☆2015噂の調査隊・締めを飾るのは?

♪もーいくつ寝るとーお正月?? いよいよですね。
2015年今年も終わりが近づいてきました。ここまできたら!何もしなくても。お正月きます。
あわてない。って言い切りたい。今年の噂の調査隊締めにちょうど火曜日。
つまり締めを飾るのは?竹井。ですが!!締めを飾る=しめ飾り。なんて。文字通り。
本日29日は、苦が待つと言われしめ飾りを飾る事を避ける傾向にありますが、福とも読めるので。
この日にという方もいるかもしれません。また、31日は一夜飾りこれまた避けるほうが良いとされています。と!いう事は、しめ飾りを飾っていない方は明日がラストチャンスです。 もう用意しましたか??
大丈夫??なんと私。今年のしめ飾り・ごぼう締め。自分で作ってみました。
12月上旬に中野市で行われました。

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「しめ縄作り講座」に参加してきました。講師は、中野市在住の御年85歳大宮誠吉さんです。

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当日は、31名の皆さんが参加。しめ飾りの講座は毎年、募集するとあっという間に締め切られてしまうほど大人気。
初心者の方から毎年参加し、年にこの時期しか作らないしめ飾りをあらためて、
大宮先生に教えてもらいに来たなんてベテランの方まで。
年齢も様々。30代から80歳近くまでの方々。男女問わずで今年は女性の参加が増えたそうです。
皆さん楽しみながらの参加です。
最初に作ったごぼう締めはなんとか私もできました。ですが、この後の大黒締めは断念しました。難しすぎて・・・。思わず講師の大宮先生も、力が入った指導されていました。大宮先生のしめ飾りはきれいですが飾らないお人柄も人気の秘密かもしれません。

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ちょっと厳しくもあり楽しい先生でした。自分のうちの神様を祭るためのもの

手作りが最高だと先生は考えるそうです。大宮先生。材料となるわらも用意してきて下さるのですが、
このわらにもこだわりを持っていて、長く・出来るだけまっすぐな物を持ってきて下さる。
しめ縄用にそのようにつくっているそうです。
私以外の皆さんは、ごぼう締めともう一作品・大黒締めも作り上げましたよ。

調査隊:竹井純子

12/28噂・上田市の市民ホール、「サントミューゼ」は芸術家を出前する!?

上田市、JR新幹線上田駅にほど近い千曲川沿いに、
地元産のカラマツ材が外壁にたっぷり使われた近代的な建物が建っています。


この12月末で開館一年3ヶ月を迎える
「サントミューゼ=上田市交流文化芸術センター」です。

この10月時点で25万人の利用者を迎えました。
現サントミューゼ館長は前任地・北九州のホールでは名物館長であり
(館発信の作品や自主制作公演で海外にも進出)
上田着任後も積極的な方針を打ち出しています。
その一つが「芸術家ふれあい事業」。
地域に密着した芸術活動のなかで、その道の専門家やアーティストを
要望のあるところに出前しているんですね。
出前?なぜ出前する?
サントミューゼ館長兼チーフプロデューサー津村卓さんに伺いました。

津村卓
「文化や芸術に接する機会のない人、見たくても来られない人のため直接劇場側が出向く。
演劇や音楽の持っている力は想像以上の影響力を及ぼします。特に子供達には。」

それはどういうことなんでしょう。

津村卓
「子供達が学校で習っているのは、今は全部答えがあるものを追い求めている。
ところが社会に出ると答えのないものだらけ。
たとえば就職して初めて上司に言われることって答えがない。
そこにみんな戸惑う。芸術はそのための予防注射のようなもの(笑)。
芸術では答えのないものに向き合う。
価値観の違うものと数多く出会ってもらう。」

その基盤となる「芸術家ふれあい事業」とは一体どういうこと?

