松本に、フランスから称号を与えられた女性がいるらしい。

フランスから、とても栄誉ある称号を与えられた女性・・・。

その女性は、松本市大手の『ジュレ・ブランシュ』という、

美味しいチーズとワインを楽しませてくれるお店のオーナーだ、

と聞いて、行って来ました!!
   
   

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霜田 早苗さん。

霜田さんは、この30年ほどずっと、チーズ専門家として活動をし、

このお店を開いて11年になります。

今回フランスから与えられた称号は、

霜田さんのチーズ専門家としての活動を讃えられたもの。

フランスにある2つの協会

キルド・デ・アンテルナショナル・デ・フロマジェ と、

コンフレリー・ド・サントギュゾン

から、チーズの製造や流通などに実績がある人に贈られる、

『ギャルド・エ・ジュレ』 という称号です。
   
   

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「とても光栄です。

実は長野県では私も含めて5人、この称号を受けているんです。

私以外は作り手のみなさんです。

つまり、県内には本当に情熱を持って、

レベルの高いチーズを作っている方々がいる、ということなんです。

これからは、長野県のチーズをもっと盛り上げていきたいし、

それをきっかけに長野県を元気にしていきたいです。」

嬉しいことですよね~。

チーズを語る霜田さんの目があまりに、キラキラ輝いていたので、

思わず、こんなことを聞きたくなりました。
    
   

霜田さんにとって、チーズって・・・?

   
   
「私は、チーズは、人と人をつなげる手段だと思っています。

チーズを美味しいと思ってくれることによって、

それを作っている人はこういう人なんですよ、

その地域はこんなところなんですよ、

ということがわかってもらえる。

さらに、その美味しいチーズをその背景と共に、

多くの人と共有できる。

その輪を広げていくことができたら嬉しいな~と思います。」
   
    

30年チーズとかかわって、深く学んできた霜田さん。

まだまだ、奥は深いんです、とおっしゃっていました。

『ギャルド』として、こらからも、チーズの魅力を、そして長野県の魅力を、

もっともっと広めていきたい、とのこと。

応援しています!!

 

霜田さんのお店のブログはこちらです。

のぞいてみてね。

http://love.ap.teacup.com/geleeblanche/

 


上田に100年前のモダンガールがいるらしい!?

モダンガール。
大正時代の末期から昭和の初期頃に西洋の文化の影響を受けてあらわれた新しい文化。戦前の日本の中で花開いた若者文化は有名ですね。第一次世界大戦で戦勝国となったことにより日本の国益は大きく増進し、国内の産業発展が女性の社会進出を促し職業婦人もいっきに増えたという時代ですが、それに伴って、上流階級でしかあまり着られていなかった洋装が若い男女にも広がるようになり、外国のファッションや文化の流行が取り入れられるようになりました。それがモダンボーイ・モダンガール=モボ・モガです。
そんな100年前のモダンガールが…

上田にいる!?

 

早速、上田のモダンガールを探せ!が始まりました。

上田市の柳町に行くと…レトロな雑貨が並ぶお店がありました。

「怪しい!」

ここがそうではないか!?と思い中に入ると…そこには素敵な和服姿の女性が!!

 

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「上田のモダンガールですか?」と尋ねてみましたが、違いましたヾ(´ε`;)ゝ…

でも、なんと!上田のモダンガールをよく知っているというご友人でした♪♪♪

上田のモダンガールの居場所を教えてもらい、その場所へと向かいます。

 

着いた場所はピンク色のレトロなアパートメントでした。

「メゾン花園」。

名前もレトロなアパートメントです(笑)

 

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そのアパートメントの一室が上田のモダンガールのお店になっています。

「花園商店」です。

入口にはカフェー花園という貼り紙が。

さぁ、モダンガールに会いに行きますよー↑↑↑

 

 

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この方が上田のモダンガール やまさき よしえさんです!!

