「南牧村には変わったお正月の迎え方をする地区があるらしい!?」
2017年12月25日
今日は楽しいクリスマス。ですが、今日はクリスマスではなく一足早くお正月にまつわる噂のご紹介です。
南牧村に変わったお正月の迎え方をする地区があるそうなのです。その変わったお正月についてよく知っているという方を教えて頂きお話を伺いに行ってきました。
南牧村に住む井出 治郎さんです。
治郎さんのお住まいは南牧村の海ノ口地区にあります。その変わったお正月の迎え方をするお宅は海ノ口地区を中心に小海町の方まであるのだそうです。
ただ地区に住んでいる全員がそうするという訳ではないとの事。
その変わった風習は「井出家の松飾り」というそうです。
井出家。
井出という姓のお宅だけの風習。
一体、どんな風習なのでしょうか。
「井出家の松飾り」は南牧村の伝説という南牧村教育委員会で出している本にも載っていました。
その風習とは、
井出家では…
「門松を立てない」
そして、「餅つきをしない」のだそうです。
お正月なのに門松を立てないなんて、やっぱり変わっていますね(驚)
門松を立てずにどうするのかと言うと、なんと!家の中、土間に飾るのだそうです!!
その門松も昔ながらの門松で、山からとってきた松とカラマツの木を組んだ物をその足元 ナラの木で袴木にして立てるというものなのですが、井出家では玄関前に門松をたてずに、ひっそりと家の中に飾るのだそうです。
そしてもう一つ。井出家の風習としては、お餅つきは年の暮れに行わない。
年明け 1月3日に行うものとされているそうです。
面白いですよね。
どうして井出家では門松を飾らず、お餅つきも年末に行わないのか。
理由を伺ってみました。
南牧村には海ノ口城という佐久市の平賀城の出城だったお城跡があります。城主は平賀源信ですが、海ノ口城と言えば…武田信玄の初陣の地としても知られていますね。
天文5年11月。武田信玄が父 信虎とこの海ノ口城を攻めにやって来ました。ところが、海ノ口城はなかなか落城せず、冬になってしまいました。信州の寒さに武田軍は耐えきれず、一度退却して行ったのですが、
年末の12月28日頃、平賀源信の下についていた井出家のご先祖様である地侍は年の暮れということで年越しにそれぞれ家に帰ってしまっていました。兵士が手薄になっているところへ、武田信玄が今度は300余りの兵を引き連れて奇襲をかけ、海ノ口城は落城してしまった。…というお話です。
それから、井出一族は「祖先の事を想うと 正月を派手に祝う事はできない」という事で、控えめなお正月の迎え方をする風習が伝わったという訳なのだそうです。
もう一説によると、平賀源信の家来が逃げて来て、井出一族がかくまった。その為に、家の中だけに松を飾るようになった。
という説もあるそうですが、いずれにしても、この変わった風習は井出というお名前のお宅にだけ伝わる風習なのだそうです。
実は、この風習は今ではほとんど見られなくなってしまったのだそうです。続けているのは井出 治郎さんのお宅ぐらいなのだとか。
そんな治郎さんも、子どもの頃は人のうちの門松をうらやましく思っていたのだそうです。「どうしてうちだけこんなひっそりと???」と恥かしくて嫌だったそうです。しかし大きくなるにつれてそのような理由があると知り、それからはこの風習を大事に考えるようになったそうです。
井出家の松飾り。門松を家の玄関に立てないという風習は戦後になるとあまり見られなくなってしまったそうです。「昔はこうだったよね。」という記憶があるという方はまだいるそうなのですが、実際に行っているという方はほとんどいません。
…と言うのも、実はこの風習。大変なのだそうです。
井出家のお正月飾りは前もって準備してはいけません。しめ縄をなうのは12月30日に、そして、松飾り 角松を飾るのも12月31日に行うそうです。山から木を切ってきて、それを一日で作り、家の中に飾る。
ただでさえ忙しい年末に、大変なしきたりを守り続けている治郎さんのお宅はすごいなぁと思います。
地元でも、若い方々はそのような風習があったと聞いても全然ぴんと来ないそうです。貴重な井出家の松飾りのお話を治郎さんに教えて頂く事ができて、私は本当に幸せ者だと思いました♪
斉藤 美穂
南牧村に変わったお正月の迎え方をする地区があるそうなのです。その変わったお正月についてよく知っているという方を教えて頂きお話を伺いに行ってきました。
南牧村に住む井出 治郎さんです。
治郎さんのお住まいは南牧村の海ノ口地区にあります。その変わったお正月の迎え方をするお宅は海ノ口地区を中心に小海町の方まであるのだそうです。
ただ地区に住んでいる全員がそうするという訳ではないとの事。
その変わった風習は「井出家の松飾り」というそうです。
井出家。
井出という姓のお宅だけの風習。
一体、どんな風習なのでしょうか。
「井出家の松飾り」は南牧村の伝説という南牧村教育委員会で出している本にも載っていました。
その風習とは、
井出家では…
「門松を立てない」
そして、「餅つきをしない」のだそうです。
お正月なのに門松を立てないなんて、やっぱり変わっていますね(驚)
門松を立てずにどうするのかと言うと、なんと!家の中、土間に飾るのだそうです!!
