噂の調査隊「年に1度1分間だけみんなに見つめられる山がある」
2014年06月26日
それぞれに、ふるさとの山ってありますよね。
年に1回1分間だけ多くの人に見つめられる山・・・
それは飯田市にあります。
「年に1度、1分間だけ」って言うのが、何の事だろう?って言う感じですよね。
その時間は毎年決まって同じ日同じ時間なんです。
それは、6月1日11時11分。
この日はある記念日なんですが・・・何の日かわかりますか?
気象記念日、電波の日、などこの日は様々な記念日に制定されているんですよね。
今回関係するのは・・・「写真の日」
「写真の日制定委員会」が1951年に制定しました。
1841(天保12)年のこの日、日本初の写真が撮影されたんだそうです。
その6月1日の11時11分に何が多くの人に見つめられ、場所がどこなのか、しかもどうして11時11分なのか?
このイベントの仕掛人の内のお二人、伊藤幸治さんと三浦泰章さんにお話伺ってみると・・・
それは、飯田市のシンボル「風越山」でした。
そのイベントの名前はズバリ「6月1日に風越山を撮ろう」
写真の日に、ふさわしいイベントを開きたいと考えた時、同じ時間にいろんな角度から同じものを撮ったら面白い!!
そんな遊び心から生まれたのがこのイベント。
じゃあ何を撮ろうかという時に、北は松川町から南は下条村までいろんな所から見られるのが、飯田市のシンボル「風越山」でした。
こだわりの時間は、覚えやすいように11時11分。
朝早くだと、天竜川のもやがかかることがあるし、午後は風越山が陽を背負って影になってしまう。
絶好の時間が11時11分だったんだそうです。
しかもその1分間を指定することで、角度の違う同じ被写体の写真が撮れる。
30分後じゃ意味がなかったわけです。
では、その1分間の間にどれくらいの人が風越山を見つめているかと言いますと・・・
多い時で400人以上。
400個のカメラのレンズが一点に集中して向けられているのを想像すると、ちょっとすごいですよね。
そして、本当に多くも人達が、その日を楽しみになんと12年間もこのイベントは続いているんです。
出品される作品も様々で、12年間ずっと同じ場所からとり続けている人や、時計込みの写真、家族の成長を記したものなど・・・
とにかくそれぞれの風越山への思いが詰まった作品ばかりです。
今年届いた作品がこちら!!

本当にいろんな作品が出品されています。
ある年は、撮影時間1分間にこだわった面白さを感じるいくつもの写真が撮れたそうです。
空に飛行機でもないちょっと動きがおかしい物体が・・・それは多くの写真に写り込み、同じ時間にシャッターを切るおもしろさも映し出しました。
こうして、多くの人が撮りたいと思う風越山とは飯田市民にとってどんな山なのか?
街行く人に聞いてみると・・・
子供のころからの遊び場だった。
飯田のシンボル!!!
わしゃーにとっては一番の山だな~というおばあちゃん
いきなり風越山の標高を明確にいうお父さん
いつも私たちを見守ってくれている山!と温もりいっぱいに応えてくれたおじ様
「ふうえつざん」と口走ってしまった私に「かざこしやま」だよと諭してくれたお父さん
本当にそれぞれに、思いを語ってくれました。
風越山はやっぱり飯田市民にとっては特別な山で、古くは信仰の山であり、今では、まさに飯田市は風越山の懐に中にある感じの山なんです。
飯田市民に風越山を語らせると、切りがないくらいで・・・
例えば、風を越す山と書いて「風越山」
その呼び方にも論争が起こる事があるくらいで、「ふうえつざん」という人もいれば、「かざこしやま」という人もいる。
でも、何年か前に正式名称は「かざこしやま」と決まりました。
「かざこしやま」ですよ~!!!と、公に決めないと収まりがつかないくらい、飯田市民にとっては思い入れのある山なんですよね。
あと、風越山の正面論争もある。(角度によって山の形が違うから)
北から見える伊賀良方面の人達は、手前にある虚空蔵山の姿もよく見えるこっちが正面だといい、
飯田の丘の上のあたりの人も、堂々とこっちを向いている感じのするこっちが正面だといい。
上郷の人も、上郷の方から見ると富士山のように一番美しく見える事から、こっちが正面だという。
そんな論争が起こるというのは、多くの人達に愛されている証拠ですよね。
ここに長く住んでいなくても(転勤で来ても)、何年かいるだけで、飯田に欠かせないものと感じるようになるらしく、なんとも不思議な山なんです。
実は、この企画今年で12年目という息の長いイベント。
第1回から欠かさず出品している方もいらっしゃる方もいらっしゃるということで、その方勝野芳美さんにその思いを伺いました。
勝野さんは、主婦なので毎年自宅ののベランダから撮っているそうなんですが、かなりこだわってアイデアいっぱいに撮るのが楽しみになっているんだそうです。
一番最初に撮ったのがこの写真。