まるで大正時代の写真から飛び出してきたかのような素敵な女性です♪♪♪

 

やまさきさんが大正ロマンに興味を持ったのは小学生の頃から。

漫画の「ハイカラさんが通る」に影響されたことがきっかけだったそうです。

その後、徐々にモダンガール仕様になっていき…

今ではモダンガールになりきって全国各地のレトロな建物、アールデコ建築を巡るのが趣味となっているそうです。

 

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旅先で撮る写真はブログで紹介されているのですが、本当に写真集から切り取ったような芸術的な写真ばかりです。

しかも訪れた場所が地図上にポイントで示されているデジタルマップもブログ上にアップされていまして…

なんと2000カ所以上!!国内だけではなく海外も!!

インターネットで「カフェー花園」で検索してみてください。

マップは「デコ建マップ」です。

 

やまさきさんは美大出身なのだそうでして、芸術家でもあります。

花園商店ではやまさきさんが買い付けて来た雑貨や手作りの品などが所狭しと並びます。

 

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お店の看板も手作り!

そして…

 

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このようなマネキンも作ってしまいます(笑)

 

やまさきさんは、「戦前」の物や文化に魅力を感じているそうです。

少し「クスっ」と笑ってしまうようなユーモアなテイストの物が多く、そんな素敵な時代が日本にもあったという事を多くの方に知ってもらいたいと思っているそうです。

ちょっとお茶目な部分をお持ちのやまさきさんは、大正時代の女性の生き方そのものですね♪

本当に素敵なモダンガールが上田にいましたよ~☆

 

 

 

斉藤 美穂

 

 

 

 

「飯島町に黄金色のピラミッドが建っているらしい!?」

黄金色のピラミッド…

一体どんなピラミッドなんでしょう?



町でいろいろと調査をしていると、こんな有力情報が入ってきました

「この時期になると現れる」


「黄金色(おうごんいろ)というより、こがねいろかな~」





という事で、黄金色のピラミッド・・・


なんとなくわかってきました?



そのピラミッド

町の文化間にあるらしいという噂を耳にしまして

そちらにお邪魔することにしました




入口を入って少し中に入ると・・・





あ~!!!


これか~~


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本当にピラミッドですね~


これ何でできている?


よ~く見ると・・・





前に張られたポスターには


「米俵マラソン」と・・・





で・・・


もっとよく見ると・・・





これ何でできてる?





そう!


米俵!!!


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世界初の米俵を担いで走るマラソン大会のために作られた

米俵のピラミッドだったんですね



黄金色(おうごんいろ)ではなく「こがねいろ」

と言われた意味がやっとわかりましたね





でもそもそも、「お米」って飯島町とどんな関係があるんでしょう?

確かに「飯」の「島」って書きますしね~




これには歴史的背景がちゃ〜〜〜と隠されていました




実は、飯島町はかつて幕府領で


幕府直轄の役所 陣屋が置かれていました


そこには、各地から集められた年貢が置かれ


まさに、ピラミッドのような山になっていただろう


その再現の意味もある


と、米俵マラソン実行委員会 広報の酒井裕司さんは話してくださいました


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今回は469個の米俵を使って

高さ3、5mのピラミッドが出来上がりました

その名は「俵富士」というそうで…

ピラミッドではなく、富士山をイメージしていたみたいですね

でも形はまさに大きな三角錐のピラミッドでした

さらにこのピラミッド、かなり手がかかっているんだそうです




まず、この米俵、全て手作りで


一個作るのに3時間かかるそうなんです





それを米俵マラソン出場者全員分作るんだそうです





積むのはかなり大変なんだそうで

手作りなので一個一個太さや大きさが若干違う

それをバランスよく積まないと崩れてきてしまうそうなんです



土台となる下の部分には

三角のストッパーをつけるなどして

工夫していらっしゃいました



酒井さん曰く

「日本で一番手間のかかるマラソン大会だ」

ということで、飯島町の皆さんの愛情感じますね



米俵マラソンは今週末11/27に行われます

日本の恵みの重さをしっかり味わいながら、いい汗流せそうです



このピラミッドは、大会当日までしか見ることができません



俵を担いでマラソンする姿も、面白そうですね



お出かけになってみてはいかがでしょうか



 走れないけど、その香りの良さに米俵がほしくなってしまった

        西村容子 でした☆

長野市に!県内初のこうしが誕生したらしい?

