6/16噂・小諸市・寅さん開館存続問題!?その後どうなった!?
2014年06月16日
ワタクシ、らじ☆カンでは、
「ラジオ寅さん信州ドタバタ人情めぐり」というコーナーも担当しております。
顔が四角い、目が細いということもあり、
「あら、寅さんに似てるねぇ」とはよく言われます。
さてその本物の?「渥美清こもろ寅さん会館」は小諸市に1995年開館しました。
しかし、近年入場客が減少し、一昨年館長が亡くられたこともあって、
昨年4月22日株式会社こもろ寅さん会館が解散して、
建物や展示品などが小諸市に寄付され閉館してしまいました。

寅さん会館はその後どうなっているのか、それを今回、昨年に続き調査しました。
まずなぜ小諸に寅さん会館ができたのか、そのおさらいをしましょう。
そもそも小諸市はなぜ寅さんの街なのか?
寅さんといえば、もちろん山田洋次監督の映画「男はつらいよ」で
渥美清さん演じる,車寅次郎ことフーテンの寅。
1988年、小諸市を舞台に映画が撮影されています。
第40作「寅次郎 サラダ記念日」ですね。マドンナは三田佳子でした。
なぜ長野県内の中で小諸市が選ばれたのか?
鍵を握るのは一人の男性です。
小諸市で電気工事会社の社長をしていた井出勢可さんです。
渥美清さんが仕事の関係者以外で心を許した数少ない親友でした。
井出さんは、渥美さん、山田監督や松竹関係者との
30年以上にわたる深い親交が続き、
渥美さんの強い希望もあって小諸を舞台の
「寅次郎サラダ記念日」は撮影されたそうです。
井出さんはその後、私財を使って1995年に小諸市に
「渥美清こもろ寅さん会館」を建設し初代館長につきました。
つまり、なぜ小諸に寅さん会館があるのか、
それは、渥美さんと亡くなった井出勢可さんとの
長年にわたる友情が生んだ結晶なのですね。
同い年でありながら渥美さんは井出さんを
「小諸のお父さん」と慕っていたそうです。
では、寅さん会館の現在の動きを小諸市役所に行って聞いてきました。
お話しいただいたのは、経済部 商工観光課 観光交流係 高橋 学係長です。

市は、昨年2月、プロポーザル方式(複数の者に目的物に対する企画を提案してもらい、
その中から優れた提案を行った者を選定すること)により、
一般社団法人ヤルダ兄弟舎を選定し業務委託。ヤルダ兄弟舎は
会館を含めた市の3施設の活用方法を探るワークショップを9月まで6回開催し、
広く市内外を問わず意見を聞くことになりました。
一方、寅さん会館の入場客減少期から立ち上がり、
今後の再開にむけて活発な活動をしている、
東信地方有志グループ「コモロ寅さんプロジェクト
『いつもココロに寅さんを』」(通称ココトラ)代表の
一井正樹(いちい まさき)さんにもお話を聞きました。

ココトラでは、積極的にヒアリングにも協力し、また、一井さんの念願だった
寅さん映画全48作品の上映会も開始しました。
第3回目として、7月5日(土)15:00から、閉館中の寅さん会館地下「やすらぎ会館」で、
第3作「フーテンの寅」を上映します。
また、9月までのヒアリングでは広く参加者のアイデアを募っているので、
是非小諸市役所またはヤルダ兄弟舎に連絡し、意見をお寄せくださいとのことです。
渥美清さんは「小諸は俺の心のふるさと」「晩年は小諸に住みたいなぁ」
と漏らすほどこの町を愛していました。
映画サラダ記念日で寅さんが、フッともらした台詞、
「ため息を、どうする訳ではないけれど、わたくしまたまた、恋したりして」
・・・心をよぎります。
ワタクシ、ラジオ寅さんとしまして、
今後も寅さん会館の行方をしぶとく見守っていきます。
流浪=男のロマンだなぁ・などと似合わない台詞を吐いてる・根本豊でした。
「ラジオ寅さん信州ドタバタ人情めぐり」というコーナーも担当しております。
顔が四角い、目が細いということもあり、
「あら、寅さんに似てるねぇ」とはよく言われます。
さてその本物の?「渥美清こもろ寅さん会館」は小諸市に1995年開館しました。
しかし、近年入場客が減少し、一昨年館長が亡くられたこともあって、
昨年4月22日株式会社こもろ寅さん会館が解散して、
建物や展示品などが小諸市に寄付され閉館してしまいました。