津村卓
「市内の各地域を多数のアーティストで手分けして回っている。
ピアノの演奏などでも体育館とかの大きな所ではなく、
小さな教室で贅沢な時間と空間を体感してもらう。
芸術ではなく芸術『家』、つまりオーラを放つ人そのものに触れてもらう。」

また、ホールコンサートでも
“アナリーゼ(曲の構造を理解し、メロディの動機や精神を理解してもらう為の分析)”
などを行い、演奏家が聴衆の前で直接楽曲分析して情報を提供することで
音楽をよりいっそう面白く感じてもらい新たなクラシックファンを開拓しています。

津村卓
「芸術は宗教と同列で、本来心や魂の最後の救いとなるものです。
また、芸術・文化は趣味ではなく社会を構築する為の大きなツール。
中国や韓国では国の生き残りをかけた国策になって大きな外貨を稼ぎ出しています。
次世代の産業は付加価値が重要なカギ。
付加価値の大きな割合はデザインで、デザインの原型は芸術。
売れる物をどう作るか。芸術文化と地域産業とのマッチングが新しい産業を生みます。
20年後の社会は現在の20㌫の仕事がなくなり
今は想像できない20㌫の仕事が生まれるそうです。
人口減少で外国人と一緒に仕事をする環境にもなる。
今の子供たちはそれに対応しなければならない。
社会参加のために「分かち合う学習」が必要になる。
アーティストは分かち合うのが仕事。
子供たちにコミュニケーションや相手のことを想像する体験がないと、
新しい産業も生まれないし、新しい産業に向き合えない。
その基礎体力作りとしての出前講座」なのだそうです!

開館1年目でサントミューゼを力強く牽引する津村館長は、
地域密着型の「新しいホールのカタチ」を探っています。
大上段に芸術に切り込むのではなく大阪人テイスト(大阪の情報雑誌・元編集者)津村館長の、
わかりやすく地に足をつけた芸術への取り組みにこれからも注目したいと思います。

        津村館長とは今回浅からぬ縁が判明した・根本豊でした

お寺でほっこりえんむすび って、どゆこと?

松本に、縁結びのお手伝いをしてくれるお寺があるらしいんです。
松本市神林の福應寺。

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以前、このコーナーでも紹介したことがあるお寺です。
鎌倉時代に、中国から日本に味噌を伝えた、
「法燈円明国師 覚心」というたいへん偉いお坊さんが生まれたという、
歴史あるお寺です。
ここで、良縁祈願祭をやっている、ということなんです。

まず、お寺で? 縁結びと言えば神社じゃないの?
って思いませんか?

今回は、副住職の奥様、中川 裕子さんにお話をうかがいました。

「確かにお寺って、縁結びのイメージがないですよね。
ともすると、縁切り寺なんてあったりしますからね。
福應寺は、子授け・子育てにゆかりの深い「常澄観音」様を
まつってあるんです。
ただ、お参りに来てくださる方からお話をうかがうと、
子授けの前に、縁がなかなかなくて・・・
という声が多くて。
それなら縁結びのお手伝いをお寺でできないものかと、
4年前から良縁祈願祭を始めたんです。」

つまり。
縁結びから、子授け、子育てまで、ぜ~んぶまとめてお手伝いしましょう!
という太っ腹なお寺さんなのですよ!

良縁祈願祭の内容は・・・

「まず、護摩祈祷という、火を立ちて行う祈祷をして、良縁を祈願します。
身を清め、より良い縁を授かるようにと願った後は、参加者全員で茶話会。
たっぷりと時間をとって、参加者一人一人と、
じっくりお話ができる機会を作ります。」

お寺がやっている、ということで安心して参加できる方が多いそうです。
茶話会は奥様の裕子さんが、会場を和ませてくれて、
お話ができるように誘導してくれるそうです。
それに、もし、その場では縁が授からなかったとしても、
祈祷してもらうことで、次の機会が期待できそうですもんね。

「そうなんです。
祈祷だけでも、ということでご参加いただける方もいらっしゃいます。
興味のある方、ぜひお気軽にご参加ください。
お待ちしています。」

良縁祈願祭の日程は、1月10日(月)13:00~。
県内どこにお住いの方でも参加できます。
まずは、電話でお問い合わせを。
電話 090-1663-4921 です。


福應寺は住宅地の中にひっそりとあるお寺です。
境内に入ると、とっても気持ちがいいんです。
空気がす~~っとしていて、
そこにいるだけで、気持ちがなんとなく癒される。ほっこりできるんです。
だから。
お寺で ほっこり 縁結び  なんです!