こうし。何の講師?それも!県内初のこうしって??今回タイトルのこうしは、漢字がわからなかったわけでは!なく。
あえてひらがな表記にさせていただきましたが、いったいこうしって??早速。県内初のこうしに会いに行ってみました。

長野市横町善光寺さん近くにあるこちらのお店!!
ここに!県内初の??こうしがいました。

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県内初のこうしの高橋さんにお会いできましたが、まだ何の講師なのか?わからずじまい。

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ヒント!善光寺さん近くにいらっしゃる??これは!少しヒントになるかも?


一体??県内初のこうしとは?高橋さんの正体はいかに?


こうしとは!!香りを司ると書いて香司。お香の調合師さんのことをそう呼ぶそうなんです。県内では初。
その香司の勉強をして資格を得たのがお話ししていただいた高橋郁美さんです。お尋ねしたのは。
長野市横町に今年の10月1日にOPしたばかりのお香専門店古薫(こたき)古く薫と書きます。お店も大変趣のある建物で。
もともとは、古くから続いていた呉服店だったそうで、店内には、立派な梁があったり、
お着物が飾られていたであろう通りに面したショウウィンドウを高橋さんのお香の調合スペースにしていたり。
本来の建物を生かした店内になっていてとっても、素敵なんです。改めて!このお香の世界を高橋さんに教えていただきました。


お香を身近なものに感じていただきたい。香司の資格を生かして優しいお香を皆さんに手に取っていただきたいと
オリジナルのてづくりの物のみお店に置いているそうです。店内も様々な漢方につかわれる材料が置かれていましてそこに天然の素材の香りをブレンドする。
香りを楽しむ。カフェのような雰囲気もありました。ただ、高橋さんの香司のお仕事。香りを楽しむだけではないんです。

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一つ。焚くタイプのお香持ってきましたので。香り楽しんでみます。はい。
どうぞ。和バラの香りします?香りでリラックスしていただきたい。
よき感じになってきましたか?お話しに出てきた匂い袋なんかは、自分でオリジナルの香りを高橋さんの指導のもとその場で作る体験もできるそうです。

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お香は、香りを嗅ぐとは言わず聞く。っていうんですって。今お二人も、香りを聞いて頂いていると!いうことになるのです。
こうした高橋さんの香司のお仕事ですが、資格を取ってみようとなったのには、こんなきっかけがあったそうです。


元々は、漢方の勉強をしたくって始めたそうですが、漢方は、直接口にするだけではなく。
香りとして体に取り入れられるとわかって。そこから、この香司という資格があると。
ただリラックスできるだけではないお香との関わりを皆さんにも知っていただけたらという思いがあるそうです。

調査員 竹井純子。


日本で初めて胡椒が食べられた場所が佐久にあるらしい!?

皆さんのお宅の台所にもきっとある事でしょう…胡椒!

今日のテーマは胡椒に関する噂です。

「日本で最初に胡椒が食べられた場所が佐久にあるらしい!?」

いやいや、まさか~というような噂ですよね。

早速調査に行ってまいりました。

 

やって来たのは…先週に引き続いて佐久市岩村田にある佐久ホテル!!

1428年室町時代が創業!!という中山道岩村田宿にある老舗のお宿です。歴史あるホテルなので、

古くは足利将軍や徳川将軍の書状や礼状など2万点を超える歴史的文献が残っているそうです。

佐久ホテルの篠澤さんに大事な大事な巻物を見せて頂きました。

佐久ホテルに残っている歴史的文献の中の一つ。

小諸の殿様にお出ししたお料理の献立です。

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↑↑↑↑↑

 

慶安元年(1648年)10月19日の晩、小諸城主青山因幡守宗俊公に献上した記録なのだそう。

達筆で書かれているのでよく読めませんが、

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たしかに平仮名で「こせう(こしょう)」と書かれています!

