近代登山の父 ウォルター・ウェストンの愛が、100年の時を経てよみがえった?
2016年08月31日
まずは、ウォルター・ウェストンってだれ?! というお話から。
ウォルター・ウェストンは、イギリス人宣教師です。
教会団体からの派遣で、初めて日本に来たのが、今から128年前、明治21年(1888年)。
以来3回日本を訪れ、何度となく北アルプスに登っています。
当時、登山という文化がなかった日本人に、山に登ることの魅力を伝え、
近代登山の父と呼ばれているんです。
上高地に、レリーフがありますよね。
そのウォルター・ウェストンの愛がよみがえった、ってどういうことでしょう?
実はウェストン、こういうものを残しているんです。

左側の赤い皮の本。
これは日記帳です。
大正4年(1914年)の夏、
生涯で最後となった北アルプス登山のために宿泊した温泉宿「上高地 温泉場」に、
この日記帳を残したんです。
表紙刻まれた文字は
「KAMIKOCHI ONSENBA CLIMBER'S BOOK」(上高地温泉場クライマーズブック)
この素晴らしい北アルプスには今後、多くの外国人登山者が訪れるだろう。
彼らの登山の参考になるように、
自分が体験したルートや時間、天候などを記録として残し、
さらに宿泊した人に自分たちの体験を記してもらうようにしよう。
そんな想いで残していった日記帳。
後にここを訪れた外国人登山者が、次々に書き継いでいき、
1972年までの間、80人余りの人々の記録が記入されていきました。
これをどうしたか。
松本市山岳観光課 課長 加藤 市朗さんにうかがいまいた。

「この中には大変貴重な記録が残されています。
しかも、外国人の視線で書かれている。
北アルプスに寄せるウェストンの想い、
さらには山を愛する外国人登山者の気持ちが詰まっているんです。
これはやはり、後世に引き継いでいくべきものではないか、ということで、
松本市が主体となって、日本山岳会などからも協力を得てこの日記を翻訳し、
記念すべき第1回目の山の日、8月11日に出版しました。」

貴重な資料となる記録がたくさん書かれています。
例えば、アメリカ人のメルル・デイヴィスという人が書いた焼岳噴火の記録。
『・・・噴煙は一部が朝霧でかき消されたものの、その大半は空高く立ち上り、
巨大な傘のように広がると、南西の風に乗り、すばやく谷をのぼっていった。
その結果、朝の日差しは夜の帳(とばり)に変わり、淡いスレート色の灰が
これでもかと降り注いだ。・・・』
これ、ほんの一部ですが、読み進めていくとその様子が鮮やかに浮かんできます。
どの方の記録も、文章が素晴らしく、読み応えがあります。
山の様子だけでなく、一緒に行った日本人とのやりとりを、
愛情たっぷりに描いています。
中には、自分の目の前に広がる景色、山の素晴らしさを、
詩で表現している人もいます。
この中に、ウェストンと80人の外国人の、
山への想いがぎっしりと詰め込まれている。愛を感じるんです。
「確かにそうだと思います。
そして彼らが愛した美しい山々は、今もここにある。
彼らの想いとともに、後世に引き継いでいきたい大切なものだと思います。
山が好きな人はもちろんですが、そうでない人も、
ぜひ読んでいただきたいです。」
松本市博物館では9月4日まで、企画展が開催されています。
この本物の日記帳のほか、大正時代に画かれた登山ルートを記した地図や、
河童橋の上で撮影したウェストンの写真など、貴重な資料が展示されています。

そして、8月11日に出版されたこの本
「ウェストンが残した クライマーズ・ブック
外国人たちの日本アルプス登山手記」
は、長野県内の書店で販売されています。
まさに、ウェストンの愛が、100年の時を経て、
この本の中に、美しくよみがえっています。
いろ~んな発見と感動が詰まった、愛の本なんですね。
松本の調査隊員 塚原 正子でした。
ウォルター・ウェストンは、イギリス人宣教師です。
教会団体からの派遣で、初めて日本に来たのが、今から128年前、明治21年(1888年)。
以来3回日本を訪れ、何度となく北アルプスに登っています。
当時、登山という文化がなかった日本人に、山に登ることの魅力を伝え、
近代登山の父と呼ばれているんです。
上高地に、レリーフがありますよね。
そのウォルター・ウェストンの愛がよみがえった、ってどういうことでしょう?
実はウェストン、こういうものを残しているんです。

左側の赤い皮の本。
これは日記帳です。
大正4年(1914年)の夏、
生涯で最後となった北アルプス登山のために宿泊した温泉宿「上高地 温泉場」に、
この日記帳を残したんです。
表紙刻まれた文字は
「KAMIKOCHI ONSENBA CLIMBER'S BOOK」(上高地温泉場クライマーズブック)
この素晴らしい北アルプスには今後、多くの外国人登山者が訪れるだろう。
彼らの登山の参考になるように、
自分が体験したルートや時間、天候などを記録として残し、
さらに宿泊した人に自分たちの体験を記してもらうようにしよう。
そんな想いで残していった日記帳。
後にここを訪れた外国人登山者が、次々に書き継いでいき、
1972年までの間、80人余りの人々の記録が記入されていきました。
これをどうしたか。
松本市山岳観光課 課長 加藤 市朗さんにうかがいまいた。

「この中には大変貴重な記録が残されています。
しかも、外国人の視線で書かれている。
北アルプスに寄せるウェストンの想い、
さらには山を愛する外国人登山者の気持ちが詰まっているんです。
これはやはり、後世に引き継いでいくべきものではないか、ということで、
松本市が主体となって、日本山岳会などからも協力を得てこの日記を翻訳し、
記念すべき第1回目の山の日、8月11日に出版しました。」

貴重な資料となる記録がたくさん書かれています。
例えば、アメリカ人のメルル・デイヴィスという人が書いた焼岳噴火の記録。
『・・・噴煙は一部が朝霧でかき消されたものの、その大半は空高く立ち上り、
巨大な傘のように広がると、南西の風に乗り、すばやく谷をのぼっていった。
その結果、朝の日差しは夜の帳(とばり)に変わり、淡いスレート色の灰が
これでもかと降り注いだ。・・・』
これ、ほんの一部ですが、読み進めていくとその様子が鮮やかに浮かんできます。
どの方の記録も、文章が素晴らしく、読み応えがあります。
山の様子だけでなく、一緒に行った日本人とのやりとりを、
愛情たっぷりに描いています。
中には、自分の目の前に広がる景色、山の素晴らしさを、
詩で表現している人もいます。
この中に、ウェストンと80人の外国人の、
山への想いがぎっしりと詰め込まれている。愛を感じるんです。
「確かにそうだと思います。
そして彼らが愛した美しい山々は、今もここにある。
彼らの想いとともに、後世に引き継いでいきたい大切なものだと思います。
山が好きな人はもちろんですが、そうでない人も、
ぜひ読んでいただきたいです。」
松本市博物館では9月4日まで、企画展が開催されています。
この本物の日記帳のほか、大正時代に画かれた登山ルートを記した地図や、
河童橋の上で撮影したウェストンの写真など、貴重な資料が展示されています。

そして、8月11日に出版されたこの本
「ウェストンが残した クライマーズ・ブック
外国人たちの日本アルプス登山手記」
は、長野県内の書店で販売されています。
まさに、ウェストンの愛が、100年の時を経て、
この本の中に、美しくよみがえっています。
いろ~んな発見と感動が詰まった、愛の本なんですね。
松本の調査隊員 塚原 正子でした。