調査隊員:塚原 正子

長い夜・冬至のライトダウンキャンペーンとは?

日中の時間が最も長い頃の夏至に各地で行われているライトダウンキャンペーン。
なんと!長野県。寒いけど今日冬至の頃にもライトダウンキャンペーンを行っているんですって!
冬至は日中の時間が最も短い頃。つまり!夜が長い。暗い時間が長い。
本当に!ライトダウン行っているのかしら?
お話は、ライトダウンながの実行委員会。事務局 渡辺ヒデ子さんです。

夏至だけではなく、冬至にもライトダウンキャンペーンは行われています。
なんと今年は、今日までがライトダウンキャンペーン。おわっちゃう。今日で終わっちゃうの~~。
でも!いいのです。キャンペーンが終わるだけですよ。続けてもらって。その通りなんですけれど。
そもそも。ライトダウンキャンペーンって何?
環境省が2003年から地球温暖化防止のために、ライトアップ施設や家庭の照明を消して
頂くよう呼びかけるもの!長野地域でも2009年から始まっています。
主に、夏至の頃に各家庭・各企業で実施されています。夏至ならば!昼の時間も長く
比較的多くの方が参加して下さるそうですが、この冬至の頃は、ライトアップの時期とも
重なるためか?寒さのせいか?なかなか浸透しづらいそうです。
昨年までは、一昨年前までは長野駅前で、キャンドルナイトコンサート等行っていたそうです。

ただ、長野駅改装に伴う工事の為中断してからは、寒さも手伝い今年も復活していません。

寒くなるこの時期にライトダウンキャンペーン継続していくのもなかなか難しい。
だって!寒いんだもん。暗い時間長いんだもん。でも!心がけだけでも続けてあまり無理せず。
出来ることからの積み重ねで。渡辺さんにこの冬至の時期だから出来るライトダウン。
と省エネについて聞いてみました。

1、寒い時は重ね着をしましょう。
2、温かい食べ物を摂取し体の中から温めましょう。
3、寒いからと言ってじっとせず、積極的に体を動かしましょう。
4、冬の夜空は空気が澄んでいてとてもきれいです。ライトダウンしたらもっと!!
5、わずかな時間でもみんなで行えば大きな力になります。

ささいな事ですよ。1+1=2以上のものが得られるのが省エネ。
東日本大震災の直後は、皆さん意識が高く行っていたことが今、少し薄れてきているそうです。
温かい頃ならばたやすいことも寒い時に行う大切さも感じてほしい。
無理なく行う事が大切。最後に渡辺さんにお聞きしましたよ。

これからはライトアップの時期になりますが、ライトアップ。見て楽しく過ごすのも心の温かみを感じる大切な事。それ以外のところでちょっとライトダウンしたら!よりライトアップが引き立つかも??しれませんね。

調査員竹井純子

12/21噂・上田市、「MAMAKOステーション」ってなんの駅!?

先々週は、ママさん目線で作った市内散歩の地図を紹介しましたが、
今週もママさん特集でした。
本日のタイトル「MAMAKOステーション」、
「ママコ」って、粉を水で練ったときに、こなれないで固まったやつってイメージですが、
今日の「ママコ」ってなんでしょうか。しかも「ステーション」って駅ですよね。
どういうこと?
まずは上田市内の母親らで作るグループ
「子育て応援オハナプロジェクト」代表 和田真奈美さんに、


オハナプロジェクトについて聞いています。

和田
「上田市内の母親たちが集まって
「歩く・作る・動く・語る」をコンセプトに作ったグループです。
遠方から嫁に嫁いできたり、夫の転勤で一緒に上田に引っ越してきて
身近に親兄弟がいない子育て中のお母さんのために
もう一つの家族として寄り添い応援しようと集まりました
(「オハナ」とはハワイの言葉で「家族」という意味。)

なぜ「MAMAKOステーション」なんでしょう?