「胡椒」という文字が料理・食べ物として文献の中に表れるのは、日本においてこのお献立が一番古い物という事なのだそうです。そのような訳で「日本で初めて食べられた場所」という事なのですね♪♪♪

 

さて、小諸のお殿様ですが、初めて食べられた胡椒はどのようにして召し上がられたのでしょう?

お献立を見ると…

「鱈の吸い物」となっています。

鱈と白魚と岩竹が入ったお吸い物に、小皿に別盛りになった胡椒をお好みで入れて召し上がられたという事です。

和食に胡椒とは珍しい事ですし、その時代に舶来品である胡椒を使うとはハイカラなお料理を献上されていたのですね。

 

これより古い文献にも「胡椒」は出てくるそうです。しかし、その使い道は薬であったり、お香であったりと

お料理に使う事はなかったそうです。それまで食されていなかった物を料理に加えて頂くというのは

殿様もビックリされた事でしょうね。

 

舶来品はその他にもあり、「こんぺいとう」もあったそうです。鎖国前のこの時代の記録には舶来品が登場してくるのでお料理としても一番豪華で興味深い物が多くみられるのだそうです。

 

実は、佐久ホテルには胡椒以外にも「日本で初めて」の食べ物があるそうなのですよ~!!

なんと…

 

「サザエのつぼ焼き」!!

 

もちろん、文献として残っているのは…という事ですが、それにしても

この海無し県で、車や飛行機もない時代に海の幸が食べられていたとは…驚きです━(゚Д゚;)━

これは小諸の殿様のお食事一回分の献立なのですが、その数数十品!!

そのうちのほとんどが海の物のお料理なのだそうです。なんとも贅沢な━(゚Д゚;)━

宿場ごとに氷を継ぎ足し継ぎ足しで海から食材を運んで来ていたのだそうです。

本物の飛脚クール便ですね!

 

調理人が作業する為に書き残した物とは言え、時代ごとに何がどのように食べられていたのかが分かる貴重な文献。篠澤家では「家事になったら、まずは献立書物を井戸に投げ入れろ!」というくらいに大事に大事に守り継いでいるそうです。

 

今では当たり前のように食べられるようになった胡椒。

そんな胡椒のうわさから、想像もつかなかった昔の食文化を見る事ができました♪

今日は胡椒がまだ食べられていなかった時代の日本を想いながら食べてみようかなと思います。

 

 

斉藤 美穂

 

 

 

 

「泰阜村の中学校では、県内では珍しい〇〇の授業が行なわれているらしいPart2」

県内では泰阜中学校ともう1校でしか行われていない




弓道の授業



平成24年の4月から全国の中学校で実施されるようになった

武道の授業の一環として行われているもので

泰阜中では全生徒が2年次と3年次、2年間にわたって、この授業を受けます



2年生は壁に穴を開けながらも

楽しそうに取り組む姿を先週は調査しましたが

今日はその先

3年生のさらにワンランクアップした

弓道の世界を調査します



まず、

この弓道

泰阜村の松島貞治村長の熱い思いから

武道の授業に取り上げられたんですが



そこには弓道という競技が持つ

奥深い世界がありました



相手が人ではなく

的なので


向き合うのは自分自身





そこに弓道の奥深さがあるようなんです


「全て人のせいにはできない、自分の責任」





たった9時間の授業で

その弓道の真髄がどれだけ生徒さんに通じるのだろう

と思いながら調査を続けたのですが

生徒さんたちの驚きの答えの数々に

驚愕させられることになるんです



ほとんどの授業は

学校の体育館で行われるんですが

3年生は最後、村にある本格的な弓道場で

矢を放つことができるんです

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この日は

弓道の授業最後の日



学校から弓道場にバスに乗って出かけました




まずは礼から始まるこの授業に


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和に心に触れた


と改めてその素晴らしさに気付いたという生徒さんや


集中力が高まったという生徒さん


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最後の授業に


「自分が的にとらわれないようにしたい」

なんて大人顔負けな事を言う生徒さんもいて驚きました

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それにしてもなぜ武道に弓道を選んだ学校が

今回ご紹介した泰阜中学校と

同じ南信州 お隣の喬木中学校

2校しかないんでしょうか?

