています。
詳しくはアズサポのフェウスブックページをご覧くださいね。
こちらです。https://www.facebook.com/azusapo
「飯田市で「日本一の焼肉の街」ならではのカレーができたらしい!?」Part2 実食編
2018年08月23日
人口1万人あたりに対する焼肉店の数が日本一多い
飯田市で生まれた
「焼肉の〆のちょい食べキーマカレー」

先週に引き続き、日本一の焼肉の街ならではのカレー調査してきました
味噌屋の若旦那さんなのに、カレー専門家「カレー伝道師」の資格を持つ
マルマン株式会社の商品開発担当 中田泰雄さん
先週は、その一見アンバランスに見える味噌とカレーの関係が
意外や意外、カレー大学の卒論の研究成果の結果
多くのレトルトカレーに味噌が使われていたというところまでお届けしましたが
今日は更に、焼肉の街 飯田ならではのカレーのこだわりについて調査結果をご報告したいと思いま~す
焼肉の街 飯田のカレーに欠かせないものといえば
もうこれで決まり!!!!
マトン
マトンの香りを生かしたカレーに仕上がっています
根っからの飯田っ子の私は
もう焼肉といえばそのマトンの香りがなければ物足りない
その香りだけでもご飯が食べられちゃうっていう感じ(うなぎ屋と一緒)
そんなカレーができたら、ちょっと飯田を思い出したときに食べたくなるだろうな〜
都会に出た人なんか特にあったら嬉しいかも
しかも食べ方の多才らしく、サイズ感も拘っただけあって実際食べてみるといい感じらしいんです
このカレー、レトルトなのに温めなくても美味しいらしい
中田さんはパンに出して小腹がすいた時、パクリ!
冷めたままでも美味しいのは
マルマンの社長さんが、ある日おにぎりにちょこっと乗せて食べたら美味しかった
ということから、レトルトカレーを温めずに食べるなんていう発想は浮かばないのに
そんな食べ方も提案できるようになったという
自社の製品をいかに愛しているかがうかがえます
そしていよいよ試食!
山ちゃんあまりにおいしかったのか
言葉も発せずパクリパクリと食べ続け
「ん~~~おいしい~~~」
と
スパイシーな香りに誘われて
一口口に入れるとまろやかな味わい
マトンのひき肉に存在感があり
後に残るマトンの香り
この後味が最高!
中田さんの夢は、食品ばかりでなく、あらゆる分野の人たちが
日本一の焼肉の街推奨鉄板とかトングとか、専用前掛けとか
焼肉のお菓子とか
そんな焼肉にこだわったお土産がそろったスペースをリニア飯田駅に作る事
この地元に人にとっては当たり前の文化が
リニア時代を迎えようとしている今
武器になるかもしれないと
盛り上げようとしている人たちがたくさんいます
これからこの「焼肉」をキーワードに南信州がどう盛り上がっていくのか
とっても楽しみです
このカレーのファンになってしまった 西村容子 でした♡
飯田市で生まれた
「焼肉の〆のちょい食べキーマカレー」

先週に引き続き、日本一の焼肉の街ならではのカレー調査してきました
味噌屋の若旦那さんなのに、カレー専門家「カレー伝道師」の資格を持つ
マルマン株式会社の商品開発担当 中田泰雄さん
先週は、その一見アンバランスに見える味噌とカレーの関係が
意外や意外、カレー大学の卒論の研究成果の結果
多くのレトルトカレーに味噌が使われていたというところまでお届けしましたが
今日は更に、焼肉の街 飯田ならではのカレーのこだわりについて調査結果をご報告したいと思いま~す
焼肉の街 飯田のカレーに欠かせないものといえば
もうこれで決まり!!!!
マトン
マトンの香りを生かしたカレーに仕上がっています
根っからの飯田っ子の私は
もう焼肉といえばそのマトンの香りがなければ物足りない
その香りだけでもご飯が食べられちゃうっていう感じ(うなぎ屋と一緒)
そんなカレーができたら、ちょっと飯田を思い出したときに食べたくなるだろうな〜
都会に出た人なんか特にあったら嬉しいかも
しかも食べ方の多才らしく、サイズ感も拘っただけあって実際食べてみるといい感じらしいんです
このカレー、レトルトなのに温めなくても美味しいらしい
中田さんはパンに出して小腹がすいた時、パクリ!
冷めたままでも美味しいのは
マルマンの社長さんが、ある日おにぎりにちょこっと乗せて食べたら美味しかった
ということから、レトルトカレーを温めずに食べるなんていう発想は浮かばないのに
そんな食べ方も提案できるようになったという
自社の製品をいかに愛しているかがうかがえます
そしていよいよ試食!
山ちゃんあまりにおいしかったのか
言葉も発せずパクリパクリと食べ続け
「ん~~~おいしい~~~」
と
スパイシーな香りに誘われて
一口口に入れるとまろやかな味わい
マトンのひき肉に存在感があり
後に残るマトンの香り
この後味が最高!
中田さんの夢は、食品ばかりでなく、あらゆる分野の人たちが
日本一の焼肉の街推奨鉄板とかトングとか、専用前掛けとか
焼肉のお菓子とか
そんな焼肉にこだわったお土産がそろったスペースをリニア飯田駅に作る事
この地元に人にとっては当たり前の文化が
リニア時代を迎えようとしている今
武器になるかもしれないと
盛り上げようとしている人たちがたくさんいます
これからこの「焼肉」をキーワードに南信州がどう盛り上がっていくのか
とっても楽しみです
このカレーのファンになってしまった 西村容子 でした♡
亡くなった時ニジェール国民が号泣! アフリカの大地に人生を捧げた信州人がいたらしい。
2018年08月22日

