飯田で食べられる「天然のたい焼き」って何?

鯛焼きはかつて、一世を風靡しましたから

鯛焼きの味を知らないっていう人はいませんよね

 

でも、鯛焼きに天然がある

っていうのはどうでしょう?

 

ちょっと聞いたことがないですよね

 

でも、飯田市で、天然の鯛焼きなるものが売られているという噂を聞きまして、調査に行ってきましたよ

 

飯田市上郷にあります、麻績の里という直売所

その直売所のそばで売られているということで訪ねてみると・・・

車を降りて入り口に向かうと、営業中という看板の隣に手書きの看板が



大きく赤い文字で「天然の鯛焼き」って書いてありますよね

早速お店を訪ねてみました

 

お話伺いましたのは、天然の鯛焼きを焼いている

鯛焼き 美角屋の代田千恵子さん

 

代田さんに伺うと

養殖のたい焼き

と言うものもあるらしい!!!

 

養殖とは・・・

私たちがよく見かける

鉄の板に鯛の型が5つくらい並んでいて鉄板と鉄板を合わせることによって

たい焼きが出来上がるもの

たしかに、均一のきれいに焼きあがります

 

でも、天然のたい焼きは違うんです

 

天然のたい焼きとは、こちら!!!



鯛の形をした一本一本の型に、生地とあんこを入れて焼き上げる、昔ながらのたい焼き

「およげ!たいやきくん」が流行った当時

モデルになった、お父さんのお店は一本焼きの鯛焼きでしたよね

その一本焼きの鯛焼き

若い人たちは想像できないかもしれませんが

こんな感じに出来上がるんです



このお店、少し前までは、上飯田と言われる大平街道の飯田駅に近い方に

小さな小さなお店をかまえていました

 

本当に鯛焼きを焼くスペースしかないような小さな三角形のお店で

鯛焼きを渡す窓は小さく、おばちゃんの顔も見えないような印象のお店でした

三角形の建物なので、初めは「三角屋」とかいて「みかくや」と言っていたそうですが

先先代のひいばあちゃんが、美しい方がいいからと「三」を「美」に変えて

今の美角屋が誕生したそうです

 

そのお店が区画整理で、お店丸ごと引っかかってしまい歩道に

それまで、義理のお母さんが、一人でやっていた鯛焼き屋さん

そのままだと無くなってしまうところでしたが

代田さんがやらせてほしいと申し出て、自宅近くの上郷の麻績の里で再び始めることになったそうです

なぜ代田さんがやろうと思ったか?

 

それは、その味を絶やしてはいけないと思ったからなんだそうです

 

天然の鯛焼きの特徴は

薄い皮と、甘すぎないさっぱりとしたあんこ

あんこは昔から変わらず北海道の小豆のこだわり

1回にこぼして、もう一回コトコトと煮込んで手間と時間をかけて作られます

小豆相場と言われましたが、値段が上がった時も変わらず同じ値段で提供し続けたそうです

 

尻尾の先から頭の先まではみ出さんくらいのあんこが入っているのがこの鯛焼きのもう一つの魅力

尻尾を食べるのも楽しみになります

 

そしてその香ばしさや香りもたまらなく郷愁を誘うんです

お店の前を通ると香ってくる、香ばしい香り

その香りに誘われてついつい食べたくなってしまう



ずっと義理のお母さんが作った鯛焼きを食べているだけだった代田さんが

区画整理でお店がなくなってしまうのをきっかけに、継ごう決意したのは1年ほど前

まだまだ上手に焼けないとおっしゃいます

 

代々、嫁いできたお嫁さんが継いでいるこのお店

家業を継がなければ打はなく、あまりのおいしさに魅せられて残されてきた味なんだっていうのが伝わってきます

 

今は、義理のお母さんと二人でお店に立つ代田さん

お母さんは、継いで欲しいとも言わなかったし

継いでくれて嬉しいともいうわけではないそうです

 

でも、こうやって、一緒にできていること自体、嬉しいっていうことなんじゃないですか?

と代田さん話してくださいました

 

天然の鯛焼きは、多くの人の心に焼き付いた味わいと、お嫁さんの心をも動かしてしまう美味しさで残された

みんなの愛が詰まった鯛焼きでした

 

私の大好きなたい焼きがいつまでも残ってほしいと願う 西村容子 でした♡

「根羽村のある施設のお雛様の奥の奥では、金の〇〇に出会えるらしい」

今日は根羽村に行ってきました

根羽村にあります、「ネバーランド」がその場所

 

ここに飾られているお雛様自体も、皆さんがパッと想像するお雛様とは違うんです

 

20年前にはほとんど見られなかったこのお雛様が

15年ほど前から、徐々に増えだし

今はこのあたりの文化になってしまいそうな勢いです

 

この「お雛様の奥の奥」っていうのも想像するのに大変?

 

ネバーランド店長の菊地暁さんにうかがうと

このお雛様だと「奥の奥」はありかも

そのお雛様がこちら!



分かりますか?



こんな感じに

吊るし雛のトンネルをくぐるかのように飾られた廊下

 

15年ほど前から、南信州では、お雛様を扱うお店にも入り始め

それと同時に、阿智村から根羽村にかけてよく吊るし雛を見かけるようになりました

 

吊るし雛だからできる「奥の奥」

 

吊るし雛というのは手毬や巾着、お花などに加えて

干支や、縁起物など、布で作られた様々なものがお人形さんとして吊るされているので

今年の干支を探そう!

なんてちょっとした宝探し気分で楽しむことができます

 

実際今年の干支、イノシシもいて



とっても愛らしい姿が、私を笑顔にさせてくれました

 

この吊るし雛、1月から4月までロングランで飾られていまして

何度きても楽しんでもらえるようにと様々な工夫をしているようでした

 

1月はお正月

2月はバレンタイン

3月は桃の節句

4月は旅立ち

 

その演出を変えているんだそうです

ですから、何度来ても楽しめる

 

そして、その先にある「金の〇〇」とは?



