「復活!天竜舟下りで復元されようとしているその舟とは?」

天龍舟下りで復活させようというこの舟。

造船所で私が目にしたのは、

これ、普通の舟とちょっと形が違う・・

という感じの舟でした。

 

復活させようとしているこの舟が、どんな舟なのか?

早速、信南交通の南島純さんに伺ってみると・・・

 

その舟は50年ほど前まで、舟下りで使われていた舟だとか。

そして、当時の運搬方法と関係があるらしい・・・

 

今は川を下った舟は、トラックで運ばれますが、

当時は、列車で運ばれていたそうです。

でも今の舟を見ると、大人28人が乗れる舟

とっても大きいんです。

 

こなままだと、列車には乗せられない。

ということで、当時の舟は・・・

よ~~~く見てください!



なんか、変じゃない?

 

分かります?

 

よく見て!

舟が半分しかない

 

そうなんです。

舟の半分を切ったように、半分だけの舟が二つ作られていて

当時は、その舟を、川に浮かべて、ボルトで繋いで、一艘の舟にして舟下りをしていたそうです。

毎回毎回、繋いで離してを繰り返すから「つなぎ舟」

 

実はこの「つなぎ舟」の復活は、「天竜川和船文化保存会」行っているもので

和船というのは多くがそうなんだそうですが、設計図がありません。

その時その時の木の性質に合わせて作られるので、一つとして同じサイズの舟はなそうなんです。

みんな、お師匠さんから、体でその技術を覚え、感や感覚を頼りに作ってきたそうです。

 

実は、このつなぎ舟も、あるのは写真だけ。

それを頼りに、復活させようとしているのです。

 

でも、幸い今回は強い味方がいらっしゃるのです。

この方がいてくれる今、作らなければ復活は、もっと困難になっていたかもしれません。

その方のお名前は、田切文夫さん。

 

その田切さんは、15歳で舟下りの船頭として入社、初めて乗った舟が「つなぎ舟」で、3年ほど乗っていたんだそうです。

 

つまり、田切さんは、今、唯一の、つなぎ舟の体験者。

田切さんに実際の船の様子を聞きながら復活させているそうです。

 

感を頼りに、人の手だけを使って作られる、天龍舟下りの舟ですが

そうは言っても、いろんな技術が昔より発達しているぶん

今の舟造りと、当時を比べると、だいぶ違うところもあるそうで、南島さんは収穫がいっぱいだと言います。

 

27日まで、「つなぎ舟」の制作の様子を見られる見学会をやっていて

遠くからも、この音と様子を見に多くの人が訪れていたそうですが

その方々が口々に語る、この音や、舟造りとの思い出。

船を作ることは、南信州の文化の継承なんですが

それだけでなく、多くの皆さんの思い出をつなぎ、

先日も、保育園生が見にきてくれたみたいなんですが、

この子たちも、あ〜なんかこの音懐かしいって未来の誰かの思い出も繋いでいくことになる。

 

そんなことを感じながら、毎日、作業を続けているんだそうです。

 

なんかいいな~~と思ってしまいました。

 

来週は、舟造りにかける思いや、「つなぎ舟」がどのように乗られていたのか

もう少し詳しくお届けします。

 

え~~話や~って思って調査を楽しんだ 西村容子でした。

「辰野町に街をデザインしちゃう人がいるらしい!どんなデザイン?」

辰野町に、街をデザインする人がいらっしゃるという噂を聞いて
早速、調査に出かけてきました。

お邪魔したのは、辰野の商店街

辰野の商店街って、レトロな雰囲気を持つ建物が比較的残っていて
独特な雰囲気があるんです。
でもちょっと寂しい感じも・・・

でもでも、最近この商店街がなんとなく変わってきている感じなんです。
何かがこの商店街で起こっている。
それは何か?調査してきました。

お邪魔したのは、辰野の商店街。
早速その拠点を訪ねてみることにしました。

(ごめんなさい。どうしても縦にできなくて・・・でも雰囲気だけでも・・・)



この建物3階建ての大正ロマンあふれるレトロな建物なんですが

中は、赤羽さんが1年半かけてリノベーションしたもの。

 

そこにいらっしゃったのはこのお2人



辰野町の一般社団法人「○と編集者」の代表理事 赤羽孝太さんと

理事でコミュニティープランナーの山下実紗(みさ)さん

 

バックに映り込んでいる素敵な空間いい感じですよね。

 

ここを拠点に、どんな風にデザインしているのか?