和田
「MAMAKOはママと子供。
母親はお勤め中や子育て中は新幹線ほど目まぐるしいし、また時には各駅停車だったり、
姨捨駅のように進んだり戻ったりのスイッチバックのようなもの。
そんなときに駅は一休みできてホットする場所ですし、
また誰でも自由に出入りできる待合所でもある。
ママと子供がいつでも気軽に立ち寄れる場所という意味でMAMAKOステーションにしました。
上田市海野町商店街の空き店舗スペース「海野町がんばりましょっぷGENKI屋」に

11月4日に開きました。」


では具体的にはどんな活動をしているの?

和田
「母親や妊婦向けのイベントを企画し、
市街地散策やヨガ、英語講座や子育ての情報交換をしています。
子供も一緒にヨガや英語の読み聞かせなどに参加していますよ。」


英語講師であり、子育てママさんとしても参加している柄沢真代さんは、


柄沢
「私も県外から引っ越してきて、検査入院などしたときに親に頼れず不安だった。
自分の体がしんどいのに、子供の預け先を最優先で考えなければならないなど、
本当に心細かった。
そんなときに、経験談などを話し合える仲間ができて、
あぁ、一人じゃないんだ、同じ悩みを共有しているんだと思えて安心しました」
と振り返っていました。

参加者は、出産する前日まで家事に追われた経験や
「子どものために病院に行っても、自分の診察やがん検診は後回しにしてしまう」
などの体験を話したり、また、
「自身の経験を話すことで、子育て初心者の母親の役にたつとすればうれしい」
と話す参加者もいました。
和田さんは「母親たちがリフレッシュしながら気軽に交流する場にしたい」と話しています。
同ステーションは毎週水曜日の午前10時半から午後2時まで開設。
問い合わせはMAMAKOステーション(メールアドレスmamako.unno@gmail.como)か
海野町商店街振興組合(☎0268-22-9301)へ。

近くに気軽に頼れて相談できる人がいないママさん、
とかく孤立しがちな子育て中のママさん、
ちょっと元気がなく疲れてしまったママさん、
どうぞMAMAKOステーションを、一度のぞいてみて下さい。
MAMAKOステーションは開かれたあなたのための駅です。

      駅・ステーションというと健さんを思い出す・根本豊でした

噂の調査隊 「伊那の名物ローメンのカップ麺が人気らしい!」

伊那の名物「ローメン」って、ご存知ですか?

伊那でしか食べられないローメン
ちょっと太めの麺を蒸して、マトンの肉とキャベツなどと一緒にいただく
伊那のご当地グルメ。

一口にローメンといっても、
スープに入ったラーメンタイプと、
汁のない焼きそばタイプの
2種類があって
伊那では90店舗ほどで提供されている、
伊那の人たちにとってはソールフド中のソールフード。

そのローメンのカップ麺が1年半ほど前に誕生し、人気がどんどん上がっているという事で、調査にいってきました。

調査の出かけたのは、大学ラーメン 伊那インター店。



お店に入るなり、入口にこんなPOP



確かにこのお店にありそう!

「ここにローメンのカップめんがあるって聞いてきたんですけど・・・」
と聞いてみると
「はい、ありますよ!」とご主人。
このお店の小松光明さんが、一人で一から作り上げたという事なんです。

その名も「いなカップローメン」



さっそく、その中身から見せて頂きました。

中には、麺、ソース、マトンのレトルト、一味が入っていました。



             

これら全ての具材をカップに入れて、その上に山盛りにキャベツを入れたらレンジでチン!
たったそれだけで出来上がり!
できたら、よく混ぜていただきます。

でも、なぜ、ローメンをカップめんにしようと思ったんでしょうか?

