松本出身の偉~いお医者さん。アレでとても有名らしい。
2017年03月29日
浅田宗伯という、とても偉いお医者さん。
今でもアレの世界では、とても有名な先生らしいんです。
アレとは・・・

そう。漢方です。
今でも多くの患者さんに処方されているこの漢方薬。
「女神散(にょしんさん)」と名付けたのが、
松本出身の浅田宗伯というとても偉い先生なんですって。
松本市島立にある 浅田記念クリニック
院長の 高橋 文子先生が、いろいろご存知らしいということで、
お話を聞きに行ってきました!

「浅田宗伯は、1815年に今の松本市島立北栗に生まれました。
父、祖父ともにこの地で医業を営んでいました。
宗伯は18歳で故郷を離れ、京都で学び、江戸で開業。
その後、1855年に江戸幕府徳川将軍家の典医となりました。
1865年にフランス公使レオン・ロッシュの難病を漢方で治したこときっかけに
大いに名声を上げ、その後も漢方医としてその伝統を守り続け、
最後には天皇家最後の侍医として活躍しました。
大正天皇の危篤状態を救ったのも浅田宗伯だといわれています。
浅田宗伯が生きた19世紀は、西洋医学を受け入れ、学ぶ人が増え、
ついには西洋医学が医療の主流になった時代です。
その中で、漢方医学の最後の砦を死守したひとりに、
浅田宗伯がいたといわれています。」
え~~~~っ!!
そんなに偉い先生が松本出身!
知らなかったぁぁぁ。
「この浅田記念クリニックが建つ、ここで生まれたんです。」
すご~~~い!
で。
高橋先生は何者!?
「私は子孫にあたります。私の5代前が浅田宗伯なんです。」
だから先生もお医者さんに・・・?
「それがですねぇ。私が学んできたのは西洋医学。
私が学生だった頃は、授業で漢方を学ぶことはなかったんです。
なので、その偉大さはいまひとつピンと来ていなかったというか・・・。
祖父からはよく聞かされていたんですけれど。」
医師として現場で様々な経験をしていく中で、漢方の考え方に触れ、
そこでやっと、その偉大さに気付いたそうです。
「西洋医学と東洋医学、一緒になって初めて病を治す力のなるのだなぁと、
最近感じることが多いです。
宗伯の子孫として、もっともっと勉強していきたいという想いから、
宗伯が生まれたこの地で、浅田記念という名をつけたクリニックを開業しました。」
クリニックの入り口には、宗伯の写真とともにその功績を記したボードが。
待合室もとてもきれいで心地いい空間です。

「宗伯は、医療に関する多くの書籍を残していて、
その中で医師としての志も示しています。
患者さんの診察、診療は、ただひたすらに真心を尽くしなさい。
それが医師の務めであり、医術上達への唯一の道なのだ、
と教えてくれています。
それを読むたびに、おじいちゃんに言い聞かせられているような気持ちになり、
医師として気が引き締まる想いです。
宗伯の志をしっかりと継ぎ、頑張っていきたいと思っています。」
浅田宗伯が唱えた医療の本質、
時代を超えて、この地に受け継がれている。
素晴らしいことだと思います。
これからの地域医療に、大きな期待をしたいところですよね。
松本の調査隊員 塚原でした。
今でもアレの世界では、とても有名な先生らしいんです。
アレとは・・・

そう。漢方です。
今でも多くの患者さんに処方されているこの漢方薬。
「女神散(にょしんさん)」と名付けたのが、
松本出身の浅田宗伯というとても偉い先生なんですって。
松本市島立にある 浅田記念クリニック
院長の 高橋 文子先生が、いろいろご存知らしいということで、
お話を聞きに行ってきました!

「浅田宗伯は、1815年に今の松本市島立北栗に生まれました。
父、祖父ともにこの地で医業を営んでいました。
宗伯は18歳で故郷を離れ、京都で学び、江戸で開業。
その後、1855年に江戸幕府徳川将軍家の典医となりました。
1865年にフランス公使レオン・ロッシュの難病を漢方で治したこときっかけに
大いに名声を上げ、その後も漢方医としてその伝統を守り続け、
最後には天皇家最後の侍医として活躍しました。
大正天皇の危篤状態を救ったのも浅田宗伯だといわれています。
浅田宗伯が生きた19世紀は、西洋医学を受け入れ、学ぶ人が増え、
ついには西洋医学が医療の主流になった時代です。
その中で、漢方医学の最後の砦を死守したひとりに、
浅田宗伯がいたといわれています。」
え~~~~っ!!
そんなに偉い先生が松本出身!
知らなかったぁぁぁ。
「この浅田記念クリニックが建つ、ここで生まれたんです。」
すご~~~い!
で。
高橋先生は何者!?
「私は子孫にあたります。私の5代前が浅田宗伯なんです。」
だから先生もお医者さんに・・・?
「それがですねぇ。私が学んできたのは西洋医学。
私が学生だった頃は、授業で漢方を学ぶことはなかったんです。
なので、その偉大さはいまひとつピンと来ていなかったというか・・・。
祖父からはよく聞かされていたんですけれど。」
医師として現場で様々な経験をしていく中で、漢方の考え方に触れ、
そこでやっと、その偉大さに気付いたそうです。
「西洋医学と東洋医学、一緒になって初めて病を治す力のなるのだなぁと、
最近感じることが多いです。
宗伯の子孫として、もっともっと勉強していきたいという想いから、
宗伯が生まれたこの地で、浅田記念という名をつけたクリニックを開業しました。」
クリニックの入り口には、宗伯の写真とともにその功績を記したボードが。

待合室もとてもきれいで心地いい空間です。

「宗伯は、医療に関する多くの書籍を残していて、
その中で医師としての志も示しています。
患者さんの診察、診療は、ただひたすらに真心を尽くしなさい。
それが医師の務めであり、医術上達への唯一の道なのだ、
と教えてくれています。
それを読むたびに、おじいちゃんに言い聞かせられているような気持ちになり、
医師として気が引き締まる想いです。
宗伯の志をしっかりと継ぎ、頑張っていきたいと思っています。」
浅田宗伯が唱えた医療の本質、
時代を超えて、この地に受け継がれている。
素晴らしいことだと思います。
これからの地域医療に、大きな期待をしたいところですよね。
松本の調査隊員 塚原でした。