「信州そば発祥の地には、いろんなドラマがあった!」
2017年02月09日
信州そば発祥の地といえばどこ?
と聞かれて思い浮かぶのはどこでしょう?
北信を思い浮かべる方が多のではないでしょうか
あなたはどうですか?
私もやっぱり「戸隠そば」のイメージが強いのか、北信じゃないかって思ってたんです
でも、どうやら違うみたいなんですよね
でもでも
その発祥の地と言われる所で、街頭インタビューをすると・・・
「高遠?」
「伊那・・・」
「最近聞きました、伊那ですよね」
「はい!伊那!!!・・・ってことになっています!」
ということで
かなり定着しているんですよね~
そう!信州そば発祥の地と言われている所は
伊那市なんです
ではなぜ、伊那市が発祥の地なのか?
信州そば発祥の地伊那 そば振興会 会長の飯島進さんにお話伺いました
伊那に「行者そば」というそばがあります
そのそばにはこんな伝説が残されています
奈良時代の初め、修験道の開祖役小角は修業のため信州に入り、小黒川をさかのぼって駒ヶ岳を目指しました。
途中、内の萱で村人たちに温かくもてなされた役小角は、お礼として一握りの蕎麦の実を置いていったそうなんです
村人たちはこのそばを大切に育て、信州全体に広めた・・・と・・・
その行者そばというのは、辛味大根おろしのしぼり汁に焼き味噌を入れて食べるという、とっても珍しい食べ方をするそばで
高遠そばもその辛つゆで食べる同じ文化を受け継いでいます
高遠には「大根畑」なんていう地名もあって
いかに、そのそばの文化を大事に守ってきたかがわかる
と、飯島さんは話してくださいました
さらに、この信州そば発祥の地を語るのに
欠かせない人物がいるんです
その人の名は、保科正行公
保科正之公は高遠城主として有名ですが
その後、その才覚を買われ最上山形20万石の城主として出世し
その後、会津若松、最後は江戸に移り
4代将軍 家綱公の補佐役として非常に活躍する名君として名をはせるわけですが
その保科正之公がとてもそばが好きだった
ですから、高遠から最上山形に行く時も、会津若松に行く時も、そして江戸にも、そば職人を連れて歩いた
そのため、その足跡には全てそばが残っているというんです
山形には、「寒ざらしそば」
会津若松には、名前もそのまま「高遠そば」
のそば文化が残っていて、そのルーツはいずれも高遠だということです
さらに
江戸のそば文化を定着させたのも
保科家だと考えられる事実があるようなんです
よく「更科そば」と言いますよね
この更科の「科」の字
その字に面白い話があるんです
今でも麻布十番にある、そばの老舗「更科堀井」
江戸時代、保科家の「科」の字をもらって「更科そば」という呼び名を許されました
そのおそばがあまりにおいしいので、広く広まり、「更科そば」というのが商標が取れないくらい定着した呼び方になった
無類のそば好きで、各地にそば文化を残してきた保科家
江戸でも、そのお店にそば作りを伝授し、その伝授の証として「科」の字の使用を許した
江戸のそば文化に、何らかの形で保科家が関連していたと推測してもいいのかもしれませんね
さらに、現在のそば粉の生産量から見ても
全国第2位の長野県の中で、常に伊那は1、2を争うトップクラス
そんな意味でも誇りを持って発祥の地をうたえると飯島さん
様々な角度から見て、信州そばのルーツをたどると
結構面白い話が出てくるものですね
それにしても
信州そば発祥の地は、伊那市です
と断言して、県内のそば処からクレームなどは来ないんでしょうか?
気になりますよね
でも
どこからも何のクレームもなく
大きな心で見守ってくれていると飯島さん
これからさらに、発祥の地に拍車がかかりそうですね

取材中おそばが食べたくなってきてしまった 西村容子 でした
と聞かれて思い浮かぶのはどこでしょう?
北信を思い浮かべる方が多のではないでしょうか
あなたはどうですか?
私もやっぱり「戸隠そば」のイメージが強いのか、北信じゃないかって思ってたんです
でも、どうやら違うみたいなんですよね
でもでも
その発祥の地と言われる所で、街頭インタビューをすると・・・
「高遠?」
「伊那・・・」
「最近聞きました、伊那ですよね」
「はい!伊那!!!・・・ってことになっています!」
ということで
かなり定着しているんですよね~
そう!信州そば発祥の地と言われている所は
伊那市なんです

ではなぜ、伊那市が発祥の地なのか?
信州そば発祥の地伊那 そば振興会 会長の飯島進さんにお話伺いました
伊那に「行者そば」というそばがあります
そのそばにはこんな伝説が残されています
奈良時代の初め、修験道の開祖役小角は修業のため信州に入り、小黒川をさかのぼって駒ヶ岳を目指しました。
途中、内の萱で村人たちに温かくもてなされた役小角は、お礼として一握りの蕎麦の実を置いていったそうなんです
村人たちはこのそばを大切に育て、信州全体に広めた・・・と・・・
その行者そばというのは、辛味大根おろしのしぼり汁に焼き味噌を入れて食べるという、とっても珍しい食べ方をするそばで
高遠そばもその辛つゆで食べる同じ文化を受け継いでいます
高遠には「大根畑」なんていう地名もあって
いかに、そのそばの文化を大事に守ってきたかがわかる
と、飯島さんは話してくださいました
さらに、この信州そば発祥の地を語るのに
欠かせない人物がいるんです
その人の名は、保科正行公
保科正之公は高遠城主として有名ですが
その後、その才覚を買われ最上山形20万石の城主として出世し
その後、会津若松、最後は江戸に移り
4代将軍 家綱公の補佐役として非常に活躍する名君として名をはせるわけですが
その保科正之公がとてもそばが好きだった
ですから、高遠から最上山形に行く時も、会津若松に行く時も、そして江戸にも、そば職人を連れて歩いた
そのため、その足跡には全てそばが残っているというんです
山形には、「寒ざらしそば」
会津若松には、名前もそのまま「高遠そば」
のそば文化が残っていて、そのルーツはいずれも高遠だということです
さらに
江戸のそば文化を定着させたのも
保科家だと考えられる事実があるようなんです
よく「更科そば」と言いますよね
この更科の「科」の字
その字に面白い話があるんです
今でも麻布十番にある、そばの老舗「更科堀井」
江戸時代、保科家の「科」の字をもらって「更科そば」という呼び名を許されました
そのおそばがあまりにおいしいので、広く広まり、「更科そば」というのが商標が取れないくらい定着した呼び方になった
無類のそば好きで、各地にそば文化を残してきた保科家
江戸でも、そのお店にそば作りを伝授し、その伝授の証として「科」の字の使用を許した
江戸のそば文化に、何らかの形で保科家が関連していたと推測してもいいのかもしれませんね
さらに、現在のそば粉の生産量から見ても
全国第2位の長野県の中で、常に伊那は1、2を争うトップクラス
そんな意味でも誇りを持って発祥の地をうたえると飯島さん
様々な角度から見て、信州そばのルーツをたどると
結構面白い話が出てくるものですね
それにしても
信州そば発祥の地は、伊那市です
と断言して、県内のそば処からクレームなどは来ないんでしょうか?
気になりますよね
でも
どこからも何のクレームもなく
大きな心で見守ってくれていると飯島さん
これからさらに、発祥の地に拍車がかかりそうですね

取材中おそばが食べたくなってきてしまった 西村容子 でした