前回、六年前に建てた御柱はいったいどうなるの?
2016年04月29日
七年目ごとに行われる諏訪大社の御柱祭。
4月の山出しに続き、5月には里曳きがあります。
里曳きのフィナーレはもちろん曳行してきた御柱を社殿の四隅に建てる建御柱。
新しい御柱が建てられるなら、それまでの御柱はどうなるのでしょう…。
答えからいうと倒されます。それを“御柱休め”といいます。
下社の御柱休めは建設業者などプロの方が担当。
しかし、上社では昔から諏訪市中洲中金子(なかがねこ)地区が担当しています。
それを“古御柱(ふるおんばしら)”と呼び中金子区民のお祭りになっています。
4月16・23・24日に行われた御柱休めの最終日におじゃましました。
まずお話を聞いたのは区長の矢崎宏規さん。
矢崎さんが聞いている話としては、400年ほど前から中金子が担当。
昔は70戸ほどの家しかなかったため、前宮の4本は宮川に落とし、中金子で引き上げるということもしていたそうです。
区長の矢崎宏規さんです

本宮と前宮を合わせて8本、すべての御柱休めを担当する中金子。
16日は前宮の4本を倒しました。今は茅野市の地元へ渡されるとのこと。
23日は朝から本宮の4本を倒し、本宮一を氏神様の八立(はちりゅう)神社まで
曳行。夜の7時半までかかったそうです。隊員がおじゃました24日は、残りの3本を八立神社まで曳行しました。
朝9時頃から“綱渡りの神事”が始まります。

はっぴ姿の氏子の中に明らかに変わった衣装の方がいました。
“露払い”というお役目の丸山和男さん。曳行の先頭を進みます。

そして曳行の最後は、御柱ではおなじみとなっているお掃除部隊。

この日の参加者は300人ほど。本宮二と三を、2班に別れて担当します。
ということは1本あたり150人。そこにはある工夫が…。
前方部の下に地車(ぢぐるま)と呼ばれる二輪の台車が取り付けられています。

ふとみると本宮二の頭頂部にキノコが…、6年間の名残です。

御柱休めを担当する、担当できるのは中金子だけですから区民の誇りとなっています。少しずつカタチを変えながら、伝統を守るこだわりも…。
たとえば…本宮一と二を倒すときはあくまでも手掘りにこだわります。
重機は使わず、時間がかかっても人の手で根元を掘る。本宮一を倒したあとの大きな穴。

そんな区民の誇りを象徴する旗があります。歴代の諏訪大社の宮司に書いて
頂く中金子村の旗です。「区」ではなく「村」と書くところもこだわり。

古御柱は区民のお祭りですから、女性や子ども、お年寄りも大勢参加します。
鋭角に曲がるなど、力が必要なポイントや危険な場所では若連が大活躍。


上社の本宮から中金子の八立神社まで2キロほどの道のりを曳行。
午後1時過ぎに曳き付けを終わりました。
古御柱はこのあと八立神社の境内に安置。6月19日の神事を経て“普通の木”
に戻ります。前回は、1本が諏訪市の友好都市である長崎県の壱岐市に運ばれました。今回もその可能性が高いそうです。

ご神木は折れた根元も掘り出して揃えます。 ↓

中金子の皆さんの代表は里曳きでも重要な役目を担います。
建御柱の最後に行われる“穴埋めの神事”、翌日行われる“地固めの神事”の際、
白装束に身を固め、「中金子村」の旗を持った人が登場しますのでぜひ注目して
ください。
諏訪の調査隊員:土橋桂子
4月の山出しに続き、5月には里曳きがあります。
里曳きのフィナーレはもちろん曳行してきた御柱を社殿の四隅に建てる建御柱。
新しい御柱が建てられるなら、それまでの御柱はどうなるのでしょう…。
答えからいうと倒されます。それを“御柱休め”といいます。
下社の御柱休めは建設業者などプロの方が担当。
しかし、上社では昔から諏訪市中洲中金子(なかがねこ)地区が担当しています。
それを“古御柱(ふるおんばしら)”と呼び中金子区民のお祭りになっています。
4月16・23・24日に行われた御柱休めの最終日におじゃましました。
まずお話を聞いたのは区長の矢崎宏規さん。
矢崎さんが聞いている話としては、400年ほど前から中金子が担当。
昔は70戸ほどの家しかなかったため、前宮の4本は宮川に落とし、中金子で引き上げるということもしていたそうです。
区長の矢崎宏規さんです

本宮と前宮を合わせて8本、すべての御柱休めを担当する中金子。
16日は前宮の4本を倒しました。今は茅野市の地元へ渡されるとのこと。
23日は朝から本宮の4本を倒し、本宮一を氏神様の八立(はちりゅう)神社まで
曳行。夜の7時半までかかったそうです。隊員がおじゃました24日は、残りの3本を八立神社まで曳行しました。
朝9時頃から“綱渡りの神事”が始まります。

はっぴ姿の氏子の中に明らかに変わった衣装の方がいました。
“露払い”というお役目の丸山和男さん。曳行の先頭を進みます。

そして曳行の最後は、御柱ではおなじみとなっているお掃除部隊。

この日の参加者は300人ほど。本宮二と三を、2班に別れて担当します。
ということは1本あたり150人。そこにはある工夫が…。
前方部の下に地車(ぢぐるま)と呼ばれる二輪の台車が取り付けられています。

ふとみると本宮二の頭頂部にキノコが…、6年間の名残です。

御柱休めを担当する、担当できるのは中金子だけですから区民の誇りとなっています。少しずつカタチを変えながら、伝統を守るこだわりも…。
たとえば…本宮一と二を倒すときはあくまでも手掘りにこだわります。
重機は使わず、時間がかかっても人の手で根元を掘る。本宮一を倒したあとの大きな穴。

そんな区民の誇りを象徴する旗があります。歴代の諏訪大社の宮司に書いて
頂く中金子村の旗です。「区」ではなく「村」と書くところもこだわり。

古御柱は区民のお祭りですから、女性や子ども、お年寄りも大勢参加します。
鋭角に曲がるなど、力が必要なポイントや危険な場所では若連が大活躍。


上社の本宮から中金子の八立神社まで2キロほどの道のりを曳行。
午後1時過ぎに曳き付けを終わりました。
古御柱はこのあと八立神社の境内に安置。6月19日の神事を経て“普通の木”
に戻ります。前回は、1本が諏訪市の友好都市である長崎県の壱岐市に運ばれました。今回もその可能性が高いそうです。

ご神木は折れた根元も掘り出して揃えます。 ↓

中金子の皆さんの代表は里曳きでも重要な役目を担います。
建御柱の最後に行われる“穴埋めの神事”、翌日行われる“地固めの神事”の際、
白装束に身を固め、「中金子村」の旗を持った人が登場しますのでぜひ注目して
ください。
諏訪の調査隊員:土橋桂子