ドクター・タニガキ。
昨年、75歳でなくなった時の写真です。
この18年前、奥様がなくなった時は国を挙げての葬儀となったそうです。
遠い砂漠の大地でこんなにも愛されたタニガキ夫妻とは?
ニジェール共和国は、
西アフリカ、サハラ砂漠の南に位置します。
人口2000万人、昔から政情が不安定で、とても貧しい国です。


ドクター・タニガキこと谷垣雄三さんは、
この国で、35年にわたって医療活動を続けてきました。
35年前。ニジェールには外科医が2人しかいなかったそうです。
人口2000万人の国で、外科医がたった2人。
谷垣先生は3人目の外科医として、1万人以上のニジェール人の命を救ってきました。
実はこの谷垣先生。
信州大学医学部出身のお医者さんなんです。
谷垣先生が学生時代に松本で出会った奥様の静子さんは、松本生まれ松本育ち。
「信州人」なんです!!
きっかけは、企業の嘱託医としてニジェールへ行った時だったそうです。
「おそらく、この国の人々に魅力を感じたんではないかと思います。
特に子どもたちの屈託のない笑顔がね・・・。
2年の任期を終えて帰国した彼は、フランス語を勉強して、
こんどは静子さんと一緒にニジェールへ行き、
まずは首都ニアメの国立病院で医療活動を始めました。」
谷垣先生の医学部の同期で、ワンダーフォーゲル部で一緒だった、
畑日出夫先生はそうおっしゃっていました。
今回の調査隊は、谷垣先生の「すごいポイント」を3つご紹介しています。
すごいポイント①
貧しく、物資もない国で、
極力コストを抑えて手術をする方法を考えた。
ニジェールで医師を増やし、より多くの患者さんを診られるようにするためには、
患者さんからほんのわずかでも治療費をとることも大事。
でも、年収が1万円ほどの国で外科手術の治療費をとるためには、
コストを抑えること。そのうえでもちろん、安全に正確に手術を行うこと。
「例えば麻酔。全身麻酔だと酸素が必要です。
でも酸素は手に入らない。だから腰椎麻酔を使い、短時間で行う。
そうとうな技術と知識が必要なことだったわけですが、これを成功させた。
それから、コストを抑えるために、日本では当たり前に使い捨てている手袋を、
滅菌して何度も使った。
しかも手術用の手袋は高価だから、台所の手袋。
糸もミシン糸です。
これも、そうとうな技術がないとできないことなんです。」
と畑先生。
手術風景の写真を見せてくれました。