松下さんによりますと・・・

ローメンを遠くに持っていこうと思ってもなかなか難しいし、上手に作れない。
家庭で作ろうと思っても、それは敷居が高すぎて作れない。
あと、アウトドアで食べたいと思っても、難しい。

など、伊那でローメンと言うと、お店で食べるのが主流で、自分で気軽に食べられるものではないからだったんですね。

飯田下伊那の名物 五平餅は、五平餅屋さんで買ったりしますが、
何かあると家庭で作って、楽しみます。
駒ヶ根のソースカツ丼は、肉が厚過ぎて、家で作るのは大変なため、
スーパーなどでお惣菜として売られていて
こちらも家庭で食べます。

でも、ローメンは、家で作る事はとても少ない。
その理由の一つは、主役であるマトンのお肉がなかなか手に入らない事なんだそうです。
昔は伊那でも多くのひつじが飼われていたため、このローメンが生まれたんですが、
今ではその肉が手に入らない。
私達飯田市民からすると、「えっ?ウソでしょ?!」という感じ。
どこの肉屋さんに行っても、常にマトンは置いてある飯田下伊那にローメンがあったら、確実に家でも作る、定番メニューになっているでしょうね。

同じ伊那谷でも随分文化が違うのに驚きました。

という事で、このカップ麺は、お土産としてはもちろんですが、
日々の家庭料理でも便利に使えるという事で、
スーパーなどではよく売れているそうです。

でもこの開発は試行錯誤の連続。
まずは、ローメンに欠かせないマトン。
その臭みを適度にするために、スパイスを使って味付けに工夫を凝らしました。
いろんな所から肉を取り寄せ、切り方も角切り、細切り、短冊切りと、
最適なサイズも、何度も試作を重ね
仕上げました。

ソースは常連さんの
「もっとごま油が強い方か・・・」
「酢が足りない」
などの意見を取り入れ、作り直し

キャベツも、よくカップめんに入っているフリーズドライのキャベツを大量に使ってみたが納得いかず
スーパーなどで売られている
「1品加えるだけで出来上がり!」
と言う商品にヒントをもらって
生のキャベツを足して入れてもらう方法を考えました。

その時力を貸してくれたのが、お店に来るローメン好きの皆さん。

そんなお客さんの声から、今回メガ盛りという大盛りシリーズも誕生したそうです。



お味の方はと言いますと・・・
これが驚き!!!



まず、ふたを開けた瞬間のソースの香りが食欲をそそります。

            

そして、キャベツのシャキシャキの食感がたまらない。
続いて、口に広がるマトンの香ばしい香り!

麺が生麺なので、インスタントとは思えない、本当にリアルなお店で食べるのとそれほど変わらない味に仕上がっていました。

この味が気に入って、お歳暮にと買い求める人たちもいらっしゃるとか。
伊那出身の人たちには、ふるさとをダイレクトに感じられる
最高のお歳暮ですよね。

発売から1年半ほどで800色を売り上げたという「いなカップローメン」
定着したファンもいるらしく、今後の売れ行きも楽しみです。



小松さん曰く、お正月で帰省してきた人などが、お店がやっていなくても
故郷の味を気軽に味わえると、手にしてもらえればと話してくださいました。



ローメンのカップ麺は、お店の味に負けず劣らぬ、手軽に本格的な味が楽しめる、おいしい商品でした。


     私も買い置きしておこうかな~飯田のマトントッピングして!
                                西村容子 でした☆

       
















農民多田加助がにらんだ瞬間に傾いた! 松本城の有名な伝説とは?

まずはこの写真をご覧ください。
1897年(明治30年)ころの松本城天守閣です。

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傾いてるでしょ?

多田加助が睨んだから、っていうのは地元では有名な伝説です。
おさらいしましょう。


時は江戸、1686年 ですから、江戸時代の前期ですね。
現在の安曇野市三郷(中萱)の多田加助という人
(元庄屋、この時は庄屋さんではなくなっていますので農民です)
が中心になって、農民1万人もを巻き込んだ大規模な百姓一揆を起こしました。
年貢を減らしてほしい、という訴えをしたんですけど、
加助ははりつけにされてしまいます。
加助は最後まで、年貢の引き下げを叫び続け、
亡くなる間際に血走った目で松本城をギュッとにらんだんですって。
そうしたら、松本城が傾いた!

