諏訪湖の底深~くに埋められた石の棺の謎に迫る?
2015年09月23日
諏訪湖の底深くに、石の棺らしいものが埋められているらしい・・・
という噂があるんです。
岡谷市湊 小坂の観音院のご住職 中島 宥明(ゆうみょう)さんが、
武田信玄にまつわる、こんなお話をしてくださいました。
「甲陽軍鑑という書物の中に、武田信玄の遺言として、
自分の亡骸は甲冑を付けて石棺に収め、諏訪湖の一番深い所に沈めるように、
という言葉を残した、と書かれているんです。
一番深い所とは、ここ、観音院の前あたりになるんですよね。
だから、このあたりにあるのではないか、という言い伝えが昔からあるんです。」
でね。なんと。
石棺らしきものが湖の底から見つかったんですって!
「国土地理院で諏訪湖の湖の深さを測った時のこと。
不思議な形が湖の底から浮かび上がったそうなんです。
これをきっかけに、テレビ局と信州大学が調査したところ、
縦25メートル、横25メートルの巨大なひし形が見つかったんです。
武田の紋。武田菱に非常によく似たかたち。
さらに、その中には棺のようなものがあることまでわかったんです。」
ただ。これが見つかった場所は、観音院の近くではなかったんです。
その場所がね、不思議なの。
観音院と、旧東照寺を結んだ線と、諏訪大社の上社と下社を結んだ線の、
ちょうど交わるところで発見されたんです。
まるで、しっかりと計算されたような場所。
さらに。中島ご住職はこんなことも!!
「この石棺の中に眠っているのは、本当に武田信玄かどうかわからないんです。
明確な資料もない。
私は違うと思うんです。
じゃあだれ?」
諏訪にはとても美しいお姫様がいました。
諏訪御料人。
井上靖の小説「風林火山」の中では由布姫、
新田次郎の小説「武田信玄」の中では湖衣姫。
武田信玄が一目ぼれをし、最も深く愛した女性として
多くの物語に描かれているお姫様。
小坂の観音院は、井上靖の小説の中では、
由布姫がご懐妊し、勝頼を生み、そして亡くなったことになっている場所なんです。
「私は真実ではないかと思っています。
観音院を建てたのは諏訪家。お姫様の実家です。
お城が警護が厳しいため、信玄が会いたくてもなかなか難しい。
お寺を建ててそこに住まわせたら、会いに来やすいし、安全ですから。」
武田信玄は最愛の姫に会うために、諏訪湖に足しげく通ったのかもしれないですね。
「当時の武田勢は非常に勢力を持っていて、右肩上がりだった。
信玄の正室は三条夫人なんですが、
そんな勢いがある中で亡くなった三条夫人のお墓は、
とっても立派なものを建てているんです。
なのに、一番愛したとされる諏訪のお姫様のお墓なないんです。
高遠のお寺にあるとされていますが、
そのいわれは不明な部分があるらしいですしね。
だから、もしかしたら、この石棺の中には諏訪のお姫様がいるのではないか。
諏訪湖に葬って、湖全体をお墓にしたかったのではないか。
とも考えられるわけです。」
これ、ほんとだったらすっごくロマンチックですよね~。
だけど。
戦国時代の当時、そんな技術があったのでしょうか?
「武田軍は太平洋で船を操っていた海軍を持っていました。
そして、土木工事も非常に高い技術を持っていた。
だから、諏訪湖に石棺を埋めることぐらいは、難なくできたんではないかと思います。
最愛のお姫様が亡くなった時、自分の持っている技術をすべて使って、
二人の思い出がたくさんある湖の底深くに葬ることを考えた。
きらびやかな衣装で着飾ったお姫様を石棺に寝かせ、
そのまわりを財宝で飾って、蜜蝋で密閉して。
もしかしたら今も、美しいままのお姿で、眠っているかもしれませんよね。」
お姫様は25歳ぐらいで亡くなったと言われています。
観音院から諏訪湖を眺めると、ちょうど石棺が見つかった場所が見られます。
真実はまだ解明されていません。いろんな説もあります。
でも、それを暴くより、ロマンがたくさん残されている方が、
素敵な気分になれたりして・・・。
ぜひ、ロマンを感じて、ご覧になってみて下さい。
松本の調査隊員 塚原でした。
という噂があるんです。
岡谷市湊 小坂の観音院のご住職 中島 宥明(ゆうみょう)さんが、
武田信玄にまつわる、こんなお話をしてくださいました。
「甲陽軍鑑という書物の中に、武田信玄の遺言として、
自分の亡骸は甲冑を付けて石棺に収め、諏訪湖の一番深い所に沈めるように、
という言葉を残した、と書かれているんです。
一番深い所とは、ここ、観音院の前あたりになるんですよね。
だから、このあたりにあるのではないか、という言い伝えが昔からあるんです。」
でね。なんと。
石棺らしきものが湖の底から見つかったんですって!
