11/17噂・茅野市で、江戸時代の芝居舞台が復活したって!?
2014年11月17日
何度か番組でも話していますが、私は44年以上、演劇に関わっています。
私たちは劇場でないところで芝居を上演したりしますが、
ほとんどの芝居では、役者が演ずる「舞台」が欠かせません。
西洋の場合、記録に残る最も古い舞台は、古代ギリシャ演劇の野外劇場です。
日本では神話に登場する「天の岩戸」の舞台が最古?ではないでしょうか。
又日本独特の様式として「農村舞台」というものがあります。
神社の祭礼などで歌舞伎などをそこで上演奉納するのですが、
江戸時代からは地芝居が盛んになって各地に「舞台」が作られました。
その後歴史や文化の変遷で地芝居は衰退し、それに伴い地方の舞台は閉ざされていったのです。
そういった中、茅野市槻木地区で、復活した舞台があります。
この復活事業に深く関わった、茅野市民館を支え、
市民の文化の発展を願って活動を続ける「NPO法人サポートC」原房子さんに伺いました。

「三年前に市内にある4カ所の舞台巡りツアーで槻木舞台を訪れた際、
槻木区の知名度を上げ、ここに人が訪れてくれるようになったら嬉しいと、
区長さんが仰ったことから、50年も閉ざされていた舞台を開けてみませんかと
申し上げたのがきっかけです」
県内に沢山あった舞台でもこの槻木舞台は大きい方だそうです。
この舞台は大山祇神社の境内前にあり、1862(文久2)年の建造です。
神社の前の大きな野外広場を青空観客席とした荘厳な舞台です。


茅野市には多くの舞台があり、この槻木地区だけでも舞台が2つもありましたが、
この地区の、仲買を通さない江戸との直接交易が、江戸の文化を直接持ち込み
独特の芝居文化を育んだのではないかということです。
大正から昭和30年代までは
地元青年団を中心とした「槻木柳川劇団」による芝居などが行われていましたが、
高度成長により衰退。舞台の損傷も激しくなっていました。
昨年から舞台の修復に着手し、約700万円の事業費をかけて舞台床、楽屋、
正面引き戸、桟敷席などを整備し、廻り舞台も修復なりました。
TVや映画にもなった下伊那郡大鹿村の伝統的な「大鹿歌舞伎」を招聘し昨年こけら落とし。
今年は岡谷市の小井川区壮年会が創作時代劇「半沢直助」上演して大賑わいだったそうです。
地区の願いは、子供たちが伝統や舞台を受け継いでくれることであり、
子供たちも舞台に立つことを夢見て頑張っています。
「地元の人から劇団復活を催促されている。
足腰も弱くなったがせっかく廻り舞台も改修したので、
こけてもイイから仲間を集めてもう一度やりたい」。
と仰るのは元槻木柳川劇団で活躍し、今年の復活舞台にも立った矢島丈了さんです。

原さんは「槻木区をはじめ、地元住民の熱意で舞台が再現できた。
催しを一過性のものではなく、地域に根付く文化として活性化に役立てたい」と話していました。
地元文化の伝承と、地区の活性化、何よりも子供たちに夢を与える舞台の復活から
この流れが今後も続いていくことを願います。
色々制約はあるでしょうが、ここだけでなく他の眠っている舞台も次々と復活して欲しいと思います。
芝居はほんと面白いですよ。
芝居文化が地元に根付くことがハッピーになる秘訣と心底思う・根本豊でした
私たちは劇場でないところで芝居を上演したりしますが、
ほとんどの芝居では、役者が演ずる「舞台」が欠かせません。
西洋の場合、記録に残る最も古い舞台は、古代ギリシャ演劇の野外劇場です。
日本では神話に登場する「天の岩戸」の舞台が最古?ではないでしょうか。
又日本独特の様式として「農村舞台」というものがあります。
神社の祭礼などで歌舞伎などをそこで上演奉納するのですが、
江戸時代からは地芝居が盛んになって各地に「舞台」が作られました。
その後歴史や文化の変遷で地芝居は衰退し、それに伴い地方の舞台は閉ざされていったのです。
そういった中、茅野市槻木地区で、復活した舞台があります。
この復活事業に深く関わった、茅野市民館を支え、
市民の文化の発展を願って活動を続ける「NPO法人サポートC」原房子さんに伺いました。

「三年前に市内にある4カ所の舞台巡りツアーで槻木舞台を訪れた際、
槻木区の知名度を上げ、ここに人が訪れてくれるようになったら嬉しいと、
区長さんが仰ったことから、50年も閉ざされていた舞台を開けてみませんかと
申し上げたのがきっかけです」
県内に沢山あった舞台でもこの槻木舞台は大きい方だそうです。
この舞台は大山祇神社の境内前にあり、1862(文久2)年の建造です。
神社の前の大きな野外広場を青空観客席とした荘厳な舞台です。


茅野市には多くの舞台があり、この槻木地区だけでも舞台が2つもありましたが、
この地区の、仲買を通さない江戸との直接交易が、江戸の文化を直接持ち込み
独特の芝居文化を育んだのではないかということです。
大正から昭和30年代までは
地元青年団を中心とした「槻木柳川劇団」による芝居などが行われていましたが、
高度成長により衰退。舞台の損傷も激しくなっていました。
昨年から舞台の修復に着手し、約700万円の事業費をかけて舞台床、楽屋、
正面引き戸、桟敷席などを整備し、廻り舞台も修復なりました。
TVや映画にもなった下伊那郡大鹿村の伝統的な「大鹿歌舞伎」を招聘し昨年こけら落とし。
今年は岡谷市の小井川区壮年会が創作時代劇「半沢直助」上演して大賑わいだったそうです。
地区の願いは、子供たちが伝統や舞台を受け継いでくれることであり、
子供たちも舞台に立つことを夢見て頑張っています。
「地元の人から劇団復活を催促されている。
足腰も弱くなったがせっかく廻り舞台も改修したので、
こけてもイイから仲間を集めてもう一度やりたい」。
と仰るのは元槻木柳川劇団で活躍し、今年の復活舞台にも立った矢島丈了さんです。

原さんは「槻木区をはじめ、地元住民の熱意で舞台が再現できた。
催しを一過性のものではなく、地域に根付く文化として活性化に役立てたい」と話していました。
地元文化の伝承と、地区の活性化、何よりも子供たちに夢を与える舞台の復活から
この流れが今後も続いていくことを願います。
色々制約はあるでしょうが、ここだけでなく他の眠っている舞台も次々と復活して欲しいと思います。
芝居はほんと面白いですよ。
芝居文化が地元に根付くことがハッピーになる秘訣と心底思う・根本豊でした