寅さん会館はその後どうなっているのか、それを今回、昨年に続き調査しました。
まずなぜ小諸に寅さん会館ができたのか、そのおさらいをしましょう。
そもそも小諸市はなぜ寅さんの街なのか?
寅さんといえば、もちろん山田洋次監督の映画「男はつらいよ」で
渥美清さん演じる,車寅次郎ことフーテンの寅。
1988年、小諸市を舞台に映画が撮影されています。
第40作「寅次郎 サラダ記念日」ですね。マドンナは三田佳子でした。
なぜ長野県内の中で小諸市が選ばれたのか?
鍵を握るのは一人の男性です。
小諸市で電気工事会社の社長をしていた井出勢可さんです。
渥美清さんが仕事の関係者以外で心を許した数少ない親友でした。
井出さんは、渥美さん、山田監督や松竹関係者との
30年以上にわたる深い親交が続き、
渥美さんの強い希望もあって小諸を舞台の
「寅次郎サラダ記念日」は撮影されたそうです。
井出さんはその後、私財を使って1995年に小諸市に
「渥美清こもろ寅さん会館」を建設し初代館長につきました。
つまり、なぜ小諸に寅さん会館があるのか、
それは、渥美さんと亡くなった井出勢可さんとの
長年にわたる友情が生んだ結晶なのですね。
同い年でありながら渥美さんは井出さんを
「小諸のお父さん」と慕っていたそうです。
では、寅さん会館の現在の動きを小諸市役所に行って聞いてきました。
お話しいただいたのは、経済部 商工観光課 観光交流係 高橋 学係長です。

市は、昨年2月、プロポーザル方式(複数の者に目的物に対する企画を提案してもらい、
その中から優れた提案を行った者を選定すること)により、
一般社団法人ヤルダ兄弟舎を選定し業務委託。ヤルダ兄弟舎は
会館を含めた市の3施設の活用方法を探るワークショップを9月まで6回開催し、
広く市内外を問わず意見を聞くことになりました。
一方、寅さん会館の入場客減少期から立ち上がり、
今後の再開にむけて活発な活動をしている、
東信地方有志グループ「コモロ寅さんプロジェクト
『いつもココロに寅さんを』」(通称ココトラ)代表の
一井正樹(いちい まさき)さんにもお話を聞きました。

ココトラでは、積極的にヒアリングにも協力し、また、一井さんの念願だった
寅さん映画全48作品の上映会も開始しました。
第3回目として、7月5日(土)15:00から、閉館中の寅さん会館地下「やすらぎ会館」で、
第3作「フーテンの寅」を上映します。
また、9月までのヒアリングでは広く参加者のアイデアを募っているので、
是非小諸市役所またはヤルダ兄弟舎に連絡し、意見をお寄せくださいとのことです。
渥美清さんは「小諸は俺の心のふるさと」「晩年は小諸に住みたいなぁ」
と漏らすほどこの町を愛していました。
映画サラダ記念日で寅さんが、フッともらした台詞、
「ため息を、どうする訳ではないけれど、わたくしまたまた、恋したりして」
・・・心をよぎります。
ワタクシ、ラジオ寅さんとしまして、
今後も寅さん会館の行方をしぶとく見守っていきます。
流浪=男のロマンだなぁ・などと似合わない台詞を吐いてる・根本豊でした。