噂の調査隊 「飯田の茶の湯文化がおもしろい」

新茶はもうお飲みになりましたか?
お茶のおいしい季節です。

というわけで、今日は「お茶」の話題をお送りします。

「茶の湯」というと、敷居が高いイメージもあり、心得のない人にとっては未知の多い世界ですよね。

ちょっぴり「お茶の基礎知識」調べてみました・・・

お茶の文化は平安時代に始まり、鎌倉時代は”薬”として使用されていたそうです。
その後室町時代にお茶の産地を飲み当てる”遊びとしての文化”となり、和歌との出会いにより精神的要素が組み込まれ、あの千利休の時代に”わび茶”として確立され現代に至っているそうです。

そんな茶の湯の世界、飯田で何がおもしろいのか?

今日は、飯田下伊那で茶の湯文化と言ったらこの人!
飯田市 龍翔寺のご住職 矢沢清見さんにお話伺いました。

まず、おもしろポイントその1

「飯田は茶の湯をたしなむ人の数が多い」
江戸時代、飯田の殿様に仕える武士のたしなみとして伝わってきた茶の湯ですが、飯田では武士ばかりでなく町人たちがこぞって茶の湯をたしなんだというんです。その中心となったのが豪商と言われる商家の旦那衆。

飯田はこんな田舎にも関わらず、商売の盛んな地域だったそうです。
なぜか「都の文化が漂う」そんな町。
その中心だった「旦那衆」は、様々な文化を育てます。
去年紹介した「花火」もそう。
「お練り祭り」もそう、今は当時とは違う形で7年に一度行われていますが、かつては京都の祇園祭を思わせるような屋台がいくつも出て、それは華かだったそうです。
さらに、かつて全国的に有名だった芸者文化も「旦那衆」が育てたものです。
吉原のような大きな遊郭があり、飯田の芸者さんの「芸」は日本一と言われた時代もあったそうです。

そんな旦那衆は、自分たちのたしなむ茶の湯の分野でも、驚くべき事をしていたそうなんです。
それは何か?

実は、「留学」
明治の初め頃、近藤ていぞう(漢字がわからなくてすみません)さんという方がいらっしゃったんですが、その方が京都の表千家の家元の所に弟子入りし、その都度、学んだことを手紙に記して飯田に送っていたそうなんです。
その近藤さんを京都に行かせたのが、旦那衆。
旦那衆がそれぞれにお金を出し合って、近藤さんを家元の所にまさに「留学」させたんだそうです。
そのため、飯田には常に本物の茶の湯の文化が直に伝わってきて、その本物の茶の湯の世界を旦那衆は楽しんでいた。
なんとも贅沢ですよね。

かつて、飯田の豪商の家には、必ずと言っていいほど茶室があり、旦那衆自身が茶の湯をたしなんでいました。
お茶というと今は女性のイメージが強いですが、かつては男性の教養の一つだったそうです。
そして、その茶の湯から学ぶ様々な精神が、商売に反映され、質の高い商売と豊かな文化が育まれていったそうです。

ただ、城下町だった旧市内の丘の上にあった豪商の家々は、あの飯田の大火ですべて焼き尽くされ、各家々にあった茶室も今は1軒しかその姿を留めていません。
大火がなければ、飯田の姿は大きく変わっていたでしょうね。
文化財の宝庫で、茶の湯の町として全国的に有名になっていたかも・・・

続いてのおもしろポイントは、お茶の流派!

茶の湯の世界の流派は千利休の時代の前からの流派も含め、10を遥かに超える流派があります。
そんな中で、一番有名なのは「裏千家」ですかね。
全国的に見て圧倒的に多いのが「裏千家」

じゃあ、飯田も裏千家が多いかというと、違うんです。

実は、飯田に限っては、裏ではなく表千家が圧倒的に多いんだそうなんです。
全国的にもこんな狭い地域で集中して表千家は親しまれているのは、珍しいそうなんです。

これは旦那衆のたしなんでいた茶の湯が表千家のもので、しかも本物が飯田の地で息づいていたために、全国的に広く勢力を伸ばしてきた裏千家であっても、入り込む隙間がなかったからではないかと言われています。

戦後のお茶を教える先生の数の記録が残っていて、それによると・・・
表千家の先生の数が11人に対して、裏千家はたったの2人
飯田では9割方表千家の茶の湯文化をたしなんでいたのがよくわかります。

さらに、この茶の湯は、現在、飯田の一つの文化にもなっているあるものも育てました。

そのあるものとは何でしょう?

もうお分かりですか?茶の湯につきものなのが・・・・そう!和菓子!!
飯田の水菓子はおいしいとよく聞きますが、お茶席を多く経験している矢沢さんも長野県の中でもやはり飯田のお菓子はおいしい部類に入ると笑顔で話してくださいました。

以前、お菓子屋さんを取材した事があるんですが、飯田のお客さんは本物を求めてくる。
特にお茶の世界の人が育ててくれる。と実際おっしゃっていました。

今は、お手前を身に付ける部分に大半のおけいこが費やされ、お点前がちゃんとできることが茶の湯の世界と思っている方も多いようですが、矢沢さんがおっしゃるには、それは茶の湯の世界のたったの3割ほど。真髄はそれ以外の7割の中にある。
その7割りの中には何があるか・・・
お点前の先にあるもの・・・なぜ、お点前を身に付けるかというと、お客様を「もてなす」ため。
その先には「おもてなし」の精神が存在する。
人をもてなすためには、様々な心配りが必要で、花をあしらい、掛け軸を選び、湯を沸かし・・・そのもてなしの先にある精神世界が茶の道の本当の面白さなんですって
茶の道は、禅の修行に通じるものがとても多く、飯田でも臨済宗のお寺にいくつか飯田最古の茶室というのが今でも残されているのです。
「一期一会」など人の心のあり方などもお茶の世界の大切な学び。
そこが本当の茶の湯のおもしろさにつながるそうです。

「おもてなし」

数年前、飯田を表す、飯田らしい言葉の第1位が「おもてなし」だったんですが、その元は、旦那衆が大切にしてきた茶の湯文化から来ている。なんて知らない人の方が多いでしょうね。

飯田のあらゆる文化の源が茶の湯の世界にあるのかも・・・そう感じさせられた今回の調査でした。

今回は、奥深過ぎて追求しきれない・・・そんな感じ・・・こんなんで大丈夫でしたか?矢沢住職???

      今回の調査で、飯田の見方がちょっと変わった  西村容子 でした♡

今回は写真がなくてすみませんでした(^o^;;)          





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日替わり調査員

月曜日 根本 豊 東信担当

寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」に所属していた演劇人。
福島出身で標準アクセントがいまだに身につかない。無類の酒好き。

火曜日 竹井 純子 北信担当

SBCのラジオカーレポーターを経て、調査隊員に。
中野市出身、豪快な笑い方が特徴。愛用の手提げバッグのデザインが下品と評判。

水曜日 塚原 正子 中信担当

ロック好き。電話するとだいたいエレベーターに乗っている。謎多き女性。
松本市出身。中学・高校のあだ名は「かっぺ」。

木曜日 西村 容子 南信担当

元民放テレビ局のアナウンサー。3人の子どもを育てながら、おもしろいネタがないかとアンテナを張りめぐらしている。への字まゆげがチャームポイント。飯田市出身。

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