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そこには歴史的に見ても

この地で弓道が選ばれる納得できる理由があったんです




遠州三河の文化の影響を受ける南信州では


古くから弓道が盛んで


長野県一番の弓士の数を誇っているそうなんです


確かに

元善光寺などには、矢を放つための場所があるのは結構印象に残っていて

注意深くみれば各所で見つけることができるかもしれませんね

かつて弓道は、神仏に奉納するものだったんだそうです





そんな文化の中で始まった弓道の授業


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生徒さん達は、様々なことを学んだそうです


戦うのは自分自身という弓道の世界には

普段の学習ではなかなか身につかない

深い学びがあることを感じました

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村長さんの


「弓道は自分の弱さを知り、許すことから始まる」


人は弱いものなんだという事を学ぶこと


学校では


清く正しく美しく


と教えるが


そんなにうまくいかないのが現実





それを認めそこからスタートする


それが大事な事なんだ





という言葉が印象的でした


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あまりの深さに


学校のぶどうの授業の意義を

つくづくと感じる調査になりました





  身が引き締まる思い・・・実際に身が引き締まりたい 西村容子 でした♡















毎年、11月に信濃町で開催される全国大会があるらしい?

信濃町で開催される全国大会。それも!毎年11月と!決まっています。
一体?その全国大会とは?まずは、11月のいつ開催なんでしょうか?
これ大きなヒントになります。

開催は、毎年!11月19日。今年は、ちょうど今週末の土曜日に開催となります。
歴史ある全国大会ということで、今年で65回目になります。
この!11月19日という日にちにピンっときません?難しいかな?
私も改めて今回知りました。さらにヒントは、やはり。信濃町です。
一体、何の全国大会なんでしょか?
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信濃町で毎年11月19日に開催されている全国大会は。
一茶忌全国俳句大会。
今年は、没後190年。
ですから、小林一茶190回忌全国俳句大会となります。
1951年。昭和26年。125回忌から開催で今年65回目を迎えます。
かなり歴史がある俳句大会。もしかしたら?全国的にも一番長い??かも?
と思い聞いてみました。


かなり!古い歴史があるんですが、残念。日本で一番古いというわけではなかった。
小林一茶は、65歳で亡くなるんですが、今年は65回目の全国俳句大会なんですね。
ここで!改めてなんですが、小林一茶。信濃町柏原に生まれた。
有名な俳人。と皆さんご存知だと思いますが、
どんな?人物だったのか?聞いてみました。
幼少期、多々つらいこともあったのか?
と一茶の有名な俳句に「我と来て遊べや親のない雀」
お母さんを幼いころに亡くしたことが分かる句かと思います。
15歳で江戸に奉公に出ます。

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故郷を思いこんな句も「初夢に故郷をみて涙かな」
ただ、江戸にきてたぶんもともと好きだった俳句にどんどんとのめり込み、
西国俳諧修行に。36歳まで関西・四国・九州をまわりました。

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晩年。50歳の時に故郷・信濃町に帰ってきます。

故郷に帰ってきてから、家族を持ちます。
そんな時に読んだ句「やせ蛙まけるな一茶これにあり」
家族を持ちながら、やっと恵まれた子供がなくなってしまうという悲しみの中で出したのが
、あの有名な「おらが春」俳句集です。最後は、現在一茶の旧宅と言われる土蔵で息を引き取ります。
一生の間に約二万句もの俳句を残した俳人小林一茶。
この名が入った小林一茶190回忌全国俳句大会ですが
、今週末11月19日土曜日に、入選作品の表彰式が行わえます。
が!ちょっとその前に特別見せてもらいました。


こちら!!!

