9/22噂・海がないのに、なぜ小海町?!?
2014年09月22日
以前、「ラジオネーム:つーくん」さんから当番組あてにこんなメールが届きました。
「根本隊員に調査依頼がありメールします。
信州長野県は海無し県ですが諏訪市の郊外には『蓼の海』という湖があります。
海無し県信州でなぜ海と名のつく湖があるんでしょうか?」
ハイ、調べたらこの湖は人造湖の溜池で、かつては日本屈指のスケートリンクとして、
昭和30年(1955年)の第10回国体冬季大会会場として使用された湖なんですね。
なぜ「海」なのかは分かりませんでしたが、
「海」つながりで今回は町の名前に海がついている南佐久郡「小海町」を調査してきました。
ここには海に関する地名も色々残っています。
小海町史談会会長 鷹野満弥太さんによりますと・・・。
「今から1100年余り前の仁和3年(西暦887年)、八ヶ岳の水蒸気爆発大崩落で、
千曲川が堰き止められ、小海町一帯に大小10数個の湖沼群が出現した。
そのとき出来た一番大きな湖が南牧湖と言い、
その下にできた少し小さい湖(「相木湖」現在の小海駅北方)だったので『小海』と呼ばれた。」
他にもこの辺一帯には海に関する地名がありますのでその辺もお聞きしました。
「『海尻・海ノ口』という地名があるが、『海尻』は千曲川が堰き止められた地点で、
『海ノ口』は千曲川の水が流れ込んだ地点です。」
他にも「海瀬(かいぜ)」「港神社」や「海神社」とまるで海岸端の地名や神社名も残されています。
現在は二つの湖は決壊しましたが、この近くには有名な松原湖があります。
これも、支流の大月川がせき止められて出現した湖です。
我々が普通に「松原湖」といっているのは正式には「猪名湖(形が猪に似ている)」といいます。
次に大きいのがが「長湖」。そして大月川由来の「大月湖」。
周辺の臼児池(うすごいけ)・鶉取池(うずらとりいけ)・桷木池(ずみのきいけ)・オシデノウミを加えた
7湖沼を総称して松原湖沼群というのですね。
小海町を「海」と間違えた鯨の話もお聞きしました。
有名な勘違い鯨の昔話ですね。
「昔、日本海に暴れ者のシャチがいた。出産寸前の鯨夫婦がシャチの危険を避けるため、
『小海という海』があると伝えられていた信濃川~千曲川上流までさかのぼって、
小海町までやってきて子を産んだ」というお話です。
トンチンカンな鯨だと思ってたら、一生懸命安全に子供を産もうという夫婦愛に溢れた話だったのです。
「子産み子育ての里」として、子宝・安産に関わる史跡が点在する小海町です。
小海町観光協会副会長 鷹野圭太さんにも小海町の見所を伺いました。
(左・鷹野圭太さん、右・鷹野満弥太さん)
「松原湖畔の松原諏訪神社ですね。ここには有名な『野ざらしの鐘』があります。
武田信玄が佐久郡(現在の佐久市あたり)で戦利品として略奪したこの鐘を自国に持ち帰ろうとしたら、
千曲川と大月川が合流するあたりで全く動かなくなった。
信玄が「松原神社へ運ぼうか・・・」とつぶやいたとたん動き出したので、
松原湖畔まで引き上げて寄進した。
また、その後、江戸時代から明治に至るまで、この鐘を屋根の下に置くと、
社殿や氏子が火事に遭う災難が続いたため、
野外にさらして置かれ『野ざらしの鐘』の名が付いた」そうです。
さすがに、重要文化財に指定されている現代では、野外に屋根をかけて置かれています。
「小海」は正確には「みずうみ」でしたが、山深い地にあって、
人々が見たことがない「海」に思いを馳せながら湖を海と呼んだのか、
その訳は今となっては知る由もありません。
自分の子供の名前に夢を託すように、地名にも当時の人々の夢が託されているのかも知れません。
これからも、皆さんからの調査隊リクエストお待ちしておりますよ。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし・・・根本豊でした
「根本隊員に調査依頼がありメールします。