すごいポイント②
ニジェールの医療の発展のために、
私財を投じて病院を建て、
治療をしながら外科医を養成した。
ニジェールで外科医がたった2人しかいなかったのは、
フランス領だった頃の影響。
他の科は国内で免許がとれるんですが、
外科だけは国内で医師免許を取ったうえでさらにフランスで5年間研修しないといけない。
貧しい国でそれができる人は少なく、だから2人しかいなかったんです。
「そんな状況でしたが、国外からの援助はあったんです。
それでなんとか治療が受けられた。
でも、他の国の援助に頼っていては、この国の医療は発展しない。
少しでも多くの患者さんを救うためには、自立しないといけない。
そのために、国内で外科医を要請できるようにする。
谷垣君はこういう信念を持って、国の制度にメスを入れたんです。」
谷垣先生が直接指導して育てたニジェール人の外科医は2人。
1人は病院で指導にあたり、もう1人は日本で言ったら厚生労働省で、
制度の改革にチャレンジしているそうです。
35年経った今、2人しかいなかった外科医は、
20人ほどになっているらしい、とのこと。
すごいポイント③
温厚で無口で控えめ。奥様を深~く愛していた。
国のことを真剣に想い、私財を投じ、医師を育てて命を救い続けた谷垣先生。
だからこそ、国民に深く愛されたんですね。
自分の子供に「ユウゾウ」と名付けた患者もいるそうです。
信州の誇りですよね。
「そうなんですけどね、谷垣君は学生時代からとても無口で控えめだった。
だからマスコミなんかに出ることを非常に嫌がったんです。(笑)
その彼が亡くなる前に、自分のことはいいけれど、
奥様の展覧会を開いてほしい、と手紙に書いた。
本当に仲睦まじい、素晴らしい夫婦だったんです。」
谷垣先生の奥様への想いに応えたいと、
畑先生ほかワンダーフォーゲル部の同期の皆さんが、
このほど奥様の絵と谷垣先生の功績を展示する追悼展を開催。
遠くは横浜からも足を運ぶ人がいて、反響も大きかったとのことです。
奥様の作品の一部は、母校である松本蟻ケ崎高校に贈られることが決まり、
来年には展覧会も予定しているとのこと。
その時はぜひ、ご覧になってください!!


「飯田市で「日本一の焼肉の街」ならではのカレーができたらしい!?」
2018年08月16日
人口1万人あたりに対する焼肉店の数が日本一多い
ということで、北海道の北見市や、三重県の松坂市
ジンギスカンと松坂牛という日本でも名の知れた肉の街を抜いて
第1位に輝いている飯田市
ここでまた、日本一の焼肉の街ならではのカレーが誕生したということで調査に行ってきました
まずはこのカレーをなぜ作ろうと思ったのか?伺うと・・・
やっぱりそこには「熱い地元愛」がありました
日本一の焼肉の街を商品で応援したい!!!
こう熱く語るこの方

カレー屋さんでもなんでもありません
飯田の大手企業の方なんですが
どうして、この会社がカレーを?という感じの会社の方なんです
どんな会社がこのカレーを開発したんでしょう?
それは・・・
開発を手がけましたのは、味噌を中心に製造販売を手がけている
マルマン株式会社の商品開発担当 中田泰雄さん
商品開発の勉強に出掛けて出会ってしまったカレー大学
その出会いが、今回開発されたカレーに繋がるのです
カレー大学との出会いは必然といえば必然で
学生時代から、中田さんは、カレーが大好きで玉ねぎを茶色くなるまでローストし、丸ごとトマトを手で握り潰し鍋へ
男の手作りカレーが自慢で三日三晩カレーを食べ続けても平気という無類のカレー好き
その中田さん、味噌製造会社の息子さんなのに
もう一つの肩書きは「カレー伝道師」
そのレトルトカレーのパッケージにも、カレー専門家、カレー研究者として紹介されています
そう名乗れるほど、カレー大学ではかなり勉強したようなんです
試験に合格してカレー伝道師の資格を手にしたばかりでなく
その先のカレー大学院まで進み、卒論まで書いて卒業
その知識や経験を生かし生まれたのが今回の
「焼肉の〆のちょい食べキーマカレー」

なんですが
大学院を卒業した2期生 六人の中には
東京のカレー激戦区でお店をオープンさせた人もいれば、スパイス講座の先生になられた方もいらしたりとか
カレーだけでも生きていける知識は手に入れた上で
作られたカレーですから本格的なわけです
しかもそこに
地元飯田下伊那の食肉組合さんの監修をいただいたりして
地元愛も豊かに入れられています
でもでも
中田さんは味噌屋さん
味噌製造会社であるマルマンさんから発売されているわけです
カレーの中に味噌の存在は?
一番気になるところです
中田さん!味噌は入っているのでしょうか?
と伺ったところ
「もちろんです」
と一言
じゃなかったら意味がない!
おっしゃる通りです
でも、この味噌を入れるというのは
中田さんが味噌屋さんだからというばかりではなく
ここで、カレー大学の卒論の成果が発揮されているんです
卒論で中田さんが調べたのは市販されているレトルトカレーを
80個
全ての使われている材料を調べ上げたそうです
そして発見したこと
それは大手企業のレトルトカレーの多くに
味噌が使われている
という事でした
そこで自社開発されていたこちらも焼肉のために作られた