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ですが、中は、19日まで秘密と云う事だそうです。

11月19日当日は、一茶記念館入場無料だそうです。
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猫館長のそらもいます!!!

調査員 竹井純子

佐久なのに島根に行った気分になれる場所があるらしい!?

皆さんは島根県に行った事はありますか?一度は旅してみたいけれど、遠いのでなかなか簡単には足を運ぶことができない場所かもしれません。

ところが!!

佐久に、島根に行った気分になれる場所があるそうなのですよ゚*。+(人*´∀`)+゚:。*!!

それも最近できた場所ではなく、古くからある場所のようです。一体どんな場所なのでしょう???早速、その場所へ行ってみました。

そこにいた方にお話を伺ってみると、

「ちゃんと外宮と内宮がある」との事。

そしてこちらに来ると、

「遠く島根まで足を運んだのと同じように恩恵に預かる事ができる」そうです。

 

島根、お宮、恩恵と言えば…やはり!

出雲大社!!ですよね♪

 

実は、出雲大社佐久之宮講社という分社のような場所が佐久にあるのですよ~!

 

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出雲の神様と言えば、国を作ったおおくにぬしのみこと。

あまてらすおおみかみに国を譲った後、神の世界を支配する事になった神様です。

人の縁や運を司る事から、縁結びの神様として知られていますよね♪

そのような神様とご縁を持つ事ができる場所が佐久にあったとは知りませんでした。

 

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お話を伺ったのは、出雲大社佐久之宮講社で神主をされている篠澤 明剛さんです。篠澤さんのご先祖が江戸時代に出雲からご分霊を授かって来られたという事で、こちらは江戸時代からここにあるそうです。

さて、その場所なのですがどこにあると思いますか?

 

なんと!ホテルの2階にあるのです!!∑(*゚ェ゚*)

 

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ホテルと言っても、こちらは佐久ホテルという佐久市岩村田の中山道岩村田宿に古くからあるお宿です。

どれくらい昔からあるのかと言うと…

室町時代!!∑(*゚ェ゚*)

本当に本当の老舗旅館なのです。歴史あるお宿なので、各時代の将軍やお殿様、あの武田信玄も訪れた∑(*゚ェ゚*) という記録が残っているほどです。歴史的に価値のある物がホテルの至る所に見られまして、例えば、フロントの上にさりげなく飾ってある小諸城主拝領の槍や、篠澤さんのご先祖が長篠の戦いに持って行った弓等など…。気になるものだらけのホテルです(笑)

 

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由緒正しきホテルというのは分かりましたが、どうして出雲大社の神様がこちらに祀られているのでしょうか。

こちらは中山道の宿場にあるお宿なので、その昔、出雲大社の御師さんが布教に信州佐久の辺りまでやって来ていたそうです。佐久にも信仰が伝わってきたという事で講社ができたという事ですね。

 

出雲大社佐久之宮講社は平成3年に改めて正式に格上げされたそうです。今後も大事にして頂きたい場所ですが、そこは篠澤さん。しっかりしていらっしゃいます!篠澤さんの息子さんのうちお二人がすでに神職の資格をお持ちなのだそうです。しばらく安泰ですね♪

 

しっかりと出雲の神様にお願いをして、なんだかすっきりとした気持ちになりました。

色々なご縁を結ぶ事ができたかな☆

本当に「佐久なのに島根県に行った気分になれる場所」ありましたよ~↑

 

※外宮は佐久ホテルの駐車場にあります。いつでも、どなたでもお参りできます♪

内宮はご予約が入りますのでご注意ください。

 

 

斉藤 美穂

 


「泰阜村の中学校では、県内では珍しい〇〇の授業が行なわれているらしい」

泰阜中学校では、県内でも2校だけでしか行われていない
ちょっと珍しい授業が行われているそうなんですが

一体どんな授業なんでしょうか?
指導者の方が
「体育館壊しちゃうかも…」
なんて言う授業

想像つきますか?