これが傾いた城の伝説です。

地元の方は知っている方が多いし、私はこのお話、信じています。
でも、これって真実はどうなのかしら?

おなじみ、松本城管理事務所 研究室 菅沼 加那さんに
聞きに行って来ました。

「それは、本当ではないんです。
松本城が傾いたのは、加助がにらんだからではないんですよ。」


え~~~っ。そおなのぉぉぉ?


「はい、残念ながら。
戦後に行われた本格的な復元修理の時に、
天守台の中に16本の支持柱が立てられていたんですが、
これが腐っていたことが、傾きの原因だということがわかったんです。
天守1階の展示コーナーに、
その腐った柱がそのままの状態で展示されています。」


そうなんだ~~~。

菅沼さんは、しょんぼりしている私を5階に案内してくれました。

「もうひとつの伝説をご存知ですか?」

ええええ? 知らないですぅ。

「こちらの柱にまつわる伝説です。」

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「この柱には、ロープですれたような傷があります。
これは、明治の修理の時に、明治の修理を行った小林 有也さんという、
県立松本中学校の校長先生が、お城の傾きをなおそうと、
この柱に縄を付けて引っ張った、という伝説があるんです。
実際に本当に引っ張ったのかどうかはわかりませんが、
そうした伝説が残っています。」

当時、小林先生が好調をつとめた県立松本中学校は、
松本城の二の丸跡地にあったんです。
小林先生は、松本城を大切に後世に残していくことに情熱を傾け、
松本天守閣保存会、という会を捕捉させて、
修理の資金集めに、県内はもちろん、東京や大阪まで出かけたそうです。
修理が終わったのは、大正2年(1913年)。
翌年に、小林先生、お亡くなりになったそうです。

もしかしたら、松本城は市民の宝物なんだよ、って教えてくれたのが、
この明治の大修理だったのかもしれませんね。

これをふまえて、もう一度松本城、眺めてみてください。
冬のお城も、なかなかいいですよ。


調査隊員:塚原 正子

☆部員数5000人以上の写真部がある?

実は・・・。私、高校時代の部活動なんと!!写真部です。
あまり写真のセンスはなかった。顧問の先生ごめんなさい。
部員も7名ほどで楽しくやっておりましたが、今回、調査した写真部はなんと!!
部員数が5000人以上。そんな写真部があるの??調べました。
あるんです。その名も!!「長野県外食写真部」なんじゃ??
まずは、この「長野県外食写真部」って何?部長の中村嵩宏(たかひろ)さんです。

部員の登録している方が、外食に行ったときに
写真を撮ってそれをFBでみんなでシェアしていこうと外食の際のお店選びなどに役立ててもらおう。
それが!!「長野県外食写真部」なんですって!
中村さんご夫婦2人からスタートして今現在約5500人。
ご本人もびっくりの部員数。「長野県外食写真部」作るきっかけ聞いてみました。

奥様を美味しいお店につれていってあげたい気持ちが部の原点です。

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入部の条件は、投稿するのが長野県内のお店であれば部員の方は県外でもOK.。
県外からきてお店選びの参考にするのも1っの手ですね。外食であれば、朝昼晩は問いません。
メニューの束縛もありません。家でこんなメニュー作りましたは。NG.です。
中村部長の外食へのこだわりがありました。


取り上げるのは、外食の写真ですが、やはり季節感がでる。
食事ですからやはり食材の旬がこういった季節感につながっていく。
一番の目的でお店選びにに使ってほしいという思いがあるので!!
どこのお店のどんなメニューで価格はいくらか??明記して頂くようにしているそうです。
今や!!部員数5500人これだけのものをしっかり管理していくのも大変になってきているようですが、
メンバーの皆さんの協力のもとこれからも続けていきたいそうです。

調査員 竹井純子


12/14噂・佐久市のシニア大学生が、星空ツアーを企画したって?!