「かざこしやまさん今日はとっておきの顔してね!」と額に入れて撮ったそうです。
孫が生まれた時は、産着と命名の文字と一緒にパチリ!
とっても暑い日になった年には、ご覧ください!

風越山に帽子をかぶしてあげようと、こんな写真を撮りました。
自分の定点観測というか、自分史を作るような感覚もあると勝野さん話してくださいましたが、いつも風越山とともにあるという感じが伝わってきそうですよね。
ある人は、撮り続けている間に、目の前にビルが建ち景色が全く変わってしまったり、田んぼの耕作をしなくなって緑が茶色に代わってしまったり、いろんな変化も見えるそうです。
長年やってくると、思いもよらない写真も届くようになり・・・
こちら!

風越山写ってないですよね。
これは長野市で撮られた写真なんです。
このイベントは、「とにかく6月1日の11時11分に風越山の方にカメラを向けて写真を撮ってください」というものなので、長野からでも風越山の方を向いて心に描く風越山を撮ればいいそうなんです。
これを撮った人には、風越山がきっと見えていたんです。
毎年、誰でも見られる形で展示された後、この写真達は、飯田市の歴史研究所に寄贈されるそうです。
12年の積み重ねで、既に大切な歴史的資料にもなりつつあるようですね。
今年は、今工事中の飯田市役所込みの風越山をとった方がいて、来年には同じ風景は見られない。

これも大切な歴史資料になる時が来るかもしれません。
年に1度多くに人に見つめられる山「風越山」は、飯田市民にとって、欠く事の出来ない大切な山なのでした。
後日談:実は「伊那谷めぐりあい」をやってる飯田の井口明美さんも、12年間風越山の写真この日に撮り続けているそうですよ(^o^)
風越山の魅力を再確認した 西村容子 でした。
年に1回1分間だけ多くの人に見つめられる山・・・
それは飯田市にあります。
「年に1度、1分間だけ」って言うのが、何の事だろう?って言う感じですよね。
その時間は毎年決まって同じ日同じ時間なんです。
それは、6月1日11時11分。
この日はある記念日なんですが・・・何の日かわかりますか?
気象記念日、電波の日、などこの日は様々な記念日に制定されているんですよね。
今回関係するのは・・・「写真の日」
「写真の日制定委員会」が1951年に制定しました。
1841(天保12)年のこの日、日本初の写真が撮影されたんだそうです。
その6月1日の11時11分に何が多くの人に見つめられ、場所がどこなのか、しかもどうして11時11分なのか?
このイベントの仕掛人の内のお二人、伊藤幸治さんと三浦泰章さんにお話伺ってみると・・・
それは、飯田市のシンボル「風越山」でした。
そのイベントの名前はズバリ「6月1日に風越山を撮ろう」
写真の日に、ふさわしいイベントを開きたいと考えた時、同じ時間にいろんな角度から同じものを撮ったら面白い!!
そんな遊び心から生まれたのがこのイベント。
じゃあ何を撮ろうかという時に、北は松川町から南は下条村までいろんな所から見られるのが、飯田市のシンボル「風越山」でした。
こだわりの時間は、覚えやすいように11時11分。
朝早くだと、天竜川のもやがかかることがあるし、午後は風越山が陽を背負って影になってしまう。
絶好の時間が11時11分だったんだそうです。
しかもその1分間を指定することで、角度の違う同じ被写体の写真が撮れる。
30分後じゃ意味がなかったわけです。
では、その1分間の間にどれくらいの人が風越山を見つめているかと言いますと・・・
多い時で400人以上。
400個のカメラのレンズが一点に集中して向けられているのを想像すると、ちょっとすごいですよね。
そして、本当に多くも人達が、その日を楽しみになんと12年間もこのイベントは続いているんです。
出品される作品も様々で、12年間ずっと同じ場所からとり続けている人や、時計込みの写真、家族の成長を記したものなど・・・
とにかくそれぞれの風越山への思いが詰まった作品ばかりです。
今年届いた作品がこちら!!