「国土地理院で諏訪湖の湖の深さを測った時のこと。
不思議な形が湖の底から浮かび上がったそうなんです。
これをきっかけに、テレビ局と信州大学が調査したところ、
縦25メートル、横25メートルの巨大なひし形が見つかったんです。
武田の紋。武田菱に非常によく似たかたち。
さらに、その中には棺のようなものがあることまでわかったんです。」
ただ。これが見つかった場所は、観音院の近くではなかったんです。
その場所がね、不思議なの。
観音院と、旧東照寺を結んだ線と、諏訪大社の上社と下社を結んだ線の、
ちょうど交わるところで発見されたんです。
まるで、しっかりと計算されたような場所。
さらに。中島ご住職はこんなことも!!
「この石棺の中に眠っているのは、本当に武田信玄かどうかわからないんです。
明確な資料もない。
私は違うと思うんです。
じゃあだれ?」
諏訪にはとても美しいお姫様がいました。
諏訪御料人。
井上靖の小説「風林火山」の中では由布姫、
新田次郎の小説「武田信玄」の中では湖衣姫。
武田信玄が一目ぼれをし、最も深く愛した女性として
多くの物語に描かれているお姫様。
小坂の観音院は、井上靖の小説の中では、
由布姫がご懐妊し、勝頼を生み、そして亡くなったことになっている場所なんです。
「私は真実ではないかと思っています。
観音院を建てたのは諏訪家。お姫様の実家です。
お城が警護が厳しいため、信玄が会いたくてもなかなか難しい。
お寺を建ててそこに住まわせたら、会いに来やすいし、安全ですから。」
武田信玄は最愛の姫に会うために、諏訪湖に足しげく通ったのかもしれないですね。
「当時の武田勢は非常に勢力を持っていて、右肩上がりだった。
信玄の正室は三条夫人なんですが、
そんな勢いがある中で亡くなった三条夫人のお墓は、
とっても立派なものを建てているんです。
なのに、一番愛したとされる諏訪のお姫様のお墓なないんです。
高遠のお寺にあるとされていますが、
そのいわれは不明な部分があるらしいですしね。
だから、もしかしたら、この石棺の中には諏訪のお姫様がいるのではないか。
諏訪湖に葬って、湖全体をお墓にしたかったのではないか。
とも考えられるわけです。」
これ、ほんとだったらすっごくロマンチックですよね~。
だけど。
戦国時代の当時、そんな技術があったのでしょうか?
「武田軍は太平洋で船を操っていた海軍を持っていました。
そして、土木工事も非常に高い技術を持っていた。
だから、諏訪湖に石棺を埋めることぐらいは、難なくできたんではないかと思います。
最愛のお姫様が亡くなった時、自分の持っている技術をすべて使って、
二人の思い出がたくさんある湖の底深くに葬ることを考えた。
きらびやかな衣装で着飾ったお姫様を石棺に寝かせ、
そのまわりを財宝で飾って、蜜蝋で密閉して。
もしかしたら今も、美しいままのお姿で、眠っているかもしれませんよね。」
お姫様は25歳ぐらいで亡くなったと言われています。
観音院から諏訪湖を眺めると、ちょうど石棺が見つかった場所が見られます。
真実はまだ解明されていません。いろんな説もあります。
でも、それを暴くより、ロマンがたくさん残されている方が、
素敵な気分になれたりして・・・。
ぜひ、ロマンを感じて、ご覧になってみて下さい。
松本の調査隊員 塚原でした。