昨年創立120周年を迎えた長野県諏訪清陵高等学校の校歌は日本一長いことで
知られています。
全部で18番まであるため、全部歌うと昔は15分くらいかったそうですが、最近はテンポが早くなっているため10分を超えるくらいです。
学校行事の中で、すべて通して歌うのは年に数回しかないためたいへん貴重です。
そこで4月6日に行われた始業式にお邪魔して、校歌を録音してきました。
録音時間は10分37秒。というわけで17日のうわさの調査隊は全編、校歌を聞きながら進めていきました。
どうしてこんな長い校歌が誕生したのか…。そのあたりを諏訪清陵高校の石城 正志校長にじっくりと伺いました。
明治のころのお話です。諏訪清陵高校ができた当初、自治を求める学生が学校と対立し、初代と二代の学友会長(生徒会長にあたります)が卒業を間近に放校…つまり退学になるということがあったそうです。
その騒動が収まったころ。第六代の校友会長 中嶋喜久平の時に校歌を作ろうという動きが学生の中から生まれます。その結果、卒業生ではないものの地域の先輩である伊藤長七に作詞を依頼。
さらに中嶋喜久平自身が作詞も行いました。それが、現在では第一校歌の「東に高き」(伊藤長七作詞)と第二校歌の「ああ博浪」(中嶋喜久平作詞)として歌い継がれています。
第一校歌が8番、第二校歌が10番まであり、続けて歌うことが慣例となっていますので、全部で18番という長さで“日本一長い校歌”と言われます。
ちなみに付属中学校の校歌も同じ。石城校長のお話では、中学生の方が早く覚えるそうです。
長いうえに漢文調の難しい歌詞が連なる校歌。覚えるのがたいへんだと思いせんか?
そこで登場するのが、お昼休みの校歌練習です。校歌練習の文字通り音頭をとるのは学友会。
学友会長を務める三年生の大槻 悠太さんに聞きました。(写真は学友会の役員の皆さんです)
かつては地方会という組織があり、入学前の校歌練習を担っていたそうです。
その組織が無くなったため数年前から学友会による練習が始まりました。お昼休みは45分間しかありません。そこで最近は、第一と第二前半、第二後半というように分けて練習をしているとのこと。諏訪清陵高校の校歌は太鼓と手拍子だけで歌うのも特徴だそうです。
練習に参加する、しないはあくまでも個人の自由。強制されることは一切ありません。にもかかわらず、多いときは数百人が練習場所のコモンスペースに集まるそうです。
他にも工夫を見つけました。男子トイレにも女子トイレにも校歌の歌詞が貼ってあるんです。
実は…諏訪清陵高校の校歌にはさらにこんなお話があります。
明治のころに歌詞を募集しましたが、第一、第二のほかにもう一つ…茅野儀太郎作詞の
「境をめぐる」という歌が寄せられました。当初はこれも歌われていたそうですが、いつのころからか第一と第二だけになります。ただしこの曲は「清陵祭の歌」として歌われていた時代もあります。そしてさらに、戦後の新制高校への移管にともない新しい校歌が公募されました。その結果「明けゆく富士の(清陵賛歌)」という曲が校歌に決まります。でもなぜか学生はこの新しい校歌を歌わなかったのだそうです。なんと諏訪清陵高校の校歌は4つあったということです。ちなみに、「明けゆく富士の」は、現在 付属中学の生徒が行事の時に歌っているそうです。
時代ごとに歌われたり、歌われなかったり…ということあたりも生徒の自治に任せる校風ならではかもしれません。
最後に“日本一長い”ということで注目される点について石城校長に伺いました。
『本当に長いかどうか正確なところは分からないが、長いことがこの校歌の良いところだと内部の人間は思っていない。同窓生の絆の強い諏訪清陵にとって長くて難しい歌詞の校歌を一緒に歌うことは、諏訪清陵高校の仲間であることの暗号のようなものだと生徒にも話したことがある。』と答えてくれました。
平成27年の120周年記念式典では参加最高齢の102歳のOBがすっくと立って全部歌われていたそうです。
まもなく夏の甲子園の県大会が始まります。“日本一長い校歌”を甲子園で聞いてみたいと願う卒業生は多いのではないでしょうか…。
諏訪の調査隊員:土橋桂子