辛みそを投入!!!
味に締りが出て、いい味に仕上がったんだそうです
研究成果も相まって
味噌屋さんが作るご当地カレーが出来上がったわけなんです
も〜
ここまで聞くと味が気になりますね
でもでもこのカレーのこだわりはこんなもんじゃない
まだまだあるんです
そのお話も含め、試食は来週に!!!
どうぞお楽しみに!
中田さんのさわやかなしゃべり口調に思わずウットリの 西村容子 でした♡
ということで、北海道の北見市や、三重県の松坂市
ジンギスカンと松坂牛という日本でも名の知れた肉の街を抜いて
第1位に輝いている飯田市
ここでまた、日本一の焼肉の街ならではのカレーが誕生したということで調査に行ってきました
まずはこのカレーをなぜ作ろうと思ったのか?伺うと・・・
やっぱりそこには「熱い地元愛」がありました
日本一の焼肉の街を商品で応援したい!!!
こう熱く語るこの方

カレー屋さんでもなんでもありません
飯田の大手企業の方なんですが
どうして、この会社がカレーを?という感じの会社の方なんです
どんな会社がこのカレーを開発したんでしょう?
それは・・・
開発を手がけましたのは、味噌を中心に製造販売を手がけている
マルマン株式会社の商品開発担当 中田泰雄さん
商品開発の勉強に出掛けて出会ってしまったカレー大学
その出会いが、今回開発されたカレーに繋がるのです
カレー大学との出会いは必然といえば必然で
学生時代から、中田さんは、カレーが大好きで玉ねぎを茶色くなるまでローストし、丸ごとトマトを手で握り潰し鍋へ
男の手作りカレーが自慢で三日三晩カレーを食べ続けても平気という無類のカレー好き
その中田さん、味噌製造会社の息子さんなのに
もう一つの肩書きは「カレー伝道師」
そのレトルトカレーのパッケージにも、カレー専門家、カレー研究者として紹介されています
そう名乗れるほど、カレー大学ではかなり勉強したようなんです
試験に合格してカレー伝道師の資格を手にしたばかりでなく
その先のカレー大学院まで進み、卒論まで書いて卒業
その知識や経験を生かし生まれたのが今回の
「焼肉の〆のちょい食べキーマカレー」

なんですが
大学院を卒業した2期生 六人の中には
東京のカレー激戦区でお店をオープンさせた人もいれば、スパイス講座の先生になられた方もいらしたりとか
カレーだけでも生きていける知識は手に入れた上で
作られたカレーですから本格的なわけです
しかもそこに
地元飯田下伊那の食肉組合さんの監修をいただいたりして
地元愛も豊かに入れられています
でもでも
中田さんは味噌屋さん
味噌製造会社であるマルマンさんから発売されているわけです
カレーの中に味噌の存在は?
一番気になるところです
中田さん!味噌は入っているのでしょうか?
と伺ったところ
「もちろんです」
と一言
じゃなかったら意味がない!
おっしゃる通りです
でも、この味噌を入れるというのは
中田さんが味噌屋さんだからというばかりではなく
ここで、カレー大学の卒論の成果が発揮されているんです
卒論で中田さんが調べたのは市販されているレトルトカレーを
80個
全ての使われている材料を調べ上げたそうです
そして発見したこと
それは大手企業のレトルトカレーの多くに
味噌が使われている
という事でした
そこで自社開発されていたこちらも焼肉のために作られた

辛みそを投入!!!
味に締りが出て、いい味に仕上がったんだそうです
研究成果も相まって
味噌屋さんが作るご当地カレーが出来上がったわけなんです
も〜
ここまで聞くと味が気になりますね
でもでもこのカレーのこだわりはこんなもんじゃない
まだまだあるんです
そのお話も含め、試食は来週に!!!
どうぞお楽しみに!
中田さんのさわやかなしゃべり口調に思わずウットリの 西村容子 でした♡
下諏訪に○○で人気のパワースポットがあるらしい!
2018年08月10日
「高級な風が吹いてきそう!駒ヶ根でそんな団扇ができちゃうらしい」
2018年08月09日
高級な風が吹いてきそうな団扇
それがこちら!

半透明でものすごく薄い、白い色をした
何の変哲もない団扇に見えますよね
でもでも
それが、この団扇
普通の団扇とは全然違うんです!
何が違うかって?
とにかく違うの
これを作っているのがね・・・
・・・
・・・
人じゃないの・・・
見ちゃう?
行くよ
こちら!!!!!