その門松も昔ながらの門松で、山からとってきた松とカラマツの木を組んだ物をその足元 ナラの木で袴木にして立てるというものなのですが、井出家では玄関前に門松をたてずに、ひっそりと家の中に飾るのだそうです。
そしてもう一つ。井出家の風習としては、お餅つきは年の暮れに行わない。
年明け 1月3日に行うものとされているそうです。
面白いですよね。
どうして井出家では門松を飾らず、お餅つきも年末に行わないのか。
理由を伺ってみました。
南牧村には海ノ口城という佐久市の平賀城の出城だったお城跡があります。城主は平賀源信ですが、海ノ口城と言えば…武田信玄の初陣の地としても知られていますね。
天文5年11月。武田信玄が父 信虎とこの海ノ口城を攻めにやって来ました。ところが、海ノ口城はなかなか落城せず、冬になってしまいました。信州の寒さに武田軍は耐えきれず、一度退却して行ったのですが、
年末の12月28日頃、平賀源信の下についていた井出家のご先祖様である地侍は年の暮れということで年越しにそれぞれ家に帰ってしまっていました。兵士が手薄になっているところへ、武田信玄が今度は300余りの兵を引き連れて奇襲をかけ、海ノ口城は落城してしまった。…というお話です。
それから、井出一族は「祖先の事を想うと 正月を派手に祝う事はできない」という事で、控えめなお正月の迎え方をする風習が伝わったという訳なのだそうです。
もう一説によると、平賀源信の家来が逃げて来て、井出一族がかくまった。その為に、家の中だけに松を飾るようになった。
という説もあるそうですが、いずれにしても、この変わった風習は井出というお名前のお宅にだけ伝わる風習なのだそうです。
実は、この風習は今ではほとんど見られなくなってしまったのだそうです。続けているのは井出 治郎さんのお宅ぐらいなのだとか。
そんな治郎さんも、子どもの頃は人のうちの門松をうらやましく思っていたのだそうです。「どうしてうちだけこんなひっそりと???」と恥かしくて嫌だったそうです。しかし大きくなるにつれてそのような理由があると知り、それからはこの風習を大事に考えるようになったそうです。
井出家の松飾り。門松を家の玄関に立てないという風習は戦後になるとあまり見られなくなってしまったそうです。「昔はこうだったよね。」という記憶があるという方はまだいるそうなのですが、実際に行っているという方はほとんどいません。
…と言うのも、実はこの風習。大変なのだそうです。
井出家のお正月飾りは前もって準備してはいけません。しめ縄をなうのは12月30日に、そして、松飾り 角松を飾るのも12月31日に行うそうです。山から木を切ってきて、それを一日で作り、家の中に飾る。
ただでさえ忙しい年末に、大変なしきたりを守り続けている治郎さんのお宅はすごいなぁと思います。
地元でも、若い方々はそのような風習があったと聞いても全然ぴんと来ないそうです。貴重な井出家の松飾りのお話を治郎さんに教えて頂く事ができて、私は本当に幸せ者だと思いました♪
斉藤 美穂