 

山下さんの、ちょっと不思議な人ですという言葉に誘われてお話を聞くことになった赤羽さん

「デザインするって?」の質問に

正確に言うと「街で遊ぶ人」ですという赤羽さん。

 

いろんな人が、楽しいと思える場所を作る

というのが一つの目的。

 

その場所として選んだのが、辰野町の商店街。

赤羽さんは辰野出身

この商店街は、子供の頃とっても楽しい場所だった。

でも帰ってきてみると、昔とちょっと違う。

 

そこで、あの時の楽しさをもう一度!

 

そして、この隙間だらけになっていしまったこの場所にはチャンスがあると思ったそうなんです。

赤羽さんは、この商店街を「宝の山」ともおっしゃっていたんですよね。

 

実際、私のお邪魔したオフィス、3階建てのそれほど狭くもないスペースでした

そこの家賃が・・・

いくらだと思います?

 

月1万円なんだそうです。

1年半かけて自分でリノベーションしたそうなんですが

とってもあったか味のあるいい場所でした。

 

このように、リスクが少なく自分のやりたいことができる

チャンスのある場所。

 

そんな風に、この商店街の可能性を感じた人たちが、少しづつ集まり始めていて

3年くらい前から赤羽さんがやっている

「商店街の町歩き」

といって、街をぶらぶらと歩いて、出会った人と話し、空き家を覗いたり

みんなで喋りながら楽しい時間を過ごしているうちに

ここで商売してみたくなって始めている人がすでに3組

 

新たの商売を始めたお店の横はシャッターが降りていたり、

全部の店が賑わう商店街ではなくても

点々と、面白い店がある、そこに行きたい!と思わせる店がある

飛び地のような商店街「トビチ商店街」と名付けて、楽しんでいるそうです。

 

そして、去年の12月、「トビチマーケット」という素敵なイベントを開催しました。

https://tobichi.jp/ (←詳しくはこちら)



 

そのテーマがまたすごい!!!

 

10年後から1日ちょっとお借りします。

 

「10年後の日常を1日だけ過ごせる日」ということで、辰野の商店街に4000人もの人が集まりました。

 

赤羽さんはこのイベントを通して

「みんなの共通言語ができた」っておっしゃっっていました。。

 

「10年後の辰野の街ってこんな風になっていたらいいね」

 

って、みんなで共通の未来を想像できたら、未来は確実に現実のものになっていく

そんな感じがする調査でした。

 

お話を伺っているうちになぜかワクワクしてしまった 西村容子 でした♡


珍しい○○落としを調査に行ったら、一大イベントが行われていた!in 原村

写真をアップします

◇ 現代の巾着袋がロープにつるされています



 

◇照明に照らされる巾着袋



 

◇厄投げのステージはウイング型のトラック



 

◇ステージオープン



 

◇雨あられと降ってきます!



諏訪担当:土橋 桂子

「オリンピックイヤー開幕!天龍村で行われている壮大なプロジェクトとは!?」

今年最初の木曜日の噂の調査隊は

いよいよ開幕した、オリンピックイヤーにふさわしい噂を調査してきました。

 

もう、今回は、この天龍村の温かさに私自身が感動してしまう素敵な噂でした。

 

実は、2年ほど前から天龍村で取り組まれている活動なんですが

それが、村を動かし、いまでは本当に素敵な大きなプロジェクトへと発展して

数々の賞まで受賞しているという活動

 

その活動が生まれたのは、なんと天龍中学校

子供達の思いが、村を動かしているのです。

 

そのプロジェクトの名前は「天龍村ハンガープロジェクト 」

 

今、高校1年生になる、天龍中学校の生徒さんが、技術の授業でハンガーを作っている時、

その頃、オリンピックの施設に天龍村の木材が使われることが決まり

そのプレゼンにも、村長さんと一緒にいった経験もあったため、オリンピックというものが近く感じられるようになっていた生徒さんたちが

村を元気にしたい!天龍村をもっと多くの人に知ってもらいたい

という思いで、2020本のハンガーを作り、アスリートにとだけたいと地道に作り始めました。

 

その時、そんなの無理だと大人が突っぱねてしまえばそれで終わり。

 

でも天龍村の大人たちはそうではなかった

 

校長先生は、これを達成した先にある素晴らしい生徒たちの心の未来を想像し

やらせてあげたいという思いで、村に相談。

村のそれを快諾し、このプロジェクトが立ち上がりました。

 