何だかわかります?
もっとよく見ます?
これ!

そうです
お蚕様
今回お邪魔した噂の現場は
駒ヶ根シルクミュージアム
お話伺ったのは 学芸員の竹内慶子さん
なぜこんな団扇作りを考えられたのか?
実はこの団扇、蚕の習性をうまく生かしてつくられたものなんだそうです
お蚕様って平らな所に置いておくと丸い繭を作ることができないそうなんです
シート状に糸を吐いてしまう習性があって
それを利用した製品はだいぶ前から作られたりはしているんですが
一般の人が生も蚕を使って物を作るというのは珍しく
今年、駒ヶ根シルクミュージアムでは、地元の小、中学生を中心に
この生きた蚕を使って団扇を作る体験キットを期間限定で販売をしたんです
蚕10匹と団扇の骨と説明書がついて500円
少し小さめの蚕と桑の葉を持って帰り、少し育ててから団扇を作るセットと
もうすぐにでも糸を吐ける状態の蚕を持ち帰り、すぐに団扇を作るセットと
二つ用意されました
実際作られたものを見させていただくと
団扇の曲輪まで
本当にすっごく綺麗に仕上がっているのに驚きます

竹内さん達が最後仕上げをしたんだろうと思って聞くと
それは全部お蚕様が仕上げたもの
人の手で整えられたのではありません
と・・・
これも団扇を立てておいて蚕を乗せると上に上がっていく習性があって
その曲輪まで綺麗に糸を吐き仕上げていくんだそうです
でも人がしなきゃいけないことが一つだけあります
それは、均一に糸が行きわたるように
薄そうなところに蚕を動かす
ただそれだけ
でも、直に蚕を持って動かすという作業は
とってもハードルが高いという方もいるでしょう
10頭の蚕で1つの団扇を仕上げるのにかかる時間は丸2日
その間は、外出も避、け夜もたまに起きてみてやるなど、動かしてやるだけですが
根気がいります
でもちゃんと見ていてあげないと
下に落ちて、丸い繭をつくってしまうこともあるそうです
お蚕様は、糸を履くようになると一切食事をせず
ただただ糸を吐き続けます
そのように糸を吐けるようになる状態を「熟す」というふうに表現し
糸を吐ける蚕のことを「熟蚕」
だいぶ吐いて小さく黄色くなり始めてきたものを「過熟蚕(かじゅくさん)」というそうです

手前の黄色く見えるのが、過熟蚕の蚕
過熟蚕の蚕は体の中のシルクの元となる液体をどんどん吐き出し
どんどんどんどん小さくなって吐き切ったものをティッシュなどの上に乗せておいてあげると
脱皮してさなぎになり、そのあと脱皮して蛾になる
本来、私たちには見えない繭の中で行われている過程を見ることもできるそうです
これは、夏のこの時期のたった10日間くらいしか行えないイベントで
少し小さめの蚕と桑の葉を持って帰り、少し育ててから団扇を作るセットと
もうすぐにでも糸を吐ける状態の蚕を持ち帰り
すぐに団扇を作るセットと二つ用意されていて
そのどちらかを選んで持ち帰ったそうです
いつでも蚕が見られるシルクミュージアムでも、過熟蚕の蚕が見られることは珍しく
また、それを集中して時期を合わせて大量に育てるのは本当に大変な作業だそうで
毎年やりますとは言えないもの まさにプレミアムなイベントなんだそうです
お蚕様は実は人間が飼育しやすいように
運動神経のあまり良くないもの同士を交配し
飛べないのはもちろん
目も耳も鼻も機能は極めて弱い
餌すらもよっぽどお腹が空かない限り、自分で食べに行かない
ものすごく受け身の昆虫で
人間の管理のもとでなければ生きられない昆虫として生きてきたんだそうです
それが、一時期日本の経済を支えてくれていた
この団扇作りを通して
少しでもお蚕様への感謝の気持ちが育ってくれるといい
と竹内さんはお話ししてくださいました
触るのこわ〜〜いとかじゃなく
その命のありがたさを知るいい機会になるといいですね

工夫次第でこんな団扇も作れます
夏も一研究にはピッタリですね
蚕の顔が今でも忘れられない 西村容子 でした
それがこちら!