信州長野県は海無し県ですが諏訪市の郊外には『蓼の海』という湖があります。
海無し県信州でなぜ海と名のつく湖があるんでしょうか?」
ハイ、調べたらこの湖は人造湖の溜池で、かつては日本屈指のスケートリンクとして、
昭和30年(1955年)の第10回国体冬季大会会場として使用された湖なんですね。
なぜ「海」なのかは分かりませんでしたが、
「海」つながりで今回は町の名前に海がついている南佐久郡「小海町」を調査してきました。
ここには海に関する地名も色々残っています。
小海町史談会会長 鷹野満弥太さんによりますと・・・。
「今から1100年余り前の仁和3年(西暦887年)、八ヶ岳の水蒸気爆発大崩落で、
千曲川が堰き止められ、小海町一帯に大小10数個の湖沼群が出現した。
そのとき出来た一番大きな湖が南牧湖と言い、
その下にできた少し小さい湖(「相木湖」現在の小海駅北方)だったので『小海』と呼ばれた。」
他にもこの辺一帯には海に関する地名がありますのでその辺もお聞きしました。
「『海尻・海ノ口』という地名があるが、『海尻』は千曲川が堰き止められた地点で、
『海ノ口』は千曲川の水が流れ込んだ地点です。」
他にも「海瀬(かいぜ)」「港神社」や「海神社」とまるで海岸端の地名や神社名も残されています。
現在は二つの湖は決壊しましたが、この近くには有名な松原湖があります。
これも、支流の大月川がせき止められて出現した湖です。
我々が普通に「松原湖」といっているのは正式には「猪名湖(形が猪に似ている)」といいます。
次に大きいのがが「長湖」。そして大月川由来の「大月湖」。
周辺の臼児池(うすごいけ)・鶉取池(うずらとりいけ)・桷木池(ずみのきいけ)・オシデノウミを加えた
7湖沼を総称して松原湖沼群というのですね。
小海町を「海」と間違えた鯨の話もお聞きしました。
有名な勘違い鯨の昔話ですね。
「昔、日本海に暴れ者のシャチがいた。出産寸前の鯨夫婦がシャチの危険を避けるため、
『小海という海』があると伝えられていた信濃川~千曲川上流までさかのぼって、
小海町までやってきて子を産んだ」というお話です。
トンチンカンな鯨だと思ってたら、一生懸命安全に子供を産もうという夫婦愛に溢れた話だったのです。
「子産み子育ての里」として、子宝・安産に関わる史跡が点在する小海町です。
小海町観光協会副会長 鷹野圭太さんにも小海町の見所を伺いました。
(左・鷹野圭太さん、右・鷹野満弥太さん)

「松原湖畔の松原諏訪神社ですね。ここには有名な『野ざらしの鐘』があります。
武田信玄が佐久郡(現在の佐久市あたり)で戦利品として略奪したこの鐘を自国に持ち帰ろうとしたら、
千曲川と大月川が合流するあたりで全く動かなくなった。
信玄が「松原神社へ運ぼうか・・・」とつぶやいたとたん動き出したので、
松原湖畔まで引き上げて寄進した。
また、その後、江戸時代から明治に至るまで、この鐘を屋根の下に置くと、
社殿や氏子が火事に遭う災難が続いたため、
野外にさらして置かれ『野ざらしの鐘』の名が付いた」そうです。
さすがに、重要文化財に指定されている現代では、野外に屋根をかけて置かれています。

「小海」は正確には「みずうみ」でしたが、山深い地にあって、
人々が見たことがない「海」に思いを馳せながら湖を海と呼んだのか、
その訳は今となっては知る由もありません。
自分の子供の名前に夢を託すように、地名にも当時の人々の夢が託されているのかも知れません。
これからも、皆さんからの調査隊リクエストお待ちしておりますよ。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし・・・根本豊でした
この記事へのコメント
出身が小海町なのでとても面白いお話が聞けて楽しく拝見しました。今は県外で仕事をしていますが来年のお正月は地元小海町で過ごす予定です
Posted by みーくん at 2016年09月14日 21:39