私たちの時代にはなかった授業のカテゴリーの中で行われているものなんですが・・・

これは平成24年の4月から全国の中学校で実施されるようになったもので
当時は注目されました

その授業とは「武道」

各学校で、柔道や剣道
様々な武道の授業が行われていますが

泰阜中学校で行われている武道は、県内では2校しかない、
しかも、全校生徒がそれのみに取り組むのは泰阜中だけという、とっても珍しい武道です

泰阜中学校は全校生徒 43名の小さな中学校のため
全生徒が2年次と3年次に2年間にわたって、この授業を受けます

さて、その授業とは、こちら

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わかります?
これが使う道具・・・

そうです

弓道です

県内全域の中学校でどんな武道が取り上げたれているか
伺ったところ
柔道45校、剣道148校、相撲3校、空手1校、弓道2校

多くの学校で選択制になっているそうで
弓道2校のうちの1校も幾つかの武道の中から一つを選ぶ中の一つ
それも、泰阜中の校長だった先生が
赴任先で再び始めたということで
中学弓道授業の元祖が泰阜中学校という感じなんです


生徒さん達は初めて弓に触れて
思っていたより難しい
意外と力がいる
ちょっと緊張した
などと話していましたが

普段は触れることのない世界を楽しんでいるようでした


気になるのは
なぜ、数ある武道の中で弓道が採用されたのか?
そこには泰阜村の松島貞治村長の熱い思いがありました

弓道の嗜みのある村長が
指導者として自分たちがやるから
弓道をやらせてくれるよう
当時の校長先生に懇願

その村長さんの熱意で
泰阜中学校の弓道が始まりました

この日もかっこいい袴姿で体育館にいらっしゃいました

弓道には弓に加え、皮の手袋や胸当、矢など様々な道具が必要です

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それも人数分ちゃんと揃っていて
全員が本格的に弓道に触れることができます


やはり礼に始まり
矢を放つまでの作法もきちんと覚えていきます
矢を放った後も、きちんと動きが決められていて
矢が的に当たっても「やったー」とか言ってはいけません
静かに終わりの動作までやり終えないといけないそうです

村長さんの指導にも熱が入ります

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この日はこれまでより的から離れての練習
村長さんをはじめ指導者の皆さんの支持の元
矢を放つと・・・

パ~~~ン!!!

真ん中に的中した生徒さんは
充実感に満ちたいい顔をしていました

その一方で・・・

カ~~ン!!!

と的とは確実に違う音

「体育館を壊しちゃうかも・・・」

あ~~~そういう事か~~

これ!!!

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壁に的中!!!!

そんな跡が各所に見られました

歴代生徒さんたちが何人も
的ではなく壁に矢を放っているのが伺えました

今日は初めて弓を握った2年生のみなさんの様子を調査しましたが
実は3年生になると
体育館ではなく、役場の近くにある弓道場で本格的に矢を放つ授業をします


2年目になるとまた言うことが、全然違うんです

27mというとっても長い先にある的に向かって放つそれぞれの矢

その様子とこの地で弓道が行われる歴史的背景も調査してきましたので
それは来週お送りしたいと思います

  生徒さんの心の素晴らしさに感動した 西村容子 でした♡

松本で作られている楽器がまたまた話題。こんどは〇〇するベース!