半透明でものすごく薄い、白い色をした
何の変哲もない団扇に見えますよね
でもでも
それが、この団扇
普通の団扇とは全然違うんです!
何が違うかって?
とにかく違うの
これを作っているのがね・・・
・・・
・・・
人じゃないの・・・
見ちゃう?
行くよ
こちら!!!!!

何だかわかります?
もっとよく見ます?
これ!

そうです
お蚕様
今回お邪魔した噂の現場は
駒ヶ根シルクミュージアム
お話伺ったのは 学芸員の竹内慶子さん
なぜこんな団扇作りを考えられたのか?
実はこの団扇、蚕の習性をうまく生かしてつくられたものなんだそうです
お蚕様って平らな所に置いておくと丸い繭を作ることができないそうなんです
シート状に糸を吐いてしまう習性があって
それを利用した製品はだいぶ前から作られたりはしているんですが
一般の人が生も蚕を使って物を作るというのは珍しく
今年、駒ヶ根シルクミュージアムでは、地元の小、中学生を中心に
この生きた蚕を使って団扇を作る体験キットを期間限定で販売をしたんです
蚕10匹と団扇の骨と説明書がついて500円
少し小さめの蚕と桑の葉を持って帰り、少し育ててから団扇を作るセットと
もうすぐにでも糸を吐ける状態の蚕を持ち帰り、すぐに団扇を作るセットと
二つ用意されました
実際作られたものを見させていただくと
団扇の曲輪まで
本当にすっごく綺麗に仕上がっているのに驚きます

竹内さん達が最後仕上げをしたんだろうと思って聞くと
それは全部お蚕様が仕上げたもの
人の手で整えられたのではありません
と・・・
これも団扇を立てておいて蚕を乗せると上に上がっていく習性があって
その曲輪まで綺麗に糸を吐き仕上げていくんだそうです
でも人がしなきゃいけないことが一つだけあります
それは、均一に糸が行きわたるように
薄そうなところに蚕を動かす
ただそれだけ
でも、直に蚕を持って動かすという作業は
とってもハードルが高いという方もいるでしょう
10頭の蚕で1つの団扇を仕上げるのにかかる時間は丸2日
その間は、外出も避、け夜もたまに起きてみてやるなど、動かしてやるだけですが
根気がいります
でもちゃんと見ていてあげないと
下に落ちて、丸い繭をつくってしまうこともあるそうです
お蚕様は、糸を履くようになると一切食事をせず
ただただ糸を吐き続けます
そのように糸を吐けるようになる状態を「熟す」というふうに表現し
糸を吐ける蚕のことを「熟蚕」
だいぶ吐いて小さく黄色くなり始めてきたものを「過熟蚕(かじゅくさん)」というそうです

手前の黄色く見えるのが、過熟蚕の蚕
過熟蚕の蚕は体の中のシルクの元となる液体をどんどん吐き出し
どんどんどんどん小さくなって吐き切ったものをティッシュなどの上に乗せておいてあげると
脱皮してさなぎになり、そのあと脱皮して蛾になる
本来、私たちには見えない繭の中で行われている過程を見ることもできるそうです
これは、夏のこの時期のたった10日間くらいしか行えないイベントで
少し小さめの蚕と桑の葉を持って帰り、少し育ててから団扇を作るセットと
もうすぐにでも糸を吐ける状態の蚕を持ち帰り
すぐに団扇を作るセットと二つ用意されていて
そのどちらかを選んで持ち帰ったそうです
いつでも蚕が見られるシルクミュージアムでも、過熟蚕の蚕が見られることは珍しく
また、それを集中して時期を合わせて大量に育てるのは本当に大変な作業だそうで
毎年やりますとは言えないもの まさにプレミアムなイベントなんだそうです
お蚕様は実は人間が飼育しやすいように
運動神経のあまり良くないもの同士を交配し
飛べないのはもちろん
目も耳も鼻も機能は極めて弱い
餌すらもよっぽどお腹が空かない限り、自分で食べに行かない
ものすごく受け身の昆虫で
人間の管理のもとでなければ生きられない昆虫として生きてきたんだそうです
それが、一時期日本の経済を支えてくれていた
この団扇作りを通して
少しでもお蚕様への感謝の気持ちが育ってくれるといい
と竹内さんはお話ししてくださいました
触るのこわ〜〜いとかじゃなく
その命のありがたさを知るいい機会になるといいですね

工夫次第でこんな団扇も作れます
夏も一研究にはピッタリですね
蚕の顔が今でも忘れられない 西村容子 でした
下諏訪に〇〇で人気のパワースポットがあるらしい!
2018年08月03日