見えてきましたよ!

 

あの先に見えるのがその噂のもの

もっと寄ってみると?



これ、実は「トイレの神様」なんです

 

よ~く見てみると

見えます?「金の・・・」

 

  

 

金のバケツと金のホウキを持った

 

トイレの神様でした

 

しかもこのバケツの中にはお賽銭が!!!思わずお賽銭を入れたくなるのは、この神様のなんとも言えない顔



美人ではないけれど、どこか親しみやすい顔してるでしょ

 

この神様に誘われて

トイレだけに「運(うん)が付くかも」

と言う気分になるそうです

 

 

よく来るというおばあちゃんの笑顔は福の神のようでした

 

吊るし雛が醸し出す雰囲気と、愛嬌たっぷりのトイレの神様

 

ぜひお出かけください

 

 

吊るし雛の美しさに魅了された 西村容子でした♡

「信濃の国を調べたら、飯田高校の校歌の不思議に出会ったよ」

先週は、信濃の国 県歌制定50周年企画ということで

南信の代表として、信濃の国で歌われている

「太宰春台」って誰?

ということで調査しましたが

 

その太宰春台は

信濃の国ばかりでなく

飯田下伊那では信濃の国と肩を並べる「下伊那の歌」と

飯田高校の校歌にも名前が出てくる

ということで調べていくうちに

いろんなことがわかってきました

 

まずは先週のおさらい

信濃の国に歌われている太宰春台とはどんな人なのか?

 

太宰春台とは

江戸時代、飯田市で生まれ、父親の都合で10歳そこそこで飯田を離れ江戸に行き

当時、国を代表する儒学者だった人

「経済録」という書物は有名で、日本で初めて「経済」という言葉を広めた人でもあります

 

その春台が信濃の国に歌われ、下伊那の歌にも、飯田高校の校歌にも歌われている

特に飯田高校の校歌にも歌われているのは

時代的背景から見て、信濃の国の影響が色濃くあるのではないかと

飯田高校で、校歌について調べている国語科の荻原佳祐先生はお話くださいました

 

飯田高校の校歌は、信濃の国が作られた6年後の作られています

さらに、信濃の国の作詞者 浅井冽と、飯田高校の校歌の作詞者 福沢悦三郎は同じ長野師範学校に同時期にいたという事で

信濃の国に浅井冽が、太宰春台を選んで歌詞に入れたことで

飯田高校の校歌の3番には太宰春台の名が入ったということが想像できるということです

 

そして、この調査を始める時からずっと引っかかっていた

どうしてこんなに、太宰春台を知る人が少ないのか?

 

校歌に入っているんだから、その名前くらいは全校生徒が知っていてもおかしくない

実は私も飯田高校出身ですが

全く知らなかった

 

調査をしてみると

それには意味があったんです

 

実は、飯田高校では、太宰春台が歌われている3番だけは

ほとんど歌われることがないんです

 

調査していて驚いたのは

ネットで飯田高校の校歌を検索して聞いてみると

そこでも3番だけが抜けている、歌われていないんです

 

校歌として残すためのものなら、全部を歌って残すもの

ものすごく不自然に感じた私は

そこには意図的な何かがあるんのではないか?と、思い

どうして歌われないか?

素朴な疑問を荻原先生に伺ってみましたが

 

随分前から歌われていなくてその真相は分からないという事でした

 

でも、この歌詞を作った福沢悦三郎さんは、深い思いがあって春台を歌詞に入れたのではないか

というのが、歌詞を読むと分かると荻原先生はおっしゃるんです

 

校歌の冒頭の歌詞は

「赤石山は、巍々として我が南信の骨をなし」

とはじまります

そして、実は、3番の春台の歌詞にも「骨」と言う字が使われているんです

赤石山を南信の骨と歌い

文化の骨として春台を出した

 

その「骨」と言う言葉に意味を持たせたというのは、一緒に興味を持って研究していらっしゃる校長先生も同じ考えを持ってこの歌詞を見ているということで

やはり春台は、この地域にとっては本当に大切な人だったんだということがわかります

 

でも、調査中に

高校生からこんな素朴な疑問が出てきました

「どうして、菱田春草の方が有名なのに春草じゃなかったのか?」

というもの

 

それは、時代を見れば簡単

 

作詞者の福沢悦三郎と菱田春草は同じ年に生まれています

明治39年に作られた校歌では、芸術家として認められるのがまだまだ先だったので

春草がここには載らないのは当たり前ということになります

 

信濃の国を調べていたら、飯田高校の校歌の不思議に出会ってしまいました

 

いろんな形で、信濃の国は影響を与えているんでしょうね

 

春台を知らなくて恥ずかしいな~と思った 西村容子 でした♡

 

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日替わり調査員

月曜日 根本 豊 東信担当

寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」に所属していた演劇人。
福島出身で標準アクセントがいまだに身につかない。無類の酒好き。

火曜日 竹井 純子 北信担当

SBCのラジオカーレポーターを経て、調査隊員に。
中野市出身、豪快な笑い方が特徴。愛用の手提げバッグのデザインが下品と評判。

水曜日 塚原 正子 中信担当

ロック好き。電話するとだいたいエレベーターに乗っている。謎多き女性。
松本市出身。中学・高校のあだ名は「かっぺ」。

木曜日 西村 容子 南信担当

元民放テレビ局のアナウンサー。3人の子どもを育てながら、おもしろいネタがないかとアンテナを張りめぐらしている。への字まゆげがチャームポイント。飯田市出身。

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