本当にいろんな作品が出品されています。
ある年は、撮影時間1分間にこだわった面白さを感じるいくつもの写真が撮れたそうです。
空に飛行機でもないちょっと動きがおかしい物体が・・・それは多くの写真に写り込み、同じ時間にシャッターを切るおもしろさも映し出しました。
こうして、多くの人が撮りたいと思う風越山とは飯田市民にとってどんな山なのか?
街行く人に聞いてみると・・・
子供のころからの遊び場だった。
飯田のシンボル!!!
わしゃーにとっては一番の山だな~というおばあちゃん
いきなり風越山の標高を明確にいうお父さん
いつも私たちを見守ってくれている山!と温もりいっぱいに応えてくれたおじ様
「ふうえつざん」と口走ってしまった私に「かざこしやま」だよと諭してくれたお父さん
本当にそれぞれに、思いを語ってくれました。
風越山はやっぱり飯田市民にとっては特別な山で、古くは信仰の山であり、今では、まさに飯田市は風越山の懐に中にある感じの山なんです。
飯田市民に風越山を語らせると、切りがないくらいで・・・
例えば、風を越す山と書いて「風越山」
その呼び方にも論争が起こる事があるくらいで、「ふうえつざん」という人もいれば、「かざこしやま」という人もいる。
でも、何年か前に正式名称は「かざこしやま」と決まりました。
「かざこしやま」ですよ~!!!と、公に決めないと収まりがつかないくらい、飯田市民にとっては思い入れのある山なんですよね。
あと、風越山の正面論争もある。(角度によって山の形が違うから)
北から見える伊賀良方面の人達は、手前にある虚空蔵山の姿もよく見えるこっちが正面だといい、
飯田の丘の上のあたりの人も、堂々とこっちを向いている感じのするこっちが正面だといい。
上郷の人も、上郷の方から見ると富士山のように一番美しく見える事から、こっちが正面だという。
そんな論争が起こるというのは、多くの人達に愛されている証拠ですよね。
ここに長く住んでいなくても(転勤で来ても)、何年かいるだけで、飯田に欠かせないものと感じるようになるらしく、なんとも不思議な山なんです。
実は、この企画今年で12年目という息の長いイベント。
第1回から欠かさず出品している方もいらっしゃる方もいらっしゃるということで、その方勝野芳美さんにその思いを伺いました。
勝野さんは、主婦なので毎年自宅ののベランダから撮っているそうなんですが、かなりこだわってアイデアいっぱいに撮るのが楽しみになっているんだそうです。
一番最初に撮ったのがこの写真。

「かざこしやまさん今日はとっておきの顔してね!」と額に入れて撮ったそうです。
孫が生まれた時は、産着と命名の文字と一緒にパチリ!
とっても暑い日になった年には、ご覧ください!

風越山に帽子をかぶしてあげようと、こんな写真を撮りました。
自分の定点観測というか、自分史を作るような感覚もあると勝野さん話してくださいましたが、いつも風越山とともにあるという感じが伝わってきそうですよね。
ある人は、撮り続けている間に、目の前にビルが建ち景色が全く変わってしまったり、田んぼの耕作をしなくなって緑が茶色に代わってしまったり、いろんな変化も見えるそうです。
長年やってくると、思いもよらない写真も届くようになり・・・
こちら!

風越山写ってないですよね。
これは長野市で撮られた写真なんです。
このイベントは、「とにかく6月1日の11時11分に風越山の方にカメラを向けて写真を撮ってください」というものなので、長野からでも風越山の方を向いて心に描く風越山を撮ればいいそうなんです。
これを撮った人には、風越山がきっと見えていたんです。
毎年、誰でも見られる形で展示された後、この写真達は、飯田市の歴史研究所に寄贈されるそうです。
12年の積み重ねで、既に大切な歴史的資料にもなりつつあるようですね。
今年は、今工事中の飯田市役所込みの風越山をとった方がいて、来年には同じ風景は見られない。

これも大切な歴史資料になる時が来るかもしれません。
年に1度多くに人に見つめられる山「風越山」は、飯田市民にとって、欠く事の出来ない大切な山なのでした。
後日談:実は「伊那谷めぐりあい」をやってる飯田の井口明美さんも、12年間風越山の写真この日に撮り続けているそうですよ(^o^)
風越山の魅力を再確認した 西村容子 でした。