松本は楽器製作が盛んです。ギターやウクレレの工房、このコーナーでも何度か紹介しましたよね。
で、こんどはベースなんですけどね。
プロのミュージシャンがステージで使って話題になっているんです。
どんなベースかというと。

光るベース。

うふふ。

でもこれ、演奏にはまったく必要ありません。
どうしてそんなベースを作っちゃったんでしょう?
作ったのは松本市中央の、
ベルモアギターズ 代表取締役 金井 孝一さんです。

 

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「ガチャリックスピンというバンドの、FチョッパーKOGAさんから依頼がありまして。
それで作ったんですよ。
ネックのポジションマークのところにLEDライトを埋め込んで、光るようにしています。」

こういうものを埋め込んであるんです。

 

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とても大変な作業だったようです。

 

「KOGAさん、実はうちに来る前にいろんなメーカーに声をかけて、

ことごとく断られたようなんです。

でも、話を聞いたら、できないことはないな、と。」

 

と話す金井社長。

誰もやったことがないことをやりたい、世界で初めてのことをやりたい、

という気持ちを常に持って、頑張ってきた方なんです。

 

一方。

以来をしたKOGAさんは、というと。

ガチャリックスピンというバンドのベーススト。

このバンド、女の子6人組のバンドなんです。

ギター/ボーカル、ベース、キーボード/ボーカル、ドラム、

そして踊る人が2人!!

というなかなか珍しい構成。

 

ホームページご覧になってみて下さいね。こちらです。

http://www.gacharicspin.com/

 

で、このバンド。演奏力がものすご~~~~く高い。

特にベースのKOGAさん。FチョッパーKOGAの名前の通り、

超絶テクニックのチョッパーベース!

 

「演奏でお客さんを楽しませたい。

まずそれが第一番なので、そのために日々練習を積み重ね、

より高い音楽性を追求し続けています。

その上で、ステージのすべてを楽しんでもらいたい、

エンターテインメントも徹底的にやっていきたい。

だから、ステージを楽しく彩るために楽器をや靴や、衣装を光らせたいんです。」

 

というのが、KOGAちゃんの想い。

金井社長がこの想いに共感して、

だれも受けなかった仕事を引き受けて、頑張ってくれた。

というわけなんです。

さらに!

 

「私の演奏を見て、私に憧れてベースを始めた、とか、

教則本を見て練習しているよ~、

ベルモアギターズで作ってくれたオリジナルモデルを買ったよ~、

という声を聞くと、めちゃめちゃ嬉しいです。

私がきっかけで音楽を始める人が増えたらいいな、って思うし、

そういうアーティストを目指して頑張っていきたいです。」

 

というKOGAちゃんの夢にも、金井社長は一肌脱いでくれたんです!

KOGAちゃんに憧れてベースを始め、KOGAちゃんの光るベースが欲しい、

と思っても、そのベースが高価だったら無理ですよね。

確かに実際にKOGAちゃんが使っているものは、30万円以上します。

もちろんね。

でも、金井社長が頑張ってくれたおかげで、

KOGAちゃんモデルのベースが、16万8千円に!!!

 

「頑張りました。これがギリギリ。

一人でも多くの人が、うちの楽器を使って楽しんでくれたら、

という気持ちだけです。

もっともっと多くの人に演奏する楽しみを知ってもらいたい。」

 

金井社長、これからも頑張っちゃうそうですよ。

次はどんな楽器ができるのか、

楽しみにチェックしていきましょうね!!

 

それから。

ガチャリックスピンというバンドも、要CHECKですよ!!

 

音楽大好きな、松本の調査隊員 塚原でした。

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日替わり調査員

月曜日 根本 豊 東信担当

寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」に所属していた演劇人。
福島出身で標準アクセントがいまだに身につかない。無類の酒好き。

火曜日 竹井 純子 北信担当

SBCのラジオカーレポーターを経て、調査隊員に。
中野市出身、豪快な笑い方が特徴。愛用の手提げバッグのデザインが下品と評判。

水曜日 塚原 正子 中信担当

ロック好き。電話するとだいたいエレベーターに乗っている。謎多き女性。
松本市出身。中学・高校のあだ名は「かっぺ」。

木曜日 西村 容子 南信担当

元民放テレビ局のアナウンサー。3人の子どもを育てながら、おもしろいネタがないかとアンテナを張りめぐらしている。への字まゆげがチャームポイント。飯田市出身。

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