あの宇宙飛行士、油井亀美也さんが約5ヶ月の宇宙でのミッションを終えて
12月11日、無事地球に帰還しました。
油井さんはご存じの通り南佐久郡川上村の出身。
少年時代、川上村や南牧村野辺山のきれいな星空を見上げて
いつかはあの星空へと夢見ていたそうですね。

さてそんな星空がきれいな野辺山なんですが、
なんとその星空を見るためにツアーを企画した大学生がいる、
それもシニア大学生!どんな人たちなんでしょう。
それは下写真の人たち。
左から牧野康男さん(73)、岩下克世さん(69)、黒沢澄江さん(74)です。

皆さん若々しいです。

そんな方々が企画したのが今日のテーマ、「星空ツアー」。
きっかけはどういったことだったんでしょうか。

牧野さん
「私たちが在学している県シニア大学佐久学部の授業課題の一環で、
地域の課題を見つけ解決につなげる実践講座があった。
私たちは社会貢献活動として、自分たちが小海線について何ができるのかを考えてきた。
『利用者増に直接つながる企画をしたい』と考え、旅行プランの作成に取り組み始めた。
有志10人で「チーム星空」を立ち上げ、
JR中込駅と協力して、今年で全線開通80周年を迎える小海線を使った旅行プランを作った。
乗客が減少する小海線の誘客に一役買おうと考え、
小海線のハイブリッド車両を貸し切り日帰り旅行で、
南牧村の星空などを楽しむ内容を考えた。」ということです。

プラン実行に向けて会議を重ね
いよいよ11月4日(水)、貸し切りハイブリッド車両がJR中込駅を14時前に出発。
参加者は39名、皆さんシニア世代の元気な方々だったそうです。
(以下写真はすべて岩下克世さん提供)


野辺山に15時前に到着し民俗資料館で写真展見学、
八ヶ岳高原ロッジでディナー、
そして18時過ぎから専門家の講師付きで待望の星空観察。

折良く新月で、降るような星空が観察できて、全員感動の歓声が上がったそうです。


現地での楽しみだけでなく、往復の電車内でも色々企画があったそうです。
参加者もシニアの方々だったので懐かしの歌声喫茶の再現。

電車内の飾り付けは出発10分前の電車入線だったので
慌ただしくて大変だったが苦労も吹っ飛ぶ盛り上がりで苦労が報われたとか。
帰りの電車は大抽選会で
フィーバー(笑)し、

中でも目玉の景品は鉄道マンOB牧野さんが集めていた鉄道関係コレクションの選りすぐり。
国鉄特製懐中時計、
改札ハサミ、国鉄廃業当日の小海線全線の切符などなど
鉄道マニア垂涎の的の品々が惜しげもなく放出されたとか。



中込駅到着は、
21時前でしたが
着くまで星にちなむ歌を歌い続け、
声がらがらで別れを惜しみながらまたの再会を約したそうです。


現在JR中込駅構内に、小海線開通80周年、佐久鉄道開業100周年を記念して
小海線や浅間山をテーマにしてみんなで描いた沢山の絵手紙が3/31まで展示されているそうなので
みなさん是非どうぞ。

活動的なシニアの方々ですが、ちょっと前までは普通に暇な時間と向き合っていた方々。
シニア大学に入学のきっかけは様々ですが、
一歩足を踏み出すことが重要だと口をそろえて言ってました。
超高齢化社会というとなにか負のイメージがまとわりつきますが、
その言葉にびびらずに、明るく元気に前向きにを合い言葉に生きていきましょう!

       ワタクシ今年から前期高齢者だって・・エッ誰のこと?・の根本豊でした

噂の調査隊「松本が舞台の映画「orange」には、もう一つの舞台があった」

いよいよ明日ロードショーとなります 映画「orange〜オレンジ〜」

原作の舞台も松本ですし、映画の舞台も松本で、実際、撮影も松本で行われ話題になりました。

しかし、映画「orange」には松本と肩を並べるほどの、もう一つの舞台があったのをご存知でしょうか?
それは決して表に出る事のないもう一つの舞台。

この映画は、オール長野ロケに拘って作られた作品なんです。
その理由を、監督の橋本光二郎さん、プロデューサーの石黒裕亮さんに伺ってみると・・・

原作者が描いた長野の空気が、
その長野で撮影することで、透明に見える映像の中の空気にも映り込むから・・・と・・・

その空気感も、この作品の魅力の一つ。

orange=松本というイメージが強いと思うんですが、
実は、松本の他に、県内の3つの高校で撮影が行われていたんです。
メインとなった教室や廊下のシーンなどは、飯田市の廃校で、
登校シーンなどは塩尻市の田川高校で、
中庭や文化祭のシーンは安曇野市の明科高校で撮影が行われました。