すると、村の議員さんから大工さん、老若男女問わず多くの人たちが

下は6歳から上は80歳代まで、月に1〜2回、学校の技術室で行われる製作会に来て、手伝ってくれるようになったんです。



学校まで来られないデイサービスのおじいちゃんおばあちゃんたちも

「オリンピックに参加しているようで嬉しい」といって

デイサービスの方で、ハンガーのヤスリかけを手伝ってくれたりしています。



 

こうしてコツコツ作り続けた結果、12月末の段階で後150本を切るまでになっているんです。



でも、これをさらに、アスリートの元に届けるという目的も果たさなくてはいけません。

 

一番最初に全校で出かけて渡したの、レスリングの吉田沙保里選手。

直接手渡した時は、ずっと夢を描いて作り続けてきた思いが叶った喜びで

多くの生徒さんの忘れられない思い出になっているようでした。

 

こうしたアスリートへの道筋を作ってくれているのも

やはり、子供達の夢を果たさせてあげたいという思いで動いてくれる大人たち。

特に永嶺村長さんは、そのルートを積極的に作り、いろんなアスリートにハンガーを届けてくれました。

 

先輩の意志を継いで、いま活動している天竜中学校の生徒さんたちも

新たな取り組みとして、自分たちで送りたいアスリートを話し合って決めて

自分たちから手紙を書き、その思いを伝えてハンガーを届ける

という取り組みもしています。

例えば、御嶽海さんだったり、大坂なおみ選手だったり…

でもこれは、直接本人のところへ届けるのはそう簡単ではなく、でも、諦めず思いを届け続けているようでした。

 

こうした地道な取り組みは、多くの大人の心を打ち

「長野県ふるさとの森林づくり賞」や

「ボランティア・スピリッツ・アワード 北関東・信越ブロック賞」を受賞し、

全国表彰式に招待されるなど数々の賞を受賞することができています。

 

自分の村の木がオリンピックに使われることが決まり

オリンピックが手の届かない遠くにあるものでもないことを感じ

自分たちにも何かできないかと思いつき

天龍村で取れた木材でハンガーを作り、アスリートに送りたいと思い夢を描き

その夢を、村の大人たちが真剣に一緒になって叶えようとしてくれる村

 

こんな村って他にあるのかな〜

と思うほど、調査をしていて感動の連続でした。

 

そしてこの活動が

様々な人の心の中に、様々な素晴らしい贈り物を届けてくれているようでした。

 

それは「つながり」というもの。

 

アスリートとのつながりばかりでなく、お手伝いに来てくれる村人同士のつながり

いろんなつながりをこのプロジェクトは作ってくれました。

 

2020本全部をアスリートに届け切るためには、まだまだ時間がかかることでしょう。

オリンピック開催まであと7ヶ月

それまでに届け切れるといいですね。応援し続けたいと思います。



このラジオをお聴きになって、アスリートの皆さんに繋がる道をご存知の方がいらしたら

ぜひ、天龍中学校まで、ご連絡をしていただきたいと思います。

 

本当に、オリンピックイヤーの幕開けにふさわしい、素敵な噂を調査しお伝えできたことが、

私自身、幸せ気分にさせてくれました。

 

天龍村の温かさに感動をもらった 西村容子でした。

高ボッチの頂上に、塚原の名が刻まれているらしい。

高ボッチ高原。

この展望台がある駐車場に車をとめて、



さらに山を登って行くと・・・

ここが山頂。



石碑がありました。



側面に名前。



もっと近づくと



これ・・・!!この並びは・・・。。。。

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日替わり調査員

月曜日 根本 豊 東信担当

寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」に所属していた演劇人。
福島出身で標準アクセントがいまだに身につかない。無類の酒好き。

火曜日 竹井 純子 北信担当

SBCのラジオカーレポーターを経て、調査隊員に。
中野市出身、豪快な笑い方が特徴。愛用の手提げバッグのデザインが下品と評判。

水曜日 塚原 正子 中信担当

ロック好き。電話するとだいたいエレベーターに乗っている。謎多き女性。
松本市出身。中学・高校のあだ名は「かっぺ」。

木曜日 西村 容子 南信担当

元民放テレビ局のアナウンサー。3人の子どもを育てながら、おもしろいネタがないかとアンテナを張りめぐらしている。への字まゆげがチャームポイント。飯田市出身。

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