特にその中心となる飯田に、監督達も特別な思いを持ってくれていたみたいで、
教室からパーンすると映り込む景色や、木に包まれた教室や廊下。

実は、監督、飯田の高校の廊下がとても気に入ってくださっていたらしく、
昇降口から続く広い、階段が少しある感じの廊下なんですが
未来に向かっていく感じや、翔がいなくなっていってしまう雰囲気を演出するのに
ピッタリだったそうなんです。

それを知って映画を見ると、監督がその廊下で何を描きたかったのかを感じとることができます。

さらに、飯田ではストーリー上、重要なシーンがいくつも撮影されていたんです。

翔と菜穂にとって重要となるプールのシーンや、
クライマックスに向けて重要となってくるマットを運ぶシーン。
さらに、この映画を象徴するタイトルのシーンを見た時は、
「こんな大事な所にこの画を使ってくれたの~!!!!」
と、とっても感動してしまいました。

これは南信州の人は間違いなく感動すると思います。

飯田での撮影は、飯田ならではのエピソードがいっぱいあって・・・

ロケ隊が入ると大騒ぎになってしまう事も多々あるんですが、
飯田での撮影は、
本当に「見守ってもらってる」
と言う感じの中でできた。

出演者6人も「昨日駅前の〇〇でご飯食べて・・・」
って普通にしててもOK!

「撮影が見たくて来た女の子たちも、絶妙な距離感を保って見ていてくれて驚いた」
とプロデューサーの石黒さんもそのお行儀の良さを絶賛。

賢人くんの誕生日に、ローストビーフのお祝いが地元から届いて
賢人くんも太鳳ちゃんも大喜びだったり、

竜星くんと桜田くんが、空き時間に焼肉屋めぐりを楽しんで、
焼肉評論家になっていたり、

とっても和やかな空気が撮影中流れていたそうです。

それがそのまま映画の中にも映っていたよ
って監督さんもおっしゃっていて、
こんないろんなエピソード知って、
映画をより楽しんでみてもらえればな~と思いました。

実は、映画全体の1/3ほどを占める、飯田での撮影部分。
まさに、飯田は隠れたもう一つの舞台だったのです。

松本の皆さんは、松本の魅力を、
伊那谷の皆さんは、陰の舞台として描かれた飯田の魅力を
感じてみてください。

タイトルは本当に驚きますよ!


 橋本監督と石黒プロデューサーのあたたかいお人柄に感動してしまった
              西村容子 でした☆

 ☆今回は写真が1枚もなし(涙)
    すべては映画でご覧ください。










情報わんさかGO!GO!ワイド らじ★カン 番組へメール radiko SBCラジオ

日替わり調査員

月曜日 根本 豊 東信担当

寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」に所属していた演劇人。
福島出身で標準アクセントがいまだに身につかない。無類の酒好き。

火曜日 竹井 純子 北信担当

SBCのラジオカーレポーターを経て、調査隊員に。
中野市出身、豪快な笑い方が特徴。愛用の手提げバッグのデザインが下品と評判。

水曜日 塚原 正子 中信担当

ロック好き。電話するとだいたいエレベーターに乗っている。謎多き女性。
松本市出身。中学・高校のあだ名は「かっぺ」。

木曜日 西村 容子 南信担当

元民放テレビ局のアナウンサー。3人の子どもを育てながら、おもしろいネタがないかとアンテナを張りめぐらしている。への字まゆげがチャームポイント。飯田市出身。

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